第5話 皇帝の約束

 婚礼は私たちが宮廷に到着してから五日目に予定されていた。私はウィルとすれ違いにならないよう急いで手紙を書いた。


 ウィリアムへ

 元気にしているでしょうか。ちゃんとご飯を食べているかしら。夜、寒くない?

 いきなり知らない場所に連れていって、離れ離れになってしまってごめんね。お母さんにはあなたがどこにいるかもわからないの。もしわかっていたなら、可能ならば、すぐにだって迎えに行くのに。あなたが恋しいわ。でも、すぐ会えるようになるから大丈夫。怖がらないで。


 話しておかなければいけないことがあるの。

 お母さんと皇帝は結婚することになりました。何かの手違いで皇帝は私を昔の恋人だと思っているのです。誤解をとこうとしましたが無理でした。


 宮廷には悪い人がたくさんいます。自分の利害ばかり考えて行動する人がいるので、不安定な、平和とは程遠い場所です。

 皇帝の家族になったからには、甘い言葉にだまされないで、芯を強く持たなければなりません。私も、あなたもです。


 また、宮廷で会いましょう。皇帝はあなたを気に入ってるみたいね。さすがだわ。

      あなたの母、エスメラルダより



 皇帝は散歩に連れ出してくれた。ネモフィラ畑をこえ、いくつもの噴水のわきの小道を通り過ぎてゆく。彼の腕を借りて歩いた。それが自然なような気がしたから。変に距離を取っていると悟られたくなかったのだ。

 雲一つない空にふれ、見事な庭園を上の空で眺める。会話はどれも長続きしなかった。


 黒い弓形の門をくぐると、ちょっとした森が続いている。鳥のなく声や、微かな水の音がした。薄暗い、涼しい場所だ。私はひらけた場所の人目からのがれ、ほっとしていた。ここでなら、彼の腕をはずしてもよい気がする。


 少し歩くと、滝が流れ落ちているのが視界に入ってきた。流れ落ちる水は真っ白で、激しい音を立てている。美しい、心を揺るがすような光景だ。私はオーガストを振り返り、笑った。こんな場所があるなんて。隠れ家のような、素敵な場所が。


 彼が微笑むのを見て、不安の陰がさした。何かがわかってしまったような気がするのだ。


「イヴリン、君と話がしたかったんだ。結婚する前に」

 穏やかな声音で言う。

「約束しておきたいんだ。ウィリアムと君のことで」


「ウィルと私のこと?約束など必要ないわ、あの子と一緒にいられるのなら……」


 そうだった。私はいずれ、この人との結婚の誓いを破るのだから。


「君は不安なはずだ。尼僧ばかりの場所から宮廷にやってきたんだから。私はウィリアムを君から奪うつもりもないし、君を幸せにしたいと思っている。ウィリアムには、ふさわしい教育が必要だ。皇帝の息子として、世継ぎとして」


「オーガスト、あの子は皇帝の息子じゃないわ」


 私は怖かったのだ。いよいよ真実を否定できなくなったとき、オーガストはウィルに怒りを向けるか、冷淡にするのではないか。それなら最初から存在を無視されたほうがましだ。


「イヴリン、君は十年前、みごもっていたんだ。それなのに突然消えてしまった。ウィルがその子どもじゃないって言えるのかい?ちょうど同じ年じゃないか」


 驚いて反論もできなかった。イヴリンも私と同じ時期に妊娠していたのだ。奇妙な一致ばかり。宮廷や皇帝から距離を置こうとする私を嘲笑うかのようだ。貴族の、オーガストの愛人だった娘。初恋の相手。貴族ではあるが、そんなに位の高い家柄ではなかった。


 オーガストとイヴリンはここで逢瀬を重ねたのだ。この、鳥肌の立つほど美しい場所で。


「イヴリン、お願いだ」

 彼が穏やかな様子で言った。


「ウィリアムを傷つけないで。私のことはどうでもいいわ。でもあの子のことだけは……」

 私は哀願するように言う。


「わかっている」

 彼は私の手を両手で包んだ。がっしりとした温かい手で。

「絶対に傷つけない。君も、ウィルも。私を信じてくれ。約束する……」


 私は彼の胸に寄りかかるようにして立っていた。オーガストは約束してくれたのだ。だが、男の口にする約束ほど甘く、はかないものがあるだろうか?

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