1-9 遭遇
調査を始めて約3時間ほど経過し、現在東棟3階。
「…………これ、本当にこの病院にいんのかよ」
霊獣の大きさが分からないので、今に至るまで病室の引き出しやゴミ箱の中など細かいところまで調べて回っているがびっくりするほど何もない。
どこかを探るたびに錆や腐敗汚れに触れなければならないので今のところ手が汚くなっていくだけだ。
「めんどくせえなあ………てかこれ、六神符じゃダメなのか」
あまりのダルさについ愚痴をこぼしてしまう。
六神符で霊獣が見つかれば一発なのだが、おそらく無理だろう。
霊力を持っているなら、それが物だろうと人間だろうと化け物だろうと六神符の探知に引っかかるのだが、霊獣の元の姿であろう『霊』は人に憑依していない状態だとなぜか霊符では探知できないのだ。
人の目に見えるようになった霊獣が探知の対象になるかは分からないが、貌淋符を解呪するリスクを負ってまで試す価値はない。
つまりはこの病院内全てを肉眼で見て回るしかないわけで。
「…………はあ。これ、2人がかりでも夜が明け……」
が、そこで祐は言葉を止める。
どこからか声が聞こえたような気がしたのだ。
「…………気のせいか?」
祐は立ち止まり、耳を澄ませる。
…………………。
………気のせいでは、ない。
微かにだが、確かに人の声がする。
恭也ではない。
ここは東棟の端だ。いくら恭也がバカでも西棟からここまで届くほどの声は出さないだろう。
「…………めんどいけど誰か確認しとかないと
今、祐はとある病室にいる。
声はその病室に繋がる渡り廊下、さらにその奥からだ。
声の響き方からして、まだ距離はある。
祐はちゃんと貌淋符が起動していることを確認し、しぶしぶ声のする方へ近づいていく。
声が少しずつ近づいてくると声の主が女であることが分かる。
それも、1人ではない。
2人か、3人か。何種類かの声が混在している。
そして、さらに声が近づいて鮮明になっていき、はっきり聞こえるようになる。
「ち、ちょっと
「ももっも、申し訳ございませんっ、押しているつもりはないのですが、その、無意識で……」
…………………。
片方は、知らない声。
だが、もう片方は今日一日で嫌と言うほど頭に焼き付いた声だった。
「で、でもでも、結束様も怖がってますよね?だったら2人でくっついていた方が……」
「わっ、私は別に怖くなんてないからっ!」
……杞憂であって欲しかったが、名前まで聞こえてきてしまった。
祐は病室の扉の隙間から恐る恐る顔を出し、渡り廊下を一瞬だけチラッと覗く。
「……………」
本当に一瞬だったが、視認できた。
2人の人影。
そのうち一人は残念ながら想像していた人物だった。
「なんで
祐は叫びたい気持ちを抑えつつ、限界まで声を押し殺して呟く。
そして同時に、まずい、と思う。
彼女らがここにいる理由は分からないが、もしこの部屋に入られたら見つかってしまう。
扉から出れば当然見つかるし、この病室には隠れられそうなスペースはない。
窓も錆びきっていて開けられない。
強引に開けたり、ガラスを突き破って飛び降りればどちらにしろ音でバレてしまう。
完全な袋小路状態だ。
さて、どうしたもの……
「わあぁっ!」
「きゃああああ!!なに!?」
突然響いた2人の叫び声に祐は体をビクッと震わせる。
「ゆっ、結束様ぁ!い、今そこの病室の扉に人影みたいなものが!」
「ち、ちょっと!怖いこと言わないでよ!」
げっ。
十中八九自分のことだ。
祐は音を立てないようにそっと扉から離れる。
てか、今考えるようなことではないと思うが……
心を許せる従者と一緒にいるというのもあって、口調が砕けていると言うか何というか………これが彼女の本来の姿なのだろうか。
「ほら、やっぱり結束様も怖いんじゃないですかあ!」
「明音が変なこと言うからでしょ!」
「だって、本当にいたんですよ!月明かりの影が人っぽい形になってて……」
「ほ……ほんとに?」
本当に余計なこと考えている場合じゃなかった。
何かあいつら流れ的にここ入ってきそうだぞ。
ドクン、ドクンと2人の声が近くなるにつれ、鼓動が速くなる。
やばい。まじでやばい。
今あいつらに見つかったら絶対面倒なことになる。
どうか入って来ませんようにどうか入って来ませんようにどうか入って来ませんようにっ!
「ど………どうしますか、調べた方がいいですよね……」
「そっ、そうね。怪しいところは調査しておかないといけない………けど」
ドクン、ドクン
ドクン、ドクン
荒くなりそうな呼吸を抑えるように祐は右胸に手を当て、服をクシャッと掴む。
「と、とりあえず様子見ながら、隣の部屋から調べるのもありね」
「で……ですよねー!私もそう思います!そうしましょうそうしましょう!」
そんな会話が聞こえてきて、少し経つと2人の声が遠のくような、こもったような声に変わる。
おそらく、隣の病室へ入ったのだろう。
祐は止めていた呼吸を解放し、溜めていた息をゆっくりと吐き出した。
「はぁ〜〜〜、勘弁してくれ、もう」
とりあえずは一安心だ。
色々考えたいことはあるが、まずは逃げることが最優先だ。
彼女らの目的は気になるが監視するのはリスクが高すぎる。
祐は忍び足で病室を抜け、2人がいる部屋を通らずに階段を素早く下る。
2階まで降りて祐は速度を緩め、状況を整理することにした。
「………まず、なんであいつがここにいるのか」
ここは人気のない廃墟だ。
普通の人間が好んでくる場所ではない。
だが、彼女は普通ではない。霊術界の権化、如月家の人間だ。
さらに、先程の会話で調査がどうのという話が出ていた。
冷静に考えれば目的は一つだろう。
「………俺らと同じかな」
霊獣の調査。
確信は持てないがほぼそうだと見ていいだろう。
なら、次に浮かぶ疑問は結束の隣にいた少女。
明音と呼ばれていた少女。
祐は一瞬だけ顔を確認した時のことを振り返る。
茶色がかった明るい黒髪を内巻きにしており、肩に触れる程度まで伸びていた。ミディアムボブとかいうやつか。
身長は結束より低い。目算だが、結束がおよそ160cmないくらいと、女子の中では平均程度だと思われるので、多分155cm前後だろう。
少なくとも、学校では見たことがない子だった。
まだ1日しか行ってないので見かけなかっただけかもしれないが。
見たところ歳はあまり自分と変わらないようだ。
結束を「様」付けで呼んでいたあたり、従者か何かだろうか。
まぁ正直彼女に対する疑問はどちらかというとただの興味なので一旦保留しても構わない。
それよりも、今この状況で本当に一番考えるべきことは、
「………恭也の、仕事の委託元」
恭也は今回の仕事をどこから持ってきたのか教えてくれなかった。
多少怪しさもあったが、恭也がそれを秘密にしているのならと割り切り、あの時はそれ以上深く踏み込まなかった。
だが、ここに結束がいるのなら話は別だ。
もし彼女が如月の任務としてここにいるのなら、明らかな矛盾が生じる。
これは、邦霊のシステムについての話だ。
邦霊は表向きには「霊術関連のトラブルを解決するための国家的な軍政軍令機関及び軍隊」とされており、任務の担当を大きく2種類に振り分けている。
振り分ける基準は様々だがざっくり言えば、「小さい仕事」と「大きい仕事」だ。
「小さい仕事」は邦霊に属するどこかの家、もしくは邦霊が所持するどこかの軍が担当し、「大きい仕事」となると、邦霊
邦霊はいくつか軍を所持しているが、邦霊直下の軍と言えば一つしかない。
それ以外の邦霊の軍を全て統括・管理している『軍の司令塔』、それと同時に『邦霊の最終兵器』と呼ばれる日本の最高戦力、
邦霊に直属する十の家の人間のうち、軍事に務めている者は皆このバレルエリアに所属しているが、彼女は学生なのでまだ軍に名前は無い。つまり「大きい仕事」をこなすことはできない。ならば、彼女は「小さい仕事」としてこの任務を受けていることになる。
そもそも、十の家の中でも如月家の子女である彼女ならば軍に指令を下す側に回るだろうが。
そして、もし恭也が邦霊から仕事をもらっているのだとしたら、相当まずい。
「………どこかの家が如月を裏切っている」
一度どこかの家が請け負った「小さい仕事」は部外者に情報を漏らさないために「家内機密」として家の中だけで管理され、他の家すらも関わることができない。
だが、他の家が如月に内緒で恭也に同じ仕事を委託しているのだとしたら、それは完全な邦霊への裏切り行為だ。
如月家が恭也に任務委託をしていると言うのも、当然ありえない。
もしそうなら同じ任務に結束とわざわざ別行動させる意味がわからないし、そもそも邦霊トップの実力を持つ如月家が委託を必要とする任務なら最初から「大きい仕事」としてバレルエリアに仕事が回っているはずだ。
「……もしかして俺、結構やばいことに首突っ込んでる?」
何がともあれ、全ては推測だ。
これ以上知るには恭也を問い詰めるしかない。
と、そこまで考えていたところで祐は1階から入口を抜ける。
生ぬるい湿気と腐敗臭が消え、新鮮な空気が体を包む。
「くあーっ!やっと出たっ!」
胃の中を換気させるように祐はおおっぴらに両手を広げて、スーハーと深呼吸をする。
「………ふぅ」
さて、これからどうするか。
彼女達がこの病院に居座る限り、任務の続行は不可能だ。
彼女達がいつここを出るかも分からない。
今はとりあえず病院から距離をとって恭也に渡した振動する霊符を起動させるのが1番安泰だろう。
恭也が六神符で祐の位置を知れば何かあって離脱したのだと察してくれるはずだ。
祐は重苦しく
「よし、まずはここから離れ………」
が、その瞬間。
ドオォン!
ドドドドドドッ!
突然、祐の言葉を遮り背後から鳴り響いた凄まじい轟音が鼓膜を唸らせた。
「っ!?」
祐は反射的に振り返る。
音が聞こえたのは上の方からだ。
「は!?あれ………」
場所は3階、東棟の端。
祐がさっきまで隠れていた病室だ。
窓ガラスが割れ、砂埃のような煙がモクモクと出ている。
さっきの音はどこかの壁か天井が崩れた音だろうか。
祐は状況確認のため、急いで六神符を起動させた。
「…………」
反応は2つ。
2つとも、煙が上がっている3階の病室からだ。
恭也の反応はない。今の音は恭也にも聞こえているだろうが、貌淋符はまだ解呪していないようだ。
つまり、この2つの霊力反応は結束とその側近と思われる少女。
「………どういうことだ」
なぜ、あの2人は貌淋符を起動していないのか。
霊術士が任務中に探知避けを使わないと言うのは普通じゃありえない。
彼女達がもし霊獣の調査でここにいるなら必ず貌淋符を使っているはずだ。
だが、現に六神符は2人の反応を示している。これはつまり、
「戦闘中か!」
祐は息を呑む。
どうする?
様子を見に行くべきか?
2人が戦っているのだとしたら相手はほぼ間違いなく霊獣だろう。
他の人間と戦っているのなら、そいつの反応も六神符に出るはず。
…………もし。
霊獣が、規格外の強さだったら。
彼女達が太刀打ちできないほどの強さだったら。
もし祐がここで2人を見捨てて、そのせいで………
「っ、そうじゃねえだろ!」
祐はブンブンと首を横に振る。
何を考えているんだ、俺は。
今考えることはそうじゃない。
霊獣が今、すぐそこにいる可能性がある。
さっきまでは存在すら疑わしかったので断念したが、いると分かれば彼女達に見つかるリスクを取ってでも調べに行く価値はある。
………そうだ。
調査だ。
霊獣の、調査。
決して彼女達を助けるためではない。
祐は心の中でそう唱え、病室へと向かった。
入口を抜け、階段を飛ばし飛ばしで駆けていく。
3階まで登ったところで渡り廊下の死角に身を隠し、病室の中を覗く。
「…………なっ」
その光景は、一言で言うと想像以上だった。
まず目に入ったのは、霊獣と思われる熊のような形をした化物。だが、熊はあくまでも形容だ。実際の熊とは程遠い。
薄紫色の半透明な体。2足で立ち、両手両足から生える7本の指から鋭い
舌はまるで蛇のように長く、大きく見開いた目には虹色に鈍く光った泡のようなものが浮かんでいた。
そして、なんと言っても驚くべきはその大きさだ。
霊獣の仕業だろうか、祐がさっきまでいたであろう病室とその隣の彼女達が調査しようとしていた病室。その2つの部屋を隔てる壁が破壊され、部屋同士が繋がっていた。
おそらくさっきの音はこの壁が壊された音だろう。
そして、その繋がった病室の3分の1以上を霊獣の体が占めていたのだ。
「あんなでっかいの、どこに隠れてたんだよ!」
霊獣は、グガアァァァ!と、まるで怪獣のような雄叫びをあげる。
その衝撃で周りの瓦礫が吹き飛び、距離を取っている祐さえ後
「くっ!」
だが、その雄叫びの矛先は同じ繋がった病室にいる、2人の少女だ。
「結束様!こいつは……」
「多分、霊獣……なのかな。でも、この大きさは想定外だった。明音、あなたは転界符で逃げて!」
結束の言葉に、明音は沈んだ表情で下を向く。
「申し訳ございません……私、今日の試験で霊力を使いすぎてしまって、転界符を使えるほどの霊力が………で、でも!どちらにせよ、結束様を置いて逃げるなんてできません!」
「霊力がないなら下がってて!あなたの実力じゃ足手纏いだから!」
「そっ、そんなっ!弾よけでもなんでも構いません!私も戦闘に……」
その瞬間。
霊獣が右手を上げる。
狙われたのは明音と呼ばれる少女だ。
霊獣の動きは、かなり速い。
その図体には似つかわしくないほどのスピードで霊獣の平手が襲いかかる。
「ひっ」
「っ!明音!」
霊獣の動きに結束はいち早く反応し、明音の元へ飛び上がる。
平手が彼女に直撃する寸前。結束は明音を抱きかかえ、攻撃の軌道上から離脱する。
霊獣が外した攻撃はそのまま部屋一帯を薙ぎ払い、正面の壁を扉ごと破壊した。
さっきと同じような瓦礫の崩れ落ちる轟音が病院中に響いた。
「やっっばすぎ……」
祐は、目の前の異様な光景にただ呆然と立ち尽くしていた。
速さだけじゃない。威力もまるで常軌を逸している。
あんなやつが街に出ればその被害は想像できない。
まさしく、動く公害だ。
……だが、それでも。
「……あいつなら、やれるだろ」
彼女なら。
如月結束なら、きっと、勝てない相手ではない。
あの図体の敵相手に出力の低い霊符で戦うのは厳しいが、ここは学校とは違い霊能力が使える。
彼女の霊能力は不明だが、霊符をあの制度でコントロールできる彼女なら勝てる可能性は十分にある。
これは、思ったより収穫かもしれない。
霊獣と結束が本気で戦えばどちらの能力情報も手に入れることができる。
霊獣の情報は任務達成のために。
結束の情報はこれから先彼女とやむを得ず接触することになったときの交渉材料のために。
とりあえず、ここは傍観を決め込むことにしよう。
結束は病室の端まで下がり、抱えていた明音を下ろした。
「大丈夫?怪我してない?」
「申し訳ございません……私、なにも役に立たなくて………」
結束は崩れ落ちるようにその場に座り込む明音を見て眉をひそめる。
明音は、恐怖に体を震わせている。
腰が抜けてしまったのか、うまく立ち上がれないようだった。
「………明音は戦闘よりも研究分野の人間だから仕方ないよ。あなたを無理矢理連れてきた私の方に問題があるから」
「それは、そう………ですが、歯痒いです。そばにいるのに、何もできないなんて……」
「それは違う。何もできないなんてことはない」
「…………え?」
結束は明音に背を向け、ガルルルとこちらを威嚇しながらゆっくりと近づいてくる霊獣をじっと見つめる。
「
結束は明音を頼るかの様な発言をするが、その実、気弱になっている明音のフォローをする。
「………!!はい、分かりました!どうかお気をつけて」
結束は振り返り、横目で明音を見て無言のまま軽く微笑む。
そしてすぐに霊獣に向き直し、結束は地面を蹴りあげた。
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