第14話 失ったものと取り戻せるもの
あれから、音無さんは無事に再起動――というかハッとしたように我に返った。でもそのあと、やたら焦りながら猛ダッシュで帰っていってしまった。なるほどねえ、音無さんは友野のことが好きだったのか。うん、インプット、と。
僕は腕時計で時間を確認。そろそろ夕方と呼べなくなる18時になろうとしていた。そんなわけで、とりあえず僕は心野さんの通学用鞄を持って保健室まで迎えにいくことにした。さすがに、もう起きてるでしょ。
――と思っていたんだけど、違った。保健室に入ってベッドを見やると、心野さん未だ爆睡中。よほどダメージが大きかったのかな。
「よいしょっと」
ベッドの横にあったローチェアに腰掛ける。心野さんさんはスースーと寝息を立ててとても気持ち良さそうに寝ていた。この心野さんが可愛すぎて、ファンクラブが出来る程にモテモテかあ。全く想像できないや。
そんなことを考えながら、僕は心野さんの寝顔を見る。寝顔とは言っても、前髪で顔は隠れたままだけれど。でも、やっぱり落ち着くよ、心野さんを見ていると。僕の心の安定剤みたいな存在。それが心野さん。
「ん……うーん……」
お、やっとお目覚めみたいだ。むくりと起き上がり、猫みたいに両手で目をゴシゴシ。まだ少し寝ぼけているのか、ボーッとしている。
「おはよう、心野さん。いや、もう『おそよう』なのかな」
この声掛けに、心野さんはビックリ。全く僕の存在に気付いていなかった模様。それを認識した途端、寝ぼけていた意識が一気に覚醒したみたい。
「な、ななな、なんで但木くんが!? え!? ここどこですか!?」
「なんでって、心野さんを迎えに来たんだよ。ここは保健室。屋上で一緒にお昼食べてから鼻血出して倒れたのは覚えてる?」
「あ……そうでした。確かに私、但木くんと一緒に。あれ? でもあれって夢じゃなかったの? 私、但木くんにお弁当をあーんさせて食べさせてもらって、その上、間接キスをした夢を見てたのかと」
「ううん、夢じゃないよ。現実。ほら、そのダブルを受けたせいで、いつもよりも大量の鼻血を出して倒れちゃったんだよ」
「現……実……あ! 思い出しました! 全部! ちゃんと止めたじゃないですか、但木くんを! か、間接キスになっちゃうから……」
はい、予想通り。心野さんの耳が真っ赤。とはいえ、あーんの途中で気付いて止めようとしてたのは事実だし。だから今回の件は、僕のせいなんだよなあ。
でも――
「ごめんね心野さん、僕のせいだね。デリカシーがなさすぎた。でもすっごく幸せそうな寝顔してたよ? 夢の中でも笑ってたし。どんな夢を見てたの?」
「ね、寝顔!?」
言って、心野さんは素早く前髪を確認。そしてちゃんと隠れていたのを確認できたのか、ホッと胸を撫で下ろした。そこまで気にしなくいいのに――て、それは無理か。聖女様の話を聞いてよくよく理解したよ。
「ちゃ、ちゃんと前髪で顔隠れてましたよね? ていうか但木くんに寝顔を見られちゃうなんて……は、恥ずかしい」
「大丈夫、ちゃんと前髪で顔は見えてなかったよ」
「それは今確認したから分かってます。えーと、但木くんちょっといいですかね。大事なお話があります。正座して聞いてください」
「せ、正座?」
な、何これ? いつもの心野さんじゃないみたい。大事なお話? 一体なんだ? 全く検討が付かないんですけど。
「はい、これでよろしいでしょうか心野様」
僕は言われた通り、正座。それを確認してから心野さんは腕組をして、頬をぷくりと膨らませた。あれ? もしかして心野さん、怒ってる?
「はい、それで大丈夫です。えー、今回私がダブルを食らって鼻血を出して倒れてしまったのは但木くんの責任です。分かってますか?」
「は、はい……」
うわあ、やっぱり怒ってるよ。高校生にもなって正座して怒られるだなんて……。ちょっと情けなさすぎるんですけど。
「だから、但木くんにはしっかりと責任を取ってもらいます」
「責任……? 結婚とか?」
「け、結婚!?」
あ、ついさっき、音無さんがそんなことを言っていたから引っ張られてしまった。で、心野さんはというと、鼻を押さえながら上を向き、それから何度も深呼吸を繰り返している。うん。僕には今の状況が全く理解できていないんですけど。
「ふう……セーフです。危なかったです。また鼻血を出すところでした」
「あー、なるほど」
へー、心野さんって鼻血をセーブすることもできるんだ。
「なるほど、じゃありませんよ但木くん!」
またお怒りモードに入っちゃったよ。
「け、結婚はまだ早……じゃないです! 責任というのはですね」
「はい、責任というのは……」
そして心野さん、モジモジしながら指遊びを始めてしまった。あれ? 言いづらいことなのかな? それとも、心野さんのムッツリスケベ的な責任の取り方だとか? なんにせよ、僕にとって過激すぎることではないことを願うよ。
「あ、あのですね……わ、私とデートを……」
「デート? あれ? この前したばっかりじゃない」
「まあ、そうなんですけど……」
言って心野さん、そのまま口籠もちゃったよ。さっきまでのお怒りモードは一体どこに? うーん、考えられることとしてはアレかな?
「えーと、もしかして今度こそラブホ街に行ってお店に入りたいとか?」
「ち、違います! 但木くんは私のことなんだと思ってるんですか!」
「うん、ムッツリスケベだと思ってるけど?」
「だから! それは違いますってば! 但木くん、ほんと意地悪!」
相変わらず、全力で全否定。どうしても認めたくないらしい。まあ、それくらいでは僕の確信は揺るがないけどね。
「私にタブルで鼻血を出させた責任として、また、で、デートに誘ってください。この前、私をファミリーレストランに連れていってくれたみたいに」
耳を真っ赤にして、ギリギリ見える顔の部分も朱に染めて、心野さんはそう言った。そうか、そういうことか。
と、僕が勝手に納得していると、心野さんは言葉を紡ぎ続けた。とても正直に。簡明直截に。自分の気持ちを僕に打ち明ける。
それは僕にとって、とても嬉しいことだった。
「――私、中学時代から、全く学生らしいことをしたことがないんです。教室の中で独りぼっちでいると、皆んなの楽しそうな話し声が聞こえてきて。カラオケに行ったとか、遊園地に行ったとか、ゲームセンターに行ったとか。だからずっと思ってました。羨ましかった。私も、皆んなと同じように遊んでみたいって。ずっと。ずっと」
そっか、そうだよね。当たり前だよね。
僕にとっての当たり前は、心野さんにとっては当たり前ではないんだ。ずっと寂しい思いをしてきたんだ。ふと、音無さんが言っていたことが脳裏をかすめる。
『あの子、優しすぎるの』
優しいからこそ、心野さん――ココちゃんはオトちゃんに迷惑をかけたくないと自ら離れていった。それはとても寂しいことで、苦しいこと。いじめに耐えながら、きっとたくさんのものを犠牲にしてきたんだ。
皆んなにとっての、『当たり前』。
失われた、学園生活。学生としての貴重な時間。
それらを取り戻したいという、とても儚い、心野さんの願い。
「心野様、ご安心ください。責任はしっかり取らせていただきます」
「う、うむ。それでよろしい」
心野さんは再び腕を組み直す。
「ふふ、あはははは! それにしても、そんな演技しないで気軽に言ってくれればいいのに。デートしたいって。心野さんってほんと、不器用だよね」
「す、すみません……」
ベッドの上で、心野さんまで正座。何故? しかし高校生二人して保健室で正座とか、見たことも聞いたこともないや。
大丈夫だよ、心野さん。失ったものは取り戻せばいい。確かに時間は取り戻すことはできない。だけど、その時間を埋めてあげることくらいはできる。
全部、取り戻してあげる。埋めてあげる。
それにしても、僕も久しぶりに大きな声で笑った。
心野さんだけじゃない。僕も一緒に取り戻しているんだ。
失われた、僕の大切なものを。
【第二章 完】
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