自己紹介
飯を求めて昼頃に家を出て俺が帰ってくる頃には既に夕方となっていた。
既に陽が落ちつつある中ではあるが、至るところに空いているこの家は、ここから少し離れたところにある天まで伸びる摩天楼が立ち並ぶ一等地の方から届いてくる光のおかげで、周りに街灯どころか明かりのついた物が一切ない中でも十分に明るかった。
今日の収穫は黒服たちから分捕ってきた多くの飯と、いずれ揉めるようになるおっぱいだった。
「まっ、何もねぇけど、何処か適当に座ってくれよ」
俺はどかっと腰を下ろし、胡坐をかいて黒服どもから奪った軽食を口に運ぶ。
「もう少し我慢してくれなかったかしら……?」
そんな僕の前に座りながら、女は苦笑した様子でこちらへと口を開く。
「うるせぇ、これは一日ぶりの飯何だよ。邪魔すんな」
「……っ、ごめんなさい」
「別に謝るほどのことでもねぇけどよぉ……って、これうめぇなっ!?」
僕は何気なく口にした黒服たちが持っていた軽食、袋の中に入っていた何かの木の実の味に驚愕する。
カリっと響く歯ごたえに香ってくる燻されたいい匂い。味覚以外にも食を楽しませてくれる。
「ん?普通のナッツでしょ?それ、そんな驚くことかしら?」
「そこらの雑草と比べたら遥かにうまいわ」
「いや、何でそんなとくら……いや、ごめんなさい」
「ほうけ。んで?さっきの話の続きだ。俺は何をすればいいん?」
俺はモグモグナッツを食べながら、女へと話を振っていく。
「それよりもまずは先に自己紹介をしましょう?まだ、お互いに名前も知らないでしょう?」
「んっ?あぁ、そうだな」
確かに俺は目の前にいる女の名前すらまともに知らないな。
「俺は申夜だ。名字の方は特にねぇな。両親の顔すらも知らんものでな」
申夜。
それが他人へと名乗る際に俺が使っている己の呼称である。
生まれてから物心ついて、それで始めてみたものは自分の前で蟻にバラバラとされて運ばれていく蜂だった。
そして、周りを見渡して見えるのはもはや見慣れたスラムの光景だった。
そんな風に、物心ついたころから一人であった俺にとって、これの名づけ親が誰なのかもわからないが、それでも自分の頭の中には己の名としてそれが残っているのだ。
訳は知らん。
だが、あるのだからと俺は有効活用していた。
「っ、そう……えっと、ね。私は蘆屋星歌よ。古くからある陰陽師が名家の一つである蘆屋家の三女であり、生まれながらに陰陽師としての才能があったことから当主として育ってきたものよ」
「ほー、ずいぶんといいとこの生まれなようで」
陰陽師家、それも名家とは普通にこの日本の支配者層じゃないか。
「まぁ、そうなるけど……そんな大層なものでもないわよ?」
「大層なもんだろうがよぉ。魔と戦う武力であると共に政を執り行う文治の部分でもある陰陽師。過去にあった民主主義など粉みじんとなった今の日本を作っている支配者様だろう?そんな連中の中でも上の奴がこんなところにまで流れついているんだ?」
「裏切られたのよ」
「裏切られたぁ?」
「……」
「んっ……?」
「えぇ、そうよ。うちの姉妹と婚約者のあいつが私を裏切ったのよ……」
「おう」
「すぅ……私の母を、まずは殺したわ。私を存分に愛してくれていた。私を時には厳しく、それでも優しく育ててくれた母を、実の母をあいつらは亡き者とし……っ」
ここで、一度。
星歌は言葉を詰まらせる。自分の中にある激情をあふれ出すのを抑え、言葉を整えるかのように。
「あまつさえっ!」
それでも、言葉はすぐにあふれ出した。
「その罪を私へと押し付けて、そのままこっちの立場を奪おうとしたのよっ!あいつらはっ!私が、母を殺したことにしやがったのよっ!……許せない。許せるわけがないっ!!!」
自身が裏切られたあらましを語る星歌の語気は段々と強くなり、こちらからでもわかるくらいには濃い殺気を纏い始める。
「ほー、大層荒れていることで……にしても、実母を殺すとは実に物騒なことで」
「まったくよっ。あいつらの母でもあったのにぃ!」
自分の前で強く歯ぎしりし、その口から血さえ流し始めた星歌の前で僕は呑気にナッツを頬張る。
「それで?本筋からズレたな。俺がお前のおっぱいを揉むにはどうすりゃ行けるんだ?星歌を裏切った連中がお前を暗殺するのを諦めた時か?」
「違うわ」
そんな中で問うた僕の言葉に星歌はゆっくりと首を振って答える。
「あいつらに、後悔させるまで、よ……私の母を殺し、そのまま私を公共の敵にまで押し上げたあいつらに天誅を下すまでよっ!必ず母の仇は取って見せるわ。貴方はそれに付き合ってちょうだい。私が元の位置に戻れたタイミングでおっぱいを好きなだけ揉んでいいわよ」
「いや、それは守るの範疇か?」
攻勢に出ちゃってない?守っているか?それは。
おっぱい、遠くね?
「勝手に私が敵陣に突っ込むわ。そしたら、それを守るためには貴方も前に出なきゃいけないでしょう?」
「えぇ……俺は自分の命までもを懸けるつもりはないぞ?」
おっぱいは揉みたいが……だが、その過程で死んじまったら元も子もねぇ。
「そんなのわかっているわよ。私だって馬鹿じゃないわ。ちゃんと勝てるように準備していくに決まっているじゃない」
「ほぉー、そこは冷静なのね」
目の前に座っている星歌からはうねるような濃い殺意と憎悪を感じる。
だが、それであっても頭はしっかりと冷静なようだ。何とも真面目なことで……ただ、それは自分の上に置く頭とするなら悪くねぇ。
存外、嫌な博打でもないのかもな。
上が優秀であるなら……おっぱいの為に、少し危険な道を進んでいくのもありかもな。
「当たり前じゃない……何時であっても冷静であれ。それは私の母の教えよ」
「そうか、良い教えだね」
冷静さを欠いた結果、死んだような奴を僕はしょっちゅう見ている。
そうならないようにするための教訓があるとは実にセンスがいい。
「ふふふ……必ず、あいつらに血を見せてやるわ」
どうやら星歌の母はまともな人間のようだ。
感心して頷く僕の前で彼女は一人、ほの暗い笑みを漏らしていた……なんかこぇーな。ここまで深い憎悪とか見たことないかも。
「まぁ、落ち着けや。そんな憎悪を他人に見せるものじゃねぇぜ。ナッツやるかよ」
「いたっ」
そんな彼女を嗜めるように僕はナッツを一つ彼女の額の方に当てる。
「ありがとっ……」
そのナッツに一度は額を打たれ、小さく悲鳴を上げた星歌ではあるものの、それでも素直にお礼を口にしながらそれを口へと運んでいく。
「ほれ、後。水もやるよ」
陰陽師の連中が農業の為に定期的に陰陽術で降らせている綺麗な水の雨。
それを貯めている水瓶から、俺が食べきったナッツの入っていた袋で水を掬ってそれを渡す。
「ありがとう」
「おうよ」
「おいしっ」
それを受け取り、一瞬で呷ってみせた星歌は小さな言葉で美味しいと告げる。
「そいなら良かった」
うん、ずいぶんと憎悪も心のうちに仕舞えたようだ。
別に復讐するのは敵わねぇ。だが、その炎に俺まであぶられるのは勘弁だ。ちゃんと抑えてもらわないとな。
「それでさ、聞きたいのは……結構危ない立場なんだよな?」
「ん?まぁ、そうね。陰陽師全体から狙われる現状にあるわけだから……どう、かな?危険だと思うけど」
陰陽師の世界は魔と長年、人々の為に戦ってきた組織であり、今では多くの人から自分たちを守る存在としてあがめられている組織ではあるが、所詮は人の組織。
数多くの陰謀が蠢き、数々の凄惨な事件が過去に、そして現在にも折り重なっている。
そんな組織が今では国の頂となり、更に権力を、更に陰謀を深めている。
そのような陰陽師たち。
その陰陽師社会そのものを敵をした結果、何が起こり、どのような危険があるのかなど、もはや星歌であっても想像のつかない範囲であり、憎悪の炎に燃やされる彼女であっても及び腰になってしまうような勢いだ。
それを覚え、覚えた状態で問われた俺の言葉。
それを受け、星歌は俺がそれを避けるために己の元から離れることを。自分が一人ぼっちになってしまうことを恐れ、それを震える声に隠す星歌であるが───。
「なら、この場に何時までもいるわけにはいかない感じか?」
───そんな彼女の言葉の意味にまるで気がつかない俺は普通に言葉を返した。
「えっ……?あっ、うん。そうね。確かに……そうなるかも」
「だよなぁ」
星歌についていくとしたら……この家にはお別れしないといけないわけか。
「まぁ、良いや。別にこの家に愛着もねぇし」
所詮は他人から奪っただけのぼろ家だ。
愛着が湧くわけもない。
「えっ……?」
「だけど、だ。この家を出ていくならやっておきたいことがあるんだけど、それを今。済ませてきていいか?」
「えっ……?今?」
「おう、今」
動くなら出来るだけ早い方がいいだろう。
「ひ、一人にされるのは心配だなぁ」
「おーん、でも、女を連れていく場所でもないしな」
俺がやりたいこと。
それはこの家を持ち主に返すことだ。
俺がボコボコにしてこの家を奪ってやったここら一帯のボスと言える男。
そいつの元に訪れてこの家を返したいわけだが……スラムのボスとか碌な奴じゃねぇ。
女に見せるものじゃない。あいつの面は。
「何かちょちょいと陰陽術で何とか出来ないの?例えば、ほら。お前の陰陽術で家に入ってきた侵入者がいたらすぐに知らせるとか。俺なら一秒未満で駆けつけてやれるぞ」
全力で走れば音速くらいなら出せる。
こう、足にぐっと力を入れて地面を蹴れば一瞬だ。
「私、ちょっと今。不意打ちで卑劣な姉妹たちから攻撃を受けた時に陰陽術の発動を封印されているのよ。そのせいで私は今、陰陽術が使えないのよ」
「あぁ」
駄目じゃねぇか……いや、そんな状態だからこそ俺の助けを必要としているわけか。
逆にそんな状態となってもここまで逃げたきたのが凄いな。
「でも、ちょっと試してみるわ」
「使えないんじゃねぇのかよ」
使えないとは?
使えないなら何を試すんだよ。
「陰陽術を使えるようにする道具もあるのよ……これまで、私たちが歩いていた軌跡を他人には見せず、悟らせなくするような魔法も合わせて使っていたのよ?一応」
「ほー。そんなことまでしてたのか。苦労なこって」
つか、そんなことまで出来るのか。本当に便利だな、陰陽術。
ちょっと、俺も使ってみたいかもしれない。
「それでも、行けるかもしれないわ」
星歌が肩から下げていたずいぶんと小さなカバンから出るわ出るわの小道具の数々。
それも陰陽術が掛けられたカバンなのか、明らかに容量を超えた量を出し続けるカバンから出した小道具を出していく。
「こいつは使える……こっちの方は行ける、使える」
鈍い光を放つ鉄の棒、綺麗な宝石の数々、黒曜石の勾玉。
「これで、大丈夫……なはず」
あまりにも多くの小道具を出し、色々と弄って工面していた星歌が小さく言葉を漏らす。
「おっ?」
なんかうまく行きそうだった。
「はい。これ、受け取って」
「ん?これは?」
俺は星歌から受け取った小さなペグを掲げて首をかしげる。
「私の身に危険が迫った瞬間にそのペグが鳴るわ。遠距離攻撃にも対応するわ。本当に一秒未満で帰ってくれるなら、私の身は大丈夫よ」
「おぉー、なら大丈夫だ。別にそんな遠出するわけじゃないからな」
「なら、大丈夫」
俺の言葉を聞いた星歌が力強く頷く。
「おっけ。なら、行ってくるわ」
それを見た僕はそのペグを握り、そのまま家の方を出る。
「んじゃ、留守を頼む」
「えぇ……わかったわ」
「おうよ」
そして、留守を聖歌に預けて俺は自分がボコボコにしたここら一帯のボスである男が滞在しているであろう場所に向かった。
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