第19話 分岐点
結局、カラオケ屋さんでは一曲しか歌うことが出来なかった。歌ったのは僕ではなく、心野さん。選曲は童謡の『森のくまさん』だった。初めての体験に最初は緊張して声が上擦っていたけれど。でも、心野さんの歌声はとにかく可愛らしかった。僕がついつい笑顔になるほどに。
それは心野さんも同じだった。歌うにつれて緊張が解けてきたのか、とても楽しそうに、嬉しそうに歌っていた。前髪で顔は見えないのはいつものことだけれど、笑顔であることはすぐに分かった。
そりゃそうだ。心野さんがずっと望んでいた、『学生らしい遊び』。それが実現したんだ。希望、そして夢が叶ったんだ。笑顔になるに決まっている。
もっともっと、叶えてあげたい。失った時間は取り戻せないけれど、僕がそれらを埋めてみせる。そう、決めたんだから。
* * *
僕達はカラオケ屋さんを出て、そして次の場所へと向かった。ちなみに、心野さんにはまだどこに行くのかは教えていない。やっぱりこういうのってサプライズ的な方が良いのかな、と。僕なりに考えた末の結論だ。
「心野さん、どうだった? カラオケ」
「はい、最初はすごく緊張したんですけど、でもすっごく楽しかったです! だけどちょっと恥ずかしかったですけど。但木くんに私の歌声聴かれちゃったから」
「そうだよね、僕も自分の歌声を聴かれるのってちょっと恥ずかしいから気持ちは分かるなあ。でもさ、心野さんの歌声、すごく可愛かったよ?」
「か、可愛くなんかありませんよ! というか、但木くんの歌声も聴いてみたかったです。ズルいですよ、私の歌声だけ聴いて。今度はちゃんと聴かせてくださいね」
「ごめんね、時間がなかったから仕方がなくてさ。アイス騒動もあったし、それに心野さんが僕にピッタリくっついてきたりしてたからね」
心野さんの耳が一瞬で赤くなる。あ、これ照れてるな。だけど、それと同時にほっぺたをプクリと膨らませてちょっとだけ不満そうだけど。まあ、僕もちょっと意地悪なことを言ったかな。
「……ま、まあいいです。その代わり! これからもたくさん『学生らしい遊び』に連れていってくださいね!」
「うん、もちろん。色んな所に連れて行ってあげるよ。『学生らしい遊び』の範疇でね。ご期待に添えるように、僕なりに頑張るから」
腕時計をチラリと見て、時間を確認。15時ちょっと前か。うん、まだまだ時間はあるな。ピックアップした所には全部行けそうだ。
「それで、次はどこに連れて行ってくれるんですか?」
「えーとね、本当は教えるつもりはなかったんだけど、バラしちゃうね。次はゲームセンターに行こうと思ってさ」
「げ、ゲームセンターですか!!?」
ん? この反応にはちょっとビックリ。すごく驚いている。どうしたんだろう心野さん。ゲームセンターにトラウマでもあるのかな?
「た、但木くん、あんなに恐ろしい所に行くんですか!?」
え? 恐ろしい? ゲームセンターが?
「ねえ心野さん? ゲームセンターが怖いってどういうこと?」
「ま、漫画で読んで知ってるんですけど、あれですよね。ゲームセンターって不良の溜まり場で、対戦ゲームなんかは皆んなピリピリしてて、それで灰皿が投げつけられたり飛び交ったり、喧嘩ばかり起こる超怖い所ですよね?」
「……心野さん? それ、大きな誤解だよ? 確かに昔はそんな感じだったみたいだけど、今は全然違うかな。で、ちなみに何の漫画を読んだの?」
「はい、えーっと、確か『ハイスコアボーイ』ってタイトルでした」
ああーなるほど、あの漫画か。でもあれって舞台が平成初期なんだよね。今では対戦アーケードゲームなんてほとんどなくなってしまったし。
「大丈夫大丈夫、それってかなり昔のことだから。今のゲームセンターはそんなこと全くないよ? むしろ平和な感じかな。土日は家族連れも多いし」
「そ、そうなんですか? し、信じますよ?」
「うん、信じていいよ。じゃあ、とにかく行ってみようか」
「は、はい! 但木くんを信じます!」
* * *
「ここがゲームセンターですかー」
ゲームセンターに入るなり、心野さんは物珍しそうに周りをキョキョロと見回し、そして観察していた。とりあえず僕は安堵。心野さんが怖がっている様子はない。むしろワクワクしているのを感じた。
「どう? 全然怖い所じゃないでしょ?」
「はい! すっごく安心しました! 店内もキレイだし、明るい雰囲気だし、楽しそうなゲーム機がたくさんあるし。あ!」
何かを見つけたのか、心野さんは猛ダッシュでそちらへ向かった。今日の心野さん、まるで子供だなあ。心野さんって。興味のある物に一直線だ。
「但木くん! これってなんですか!?」
心野さんが珍しくはしゃいでいる。なんだか嬉しいな。
「ああ、これ? これはクレーンゲームってやつ。お金を入れると中にあるアームが動くからここで操作して、それで欲しい物を掴んでそこの穴に落とすの。心野さん、何か欲しい景品でもあったの?」
「はい! これです、これが欲しくて。私、集めてるんですこのグッズ」
指をさすその先には、カエルのぬいぐるみがあった。そうなんだ、心野さんってこういうのが好きなんだ。少しずつだけれど、心野さんの好みが分かってきたような気がする。割とファンシーな物が好きなのか。なるほどなるほど。
「どう? 試しにやってみる?」
「もちろんやります!」
僕は隣についてどこのボタンを押したらどう動くのか、それを説明した。動かし方を理解した心野さんは、待ち切れないとばかりにいそいそとお金を投入。そして、ものすごいやる気オーラを醸し出しながらアームを動かし始めた。
が、しかし。
「え? あれ? あの、但木くん? ちゃんとアームで掴んだのに、すぐにポロリと落ちちゃうんですけど」
「あー、これアームがだいぶ弱いね。クレーンゲームって設定があってさ。それでアームの強弱をつけるんだ。でもこれ、だいぶ苦戦すると思うよ? ……って、こ、心野さん? ちゃんと聞いてる?」
心野さん、完全に集中――否、夢中モードに入ってしまった。僕の説明が終わる前にお金を投入し、すぐさまアームを動かし始めた。もちろん、掴んでもポロリと落ちてしまった。アームが弱すぎるから戦略を教えようと思ったんだけど、全く聞いてない。というか、たぶん耳に入っていない。
「こ、心野さん? あのね、ちょっと聞いて?」
「むーー」
よほど欲しいのか、はたまた悔しいのか。心野さんはほっぺたを膨らませながら、かまわずお金を投入。しかも連打で。いや、これ一回200円だから、そのやり方じゃいつまで経っても景品は取れないし、破産してしまうような……。
「あ……小銭なくなっちゃった」
「うん、ちょうどいいや。それじゃ、こういう場合の戦略を教え――え!? こ、心野さん!? どこに行くの!?」
心野さんは迷うことなく、躊躇することなく、駆け足で両替機に向かった。そして戻ってきた。小銭の山を両手いっぱいに持って。……これ、幾ら分なんだろう。
「いや、あのね心野さん? 取り方をちゃんと教えるから」
「話しかけないでください、集中力が切れちゃうので」
なんという真剣さ。こんな心野さん初めて見たよ。うーん、話しかけないでと言われてもなあ。そのやり方じゃ無理なんだって。でも話を聞いてくれないし。
――そして、約三十分後。
「こ、心野さん、大丈夫?」
全ての小銭を使い切り、まるで魂が抜けてしまったかのように、呆然。だから教えてあげるって言ってるのに。って、もう手遅れか。
「ねえ、ちょっと訊きたいんだけど、一体幾ら使っちゃったの?」
「……五千円です」
うわあ、結構使ったなあ。そりゃ魂も抜けるというものだ。だけどその金額だったら、もしかしたらいけるかもしれない。
「すみません、店員さーん」
僕の声掛けに反応してくれた若い男性の店員さんがこちらに来てくれた。さて、奥の手だ。上手くいけばいいんだけど。
* * *
「ふふ、うふふふっ」
心野さんはカエルのぬいぐるみを嬉しそうに抱きかかえている。そういえば、心野さんの笑い声って初めて聞いたな。慎ましやかな笑い声だけれど、心の底から喜んでいるのが伝わってきた。
「良かったね、心野さん。優しい店員さんで」
「はい! すっごく嬉しいです! 但木くんのおかげです!」
僕が使った、奥の手。それは店員さんに、使った料金を伝えてぬいぐるみをもらうという手だ。このぬいぐるみはそこまで大きくない。むしろ小さい。だからお店側が想定する『使って欲しい金額』というものは大した額ではないと判断した。
なので僕は店員さんに幾ら使ったのか説明。店員さんは嫌な顔ひとつせず、心野さんにぬいぐるみ手渡してくれた。奥の手成功だ。この奥の手、お店によっては無理な場合ももちろんある。まあ、一か八かだったけど、上手くいって良かった。
「あ、そうだ。心野さん、今日の記念にプリクラ撮りに行こう」
「プリ、クラ? ですか? それってどんなものなんですか?」
「うーんとねえ、簡単に言うと写真かな。そしたらシールみたいに貼れる写真が出てくるんだ。たぶん、やったことないんじゃないかなあって」
「しゃ、写真ですか!? し、しかも但木くんと一緒に!?」
「うん、一緒に。どう? 撮っていかない?」
「はい、撮ります! 撮りたいです! あ、でも……私って写真写り悪いんです。見ても笑わないでくださいね」
「笑うわけないじゃん。僕も写真写り悪いし、お互い様だよ」
そんなことを話しながら、僕達はプリクラ機の方へ歩みを進めた。心野さんとの記念。思い出。それを形として残すために。
だが、予想だにしなかった。この後に起こる出来事について。
「あ、あの……違ったらごめんなさい。もしかして但木くん、ですか?」
背後から僕の名を呼ぶ声。聞き覚えのない、女子の声。その声の主を確認するために、僕は振り返る。僕と同じくらいの年齢の女子が立っていた。
考えもしなかった。この女子の呼びかけが、僕が不思議な世界に足を踏み入れる引き金に、トリガーになるだなんて。
分岐点。いや、特異点と言った方が正しいのかもしれない。
ここから、僕の運命、そして心野さんの運命が大きく変わる。
そう。全てはここから始まったんだ――。
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