第8話 花嫁はご乱心
朝早くに仕立て屋の女主人がやってきた。マダムは問いかけるような眼差しで鏡の中の私を見ている。
「マダム、ドレスを新調したいの」
私はそう言ってにっこりと笑った。
「どういったものをご希望です?えりつきのものですか。シルクも最近の流行ですのよ」
マダムが例の、抜け目のない優雅な口調で言う。
「ちょっと奇妙な注文に思えるでしょうけれど、誰も着たことないような、誰にも思いつかないような、ユニークなものがほしいんです」
宮殿の近くには青い広い湖の、のどかな光景が広がっている。小舟を浮かべたり、花火を鑑賞したり、ただ水辺を友人と歩いたり。
今日はちょっとした催事があった。戦争の勝利の百周年を祝って、ミニチュアの艦隊で海戦を再現するのだ。国の威信そのものの軍艦もミニチュアになれば可愛い。湖の上にはミニチュアの船にミニチュアの大砲。遠くに白鳥、羽根に赤色をぬられた白鳥、白く透き通った睡蓮の花。
貴婦人たちが日傘をさし、クリーム色のドレスを着て集まってきた。皇帝は水際に立って若い臣下の青年たちと話している。いつもとは違って気楽な様子だ。明るい日差しのおかげかもしれない。
艦隊の再現が始まろうかという時、私は馬鹿げたかっこうで登場した。髪の毛を結い上げ、かつらまでつける。カツラの中には軍艦のミニチュア。歩くたび、頭がグラグラした。
最高にドラマチックな登場である。みんなの視線が私に集まった。皇帝まで見ている。
「今日の私のかっこうはどうだったかしら」
ベッドに入る前にたずねる。
オーガストは眉間にしわを寄せて地図を眺めていた。
「今日の?奇抜だったね。でも君らしかったよ。昔から意表をつくのが好きだったから。ドレスもよかった」
淡々とした口調だ。どうやら頭の上の大砲よりも地図のほうが気になるらしい。
せっかく覚悟を決めてやったのに。それに彼の言う通り、あれは滅多に思い浮かばないような、奇抜なアイデアだった。
「じゃあ明日は頭の上に鳥籠をのせて鳥を飼うわ。もちろん生きてるのではなくて、カラクリのよ」
彼から反応はかえってこなかった。完全な失敗だ。
宮廷の庭園にカツラと軍艦が発生するようになっただけ。じきに鳥籠も。どうやら新しい流行を生み出してしまったみたい。貴婦人たちはこぞって頭でっかちになっている。
皇帝のあることないことを話して、噂を流してみた。たとえば夜寝る前にベッドの上で飛び跳ねてはしゃいでいる、とか、トランペットを犬のペットだと思って可愛がっている、とか、実は九九が言えないとか。致命的ではないにしても、皇帝の威信が傷つくものだ。
みんな面白がりはするものの、宮廷の新顔である私の言うことを信じようとはしない。
さすがに皇妃の犬様のパーティーには効き目があると思ったのに。
皇妃の犬には貴婦人にするのと同じように接しなければならない。同じ食卓で食事し、ドレスをきせ、行きたいところにはどこまでも、ついていかなければならない。ただし、腕(つまり前足)以外は触ってはダメだ。なぜなら彼女はレディーだから。
オーガストは午後の大半を犬の気まぐれでつぶすことになった。庭の茂みに入り、噴水の中に飛び込み、丘を駆け上がり……
「レディー・シエナがどこかに行っちゃったよ。きっと噴水の中で遊んでいるはずだ。そろそろ捕まえていいだろう?」
もうとっくに日は暮れていた。髪の毛に葉っぱがついている。
「いいえ、捕まえるなんて野蛮なこと!あなた、シエナを一人にしたのね!か弱い淑女を一人にするなんて」
私はまだまだ芝居を続ける。
「でもイヴリン、淑女って言ったって犬じゃないか。犬だって大の男に付きまとわれたらうんざりしないか?」
オーガストはまったくの正論を言った。
「犬ですって!犬ですって!」
ヒステリックな声を出す。
「レディー・シエナよ!あなた、彼女のことなんてどうでもいいのね。そんな冷酷な人だと思わなかったわ」
ボロボロと涙が出てきた。オーガストはすっかり戸惑っている。可哀想な人!こんな茶番に巻き込まれてしまって。
結局、レディー・シエナこと皇妃の愛犬には中庭のある離れの屋敷が与えられた。そこでなら、付き添いなしに遊ぶことができるから。まあ、要は追放されたのだ。
私は二度とシエナに会うことはなかった。
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