1-8 霊と獣




さまざまな爪痕を残した実技試験。


思うところは沢山あったが、試験後は教室に戻り、明日の日程を軽く説明されたのちすぐさま解散と、試験の余韻を置き去りにして淡々と事は進んでいった。


そして午前中までの学校初日は終了し、祐はとりあえず家に帰ったわけだが、まだ恭也は帰ってきていなかった。


祐は今日の朝恭也に渡された紙を取り出してじっと見つめる。


『 上野 20:30 読んだら処分 』


恭也はコミュ障を治すためのアドバイスなどと言っていたがもちろん冗談だろう。


内容を見るにおそらく、一方的な待ち合わせの約束だ。

『読んだら処分』と明記するくらいなら直接口で言えよと思うが、学校では周りの目が怖かったのだろう。


おそらく、恭也は待ち合わせの時間まで帰ってくることはない。

もし帰ってくるならメモなんか渡さずにその時伝えればいいからだ。

なんで帰ってこないのかは分からないが、何かしら用事があるのだろう。


「…………寝るか」


待ち合わせまでまだ時間がある。

何もやることがなかった祐は霊力の回復のために仮眠を取ることにした。


霊力の回復は体力と似たような仕組みで、食事、睡眠、時間経過など、体に栄養を与え、休ませることである程度回復していく。


恭也の用事が何かは分からないが周りに警戒する素振りを見せるあたり、もしかしたら深刻な………戦闘が絡む用事かもしれない。


念のため霊力を回復しておくべきだろう。

あと、単純に眠い。

久しぶりに体を動かしたにしてはあまりにもハードな1日だった。


祐は自室のある2階に登り、恭也から貰った紙を再度見つめる。


「…………読んだら、処分」


………処分といってもわざわざ焼却処分するほどではないだろう。

祐は紙を細かく破いてゴミ箱に雑に突っ込む。


その後、布団にくるまり、床に就いた。





その後、何事もなく起床。


「…………いい夕方だなあ」


祐はベッドから起き上がり、窓から外を見る。

ちょうど日が落ち始め、綺麗な夕焼けが浮かんでいた。


霊力が回復したかは使ってみないとわからないが、少なくとも体力はある程度回復した。


祐は時間を見て身支度を始める。

身支度と言っても霊符を補充しておくぐらいだが。


祐は自室のデスクの引き出しに保管している霊符を服の裏に仕込もうとして、そこで初めて自分がまだ制服であることに気づく。


「…………制服のまま寝てたのかよ、俺」


祐は手早く私服に着替え、恭也との待ち合わせ場所へ向かった。











「…………おっせえな」



上野駅、公園改札。

上野と言われれば待ち合わせ場所はいくつか浮かぶが、場所の指定がないならとりあえず駅だろう。

とはいえ、上野駅は広い。

とりあえず公園改札に来てみたが、恭也が見つけられるかどうか。

まあ、最悪六神符で探知すれば見つけられるか。



時刻はもうすぐ夜の7時を回ろうとしている。

相変わらず、駅の中は退勤ラッシュで混雑しているが、待ち合わせのために来た俺にとってはあまり関係ない。

強いて言えば恭也を見つけにくいことくらいか。


そんなことを思っていると、ちょうど数十メートル先に恭也が走っているのが見えた。

祐を見つけたようで両手を上げてブンブン振りながらこちらに向かってきており、周囲からちらちらと視線を集めている。


前言撤回だ。

やっぱりバカは見つけやすい。

というか恥ずかしいからやめてほしい。


祐の元へ辿り着くと恭也はいつものようにヘラヘラ笑いながら言う。


「奇遇だねえ祐。何してんのこんなところで」


なんてことを言う。

当然冗談だ。また始まったよ。


「お前が呼び出したんだろが」

「えー、あの紙のこと?でも俺8時半って書いてたじゃん。まだ7時前なのにそんなに楽しみだったの?」

「………この時間に呼び出したのもお前だ。ってか、お前がむしろ遅刻だ」


最初のHRホームルーム前に恭也が2時間前集合がどうのこうのとか言っていたのは適当ではなく、この待ち合わせ時間のことだったのだろう。

紙の内容と照らし合わせれば6時半集合ということになるが当の恭也は30分の遅刻だ。


「いやいや、それは祐の勘違いだよ。そもそもそれ、俺が女の子とのデートの約束の紙を間違えて渡しちゃっただけだし」

「あっそ。んじゃ俺帰るわ」

「何言ってんの。早く行くよ」

「頭のネジ飛んでんのかてめえは」


恭也はスタコラサッサと歩き出す。

こっちは寝起きだと言うのに、相変わらずこいつとの絡みは疲れる。

だがこれ以上突っ込んでも無駄なのでとりあえずはついていくしかない。


「ってか、どこ行くんだよ」

「うん?」

「こんだけ情報を小出ししといて、目的地だけ素直に上野です、とは言わないだろ」

「あー、うん、そだけど」


恭也は何かを言い淀み、それとなく周りを見渡す。


そういえばここは駅の中だった。

どこを見渡しても人、人、人だ。

秘密の話をするには不向きな場所だろう。


「さすがにここじゃまずいか」

「そうだねー、とりあえずついてきなっ」


祐は言われるがままに恭也の後に続く。

駅を出てしばらく歩くとすぐに人気のない場所に出た。


店の裏口や細々とした居酒屋が並んでいる、いわゆる路地裏というやつだ。


ここが目的地とは思えないので、単に目立たなく移動するための配慮だろう。

夜の居酒屋道ということもあって多少の賑わいはあるが、駅や町の人混みに出るよりはよっぽどマシだ。


祐は周囲の様子を見て、周りに聞こえない程度の声で恭也に話しかける。


「んで、どこ?」

日暮里にっぽり


さっきとは違い即答だ。


というか日暮里か。

山手線なら2駅分も先じゃないか。


「遠くね?」

「いやいや、歩いて30分もかからないよ。まさか30分すら歩けないほど体なまってないよね」

「いや………歩けるかって言われりゃ歩けるけど………ってか、日暮里のどこ?」

「病院」

「え?」

「いやだから、病院」


病院とな。

診察される覚えは全くもってないのだが。


「なんで病院なんだよ」

「あー、病院って言ってももう潰れてるけどね。廃病院ってやつ」

「なおさら何しに行くんだよ」

「まーまー、順を追って説明するよ」


恭也は話を切り替えるようにゴホン、と一度咳払いをする。


「祐はさ。何で『霊術』なのか知ってる?」

「あ?」

「すべての人間に備わっている霊能力。更にそれを昇華させて発達した媒体霊術。これらを『魔法』や『魔術』ではなく『霊術』と呼ばれているのは、なんでか知ってる?」

「ああ、そゆこと。ってか、話変わりすぎじゃね?」

「いいからいいから」

「…………」


霊術。

この世界にあまりにも当たり前に存在する異能力と、先進技術。


だが、この力を『霊術』と呼び始めたのは紛うことなき人間自分達だ。

もちろん、その背景にはちゃんとした理由と研究による裏付けが存在する。


「確か、『霊』がいるって話だろ。人の目には見えない霊が人間が生まれた時から憑依していて、本来霊能力ってのはその憑依した霊が持っているものであって、それを人間が行使できるだけ………みたいな感じだったっけ」

「そ。だから『霊』がんでいない人間は理屈上霊能力を使えないってことになる。まあそんな人見たことないけど」

「実際どうかは分からないけどな。邦霊の研究で明らかになったって言っても霊をこの目で見たことあるわけでもないし、霊と会話できるわけでもない。自分の中に霊がいるなんて実感がないからな」

「でも、信憑性はあるでしょう?俺たちは自分の霊の名前を知っちゃってる訳だし」

「まあ………そだけど」


そもそも、人間達が霊術の根源を解明しようとした始まりは『誰もが物心ついた頃には何者かの名前が頭の中に存在する』という謎の現象からだった。


最初は小さな違和感でとどまっていたが、その違和感に興味を示した研究者が原因を探究していった結果、人間に何らかの生命が憑依していることが明らかになり、それに伴って異能力が発見されたという話らしい。

人類はその存在と異能力にそれぞれ『霊』『霊能力』と名前をつけた。


霊の存在が明らかになるまで人が霊能力を使えなかったのは、霊の存在を認識し、能力を使うという意思を持って『霊の名前を呼ぶこと』でしか霊能力が発現しないからだ。


そして、例に漏れず祐や恭也も自分の霊の名前を知っており、霊の名前を呼んで霊能力を使うということも経験している。


「嫌でもしっくり来ちゃうよね。実際霊の名前を呼ばないと能力使えないわけだし」

「まあ、一応筋は通ってるな。俺はどっちかっていうと何かが自分の中にいるってのが何となく気持ち悪くて信じたくないってだけだし」

「うんまあそこら辺はどうでもいいんだけど」

「どうでもいいゆーな。ってか、霊の話が廃病院となんの関係があるんだよ」

「………最近、『霊獣れいじゅう』ってのが出るって噂があるの、知ってる?」

「霊獣?」


祐は首を傾げて聞き直す。

聞いたことがない言葉だった。


「これは研究結果とかじゃないから本当か分からないけど、霊ってのは憑代よりしろを見つけられずに彷徨さまよい続けると段々と理性を失っていって人の目に見えるようになるらしい。そして完全に理性を失って暴走し出した霊は人に触れることもできるようになって、霊能力も使えるようになる。それが今各地で実害を起こしているんだと」

「………なるほど、その暴走した霊が『霊獣』って呼ばれてるんだな」

「そういうこと、あくまでも噂だけどね。正直、俺はあんまり信じていない。もしその霊獣てのが理性を失った霊の成れの果てって言うんならなんでもっと前からいなかったのかって話」

「でも、実害が出てるってことは、目撃情報は出てるんだろ?」

「ああ、でも目撃されただけだ。『理性を失った霊の成れの果て』ってのは、ただの人間の妄想だよ」

「………へえ、つまり?」

「俺の予想は、実害が出たってのはでっち上げで、目撃情報も嘘。つまり何者かが霊獣と言う架空の噂を流したこと。仮に実在しているとしても、それは霊の成れの果てなんかじゃない。誰かが故意で生み出してる」

「まぁ………状況的に考えればそのどっちかだろうな。どちらにせよ黒幕がいて、その目的も予想がつかない」

「そういうこと。んで、この2択を1択にするのが、今回の俺たちの任務だ」

「………霊獣が実在するのか調査しに行くって?」

「そういうこと〜、なんでも今から行く廃病院が次に霊獣が出る予測地点らしくて。その情報もあんまり信用できないけど」

「予測地点?」

「うん。なんか、今まで出た霊獣の目撃場所と痕跡の残ったところになんかしらの規則性があるんだって。それを辿っていって、次の出現場所として今から行く廃病院が挙がったらしい」

「……信用できない情報を使って『予測』ね」

「はは、まあ俺達は実働部隊だから指令のままに動いてればどうせ金が入るんだし、あんま考えなくていいんじゃない?」

「………なんだよ。わざわざ情報をこそこそ隠してると思ったら結局『仕事』か」


恭也は時々こういう『仕事』をどこからか持ち込んでくる。

当然、金のためだ。


なにせ祐は恭也と共に学生かつ二人暮らしで、収入源が全くない。最初はアルバイトでも始める予定だったのだが、とにかく出費が激しい。


生活費はもちろん、学費や霊符の調達、その他雑費を加えると、とてもじゃないがアルバイトでまかなえる金額ではない。


一応祐には両親が残した遺産があったのだが水無月の運用資金としての貯蓄は全て邦霊に回収されてしまい、祐の手元に残ったのは両親の個人資産だけだった。

それでも普通に暮らしていけば一生働かなくていい程度の額ではあったはずなのだが。


「そもそも、お前があんなバカでかい家買わなけりゃこんな仕事する必要もなかったんだけどな」

「わ、そんなに睨むなよ〜、いいじゃんいいじゃん!夢のマイホーム!祐も憧れてたでしょ?」

「憧れてねえから。てか憧れただけで買うバカがいてたまるか!」


祐と恭也が二人暮らしを始めることになったのは半年ほど前のことだ。

それまでに様々な経緯を経て、住む場所をどうするかとなった時、面倒だからと恭也に全てを任せたのが間違いだったのだ。

まさかLDK付きの三階建て一軒家で祐の遺産を使い切るほどのバカだとは思わなかった。


だが、賃貸ではなく一軒家を選んだのは憧れなどではなく一応理由はあったようで恭也曰く、『個人で管理できる場所を確保したかった』とのこと。

実際、家の地下には貌淋符探知避けの石板結界が施された訓練室や研究室が設備されており、霊術士にとっては理想の環境だが祐は住み始めた頃に一度入って見ただけで一回も使ったことはない。研究室に関しては恭也すら使ったところを見たことがない。

本当に無用な長物かつ無駄金だ。


とまあなんだかんだで一文無しになった祐と恭也は仕方なく恭也が持ってきた『仕事』をこなして食いぶちを稼いでいる。


「つかさ、毎回どっからこんな仕事持ってくんだよ。その信用できない情報ってのも、出どころは委託元なんだろ?」

「ん、気になる?えとねー、今回はとあるグラドルが所属する芸能事務所」

「………あ?」

「どうやらそのグラビアアイドルが霊獣に遭遇して恐怖で家から出れなくなっちゃったって話で。その霊獣を見つけて討伐したらその子のおっぱい揉み放題とか言うもんだから俺は頑張ってこの仕事を………」

「ああーー、もういい、分かったから」


つまりは教えることができないということだ。

それが仕事の委託元から出た条件なのか恭也自身の事情なのかはともかく、恭也が秘密にしていると言うのなら自分はこれ以上踏み込まない。


恭也が誠人の事を祐に詮索しないように。

祐と恭也は互いに秘密を秘密のままにして関係を繋いでいる。


「え?もしかして左右同時に楽しみたい派?なら時間を半分ずつに分けて……」

「あーー!もううるっせえなペラペラと!」


なんでこいつの冗談は毎回一言二言長いんだ。

突っ込んでんのに止まりゃしねえ。

こんな事に頭回してよくも疲れないものだ。


恭也はハハハと陽気に笑い胸の前で両手をパチンと合わせる。


「さっ、色々言ったけど俺が伝える事は以上かな。何か質問、ある?」


急に空気を切り替えて真面目な話に戻される。

恭也のこういうメリハリのあるところは嫌いではないが会話のペースを掴まれていけすかなさもある。

とかいって変に突っ込むとまた訳わからない茶番が始まるので、ここは流れに乗るのが吉だ。


「2つ」

「どうぞ」

「調査ってのは、具体的にはどうすればいい?なにをやれば任務達成だ?」

「一番最高なのは霊獣を捕獲して委託元に渡す。無理なら体の一部でもいい。それも無理なら討伐、それも無理なら視認もとい外見や性能とかの情報集め、そもそもいなかったらここにはいませんでしたって旨の報告書を書いて終わり」

「ほー、そりゃ霊獣次第が過ぎるな。………ってか、それより」

「ん?」

「捕獲した霊獣を芸能事務所に渡すんだな」

「え?」


祐はじっとりした目で恭也を見る。

恭也は一瞬キョトンとするがすぐに思い出したかのように笑い出した。


「あははっ、久しぶりに一本取られたなあ」

「………お前は痛いところを突かれてもすぐ認めるから揚げ足取っても面白くない」

「いや、もうね、ほんと生きやすいよこの性格」

「つまらん」

「そう言うなって〜、で、もう一個聞きたいことは?」

「ん?ああ、それは……………なんで、今回の任務に限って情報伝達がこんなに慎重だったんだ」

「えー、それは言わなくても分かって欲しいなぁ。祐を思ってのことなのに」

「は?俺?」


祐のために情報を隠した。

つまり今回の任務中に祐のバレてはいけない秘密が何者かに露呈する可能性があるということだ。

そこまで考えれば恭也の意図を察するのはそんなに難しくはない。


「…………俺に霊能力を使えってか」

「いやいや、それは話が飛躍しすぎだよ」

「でも、そういうことだろ」


もし仮に霊獣が実在するのだとしたら戦闘になる可能性がある。

霊獣が祐の媒体霊術で倒せるほど弱ければなにも問題はないが、いかんせん今の時点では霊獣の図体も身体能力も霊能力も、何も分からないのだ。場合によっては霊能力を使わざるを得なくなる。


「情報隠して人避けしたから、霊能力で思いっきり暴れろってことだろ」

「違うよ、ただの保険さ。霊符で倒せるならそれでよし。でももし無理なら………人に見られないに越したことはないだろ?」

「なぁ………恭也、俺は」

「知ってるよ、霊能力は使いたくないんだろ?……でもこの任務は難易度があまりにも未知数だ。敵がいなけりゃ死ぬほど楽だし。敵が強ければ死ぬほど難しい…………いや、本当に死ぬ可能性がある」

「…………」


確かに、恭也が言うことは否めない。

敵の強さは未知数、そして、その敵の強さで任務の難易度が決まる。

それに仮眠を取ったとはいえ、まだ転界符を使えるほど霊力が回復していないので離脱もできない。


霊能力で戦わざるを得ないのならもちろん人がいない方が都合がいい。


「祐が能力を使わないようにしているとはいっても、死ぬぐらいなら使うだろ。戦うために能力を使えとは言わない。生きるために能力を使え。そのために情報を伏せたんだ」

「………あまり納得はしたくないが、そうか。分かった」

「よし」


一見理屈が通っているようでなんとなく誘導されているような気もする。

まぁいざとなれば恭也に全部任せて逃げれば能力を使わなくて済むか。


「………てか、それお前も一緒だろ」

「え?」

「霊能力が周りにバレて困るのはお前も一緒だろ。なーに恩着せがましく俺のためだっつってんだ」

「ああいや、俺は問題ない。俺の能力はもう委託元にバレてるし」

「…………なるほど」


つまり、恭也が情報を伏せたい相手というのは委託元ということだ。

仕事を受ける時も祐の名前を出してはいないのだろう。


祐の情報を伏せなければならない相手。


「………まさか、邦霊じゃねーだろうな」

「おいおい、いちいち予測してんじゃねーよ。そんなやな性格してたらモテねーぞ」

「は?…………お前」

「ん?」


……どこかで聞いたことがある言葉なのは気のせいか。

恭也は何もないような顔で無邪気に笑っている。


「…………何でもない。お前にモテる必要もない」

「そりゃ残念。…………あ、もうそろそろだよ」

「…………ん?」


入り組んだ路地裏を抜け、急に視界が広くなる。

祐達はその情景におもわず足を止めた。

そこは明かりもなければ人気も全くない、東京だと言われれば目を疑ってしまうような場所だった。


そして。

その静けさを。恐怖を象徴する様に巨大なさびれた廃墟が佇んでいる。


「うお………壮観だな」

「ね!おっきいでしょ、なんでこんなに大きいのに潰れちゃったんだろね」

「しらん」

「相変わらず俺が言ったことには興味示さないねえ〜」

「お前だって実際興味ないだろ。いっつも適当に喋ってる感じ」

「はは、違いないけどね。………じゃ」


恭也は一歩踏み出し、霊符を4枚取り出す。

三法印に使う3枚と、貌淋符。戦闘任務では事前準備として必須となる4枚だ。


「いこっか」

「………ああ」


祐も恭也に続き、一歩踏み出した。



「………本当にでかいな」


病院の入り口までたどり着き、改めて見上げてみるとやはり、でかい。この一言に尽きる。

暗くてよく見えないがおよそ5〜6階建だろうか。

奥行きは分からないが横の長さは300〜400メートル程。

元々は総合病院か何かだったのだろう。

祐は目線を下に落とす。入り口には「KEEP OUT」のテーピングが施されており、建物の保たれ方ですら古臭さを感じる。


「なあ、ここ立ち入り禁止らしいけど」

「だから?」

「…………」


恭也はテープをくぐり抜けながら病院の中へ入っていく。

祐としては出来るだけ今回の任務で霊能力を使いたくないので正直帰りたかったのだが、当然恭也がこんなことで諦めるはずがなかった。


「おーい、祐、早く行くよ。あれ、そういえば祐は怖いの苦手だっけ?」

「………今行く」


恭也の煽りを無視して祐は恭也に続く。

怖いのが苦手なのは事実だがこういった雰囲気だけ怖いタイプの場所は大丈夫だ。

例えば遊園地のお化け屋敷の様なびっくりさせてくるようなタイプのやつは………うん、何というかほんの少しだけ苦手かもしれない。

ていうかあんなのは誰でも驚くだろ。


そんなことを考えながら祐は病院に入る。

ガラスが割れ、外縁だけが残ったドア。

その入口を通った瞬間、廃墟らしい腐敗臭と嫌に生ぬるい湿度を持った空気がしっとりと肌を撫でる。

大病院らしい、見渡すほどの広いロビー。

こう見ると本当に何故潰れたのか分からない程に立派だが、受付窓口や患者用のロビーチェアにはまるで模様のように苔がびっしりと生えている。


「うっわ、これまじ……」

「うん、想像以上だねこれ。ほんと、何年前に潰れたんだろ」


ここにいるだけで体に害が出そうだ。

臭いだけでなく、溜まりに溜まった埃が呼吸と共に体内に侵入してくる。


だが、なぜか恭也は口ではきつそうにしながらも全く気にしてなさそうだ。

これは体質というより意識の問題だろう。


少し反応を示しただけで、後は何事もなかったかのように話し出す。


「よっし、ここからは手分けして霊獣を探すよ」

「ごほっ、ごほっ……え?分かれんの?」

「2人で探してもしょうがないでしょ。それにこんな広い病院、2人で固まって回ってたら日が暮れちゃうって」

「もう暮れきってるけどな」

「あ、それとも1人じゃ怖」

「まじで問題ない」

「可愛くないなぁ〜。まあいいや、とりあえず、はいこれ」


恭也は2枚の霊符を取り出す。

どちらも同じものだが、見たことない霊符だった。


「何これ」

「緊急連絡用の霊符。特注だから名前はないよ。起動させると霊符がビミョーに振動する。これを解符しといて、互いに交換して持ち歩くんだ」


なるほど。

何かあった時に起動させれば相手に振動が届いて危険を知らせる仕組みか。


「あ、起動した後貌淋符は解呪しておいてね。振動を感じた方が六神符使えばすぐに助けに行けるから」

「それくらい分かってる」


それにしても、わざわざ霊符を特注するとは。


連絡用の霊符として、特定の霊符同士で通話できるような物もあるが、別で霊符を特注したのは霊脈を傍受されて盗聴される可能性を危惧したのだろう。

それに、この霊符なら信号弾のように音や光が出ることもなく相手に伝えられる。

他人に悟られないためとはいえ慎重なことだ。


霊力を探知される可能性もあるが危険な状況になればどちらにしろ戦闘になり貌淋符を解呪するので変わらない。


「これ、ずっと解符してて霊力は大丈夫なのか?」

「うん、出力改変とかじゃなくて元々弱い振動しか出ないやつだから解符中の霊力消費はほぼゼロだよ。あーでも、解符中は霊符光ってるからバレないように隠しといてね。振動感じやすいように素肌の一番敏感な所に貼り付けるのが一番いいかも」


そう言って恭也は祐を見たまま目線を下に落とす。


「どこ見てんだよキメェな!」

「ははは、まあそう言うことでよろしく〜」


恭也は解符した霊符を祐に渡し、祐の霊符を受け取ってそのまま通路の奥、西棟側へ消えていった。


「………はあ、疲れた」


祐は踵を返し、恭也と反対側の、東棟の調査を開始した。

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