第8話 人は変化する

「ま、間に合った……」


 悪夢を見たせいなのか、寝すぎてしまって遅刻しそうになったけど、なんとかギリギリセーフ。だけど、朝から疲れた……学校まで全力ダッシュだ、そりゃそうか。席に着いた今でもまだ息が荒い。完全に運動不足だな、こりゃ。


「但木くん、大丈夫? すごくハアハアしてるけど」


 少し驚いた、心野さんから話しかけてくれるだなんて。たぶん初めてじゃないのかな? 今までは僕から話しかけないと喋ってくれなかったはず。


 なんだか、嬉しいな。


「ううん、大丈夫。ちょっと寝坊しちゃってね。それで学校に遅刻しないようにここまでダッシュしてきただけだから」


「寝坊ですか、もしかして私と同じようになかなか寝付けなかったとか?」


「いや、そういうわけじゃないんだ。いつも通りの時間にしっかり寝たよ。というか、心野さん。昨夜はなかなか寝付けなかったの? もしかしてまたいつものように妄想が捗っちゃったとか?」


「そ、そそそ、そんなことないです! 妄想が捗ったのは確かですけど……い、いえ、嘘です! 妄想なんかしてません。だから、だ、だだだ大丈夫です!」


 なんとなしに言ってみただけだったんだけど、心野さんは耳を赤くして思いっきり否定してきた。あ、これ絶対に嘘だ。なんか分かるんだよね。というか、心野さんって本当に分かりやすいな。


 まあ、これだけ焦って否定してきたんだ。あまり突っ込んで訊かない方がいいな。心野さんにだって人に言いたくないこともあるだろうし。


「よう但木、珍しく遅刻ギリギリだったな」


 毎朝の恒例。友野がこちらにやってきた。ほんと朝から元気なやつだな、朝早くから部活をこなしてこれだもんな。体力のない僕にとっては羨ましい限りだ。


 ちょっと暑苦しいけど。


「ああ、少し寝坊しちゃってね――ってお前、なんでニヤニヤしてるんだ?」


「まあニヤニヤもするさ。女性恐怖症のお前が昨日、心野さんのことをおんぶしているのを見ちゃったからな」


「え!?」


 僕は咄嗟に心野さんを見やった。さっきまでとは打って変わって、黙ったまま少し俯いて机を見つめている。でも嫌がっていると言うよりも、ただ恥ずかしがってるだけみたいだけど。


「友野、お前……どうして見てたんだよ。部活はどうしたんだ?」


「ふっふっふ、何言ってるんだ。但木のことを把握するのは俺の責務だろ? 保護者なんだから当たり前だ。お前のことなら何でも知ってるぜ?」


「だからなあ、友野。お前は僕の保護者じゃないっていうの!」


「まあ、それは冗談だ。たまたま部活帰りに見かけてな。邪魔しちゃ悪いと思って、ずっと柱の陰から見守っていただけだ」


「それ怖いって! お前、実は僕のストーカーなんじゃないのか?」


「ふっふっふ、さて、それはどうかな?」


 友野っていい奴なんだけど、掴みどころがないところがあるんだよあ。まあ昔からそんな感じだから、さすがにもう慣れたけど。


「女子をおんぶとか、今までのお前じゃ考えられないんだけどな。一体、どんな魔法を使ったんだよ。ねえ、心野さん」


「え!? あ、あ、あああああ、あの――」


 心野さん、完全にキョドりモード。焦りに焦って言葉が出てこないみたいだ。理由は昨日話してくれたから知ってるけど。


「あっははは! 心野さんってやっぱり面白い人だな。但木とは普通に喋れるのに。俺なんかに気を遣う必要なんてないし、もっと気楽でいいんだぜ? でも別に無理して話そうとしなくてもいいから。話したい気分になったら話しかけてくれればいいよ。って、もうこんな時間か。じゃあ俺、自分の席に戻るわ」


 いつものように手をひらひらさせながら、友野は席へと戻っていった。あいつに気を遣う必要なんかないのは確かだけど。


「――友野くん、すごく優しいね」


 ちょっとだけ俯きながら、心野さんはそう言った。戸惑いもあったかもしれないけれど、その言葉には、少しの嬉しさが含まれていた。


「そうだね、まあ優しい奴だよ。僕みたいな奴にでも普通に話しかけてくれるし。だけど僕の保護者であることだけは絶対に認めないけどね」


「なんか、羨ましいな、但木くんが。ごめんね、但木くんのお友達に失礼なことをしちゃって。本当は仲良くなりたいんだけど……」


「大丈夫、友野はそんなこと気にするような奴じゃないよ。それは僕が一番知っている。だから安心して。……て、もしかして心野さん、友野に惚れちゃったとか? あいつ、中学時代はクラスの女子のほとんどから告白されてるくらいだし。とにかくモテるんだよ、あいつは」


「ち、違うよ但木くん!」


 少し驚いた。ここまで声を張り上げた心野さんを初めて見たから。


「友野くんがモテるのはすごく分かります。でも、私はそんな簡単に男の子のことを好きになったりはしないから。そんな資格、私にはないし……」


 最後の言葉がちょっと引っかかるけれど、不思議なことに、心野さんの言葉を聞いて安堵している自分に気が付いた。なんだろう、この感覚。


「ねえ、但木くん」


「うん、どうしたの心野さん?」


「私、頑張るね。友野くんともちゃんと話せるように。だって、友野くんは但木くんのお友達だから。仲良くなってみたい」


「――そっか。うん、僕も協力するよ」


 僕達のお喋りを遮るように、思考をストップさせるように、担任の先生が入ってきた。でも、強く感じることがあった。


 心野さんは、変わりたいと心から思っているんだと――。

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