1-10 死闘、衝動。




「一気に終わらせる!」


結束は何十枚もの霊符を両手に広げ、無作為にばら撒く。

その全てに一瞬で霊力を込め、解符の光だけで病室中が紫色にまばゆく照らされる。


瞬間、無作為に散らばったはずの霊符がいつの間にか輝線で繋がり、星模様ペンタグラムの頂点に位置していた。

瞬時に生成された無数の結界が霊獣の周りを囲う。


「消えなさい」


ドドドドドッ!、と剛弾符の結界が霊獣を襲う。


その彼女の一連の流れはあまりにも速く、鮮やかだった。


何気に結束が本気で戦うのを見るのは初めてかもしれない。

試験の時は祐を試したかったのか、ずっと受けにまわっていたため彼女の本気を見ることはできなかった。

というより、ただ祐が実力的に彼女の能力を引き出すことができなかった。


だが、彼女が最初から全開で戦うとこんなにも恐ろしいことになるとは。

気づいた時には結界に囲まれていて反応した時にはもう被弾しているなんて、やられる身からすれば想像すらしたくもない。


「………あんなのに勝とうとしてたのか俺は」


おそらく、霊獣も反応することはできなかっただろう。

そもそも霊獣に攻撃を認知する知能があるのかは知らんが。


「さすがです!結束様!」


明音が後ろから歓喜の声を上げる。


だが、結束は油断しない。

凄まじい結界の連続攻撃。

その猛攻が終わり結界が消えると、何事もなかったかのように霊獣はベロリと長い舌を遊ばせ、だらんと肩を落としたまま立っていた。


「そ………そんな、無傷なんて……」

「……うわあ。自信無くしちゃうなあ」


祐の小陣結界を易々と撃ち破った結束の剛弾結界をあれだけ受けても傷一つ見られない。

想像以上の硬さだ。


そして霊獣はそのまま、さっき明音を狙った時のように手と腕を薙ぎ払うように振るう。


やはり、ひどく速い。

だが一度見た攻撃だ。

結束は焦りもせずに霊獣の攻撃を飛んで避け、その勢いで壁に一瞬着地し、あらかじめ準備していた次の霊符を起動させる。


「硬いなら一点狙いか。でも、その前に………」


結束は勢いを失って落ちる前に壁を蹴り上げ、宙に浮かびながら、またもやどこからか霊符を大量に取り出してばら撒いた。

だがさっきの剛弾符とは違い、拘束用の霊符だ。


「ちょっと大人しくしてて」


連掣れんせい符。霊力の鎖で対象を拘束し、拘束した瞬間重量が増加しておもりになる霊符。

主に拷問用に使われるが還相符と組み合わせてコントロールすることで戦闘中でも動く敵を捕らえることは可能だ。

操作しやすい分、打ち出す速度は剛弾符に比べると全然遅いので人間相手に使うのは中々難しいが、霊獣相手ならうってつけの霊符だろう。


普通は戦闘を構えるのに連掣符をこんな大量に用意しておくことはないと思うが、霊獣という未知の存在にそれなりの準備をしてきていることが分かる。



霊獣は危機を察したのか、結界に囲まれた空間から逃げ出そうと飛び上がり、グガアアア!と叫び声を上げながら結束に襲いかかる。


だが、


「もう遅いって」


結束は不敵に笑い、各々の結界の中心から鎖が飛び出す。

それぞれの鎖が首や腕、腹部、腰、足と、身体中のあらゆる部位に絡みつき、襲いかかってくる腕も結束の目の前で止まる。


鎖に抵抗しようと霊獣は腕を突き出そうとするが、幾重にも巻きついた鎖は抵抗どころか一寸も動くことさえ許さない。


「ふう、本当ならこのまま捕獲して連れて行くのがいいんだろうけど、ちょっと大きすぎるなあ。運搬中に街に解放させちゃまずいし、ここは体の一部だけ回収して……」


………が。

瞬間、霊獣が突き出していた手から生える7本の指がぐにゃっと曲がり、蹄が突き刺すように結束に向けて高速で伸びた。


その予想外の攻撃に結束は、


「そんなこともできるの」


余裕の表情で身を翻し、攻撃をかわす。

それと同時に鎖にリンクさせた還相符に霊力を込め、絡んでいる鎖の一部を各指の部分まで伸ばし、指をも拘束する。


これで完全に霊獣は動けない状態となった。


「さて、とりあえず体の部位を回収する前にちゃんと討伐しないと」


結束は剛弾符をさっきと同じくらいの枚数取り出し、今度はばら撒かずに全て目の前で丁寧に展開させる。


「急所ってどこだろ。とりあえず心臓ありそうなところに撃てばいいかな?」


結束は展開した全ての結界の照準を左胸に定める。

霊獣は懲りずに危機を察して抵抗しようとするが、やはりジャリジャリと鎖の擦れ合う音が響くだけで、動くことができない。


「何をやっても無駄。あなた、力があるように見せかけて、重い体に勢いを乗せてるだけで……」


だが、結束は言葉を止め、目を見開く。

拘束していた霊獣の体。その突き出していた拳に巻き付いた鎖がビキッと音を立て、亀裂が走ったのだ。


「えっ?嘘で………」


瞬間、咆哮と共に霊獣は鎖を破り、そのままのしかかるように接近してくる。


「っ!?」

「結束様!」


背後から心配と恐怖が混ざったような明音の声が聞こえる。


まずい。

このままでは潰される。

結束は咄嗟に後ろに飛び退き、追撃に備えて小陣結界を3つ生成する。


霊獣は避けられたと見るや、すぐさま腕を突き出した。

毎回お馴染みの単調的な攻撃だが、体の大きさと質量だけでそれを脅威にさせている。


結束は生成した小陣結界を起動させ、霊獣の攻撃を防ごうとするが、霊獣の蹄が結界に突き刺さったのも一瞬、即座に3枚の盾は破られ、結束目掛けて襲いかかった。


「なっ!?」


体を包むほど大きな腕が、結束に直撃する。


そのまま瓦礫と共に壁に放り投げられ、目に見えぬ勢いで壁に衝突し、衝撃で煙が舞う。


「ゆっ、結束様あぁ!……っ!」


明音は腰を上げるが、立ち上がれずにまた座り込んでしまう。


やがて煙が収まると、うぅ……と、唸り声をあげる結束が壁にめり込み、そこを中心に壁中に亀裂を走らせていた。


「結束様!ご……ご無事ですか!?」

「大……丈夫っ、三法印かけてるから、大した怪我じゃない……けど、ちょっと霊力、使いすぎたちゃった……今の攻撃で剛弾結界も壊されちゃったし」

「もう……もう逃げましょう!いくら結束様でも、こいつには敵いません!」

「それはっ、駄目……逃げたら多分、こいつは追ってくる。そしたら、街に被害が……」

「で、でもっ………このままじゃ………このままじゃ、結束様が死んじゃいます!」


明音は泣きそうな顔でそう言う。

だが、結束はその顔を見て、なだめるように微笑んだ。


「大丈夫。………もう、使から。賭けではあるけど………きっと、上手くいく」


その言葉で明音は結束の意図を察する。

結束が何をしようとしているのか。

そして、結束が自分の不安をかき消す為に強行手段に出ようとしていることも。


それに答えるように明音は腕でゴシゴシと涙を拭う。


「分かりました……その後は任せてください!」


明音は強気を見せるように言った。






 ◆






………………そして。


それらを含め、一部始終を見ていた祐は、


「…………どういうことだ」


結束の戦闘の様子を見て、冷や汗を垂らしていた。


明らかに、おかしい。

なんであいつは霊能力を使わないんだ。


霊符でも善戦していたのは驚いたが、やはりあの霊獣は媒体霊術で勝てる相手ではない。

彼女にとって、今は周りに身内しかおらず、情報が漏れることのない状況だ。

霊能力を使う以外の選択肢はないはず。

と言っても現に祐は彼女を監視しているわけだが、仮に祐に見られていると知っていたとしてもここは霊能力を使うべきだ。


何にも、命には変えられないのだから。


「………………」


それとも、戦闘向きの能力ではないのか。

それか、何かしら能力を使える条件が限られているのか。


思えば、声は聞こえないが2人はなにやら話し合っている様子だ。


ひょっとしたら、まだ何か策があるのかもしれない。




…………………だが。



「………………」



もし、何もなかったら。


…………もし、このまま彼女が負けてしまったら。


………………………。















………………もし、如月結束彼女が、死んだら。















(…………なあ、これ以上は駄目だ、夏越祐)


「……………………」









……………まただ。






…………何かが。



…………何かの、声が聞こえる。





いつか聞いた、声。


自分の心の中で響くような、声。








(お前は、もう。なら、これ以上はもう、駄目だ。本当に戻れなくなる)


「……………………」








(ずっと、ずっとずっとずっと、我慢してきたはずだ。孤独でいることを。一人で生きることを。誰も欲さないことを。お前はずっと、誰にも悟られないよう、必死に我慢してきたはずだ)


「……………………俺は、我慢なんか……」



(そう。そうだ。お前は、自分すらも欺き続けてきた。必死に、傷ついていないフリをして。体中にいばらを巻きつけ、その痛みに気づかないフリをして、本当はただ痛みにおびえて前に進めないだけの、憐れな亡者)


「……………………」



(だから、お前は知らぬうちに胸を痛める。だから、お前は知らぬうちに誰かを欲する。でも、祐にとって、それは邪魔だ。お前は全てを否定して生きると決めたはずだ)


「…………………ああ」



(人は誰かを欲する生き物だ。誰かに欲される生き物でもある。だが今のお前には、どちらもない。ならお前は、本当なら生きていてはいけない存在だ)


「………………………」



(だが、生きている。目的もなく、大義もなく、自身で導いた念望も、人に与えられた希求もなく、ただのうのうと生きている。それでも、死に怯えるのなら。これから一生、何も欲さずに生きていくと言うのなら…………切り捨てろ。全てを)


「………………………」



(大切なものを作るな。拒絶しろ。感情を消せ。喜ぶ感情を。楽しむ感情を。誰かを想い、愛する感情を、消せ。消して、消して消して消して消して消していって、その先に何もなかったとしても、心を空っぽにしたまま生き続けろ。………それが………………あの日の恐怖を二度と繰り返さないための、唯一の生き方だ)


「………………ああ………………そうだな」


(今が、その分岐点だ。さあ、切り捨ててみせろ、如月結束を。やむを得ず関わりを持ってしまった彼女が、大切な人になる前に。守るべきものを作らず生きていくために。これから、その生き方を学ぶために。まずは、彼女を見殺しにする)


「……………………」



















「…………………………っ」


急に現実に引き戻される感覚。

意識的な世界から、強引に、急速的に去なされた感覚。


祐は訳もなく乱れていた呼吸を整え、胸に手を当て、小さくつぶやく。


「…………見捨てる。切り捨てる。もう、繰り返さない。俺は………」


祐は自分に言い聞かせるようにそう唱えつつも、目だけはずっと如月結束を捉えている。


気づけば彼女はめり込んでいた壁から抜け出し、霊獣と距離をとって睨み合っていた。

霊獣は理性がないと聞いているので真意は分からないが、お互いがお互いの様子を伺っているようで、半ば冷戦状態だ。



そして結束は目を閉じ、独り言のように呟いた。


「これ以上、好きにはさせない。…………『オリア』、ちょっとだけ力を貸して」


結束がそう呟くと、霊力が全身から放出され、服が一瞬ふわっと浮かぶ。

そして、勢いよく放出された霊力がまるで、時が巻き戻るように集約され、結束の周りの空間が歪み始める。


「……………?」


その様子に、祐は目を細めた。


あの歪んだ空間が、彼女の能力か?

今のところなにも起きていない。あれは能力を使うための準備段階だろうか。

とにかく、今の段階じゃその詳細は分からない。


「………………いや、それよりも」


彼女から多大な霊力を感じる。

………これはおかしい。



霊能力は霊符よりもずっと霊力効率がいい。


彼女は今まで、霊符を一度に大量に行使している場面が何度か見られたが、今放出している霊力はそれらとは比べ物にならない。


霊力を多大に使用する能力なのか。

それとも、凄まじい強度を持つ霊獣を確実に仕留めるためにこれだけの霊力を注いだのか。


だがどちらにしろ


「あいつ、そんな霊力残ってねえだろ」


彼女はおそらく今日の試験で霊力をほとんど消費してしまっている。クラスの人間ほぼ全員を相手にし、転界符を使って、さらに祐と勝負した時も大量の結界を使用した。


更に今までの霊獣との攻防。

仮に彼女が祐のように放課後に仮眠をとっていたとしても、あれだけの霊力を残す余裕は無かったはずだ。


つまり、足りない霊力を無理やり絞り出している。

無いものを無理矢理出そうとすれば、当然そこにはそれなりの代償・・が生じる。


もし、彼女が今放出している霊力が全て絞り出しているものだったとするなら。


「…………まずい」


祐は静かに呟いた。



(…………また揺らいでいる。それはただの弱さだ)


「……………っ」


祐は何もできず、ただ拳を握りしめた。







 ◆







「…………準備は、できた。後は……霊能力を使う時が来るまで、頑張るだけ」


結束は、霊獣を目の前にして、体に緊張を走らせる。

おそらくこれが自分の霊力量的に、最後の攻防になる。

ここでこいつを殺しきれなかったら………私達は死ぬ。


「………………」


今準備した霊能力はあくまでも最後の手段だ。

本当にどうしようも無い状況になるまでは温存しておく。

それまでは、さっき阻止された一点狙い作戦を続行する。

だが、


「………霊力、持つかな」


すでに霊能力の準備だけで、残り霊力ギリギリまで消費してしまっている。これ以上は『代償』付きだ。


だが、すでに逃げの選択肢は失われてしまっている。


「やるしかない………か!」


その言葉を合図に、双方の冷戦状態は解かれる。

先に動いたのは、やはり結束だった。

先ほどと同じ連掣符の結界を生成し、即座に起動させ、今度は腕のみを狙って鎖を伸ばす。


ガウウアアァ!


霊獣は学習したのか、鎖が発射される前に反応し腕を守ろうと構えるが、連掣符は拘束のために出したわけではない。


一瞬。

ほんの一瞬霊獣の気を鎖に逸らせればいい。


霊獣は飛んできた鎖を払いのけるが、その瞬間、鎖の先端に挟まっていた霊符が眩く光り、爆発する。


昨日結束が長月侑を圧倒した時に使っていた霊符、『怨衝符』。

自身以外の霊力を感知して起爆するトラップ型の霊符だ。


予想だにしない攻撃にグガッ、と霊獣は軽く仰け反り、左腕で爆風を払う。

たった1枚の怨衝符では大したダメージは与えられないが、そんなことはどうでもいい。

その邪魔な左腕を一瞬だけ使用不能にできれば。


もう既に剛弾結界の準備はできている。


「これで、終わりっ!」


無防備になった霊獣の左胸を膨大な弾数が突き刺す。

視界を覆い尽くすほどの光が霊獣に襲いかかる。


…………が、


「…………うそ!?」


結界の光が消え、霊獣の姿があらわになる。

一点集中の攻撃を受けてさえ、霊獣の体は無傷だった。


これにはさすがの結束も目を丸くする。

あれだけの攻撃を一点に受けてもなお、無傷なのだ。


ここまできたらもう、体が硬いとかいうレベルではない。


「こいつ、まさか…………」


結束は一つの可能性を思い浮かべる。


だが、霊獣は考える時間を与えてはくれない。

結束の攻撃が終わるや否や、霊獣は上から叩きつけるように腕を振るってきた。

やはり単調的、だが脅威を持った攻撃だ。


「もう、ここまでか…………」


だが、結束は霊獣の攻撃を避けるどころか霊符を出す素振りすら見せない。

ただその場に立ったまま、霊獣が振りかざす腕に合わせて、両手を前に出して広げる。


「……………は?」


祐はその結束の異様な光景を凝視する。


何をしている?

勝負を諦めたか。いや、そうには見えない。


………まさか、このタイミングで…………




その瞬間、振り下ろされた霊獣の腕が何か見えないものに阻まれるようにズン、と止まる。


そして、


「吹きっっ飛べえぇ!」


結束がそう叫ぶと、結束と霊獣の間の空間が両者を遮るようにぐにゃっと歪み、一点に圧縮されていく。

そして次の瞬間、収束した空間が一気に弾け、その衝撃で霊獣の体が超速で吹き飛ばされた。


霊獣はゴガアァッ!とえづき声をあげながら斜め上に吹き飛ばされ、ドドドドドッ!と天井や壁を突き崩していく。


……………………。


やがて霊獣の姿が見えなくなり、祐は病室にどでかく空いた穴をじっと見つめ唖然とする。

奥行きを見るにおそらく西棟まで、もしかしたらその端まで吹き飛んでいるだろう。


「………えげつねえな、おい」


これが、彼女の霊能力。

あの霊獣の巨体を3〜400mある病院の端までぶっ飛ばしやがった。

能力発動前の現象を見るに空間操作系の能力だろうか。


だが、威力こそとんでもないが、あれほどの霊力を消費した彼女は……


「結束様、大丈夫ですか!!」


祐が天井から結束に目を向ける前に明音の声が耳に届く。

彼女は、能力を使ってその場に倒れた結束の元へ駆け寄っていた。

結束は身体中の力が抜けてぐったりと床に身を任せ、血を抜かれたように顔が青白くなっていた。


霊力がない状態で無理矢理霊力を作り出した時に発生する副作用。

霊術界では『霊力下限界欠乏エーテルダウン』と呼ばれる現象だ。


人間は霊力がない状態で無理矢理霊術を行使しようとすると周囲の結界や霊符の残滓から霊力をかき集めるのだが、これには多大な体力を要する。

かき集める霊力が大きいほど疲労は蓄積していき、最悪命に関わることもある。


彼女の場合、命に別状があるほどの霊力消費ではないと思うが、それでもしばらくは起き上がることができないだろう。


結束は疲れ切った顔で首を動かし、明音を見て言う。


「はは………ちょっと、頑張りすぎたかも。霊力は下回ってると思ってたけど、まさかこんな動けなくなるなんてね」


心配した顔でこちらを覗く明音に結束は必死で笑顔を作ろうとするが、表情筋すらまともに動かず、不器用な苦笑いを晒してしまう。


明音はそんな結束を見て、また泣きそうな顔になる。


「もう……本当、頑張りすぎですよ……!」

「そんな顔しないで。これで時間は十分に稼げた。今なら霊力を使い切ってるから、応援を呼べばすぐに駆けつけてくれるはず」


後は、緊急連絡用の霊符で如月の本家に応援を要請する。


そもそも霊獣が想定外の強さだと分かった時点で応援を呼ぶべきだったのだが、それは如月のルール上できないのだ。

応援の要請に使う通話用の霊符では、口頭でしかこちらの様子を伝えられないので、応援要請が本物なのかを確認しづらい。

本家側からすれば通話相手が何者かに人質を取られていて応援を呼ばせ、本家の軍をおびき寄せる旨の通話を強要されているという可能性もある。


そのことを考慮して如月家では、応援を呼ぶほどの危機なら霊力を失っているだろうという意味も込めて、『応援要請が送られてきた座標を探知し、霊力下限界欠乏エーテルダウンを起こした身内がいないと応援に行けない』という条件があるのだ。

この条件を満たさなければ、例え虚偽の要請でなかったとしても軍は派遣されず、見殺しにされる。


もちろんその条件を満たした上で応援要請を利用されたら意味がないので、このことは如月内の家内秘となっている。


何がともあれ、結束は今その条件を全て満たした。

応援を呼ぶための時間稼ぎ。それに伴う霊力の消費。


後は、明音の仕事だ。


「やーっと私が役に立つ時が来ました!今、応援を呼びま………」


……………その時。


ドガアアアァン!と、明音の背後で轟然とした衝撃音が鳴り響き、何かが着弾したかような地響きが2人の身を振盪しんとうさせる。


結束は砂埃の奥にゆらりと見えるその姿に目が吸い寄せられた。


「……………え」


砂埃が収まり、結束はその光景を見て恐怖に顔を歪ませる。

それは、今まで戦ってきた中でいつもどこか余裕を持っていた結束が、初めて見せた絶望の表情だった。


ついさっき吹き飛ばしたはずの霊獣が、悠揚とした面様で佇んでいたのだ。


明音も結束に遅れて背後を振り向く。


「うそ………でしょ。もう戻ってきたの……こんな……一瞬で………」


霊獣は、ズン、ズンと猛然と足音を立て、一歩ずつ2人の元へ近づいていく。


「……そん……な………」


結束は自然と開いた口でそう呟く。



…………ズン……ズン



本当に……最後の手段だったのに。

霊能力にあれだけの霊力を注いだのに………時間稼ぎすら、叶わなかった。



「っ…………まだっ……!」



まだ……終わっていない。



…………ズン………ズン



霊符はまだ残っている。

戦うすべは残っている。

生きている限り、抵抗し続ける限り、まだ、勝機が………


「私は……私はっ!こんなところで負けるわけには……」



ズン!


と、その一歩で霊獣は歩みを止め、歩幅一歩分まで近づいた結束を蔑むように見下ろした。

ぎょろぎょろと視点の定まらない虹色の鈍い瞳が、こちらを見つめる。




そして………その瞳と目が合った瞬間、分かってしまった。



「………………あ」




……………私、死ぬんだ。


死ぬ。


死ぬ。


死ぬ。



勝てない。


私じゃ、こいつには勝てない。


もう、なす術はない。



私は、今ここで死ぬ。



「……………………」



急に体が震えだす。


今は霊力が切れて体が動かないが、きっとそうでなくとも、恐怖で体が引きってしまっている。



「……………………」





いやだ。




怖い。




死にたくない。



死にたくない。



ああ…………………………、ああ。



私は、現実から逃げるように、ゆっくりと目を閉じる。



「…………………………あ、はは」



………………私、死ぬんだ。



……………………




………………短かったな。




今まで、それこそ死ぬほどの努力を重ねてきたつもりだったのに。

…………こんなに、あっさり終わるんだ。


こんなところで死ぬんなら………私、今まで何のために頑張ってきたんだろ………



「…………………」



もっと、素直に生きたかった。



毎日毎日、如月家の人間として権威者を演じ続けるのは、あまりにも窮屈だった。


言葉遣いだったり、表情だったり。


演じ続けてきたその姿はいつしか私の中の一面となり、精悍せいかん双眸そうぼうと物言いが板についてしまっていた。


……………どこか、哀しかった。

私がどれだけ心からの言葉を述べようとしても、口から出る言葉は全て「如月の子女」というフィルターに濁されて、自分の会話がまるで人の会話を傍観しているかのようで。

笑顔の仮面を被ることはできても、心の底から今が楽しいなんて、どうしても思えなくて。


素直な自分をさらけ出せる明音ですら、が邪魔をして、私に気を使ってしまう。

………きっと、もっと普通に話したり笑ったりすることが出来れば、友達もできて毎日楽しく生きれたのかな。


もしかしたら……………今日出会ったあの夏越の人にも、もっと優しくできたかも知れない。

彼は、ずっと苦しんでいた。

苦しんでいるのに、苦しんでいないふりをしていた。


でも邦霊の人間として、私は彼を突き放す形でしか救うことはできなかった。

…………救えることができたかどうかすらも、分からないけど。


結局、私も初空家の人と同じ、権力に逆らえない人間だ。



………………………




………………ああ。でも、そんな事すら、もうどうでもいいんだ。



………………死ぬんだ、私。




………………死にたくないな…………。







「結束様………すみません。結局私、何の役にも立てませんでした」



明音は動けない私の頭を抱えてそう言った。



「……………明音」



彼女は、笑っていた。


私に触れている手が、震えている。

頬を大粒の涙で濡らしている。

それでも彼女は、感情を押し殺すように笑っていた。


それはきっと、私を不安にさせないため。

従者として、私の死への恐怖を少しでも緩和させるため。


自分も死ぬというのに、私の為に、彼女は今笑っている。



「……………っ」



私はその顔を見て、唇を引き結ぶ。






…………あまりにも、情けなかった。






死ぬ間際になって私は自分のことしか考えられなかったというのに、彼女は私を心配してくれている。



彼女は、私のために笑ってくれている。

なら、私も笑うべきだ。



これ以上、明音に。従者に…………友達に、私のことで心に負担を負わせたくない。


だから、私は笑顔で言った。


「ごめん…………ごめんね、明音。私…………あなたに何も返せていないのに」


頑張って笑おうとしてみたけど……………彼女に、伝わっているだろうか。

声は震えていないだろうか。

恐怖を隠しきれているだろうか。

私は……………いつものように皆に愛想と威厳を振りく、如月家の子女になれているのかな。

……そんなことを考えてしまう。


……………………でも。


…………きっと、だめだろう。

だって、明音は今も、悲しそうに笑っている。


「そんな……そんな事ないです!私は…………結束様の側に仕えさせていただくだけで、十分誇りに感じています。今だって………結束様と共に来世へ行けるのなら……それだけで、本望です」


やはり彼女は、必死に口角を上げて私を見る。


だが、その言葉は嘘だ。


私のせいでこんなことに巻き込まれて、こんなところで死んで、本望なはずがない。

やっぱり、私を傷つけないための言葉。

私を安心させるための言葉だ。



………でも、それに気付いちゃいけなかった。

彼女の嘘を、悟ってはいけなかった。

彼女の言葉が慰めだと分かってしまえば、残るのは死への恐怖だけだ。



「…………ありがとう、明音。私も、あなたが従者でよかった。頼りない主人だった私にそんな言葉をかけてくれるのは………きっと、あなただけだから」

「そ、そんなことありません!あ……私は………」

「……………………………………………………ああ、でも」

「…………結束、様?」





やっぱり………駄目だ。





私は、明音のようにはなれない。



死ぬ間際に、明音の様な優しい嘘はつけない。




死という言葉が。恐怖が。現実が。

どこまでも自分を突き動かして、を口にしてしまう。




「………わたし…………………わたしね…………








 ◆









「………………くそっ!」


祐は、霊獣を目の前にしてお互いに見つめ合う、2人の少女を見ていた。





今ここで出て行っても、何の意味もない。


彼女らを助けるために霊獣と戦えば、祐がここにいることも、自分の霊能力も全てがバレてしまう。


それどころか、負ければ自分も死ぬ可能性があるのだ。





……………それに。



(…………恐怖を繰り返すな)


「……………ああ」



(…………ここで出れば、もう戻れない)


「……………ああ、分かっている」



(…………彼女を助ければ、これから先、お前はまた恐怖に苦しむ事に……)


「分かってる!分かってんだよ!!……………っ」



ここで彼女らが霊獣に殺されれば、それは俺が見殺しにしたのと同じではないのか。

俺が出て行かなかったせいで彼女らが死んだということに………



(それは言い訳だ。彼女を救いたいがための、言い訳)


「………………違う」



(………いい加減、決断しろ。覚悟を持て。彼女すら切り捨てられないのなら……お前はもうこれから先、夏越として生きていけない)



「…………俺は……………俺はっ!」



























……………………それは、偶然。

本当に偶然だった。



強い夜風の風切り音。

その風でガタガタと動く、立て付けの悪い窓の音。

小さい瓦礫が転がる音。

霊獣の重さでミシミシと音を立てる病室の床や柱。


その、ありとあらゆる騒音の断続が一瞬、ほんの一瞬だけ全て止み、まるで世界が止まったかのような時間が、数秒だけ生まれる。




そして、同時に呟いた彼女の言葉がその刹那の静寂を一閃し、初めて祐の耳に届いた。










………やっぱり………………………もうちょっとだけ、生きていたかったな…………っ」








あまりにもか細くて、震えた声。


涙で顔をくしゃくしゃにした彼女が、悲しい笑顔でそう言った。





「……………っ!!」



そして、たったそれだけの言葉に、祐はいとも簡単に目を見開いてしまう。




(早まるな。彼女を助けたところで、お前には何も……)


「ああああああああああっ!!クッソがああああああっ!!」



祐は、なぜか病室に向かって走り出した。














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