英雄
申夜の手によって、あと少しで己の焦がれた復讐の第一歩が踏み出せるというところで地上にまで飛ばされてきた星歌は。
「どこまでも、勝手なんだから」
だけど、それでも、復讐を邪魔されてもなお、星歌は表情を緩ませながら言葉を漏らす。
「ふふっ」
まだ、一ヶ月も経っていない、自分が一度は見捨てられてから。
それなのに、自分を幸せにしてくれるとまで言ってくれた……自分の人生において最も頼りとなり、最も自分が苦しいときに支えてくれた。
そんな、何処か壊れていて、それでも心優しき愛らしい少年に淡い恋心を抱いていた星歌は笑みを漏らす。
『そんな君を僕は幸せにしてみせるよ』
星歌の脳内に何度も繰り返される。
「幸せに、してくれるんだものね」
己の母が復讐など願わぬ事は星歌とて理解していた。
そして、己の母の最も望むことが、自分が幸せでいてくれることだとも。
「幸せになるよ、お母さん」
だから、星歌は前を向く。
憎しみは消えない、憎悪は消えない、今でも星歌は今すぐに穴の中へと降りていきたい気持ちがある。
「そんな私を見ててね」
でも、それを強靭な精神力と恋慕の感情でねじ伏せた少女は覚悟を決めた表情で立ちあがる。
「私は蘆屋家の当主」
そこにいるのは心・技・体を揃えた名家の当主に相応しい女君であった。
蘆屋星歌。
彼女はまさしく天才だった。
生まれた時より蘆屋家の長い歴史の中でも随一の呪力を生まれながらに持ち、また、蘆屋家の家宝とされてはいたものの、武器の主君として認められる者が現れずに飾られるばかりであった神器『焔雷乃矛』からも見初められた星歌は歴代最高峰の陰陽師であると言える。
「天命ノ雫」
星歌がその場を跳躍し、陰陽術を希う。
彼女の全身が光に包まれ、その光の元となる星歌の膨大な呪力が今もなお、空を覆っている申夜が作りし分厚い雲を押しのけて世界に光を灯す。
「焔雷乃矛」
星歌は自分の心の臓腑より己が為にある神器を引き抜き、そして、ゆっくりと舞い降りる。
「ごめんなさい。少し、遅れたわ」
再びの侵攻を始めた魔とそれを押しとどめんとする陰陽師がぶつかり合っていたスラムの中に。
「お待ちしておりました」
そんな星歌を前に、長年陰陽寮の重役として敏腕を振るっていた既に引退済みの初老の男が近づき、恭しく頭を下げる。
彼は既に引退済みでありながらも、久しぶりに握る刀を振るって魔と戦っていた。
「姐さんっ!全然待ってなんかねぇっす!お任せをっ!」
「何でもやるっすよ!」
そして、初老の男だけではなく、星歌の手によって落ちこぼれの烙印を押されて自身の生家から追放されていた青葉に秋野の双子も彼女に近寄っていく。
「あら、そう。なら、貴方たちはここ、スラムに残っている人たちを一人でも多く避難させなさい。何処で暮らしていようとも私の大事な守るべき人であることには変わりないわ」
「はいっす!」
「行くぞぉ!」
「うっす!」
この場に遅れてやってくるなりすぐに星歌が下した命令に青葉と秋野の二人は一切疑わず素直に頷き、そのままその命令を実行するべく行動を開始していく。
「さて、と」
それを見送る星歌は矛を握る手に力を籠め、今もなお陰陽師と激闘を繰り広げている魔の方を見据える。
「ぶち抜くわ」
そして、簡潔にこれからの方針を口にする。
「……というと?」
「この魔を指揮しているのは王級の魔よ。まずはそれを潰す。頭を失った有象無象となればいくらこの量でも楽に勝てるわ」
「確かに、その通りにございますな」
初老の男、並びに自分の周りにどんどん集まってきていた、今いる陰陽師たちの中で高位の位をいただいている陰陽師たちに星歌は自分のやることを説明し終える。
「この世界を見守りし神々よ、蘆屋家当主として祈りを捧げ申す」
その後、星歌は静かに、厳かな祝詞を唱え始める。
「主に捧げん。私が奇跡を」
呪力の高まりと共に星歌は再度跳躍。
自分の前に立ち、魔と戦っていた陰陽師たちの頭上を飛び越えて最前線と降り立ち、矛を一振り。
その一振りで幾つもの魔を簡単に斬り裂き、戦線に小さいながらも一つの穴を開けて見せる。
「急急如律令、風神突身」
そして、星歌は矛を前方に一振り。
それと共に発動した陰陽術が牙を剥く。
矛より吹き荒れた風の暴力はその直線状にいたすべての魔を木っ端みじんとした。
「ホウ」
魔の津波の中に出来た一つの道。
その先にいるのはこの大量の魔を指揮する王級の魔、カエサルであった。
「見つけた」
ぶち抜かれた戦線を見てゆっくりと戦闘態勢に入っていくカエサルを見た瞬間、星歌は一切の迷いなく地面を蹴って己が作った道を駆け抜ける。
「死になさい」
そして、カエサルとの距離を詰めた星歌は一切迷うことなくその首に向かって己の矛を振りに行く。
「ジンギ、カ」
その一振りを身を逸らすことで回避したカエサルはそのまま流れるように自分へと近づいてきた星歌の腹に向かって横から蹴りを差し込む。
「ふんっ」
それを星歌は自分の足を上げることで防いで見せる。
「イチオウ、カゲンハシナカッタガ」
防いだ、と言っても蹴りに対して足を合わせただけだ。
普通に攻撃として有効な一手を当てたカエサルではあるが、そんな彼の目に映る星歌はまるで効いた様子を見せていなかった。
「貴方程度の一撃で私がそう簡単に倒れるわけがないでしょう」
カエサルの蹴りを足で受けた星歌は態勢が大きく崩れている彼に向かって自身の手にある矛をうまく操って第二刃を差し込む。
「グゥ」
今度のそれを避けきるのこと出来なかったカエサルは己の方に支える矛を前に苦悶の声を漏らす。
神器は圧倒的な硬度を誇るカエサルの外骨格を容易に貫いたのだ。
「幻想風景」
それを前に、カエサルは迷うことなく自身の特殊能力を発動させる。
カエサルの特殊能力は対象者に幻を見せるというものだった。
能力の対象となった星歌の耳に後ろから。
『貴方……何で、私を捨てたの、あと少しで、私を殺したあの女を殺せたのにぃ』
聞こえてくるのは懐かしい彼女の母親の声からだった。
「くだらないわ」
だが、その声を星歌は振り返ることもなく振り切る。
「私にはもう好きな人がいるのよ。いつまでも過去を見ているわけにはいかないの。もう、揺らがないと決めたから」
決して揺らがぬ精神性。
それを持った星歌は矛を突き刺す手を一切緩ませることなく、そのまま力強く一振り。
「ツヨイナ」
強引に振りぬかれた矛はカエサルの肩から斜めにその体をバッサリと切り捨てた。
「でしょう?」
「ツヨキモノトノタタカイ、コウブツダ。キョウハニドモタタカエタ」
大きく体を斬り裂かれて、無事でいられる存在などそういない。
「コヨイハイイユメガミレソウダ」
カエサルは満足げにしながら、その体を上半身と下半身で分けた状態のまま、ゆっくりと地面に倒す。
「えぇ、おやすみなさい」
完全に動きを止め、死したことを確認した星歌は地面に倒れるカエサルへと背を向ける。
「崩れたわね」
そして、魔の方を見てみれば、自身に対して上から命令を下していた圧倒的上位種である王級の魔がいなくなったことで本来あるべき魔の性質である醜悪な本能を思い出した魔が自由に動き始める。
早く、早く、早く、人間を殺そうと欲す魔の一個体一個体が行動を開始する。後列にいた魔などが自分の前にいる魔へと攻撃を仕掛けてでも人間のいる前へ、前へと進んでいったのだ。
その結果、魔たちは壮絶な仲間うちを始める。
魔の軍勢はこれで瓦解したと言ってもいいだろう。
「すぅ……」
その光景を見た星歌は迷うことなくカエサルの上半身だけを手に取り、風魔法を用いて上空へと上がっていく。
「聞けっ!敵の首魁はっ!王級の魔はこの私が祓った!名家の当主にとって、王級の魔など恐るに足らぬっ!そして、汝ら私の指揮下にある君らであれば、頭を失った有象無象たる魔など怖くはないだろうっ!」
そして、星歌はカエサルの掲げながら堂々たる態度で己が勝ったことを誇示し、今も魔と戦う陰陽師たちを奮い立たせていく。
「我らは勝ったっ!良くよった!そして、油断するなっ!掃除の時間はまだ残っているっ!誰も死ぬことなど許さぬ……諸君、完勝しろ」
「「「おぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおっ!!!」」」
星歌の言葉に反応した陰陽師たちが大きな、空気を震わせるような歓声をあげる。
もはやこの場の趨勢は、いや、それどころか、この一連における事件は終わった。
そう星歌の視点で言えば、言いきってもいいような状況となった。
陰陽寮を襲っていた魔を統率していた王級の魔を倒しきったのだから。
「……申夜」
だが、星歌の中には一つの胸騒ぎがあった。
それは自分の代わりに穴の中を落ちていった申夜のことだ。
何故、私と一緒に穴から出なかったのか。何故、穴の中を落ちていったのか。
自分の代わりに明菜を追いかけていったのか。
だとするのならば何故、こんなに時間がかかっているというのか……自分よりも、はるかに劣る女を一人捕まえるだけであるはずなのに、と。
申夜の実力で明菜に苦戦するはずがないのだ。
「貴方は、いったい何をしているの?」
星歌は不安と共に、陰陽寮にある大穴の方へと視線を向けるのだった。
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