第8話「森の恵みを科学する」
秋の訪れとともに、グリーンウィンド村では新たな挑戦が始まっていた。
「最近、薬の原料となる薬草が不足しているの」
オリヴィア・ハーブウィズダムが、心配そうに村の集会所で報告した。
「このままでは、冬の病気に対応できなくなるわ」
村人たちの間で不安な声が広がる。その時、綺羅が前に進み出た。
「オリヴィアさん、一緒に森を調べてみませんか?」
オリヴィアは驚いた表情で綺羅を見た。
「あら、綺羅。あなたに何かいい考えがあるの?」
綺羅は自信に満ちた笑顔で答えた。
「はい。きっと新しい薬草や、今ある薬草の新しい使い方が見つかるはずです」
森に入った綺羅とオリヴィアは、慎重に植物を観察していった。綺羅は時折立ち止まっては、葉や花、茎を細かく調べる。
「これは……」
綺羅の目が輝く。オリヴィアが興味津々で尋ねた。
「何か発見があったの?」
綺羅は嬉しそうに答えた。
「このキノコ、薬効があるんです。抗生物質の一種を含んでいるんですよ」
オリヴィアが首を傾げる。
「抗生物質?それは一体何なの?」
綺羅は丁寧に説明を始めた。
「細菌による感染症を治療する強力な薬です。これを使えば、今まで治療が難しかった病気にも対応できるようになります」
「本当?」オリヴィアの目が希望に輝いた。
綺羅は微笑んで答えた。
「はい。一緒に研究して、新しい薬を開発しましょう」
綺羅とオリヴィアは、キノコから抗生物質を抽出する実験を始めた。まず、彼女たちは採取したキノコを細かく刻み、エタノールに浸した。エタノールは、キノコ内の有効成分を溶け出させる働きがある。
「ここで重要なのは、エタノールの濃度と浸漬時間の設定よ」と綺羅が説明する。「濃度が低すぎれば有効成分が十分に抽出できないし、高すぎれば不要な成分まで溶け出してしまう。温度管理も大切。最適な条件を見つけ出すことが、高純度の抗生物質を得るカギになるわ」
オリヴィアは感心した様子で頷く。「わかったわ。そういう細かい条件設定が、薬の効果を大きく左右するのね」
一定時間浸漬した後、エタノール溶液を濾過する。この時、活性炭を用いた濾過を行うことで、不要な色素や夾雑物を取り除くことができる。濾液を集め、エバポレーターで濃縮。エタノールを蒸発させ、有効成分を濃縮していく。
「ここからが、少し難しい部分なの」と綺羅。「濃縮液から目的の成分だけを分離精製するには、細かな操作が必要よ」
綺羅の指示のもと、オリヴィアは丁寧に操作を進めていく。濃縮液にある種の溶媒を加えることで、目的成分だけを沈殿させる。沈殿物を濾し取り、乾燥させる。こうして、キノコ由来の粗抗生物質が得られた。
「すごい……」オリヴィアが息を呑む。「こんな風にして薬ができていくなんて、考えたこともなかったわ」
「原料から有効成分を取り出す一連の操作を『抽出』と呼ぶの」と綺羅。「その工程の組み立てには、経験と直感も必要。でも、それ以上に大切なのは、諦めない心。失敗を重ねながら、少しずつ良い方法を見つけていく。それが私たち研究者の仕事よ」
こうして綺羅とオリヴィアは、試行錯誤を重ねながら、キノコからの抗生物質抽出に成功した。同じ手法を他の薬草にも応用し、新しい薬効成分の発見にも役立てることができた。
村人たちに新しい薬を提供しながら、オリヴィアは綺羅に言った。
「綺羅、あなたのおかげで私、もっと薬草学を深められそう。これからも一緒に研究させてね」
「ええ、もちろん」綺羅は微笑んだ。「オリヴィアさんとなら、この世界の医学をきっと大きく前進させられる。私たち、最高のパートナーになれそうよ」
数週間後、新しい薬が完成した。
「信じられないわ!」オリヴィアは感激の声を上げた。「こんなに効果のある薬ができるなんて!」
綺羅は誇らしげに薬を見つめた。そこへエリーゼが近づいてきた。
「すごいわ、綺羅。あなたの知識が、また村を救ったのね」
綺羅は照れくさそうに首を振った。
「いいえ、これもオリヴィアさんとの共同研究の成果です。それに……」
新薬の完成を喜ぶ中、綺羅の腹が大きな音を立てた。
「あ……」綺羅の顔が真っ赤になる。
オリヴィアが優しく笑った。
「あらあら、朝から実験に夢中で、お昼を食べ忘れたのね」
エリーゼが心配そうに言った。
「もう、綺羅ったら。体調管理も大事なんだから」
綺羅は申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい。つい夢中になっちゃって……」
ガレスがため息をつきながら笑った。
「まったく、お前も案外抜けてるところがあるんだな。ほら、みんなで昼飯にしよう」
綺羅は嬉しそうに頷いた。科学者としての冷静さの中に、食いしん坊な少女の一面ものぞいていた。
お昼ご飯を食べながら綺羅は森を見つめた。
「私にはまだまだ学ぶべきことがたくさんあるんです。この世界の植物の不思議を、もっと解明したい」
エリーゼは綺羅の横顔を見つめ、優しく微笑んだ。
「そうね。あなたの探究心が、きっと多くの人々を救うわ。私も一緒に頑張るわ」
薬草の香りに包まれた森で、二人は医学の未来について語り合った。
◆おまけ「綺羅のエバポレーター製作記録」
「薬の成分を濃縮するにはエバポレーターが必須よね……」
綺羅は顎に手をあてて考え込んだ。
「エバポレーターを作るには、まず熱源と、蒸発させる容器、そして冷却装置が必要ね」
綺羅はオリヴィアに説明しながら、材料を集め始めた。
熱源には、村の鍛冶屋に特注した大きな銅製の鍋を使うことにした。鍋の底には、均等に熱が伝わるよう、砂を詰める。
「火加減の調整が難しそうだけど、この鍋なら熱効率が良さそう」
オリヴィアが感心するように言う。
次に、蒸発させる容器の製作に取り掛かる。大きめのガラス瓶を用意し、瓶の口に合うサイズの木の栓を作る。栓には2つの穴をあけ、一方にはガラス管を差し込む。これが蒸気の出口になる。
「ガラス管は、村の窓枠を作っている職人さんに作ってもらったの」
綺羅が嬉しそうに話す。
「村の人たちの協力があれば、何だってできるわ」
オリヴィアも頷いた。
最後は冷却装置。大きな桶に水を張り、その中にガラス管を螺旋状に巻いたものを沈める。蒸気はこのガラス管を通る間に冷やされ、液体に戻る仕組みだ。
「この螺旋の巻き方が、冷却効率の鍵を握っているの」
綺羅は慎重にガラス管を曲げていく。
「角度と間隔が適切でないと、十分に冷却できないから」
こうして、村の材料と人々の知恵を結集させ、手作りのエバポレーターが完成した。鍋で沸騰させた液体は、ガラス瓶で蒸発し、螺旋のガラス管を通って冷却され、別の容器に濃縮液として集められる。
「見て、オリヴィアさん! ちゃんと動いているわ!」
試運転に成功し、綺羅が歓声を上げる。オリヴィアも目を輝かせた。
「すごいわ、綺羅! これで薬の製造に必要な濃縮がずっと楽になりそう!」
二人で喜びを分かち合いながら、綺羅は村人たちに感謝の気持ちでいっぱいだった。自分一人の力ではない。村の誰もが、この装置の完成に貢献してくれたのだ。
「みんなの知恵と技術を結集させれば、どんな難題でも解決できる。そう信じています」
綺羅は力強く宣言した。
「これからもみんなと力を合わせて、この村を、もっと住みやすい場所にしていきたいわ」
オリヴィアは綺羅の手を取り、頷いた。
「ええ、私もそう思う。あなたについていけば、この村は必ず良い方向に変わっていく。私はそう信じているわ」
二人の固い握手が、村の明るい未来への誓いとなった。手作りのエバポレーターは、その未来への第一歩を刻む、象徴的な存在として、そこに静かに佇んでいた。
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