第4話 白無垢のドレス、真珠の指輪
あくる朝、寝室に仕立て屋とお針子たちがやってきた。花嫁衣装を大急ぎで仕立てるのだと言う。
私は鏡の前の台に立たされて、あれやこれやと採寸された。お針子たちはみなピンクや水色の淡いドレスを着て、ちょこまか動きまわっている。なんだか甘い砂糖菓子のようで可愛らしい。白いリボンで結んだポニーテールが動く度に揺れるのも楽しかった。
ドレスは自由に選んでよいらしかった。赤や黒以外のものなら。
仕立て屋がわざわざ黒と赤以外で、と指定してきたのだ。皇帝かアナベラの指示だろう。
本当に私が皇帝の花嫁衣装に赤や黒を選ぶと思ったのだろうか。お上品な貴婦人やお偉い貴族の男性陣の前で?パレードで国民に新しい皇妃をお披露目するというのに?
それならそれで赤や黒のドレスを選びたかったのだが、
だが、生地は十分すぎるほどにあった。つるつるとしたサテンや、冬によさそうなヴェルヴェット生地。薄い絹のもの、肌が透けて見えるチュール生地。農民風のモスリン生地。サーモンピンクのバラ模様のもの、ターコイズブルーのアラベスク柄のもの。清楚な水色のものも、深緑色のものもあった。
だけど、一番心惹かれたのは白無垢のチュール生地だった。着心地が軽く、気取ってない。何よりも風になびく様子が心躍らせた。ふわふわと揺れる。まるで野原で一人踊る、気ままな少女のよう……
「イヴリン、まさかその生地を使うんじゃないでしょうね!」
アナベラの鋭い声が飛んできた。
驚いて手に持っていた生地を取り落とす。いつの間に入ってきたのだろう。音もなく、ひとの寝室に遠慮さえ見せずに……。
後ろには宝石商とハンナ、それから首のヒョロリとしたまん丸な目の令嬢を付き従えていた。どことなく滑稽な感じがする娘だ。
「ただでさえふしだらなのに、そんなの着たら娼婦そのものじゃないですか。花嫁は踊り子じゃないんですよ。どちらも踊るには踊りますがね」
アナベラは苦々しげに説教をたれた。
「白いサテンの生地のがいいわ。あなた、この生地を使ってね。肩に詰め物を入れて印象的なのにするのよ。格式高い、威厳の示せるようなドレスを」
「ええ、そうしますわ、母太后殿下」
仕立て屋のマダムはそう言うとお針子たちに素早く指示を出した。
チラリと私の方を見る。探るような同情するような視線だ。姑が花嫁の衣装選びに闖入してくるのは、別に珍しいことではないのだろう。
マダムは手慣れていた。アナベラのような女には従っておくのが得策だ。その場では従っておいて、後から少し手直しすることだってできる。むろん、花嫁や仕立て屋にアナベラの怒りが向かない程度にだが。
私はアナベラに何を言われようが、花嫁衣装を台無しにされようが平気だった。こういうのには慣れている。横暴で無神経だが、たいして悪気のない支配階級の女たち。
どうせこの婚礼に思い入れはないのだ。オーガストもアナベラも好きにすればいい。
「それからこの子には手袋が必要だわ。見てごらんなさい。日焼けしてガサガサじゃないの。まさか農作業でもしてたんじゃないでしょうね」
アナベラがつねるような勢いで腕をつかんできた。
たしかに私の手は農作業やら洗濯やらで荒れに荒れている。豆だってできていた。
「ダリア、手袋を外して見せてごらんなさい。白くて美しいでしょ。これこそ良家の女性というものですよ」
ダリアと呼ばれた令嬢は従順にアナベラの命令に従う。
マダムは苦笑いを抑えて、てきとうに相槌を打った。
私はダリアがアナベラのちんぷんかんぷんな価値観に驚いているものと思った。目をまん丸にしているのだ。後からそれが彼女のいつもの顔なのだと気づいたが。
女官が入ってきて、母太后に皇帝がお呼びだと告げた。相談があるらしい。アナベラはダリアと宝石商を連れて退室した。
「ごめんなさいね。母があんなことを」
ハンナは本当に申し訳なさそうに謝る。
「気にしないで、ハンナ。平気なの。だいたいあなたのせいじゃないわ」
私はハンナが可哀想になって言った。
「ダリアをわざわざ連れてくるなんて。彼女、オーガストの花嫁候補だったのよ。可愛くて気立てのいい子だけれど、弟は縁談を断ったの。母は自分の薦めた縁談だったから、オーガストに怒ってるのよ」
ハンナが声を落として言う。
マダムが聞き耳を立てていたのだ。変なゴシップが流れては困る。
アナベラと入れ替わるように皇帝がやってきた。結婚指輪を一緒に選ぶらしい。
彼は青いビロードの宝石箱を開いてテーブルの上に置いた。
銀の輪にスクエアカットのサファイヤのついたものや、小ぶりのまるいルビー、鋭い輝きを放つ、大きなダイヤモンド。純金のシンプルな指輪もある。よりどりみどりだ。
宝石にも貴金属にも興味はなかった。生きていくうえで必要ない。
だが、淡色のピンクがかった真珠を見たとき、心がときめいた。人魚の涙である。繊細な色合い。まるい、コロンとした形。
完璧だった。
オーガストは私の目の色が変わったのを見て、真珠の指輪を取ると、薬指にはめた。
喜んでいいのかわからない。
すぐに指輪をとって彼の手に戻す。
「ウィルには会えるのでしょう?結婚を承諾したわ」
「ああ、約束だ。今は宮廷から離れた場所にいるが披露宴にはウィリアムも出席する。今朝会ってきた。元気そうだったよ」
「元気そうだった……。手紙を書いてもいいかしら?あの子と離れ離れになるのは初めてなの。結婚前に状況を説明したいわ」
ウィリアムのことを思うとたちまち胸が張り裂けそうになった。心配でたまらない。彼はうまくやっているだろうか?一人で寂しがっていないだろうか?使用人や他の子どもたちにいじめられていないだろうか?
もしかしたら、突然現れた皇帝にも、その彼と結婚する私にも怒っているかもしれない。
「いいだろう。夕暮れまでには届けさせる。字は読めるんだな」
オーガストが言う。
彼は柔らかい表情で私を見ていた。その瞬間だけはいつもの厳しい表情が消えていた。必死だったのだ。ウィルのためなら、この人にひれ伏すことだってできるだろう。
「ええ、修道女に教わったから」
消え入りそうな声で答える。
皇帝はちょっとためらってから私の手にキスした。荒れた小麦色の手に。
私はさっと微笑み、目を伏せた……
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