第6話 婚礼

 私たちは祭壇の上で、結婚指輪を交換し合った。誓いの言葉を唱え、皆の前で結婚を宣言する。


 まるで現実じゃないみたい。礼拝堂に座って新郎新婦を見ている人々も、薬指に輝く真珠の指輪も、私に熱い視線を注ぐ皇帝も全部……。宙を浮いているような気分だった。


 どうして私のような者が皇帝の妃になってしまったのか。イヴリンのように貴族の生まれでさえないのに。

 たまらなく不安になる。皇帝の妃など向いていないのだ。アナベラの言う通り。私は無知で無教養だった。


 カランコロン、と鐘がなる。花びらの降る道、私たち夫婦は中庭へ腕を組んで歩いた。


 中庭の中央には大きなウェディングケーキが置かれている。水色のネモフィラを模したクリームで飾り付けられていた。

 軽妙な音楽、火を口からのんだり、吐き出したりする男、会場の上を走る綱渡り師、それに豪華に盛り付けられた七面鳥やらプディングやらのご馳走!

 かなりの贅を凝らしているようだ。


 昼食は中庭で取った。皇帝の隣の上座である。

 白いテーブルクロスには、青い薔薇と銀の皿がよく映えた。


「みんなが美しい花嫁と話したがっている。怖がることない。皇帝の妃とは皆が話したがるものなんだ」

 

 テーブルに近づいてくる立派な口ひげの貴族を横目に、皇帝がささやく。


 長身でハンサムだが、もったいぶった男だ。額にはわずかに銀髪が混じっている。新しい花嫁を品定めするように見ていた。あくまでも物腰は慇懃だが。


 私は花嫁にしては若くない。10歳になる息子がいるのだから当然だった。それに宮廷や貴族にしきたりにもうといのだ。男の目には、田舎の垢抜けない女にうつっただろう。


「皇帝陛下、皇妃殿下、ご結婚のお祝いを」

 男がお辞儀をする。


「ありがとう、ゲッセン公爵。大切な廷臣の一人だ。覚えておいてくれ」

 オーガストが公爵にキリッとした笑顔を向けて言った。

 

「ありがとうございます、公爵。日頃の皇家と帝国へのご尽力に感謝いたしますわ」

 にっこりと微笑んで言う。


 気後れはしたが、祝いの席でオーガストに恥をかかせるつもりはなかった。


「とんでもない。皇家にお仕えするのはこの上ない名誉です、姫君」

 

「公爵は富と名誉ときれいなご婦人に仕えるのが好きでね」

 皇帝が軽口をたたく。

「君が夫たちに殺されていないのが不思議だ」


「私は世渡りが上手いのですよ。皇帝の妃にお仕えするのは義務だが、まさか陛下もその義務を禁じたりはなさらないでしょう?姫君、いつか皇妃の夜会に招待してください」

 彼は大胆な発言をした。


「あれで本当に油断のならない男なんだからな」

 オーガストが公爵の後ろ姿を見ながら言う。

「夜会には呼ぶなよ。皇帝にだって遠慮しない奴だ。そこが気に入ってるんだが。

君に見惚れていた。君はきれいで、人を魅了するんだ……、男たちを」


「まあオーガスト、陛下。心配いらないわ。公爵とも、他の男性とも不適切なことはしない。それが結婚の誓いでしょ?大勢の人の前で、神の前で誓ったんですから」

 私は不穏な空気がいやで、そう言った。

 まあ、真実は皇帝の怒りと報復が恐ろしくて、願ったところで浮気できない、といったところなのだが。



 ウィリアムが火吹きの男を連れてやってきた。久しぶりに私に会えたことと奇抜な中庭での披露宴が楽しくてしかたないらしい。喜色満面だ。


「お母さん、この人大きな火を飲み込んじゃうんだよ。すごいでしょ。ほら、おじさん、やってみてよ」

 ウィルが男の子らしい、高い声で言う。


 火吹きの男は皇帝の前でも変わらず見事なわざをやってのけた。熱風がほおに当たる。


「まあウィル!すごいわね!」

 私は火吹きの不思議な芸に手を叩いた。


 ウィルが目を輝かせてこちらを見る。純粋な喜びに満ちた目だ。


 どれだけこの子に会いたかったことだろう!それにウィルの幸せそうな顔ときたら。


 見たところ、息子は健康そうだった。修道院にいた時よりいくらか顔色もよくなっている。


 母親の夫になったという、皇帝には時折探るように視線を走らせるが……。だが、それもよく子どもが見知らぬ大人に向ける視線と同じだった。皇帝を嫌っているふうではない。


 宴はまだまだ続き、野外の劇場では歴代の皇帝たちと現皇帝の治世についての戯曲が上演された。航海やら戦争やらで荒々しいものばかりだが、ウィリアムははしゃいでいる。舞台の上に馬が登場する段になると、夢中になってお喋りを始めた。


「ウィリアム、馬術は上達しているかい?」

 オーガストが幕間に聞く。


「乗馬の先生には素質があるって言われました。毎朝、乗っています」

 ウィルは興奮を抑えようとしながら答えた。


 なるほど、我が息子は馬に目がないらしい。オーガストは息子の欲しいものを知っていて、それを与えるだけの財力があるのだ。


 冷えたミントティーと生ハムを口にしながら皇帝を観察する。子どもとの接し方は心得ていた。ウィリアムの隣では、いつもより穏やかな印象を受ける。二人は今度は剣術について話し出した。今度、剣の稽古をしてあげよう、などと言っている。


 暗くなってきた。皇帝の治世に平和が訪れ、大円団を迎えようというとき、背後の上空から激しい咆哮がした。慌てて息子を抱き寄せ、何事かと振り返る。


 悲鳴があがった。巨大なドラゴンが飛んでいたのだ。赤い体を膨れ上がらせ、火の雨を降らせている。私たち、死ぬのかもしれない……!



「何事もなくてよかったわ。怪我人もでず。おどかしたかと思ったら、そのままどこかに行ってしまったんですもの」

 私は夫婦の寝室で二人きりになると言った。


 彼はもう薄い夜着に着替え、なぜか口元に笑みを浮かべている。筋骨たくましい肉体が透けて見えた。


 部屋は静かだ。大きなベッドは快適そうで、白い清潔なシーツがピンと敷かれている……シミ一つなく、しわ一つなく。


 私は彼から視線をそらし、壁に目を向けた。鹿の頭の剥製が置かれている。立派な角だ。足元には獣皮の絨毯。暖炉にはなぜか火がついていた。夏だというのに。


「使用人を呼んで火を消させよう。暑くてたまらない」

 オーガストは言った。


「ええ、暑いわ」

 私がかわいた声で言う。


 不安だった。彼が何を望んでいるのか知っている。結婚した男女が何をすべきかも。


 私には彼の望むことを拒む権利はないのだ。抵抗するつもりはない……


 使用人が来て部屋に涼しい空気を入れると、私はグイとワインを飲んだ。

 背中に視線を感じる。


「イヴリン、君の嫌がることをするつもりはない」


 振り向いて夫の顔を見つめた。そこに浮かんでいたのは哀れみだったのか、愛だったのか。


「いやがっては……」

 言いかけてやめる。

「優しい方なのね」


 張り詰めていたものがとけ、胸に安堵が広がった。


「君のつらそうな顔は見たくない。私の隣で幸せでいてほしいんだ」


 私はちょっと悲しげに微笑んだ。それでも、彼の思いやりがありがたかった。

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