第3話「発酵の魔法、チーズづくり」
初夏の爽やかな風が吹く季節、グリーンウィンド村は新たな問題に直面していた。
「こんなに暑くなると、ミルクがすぐに傷んでしまうわ」
酪農家のマリアン・ミルクメイドが、深刻な表情で村の集会所で訴えた。
「せっかく絞った良質なミルクが無駄になってしまう。このままでは村の経済にも影響が……」
村人たちの間で不安な声が広がる。その時、いつものように綺羅が前に進み出た。
「私に良い考えがあります」
綺羅の声に、会場が静まり返る。
「ミルクを長持ちさせる方法、それは『チーズ』を作ることです」
「チーズ?」
村人たちは首を傾げた。この地方では聞き慣れない言葉だった。
「はい。ミルクを発酵させて作る食べ物です。栄養価も高く、長期保存が可能です」
綺羅は丁寧に説明を始めた。レンネットを使った凝固、ホエイの分離、熟成の過程。村人たちは目を丸くして聞いている。
「面白そうじゃないか」
村長のアルベルトが笑顔で言った。
「綺羅、さっそく試作してみてくれないか?」
綺羅は嬉しそうに頷いた。
「はい! 早速始めましょう」
綺羅の指導の下、村人たちは協力してチーズ作りに取り掛かった。
「まずは、新鮮な牛乳を低温殺菌します。63℃で30分間加熱することで、有害な細菌を死滅させつつ、チーズ作りに必要な有益な乳酸菌は生かしておくのです」と綺羅が説明する。
村人たちは大きな鍋で牛乳を温め始めた。温度計を見ながら、火加減を調整する。
「次に、牛乳を32℃まで冷まして、凝乳酵素のレンネットを加えます。これによってカゼインタンパク質が凝固し、カードとホエーに分離するのです」
綺羅の指示通り、村人たちは冷ました牛乳にレンネットを加え、ゆっくりと撹拌した。しばらくすると、牛乳が固まり始める。
「ここからが重要なんです。カードを細かくカットしていきます。表面積を大きくすることで、乳清と乳固形分の分離を促進するのです」
綺羅は、特別に作ったワイヤーのカッティングツールを村人たちに配った。皆で協力しながら、慎重にカードを立方体状にカットしていった。
「次は加温しながら撹拌して、ホエーを排出します。温度管理が鍵となる工程で、チーズのタイプによって温度条件が異なるんです」
綺羅のアドバイスを受けながら、村人たちは徐々に温度を上げ、ゆっくりと撹拌を続けた。
「排出が終わったら、残ったカードを型に入れて圧搾します。これによって水分をさらに取り除き、チーズの形状を整えるのです」
麻布を敷いた木製の型に、カードを詰めていく。その上に重石を乗せ、圧力をかけていった。
「あとは熟成を待つだけです。この段階で、チーズを食塩水に浸漬して、塩分を加えることもあります。熟成中は、温度と湿度の管理が重要ですね」
チーズを専用の熟成室に運び込む。温度と湿度を一定に保つために、綺羅が設計した特殊な装置が稼働していた。
数週間後、村人たちの努力が実を結んだ。
「見てください、立派なチーズができましたよ!」と綺羅が誇らしげに言う。
黄金色に輝くチーズを前に、村人たちからは歓声が上がった。口に運べば、深みのある味わいが広がる。
綺羅が切り分けたチーズを、村人たちが恐る恐る口に運ぶ。
「こ、これは……!」
オリヴィア薬師が目を見開いた。
「なんて濃厚な味! 今まで食べたことのない美味しさよ」
村人たちから驚きと喜びの声が上がる。マリアンは涙ぐんでいた。
「ありがとう、綺羅。これで私たちの生活が救われるわ」
「綺羅さん、あなたの知識のおかげです。本当にありがとうございました」と村長が感謝の言葉を述べた。
綺羅は満面の笑みを浮かべた。科学の力で、村に新たな希望をもたらすことができたのだ。
村人たちは、チーズ作りの技術を次世代へと受け継いでいくことを誓った。綺羅の教えは、村の財産となったのだ。
チーズは瞬く間に村の名物となった。近隣の村々からも注文が殺到し、グリーンウィンド村の経済は活気づいた。
ある日、綺羅は村はずれの丘で、ガレス・ストームハンターと話をしていた。彼は最初、綺羅の革新的なアイデアに懐疑的だったが、今では彼女の良き理解者の一人となっていた。
「お前は本当にすごいな、綺羅。村を変えていっている」
ガレスが感心したように言う。綺羅は照れくさそうに笑った。
「いいえ、みんなの力があってこそです。それに……」
綺羅は遠くを見つめた。
「私には、まだやるべきことがたくさんあるんです」
ガレスは綺羅の決意に満ちた表情を見て、静かに頷いた。
「ああ、お前ならきっとできる。俺も全力でサポートするよ」
夕陽が二人の影を長く伸ばしていく。グリーンウィンド村の未来は、まだまだ明るく輝いていた。
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