しかけえほん『カラダをあらいましょう』

加賀倉 創作【書く精】

いち『テをあらいましょう』

【注意其の壱】本作はフィクションです。それっぽい仕上がりを目指しましたが、登場人物は全て架空の人物です。

【注意其の弐】本作には、残酷・グロテスクな描写が伴います。特に、三部作の三部目にご注意くださいませ。




——遠い昔、遥か彼方の帝国ローマで。



 アヌス・アラエヤカス。


 彼はローマ随一ずいいちの絵本作家で、わずか五歳の幼君ようくん、ギタナイウスの摂政せっしょう兼家庭教師を務めていた。


 当時、ローマでは謎の疫病が蔓延まんえんしていたため、アラエヤカスは、その感染予防策として『衛生三原則』なるものを掲げた。


「全てのローマ市民キーウィス・ローマーヌスよ! 明日から、いや今日から、私の考案した『衛生三原則』を徹底するのだ。その一、『二回手洗にかいてあらい』。調理と食事の前及び、掃除の後は、必ず二回の手洗いをせよ。手洗いの際、油を灰汁で煮た物せっけんを使うとなお良いだろう。その二、『毎日入浴』。毎晩、頭頂ずちょうからつま先まで、入念に洗いなさい。湯船に浸かるとなお良いだろう。その三、『土足厳禁』。建物に入る際は、靴を脱ぎなさい。玄関前にマットを敷き、靴の泥を落とすとなお良いだろう。以上三点を皆が守り、体を綺麗に保てば、必ずや疫病は治まるだろう!」

 

 アラエヤカスの声が、城下に響いた。


 二回手洗。

 毎日入浴。

 土足厳禁。


 ローマのたちは、聡明そうめいなアラエヤカスの指示通り、衛生三原則を守った。


 しかし、反抗者がいた。


 というのは…… 



 子供たちだ。



 そして五歳の皇帝インペラトールギタナイウスも例に漏れず、体を綺麗にすることを嫌がったのだった。



*ωΔҕħ!*ωΔҕħ!*ωΔҕħ!*ωΔҕħ!*ωΔҕħ!*ωΔҕħ!*ωΔҕħ!*ωΔҕħ!*ωΔҕħ!*



 ある日の夕飯前、カステッルムのおもちゃ部屋で、ギタナイウスは駄々をこねていた。


「ふん! そのようなわずしいぎしきなど、われほどのにんげんには、いらぬわ!」

 ギタナイウスは、生意気を言う。


陛下マジェスタス帝国ローマの主たる陛下マジェスタスが『衛生三原則』を守らないことには、ローマ市民キーウィス・ローマーヌスに対して示しがつきませぬ。どうか、まずは二回手洗いだけでも……」

 困ったアラエヤカス。


「せぬわ! それよりもだ、アラエヤカス。しんさくのはないのか?」


 それを聞いたアラエヤカスは、かすかに笑みを浮かべた。


「では陛下マジェスタス、ここにちょうどいい絵本が一冊ございます。ローマの書店には、明日から並ぶ予定ですが、帝国の主たる陛下には特別に今日、お渡しいたします」

「アラエヤカス、それはまこか? はようみせい!」

「はい。こちらでございます」


 アラエヤカスは、やけに分厚い一冊を、ギタナイウスに両手で手渡す。


 ギタナイウスは、絵本を、ミシミシと言わせながら、開く。


「なんじゃ、これは?」

 

 絵本からは硬質の厚紙が、ばっと飛び出している。見開き一ページの真ん中には大きく、一人の女の子の上半身の立体像。女の子は、洗面台の上に両手を伸ばし、手のひらを合わせている。

 

 そして、女の子の隣には、こんな文章が添えられている。


・〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・

みぎのおててと ひだりのおててを


ごしごし ごしごし


ゲルマンじんや ペルシャじんには 


ナイショだよ?

・〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・



 ギタナイウスは少々困惑しつつも、初めて目にした珍しい作りの絵本にあれこれ触れ、興味を示してはいる様子。


「それは仕掛け絵本、というものです。この女の子、まるで絵本の世界からこちら側に飛び出してきたみたいだとは思いませんか? それと、面白いのはここからですよ。陛下マジェスタス、ページの端から出っ張ったつツマミを引いてみてください」

 アラエヤカスは、ギタナイウスの小さな手に己の手を重ねて、ツマミの方へ誘導する。


「ほぉ、こうか?」

 引っ張る。

 引っ張ったツマミの動きに連動して、女の子が手を擦り合わせる。

 ギタナイウスは、顔をぱあっと明るくする。


「そうです。次は、そのままツマミを押し込んで、元に戻してみてください」

 アラエヤカスは、自慢げに、さらなるを出す。


「わかった、やってみよう」

 引っ込める。

 引っ込んだツマミの動きに連動して、女の子がさっきとは逆方向に、手を擦り合わせる。

 ギタナイウスは、にっこりである。


「どうですか、陛下マジェスタス。面白いでしょう?」

「うむ。アラエヤカスよ、なかなかやるではないか。ほうびをくれてやろ…………いやまて、このえほんのだいめいは、なんというのだ?」

「『カラダをあらいましょう』三巻物トリロジーの第一巻、『テをあらいましょう』です。お気に召していただけましたでしょうか?」

! さいしょから、われにてをあらわせるつもりで、ふざけたえほんをよこしたな!」

 アラエヤカスの意図に気づいたギタナイウスは、カンカンに怒った。

「偶然ですよ、陛下マジェスタス。そうだ、これもいい機会です、お気に召したとなれば、せっかくですから夕飯の後、私が最後まで読み聞かせいたしまし——」


 どさっ。


 アラエヤカスが提案を最後まで言い切るよりも早く、仕掛け絵本が、床に叩きつけられた。


 おまけに、衝撃で仕掛けが壊れて、女の子の両腕が、ポロリと取れた。


 ギタナイウスが、投げ捨てたのだ。


「ああ、私の新作が!!」

 アラエヤカスは、無惨に壊れた仕掛け絵本の方へ駆け寄り、しゃがみ込む。

 

「ふん! こざかしいまねをしようとするからだ。アラエヤカス、ここはしんせいなるわれのおもちゃべや。しっかりとかたづけておくのだぞ?」

 ギタナイウスはそう言い放つと、アラエヤカスを残して、食堂トリクリニウムへと向かった。


「いいものができたと思ったのだが……陛下マジェスタスには、合わなかったようだ」


 その日の夕飯時、食堂トリクリニウムにアラエヤカスは現れなかった。


 アラエヤカスは、カステッルムから、消えたのだ。


 次の日になっても、一週間経っても、一月、一季、一年経っても、アラエヤカスは帰ってこなかった。



   〈子〉



〈に『アタマをあらいましょう』に続く〉

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