入っていい
九文里
第1話 傘の中の男の子
横断歩道を一台の自転車が渡っている。
若いママさんが運転して、後ろの子供用シートに三歳くらいの子供を乗せている。
羨ましい。
すると白い車が一台、横断歩道に凄いスピードで突っ込んで来た。
あっと思ったが、すんでのところで自転車はぶつからずにすんだ。ママさんは咄嗟にブレーキをかけて前につんのめり、バランスを失い自転車ごと転けそうになったが、片足を踏ん張って何とか転けずに持ちこたえた。
子供は大丈夫だろうかと後ろの子供をみたら、何の事はない、キャッキャッと笑っている。
子供を見ているママさんは、血の気の引いた顔をしているのに、何故か子供は楽しそうだ。
ああ、子供は本当にお母さんを信頼しているのだなと、お母さんといると何があっても安心しているのだなと、痛感した。
本当に羨ましくて涙が出て来た。
私は病院からの帰り道でたまたま目にした親子連れの自転車は何事もなかったように走っていった。
やはり流産だった。今回で5度目だ。
28で結婚して、自然に子供が出来るだろうと思っていた。
それが、3年経っても妊娠しないので病院にいって検査をしてもらったが、異常は無かった。
夫にも検査を受けてもらったが、大丈夫だった。
それで、アドバイスをしてもらい妊活を始めた。
それでも妊娠はせず歳も30を過ぎて次第に焦りが募ってきた。
ついには、どうしても子供がほしくて、不妊治療に託した。
一回目の体外受精で妊娠した。
嬉しかった。
しかし束の間、成長してないのが分かって流産した。
一回妊娠すれば子供が出来易くなると言われたが、妊娠する度に流産した。
流産する度に落ち込み、罪悪感がおこり鬱になっていった。
度々、急に仕事を休まなくてはならず、会社に不妊治療をしている事も言いづらくて仕事も辞めた。
1回の治療も高額で、使ったお金が100万を超え、年齢も妊娠率が落ちる35歳になった。
今回で駄目なら、諦めようと決めていた。
で、やはり駄目だった。
今日、病院で流産を宣告された時は、目の前が真っ暗なり涙が出てきた。
夫にも申し訳ない気持ちで一杯になり、もう子供を持つことは無いんだと考えると胸が締め付けられた。
帰りすがら、子供連れの親子を見ると羨ましく、悲しくなり、私とは関係ない別世界の出来事のように感じる。
いつも病院からの帰りは、大きな公園の中を通って帰る。公園に入ろうとする所で雨が降り出してきた。
天気予報どおりなので、背中のデイパックから折り畳み傘を取り出して差す。
雨はすぐに強くなり、公園の中に入っていくと、傘を持っていない人達が慌てて走っていく様子が見えた。
私は足どりも重くとぼとぼ歩いていた。ふと見ると、前方で雨の中で小さな男の子が道の真ん中で佇んでいる。
雨に濡れている男の子を見て、たいへんと駆け寄った。
「僕、どうしたの」
と少し屈んで傘を差しかけた。
男の子は顔をあげて私を見て
「中に入ってもいい?」と聞いてきた。
「入っていいよ」
私は膝を折って男の子の目線に座り雨に当たらないように傘を近づけた。
三歳くらいだろうか、天然パーマで、目がクリクリとして可愛過ぎて胸がキュンとした。
左目の下に黒子がある、それがハート型をしていた。
「お母さんを探しているの」と聞くと、またコクリと頷く。
私は男の子の水滴を拭いてあげようとタオルを取り出すため片手ずつデイパックから手を抜き、背中の方を向いてカバンを前に持ってきた。
前を向くと男の子はいなくなっていた。
アレと思い周りを見回したが何処にもいない。
立ち上がり入念に左、右を見たが人影もなかった。
後ろを見ている間に走って行ってしまったのだろうか。消えたようにいなくなってしまった。
何か不思議な感覚が残った。
その後、夫とも話し合い、子供を持たずに二人で生きて行く事に決めた。
不妊治療も止めて、私はパートの仕事を探すことにした。
まだ割りきることは出来なかったが一端決めてしまえば前を向いて歩き出せる。
そんなある日、台所仕事をしていると、突然気持ちが悪くなった。
この感じは経験がある、まさかと思い妊娠検査キットで検査してみる。
陽性だった。
病院で診てもらったら、やはり妊娠している。
流産してから一月ぐらいしか経っていないのに、それも自然に妊娠したので驚いた。
自然に妊娠したのは初めてだ。
もう子供が出来る事は無いだろうと思って、この先夫と二人で生きて行くのだろうとぼうっと考えていたから、まさに寝耳に水、青天の霹靂だった。
最後の神様が与えてくれたチャンスだと思って何とか無事に育って欲しいと祈った。
体外受精をしている時は、殆ど一月持たなかったので、まず一月乗り越えられるか不安だった。
病院で一月後に安定してると聞いてほっとした、と共に何かいつもと違うのを感じた。
それから3ヶ月経つと吐き気が続くようなった。これがつわりなのかと知って、辛いけど赤ちゃんが育っていると思ったら嬉しかった。
安定期に入り、出産間近になった。本当に何事も無く産まれてくれるだろうか。
そして、ついに陣痛が来て元気な男の子が産まれた。先生もびっくりするぐらいの安産で産後の経過も順調だった。
夫は病室で私の顔を見るなり泣き出した。今まで私が苦しんでいたことを思い出したらしい。
時間が経つと、しわくちゃだった赤ちゃんの顔がすっきりしてくる。可愛いくて胸がキュンキュンする。
ある時、不思議な感覚を覚えた。この感じ、この子の顔は見たことがある。
10ヶ月前に、5回目の流産で落ち込んでる時に雨の中、公園で男の子に出会った。
髪の毛も目もクリクリした可愛い子だった。
赤ちゃんを見ているとその男の子にそっくりだ。なにより左目の下の黒子がハート型で同じなのだ。
あの子は、お母さんを探していた。
もしかして、あの時あの子が言った言葉はそういうことだったのか。
「中に入っていい?」
と私に尋ねた。
私は傘の中に入っていいのか尋ねたと思ったのだが。
私がいいよ、と返事をすると突然消えた。
あの時、私の中に入ったのだろうか。
そんな馬鹿な事が有るわけ無いと言われるだろうが、私にはそう思えてしかたがない。
だけどそうだとしたら私を選んでくれて有り難うと心から思う。
入っていい 九文里 @kokonotumori
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