第3話 ドッペルゲンガー

「一人二役」

 というと、

「もう一人の自分」

 という発想が生まれてくる。

「実際には、もう一人の自分」

 というのを作り上げたのは、自分であり、その存在は、まったくの架空なのだ。

 存在するはずのない存在をでっちあげて、もう一人の自分を作り上げたのが、

「一人二役」

 であるが、ここでいう、

「もう一人の自分」

 というのは、

「本当に存在している」

 と信じられているものである、

 一種の、

「都市伝説」

 であるが、ほとんどの人が信じているという意味で、

「世間としては、かなり信憑性がある」

 というもので、それだけ、

「都市伝説というものの信憑性を凌駕している」

 と言ってもいいだろう。

 それを、

「ドッペルゲンガー」

 というのだ、

「同一次元の同一時間に、もう一人の自分と言われるドッペルゲンガーが存在している」

 ということである。

 確かに、ドッペルゲンガーというのは、

「世の中には3人はいる」

 と言われる、

「よく似た人だ」

 というわけではないのだ。

 そして、そのドッペルゲンガーというのは、

「見ると、必ず近い将来に死んでしまう」

 と言われ、それが、都市伝説の様相を呈するのではないだろうか。

 ドッペルゲンガーというものが、いかに、信憑性の高いことなのかといえば、それが、「有名人の身に起こっている」

 ということだからであろう。

 それも、一つの国だけの伝説ではなく、日本はもちろん、アメリカ、ヨーロッパと結構、話が伝わっているのだ。

 日本でいえば、

「芥川龍之介」

 アメリカでいえば、

「リンカーン」

 ヨーロッパであれば、

「エリザ別女王」

 と、結構いるのである。

 芥川龍之介などは、

「ある日、編集者がやってきて、龍之介が書いている原稿を見ようとした時、龍之介が、いきなり怒り狂ったように、原稿を破りちぎった」

 ということがあり、その翌日に自殺をしたということであった。

「その時に、龍之介が破りちぎった原稿が、そのまま机の上に置かれていた」

 ということであった、

 そこで編集者の人間が考えたのが、

「昨日の原稿を破りちぎった龍之介が、実は、ドッペルゲンガーなのではないだろうか?」

 ということであった、

 そもそも自殺をするような雰囲気があったのかどうか、それも、怪しいところだったといえるのではないだろうか。

 芥川龍之介の死に、

「どうしてドッペルゲンガーを連想したのか?」

 ということであるが、龍之介は、まわりに、

「銀座や新宿で、もう一人の自分を見た」

 といっていたのだ。

 だから、まわりも、

「ドッペルゲンガーの伝説を思い出し。すぐに、龍之介の死に、都市伝説を結び付けたのであった。

 また、リンカーンにしても、ドッペルゲンガーの関与が大きいといわれている。

 リンカーンは、狙撃されたのだったが、

「殺されるその日に、自分の秘書に対して、何か、自分が狙われるというようなウワサがないか?」

 ということを、ヒステリックになって聞いたという。

 秘書が、怪訝な表情で、

「ありません」

 というと、本当に、疑いを持った雰囲気で話をしていたというのだ。

 何か夢見が悪かったのか、信憑性のある答えを自分で導き出せないのも、気持ち悪かったのだという。

 もし、

「ドッペルゲンガー」

 という発想がなければ、

「超能力者だ」

 と言われるかも知れない。

 それだけ、

「自分の死を予言するということは、それこそ、与えられた力のある人から伝染していることであろう」

「ドッペルゲンガーというものを見ると、どうして死んでしまうのか?」

 ということは、

「時間の都市伝説」

 という解釈ができるのではないだろうか。

 それは、心理学、医学、さらに、パラドックスなどと考えられるのであった。

「そもそも、ドッペルゲンガーというものが、脳の病気だ」

 ということで、

「元々死が近かった」

 ということであろう、

 また、パラドックスとしては、

「そもそも、同一次元に同一人物がいる」

 ということが、タイムパラドックスに違反しているのではないか?」

 ということであった。

「これなら、殺されても、無理もないことであろう」

 というのは、実に理不尽だが、理由としては、信憑性があうものであった。

 そんなドッペルゲンガーというのは、

「誰の身にも起こること」

 なのかも知れない。

 有名人や著名人の逸話が、これだけ残っているということは、それ以外の一般人にないというわけはないのだ。

 しかも、一定の地域にだけ言われているものではなく、世界中にその逸話が残っているし、

「ドッペルゲンガー」

 というものに対して、人それぞれに温度差はあるかも知れないが、少なくとも、

「名前だけは知っている」

 という人が、相当数いる」

 と言っても過言ではないだろう。

 そんなドッペルゲンガーであるが、あくまでも、それは、

「世の中にはいるといわれる3人のよく似た人ではない」

 と言われるドッペルゲンガーなので、その人物は、本当に、もう一人の、

「自分」

 ということなのである。

 だから、ドッペルゲンガーの行動範囲は決まっているという。

 というのは、

「本人である自分」

 と、同じ行動パターンなのだという。

 要するに、

「本人が行ったことのない場所には現れない」

 ということで、

「海外旅行に行ったことがない人の、よく似た人が、海外にいれば、それは、世の中に三人はいるという、そっくりさんなのだ」

 ということであった。

 そもそも、もし、

「ドッペルゲンガーがいるとすれば、どっちが、本物だ」

 といえるのだろうか?

 ドッペルゲンガーはドッペルゲンガーとしての生活があるのだとすれば、そっちの世界では、

「本物:

 ということになるのかも知れない。

 しかし、ドッペルゲンガーに対して言われていることとしては、

「ドッペルゲンガーというのは、一言も喋らない」

 というではないか。

 それを考えると、

「ドッペルゲンガーに、果たしてコミュニケーション能力がないのに、彼の世界というものが、存在するといってもいいのだろうか?」

 と考えてしまう。

 しかし、それは、あくまでも、我々の次元の発想というもので、ひょっとすると、同一時間の間に、

「目には見えない、異次元というものが存在しているのかも知れない」

 といえるのではないだろうか?

 ドッペルゲンガーというものは、その世界から、フラッとこちらの世界に、はみ出してしまっただけなのかも知れない。

 そして、彼らは、しゃべらなくても、

「テレパシーのようなもので、交信することができる」

 ということであれば、それは、

「ドッペルゲンガーというものが、異次元人だ」

 ということになるのだ。

 その異次元というのは、いわゆる、

「裏社会」

 と言われるもので、こちらの世界と、

「表裏一体」

 といってもいいような構造をしているのかも知れない。

 その世界がどのような立体的な構造。つまり、文明が、こちらよりも劣っているのか、それとも、こっちの世界よりも、はるかに進んだ世界なのか、それとも、まったく同じ世界が、広がっているのか?

 それぞれに、いろいろなことが考えられるのだ。

 もし、少しでも、世界が違えば、いくら同じ人がいるといっても、

「別の次元」

 ということで、前述の、

「同一時間同一次元」

 という発想は成り立たない。

 ということになれば、ドッペルゲンガーというものを見るというのは、本当は、偶然などではなく、作為的に、向こうの世界の自分が、わざと現れているとすれば、その人は死んだわけではなく。

「魂だけ、向こうの世界に連れていかれたのではないか」

 という考えも成り立つというものだ。

 そういえば、昔のドラマで、

「特撮ブームの走り」

 と言われた時代に、そういう話もあった。

「未来の世界の人間は、開発したロボットにすべてを任せてしまい、まったく動かなくなったので、肉体が退化してしまい、肉体の衰えから、頭脳までもが、劣化していき、

「ロボットにとってかわられる」

 という世界になっていたという。

 そこで彼らは、過去の人類に目をつけて。過去の人間の肉体ほしさに。未来に伝送形式で、送信するということをしたのだ。

 当然、こちらの世界では、

「人間消失事件」

 ということで、

「神隠し」

 などと言われるようになってきたという。

 ただ、これは、タイムパラドックス的には、少し強引な話である。

 なぜなら、過去にいって、過去の人間をさらってくるのだから、

「過去を変えてしまった」

 ということで、普通であれば、

「その瞬間から未来が変わってしまい、今の自分も存在しているのかどうか分からない」

 と言われるのではないだろうか。

 だが、未来の世界と、過去の世界というのは、

「異次元なのではないだろうか?」

 という考えであったとすれば、

「未来が変わる」

 ということはないだろう。

 という考えであった。

 これも、強引な考えであるが、

「親の結婚や出産を邪魔すれば、お前が生まれてこなくなるじゃないか?」

 と言われるかも知れないが、それはあくまでも、

「科学的に、子供の身体や精神から考えると、親は、その人たちでなければならない」

 ということを前提としてのことである。

 要するに、もっと柔軟に考えると、

「もしその二人から生まれてこなくても、他の親から生まれてくるかも知れない」

 ということだっていえるのだ。

 だから、もし、自分の運命を考えた時、

「あの親から生まれたから、こんなに貧乏なんだ」

 ということになるのであれば、タイムマシンが存在していれば、

「親が結婚するのを阻止すればいいだけだ」

 ということになるだろう。

「人は生まれながらに平等だ」

 などという人がいるが、果たしてそうなのだろうか?

「生まれ落ちた瞬間から、差がついている」

 といえるのではないだろうか?

 そもそも、

「平等」

 という言葉は、そのレベルのものだといえばいいのか、なぜなら、

「生まれてくる子供は、親を選べない」

 ということだからである。

 それを考えると、

「この親から生まれてくるのを阻止したら、別の親から生まれてくることになるのではないか?」

 ということになるだろう。

 ただ、そうなると、

「もっとひどい親から生まれてくる可能性だってあるんだ」

 というリスクもあるわけである。

「タイムトラベル」

 という発想に、三つほどあるといわれる、

「タイムスリップ」

「タイムリープ」

「タイムループ」

 と言われるものである。

「タイムトラベル」

 というと、最初のタイムスリップという発想が、一番一般的な考え方である。

 これは、

「タイムマシン」

 であったり、

「ワームホール」

 というものを使って。作為無作為それぞれに、過去や未来に行けるというものである。

「過去を変えてしまうとどうなるか?」

 ということは、この、

「タイムスリップ」

 というものの発想に似ているということになるのであろう。

「タイムリープ」

 という発想は、少し違っている。

 人はたいてい、

「過去に戻れるとすれば、どこに戻りたい」

 という発想を持つことが、一度や二度あるのではないだろうか?

 この、

「タイムリープ」

 という発想は、それを叶えるというところから生まれてきたことだったのだ。

 これは、

「タイムマシン」

 などという、アイテムを使うわけではなく、

「今の自分の魂が、過去の自分に乗り移る」

 という発想で、だから、

「やり直せる」

 という考え方なのだ。

 つまりは、

「未来の記憶を持ったまま、過去に戻れる」

 ということで、少なくとも、過去に起こったことが分かっているので、そのターニングポイントも分かっているということで、

「やり直しがきくだろう」

 ということであった。

 しかし、そんなに簡単にいくものだろうか?

 そもそも、

「記憶を持っているというだけで、記憶も相当奥の方にある」

 からである。

 つまりは、

「過去に戻って、例えば、中学生くらいの自分に戻ったとして、魂が、中年くらいだったとして、身体は少年、頭は大人という、中途半端な人間が出来上がったというだけで、果たして、中学生として、おかしく見えるようなことにならないだろうか?」

 というのは、

「あいつはまるで別人になってしまったようで気持ち悪い」

 と言われて、誰も友達がいなくなってしまう可能性だってあるのだ。

 いくら、未来に続く記憶があるからといって。

「絶対

的に有利だ」

 ということになるわけはないだろう。

 それを考えると、

「タイムリープ」

 というものにも、一長一短がある。

 といえるだろう、

 いや、

「短所ばかりしかないのかも知れない」

 あくまでも、シチュエーションとして、

「記憶を持ったまま、昔の自分に乗り移るのだから、有利に決まっている」

 という発想が、そうさせるということになるのだろう。

 そんなことを考えていると、

「過去に戻りたい」

 という発想は、あまり持ちたくないと思うのだった。

 もう一つの、

「タイムループ」

 であるが、これは、かなり

「都合のいい発想」

 であり、

「やり直しが何度でもできる」

 という発想である。

 これは、前提として。

「あの時が問題だったんだ」

 と、ターニングポイントというものが分かっている場合のことである。

 それだけでも、かなり有利なのに、さらに、今度は、

「何度でも、同じシチュエーションを繰り返せる」

 という発想が、

「タイムループ」

 というものである。

 何度でもとは言ったが、制限がないわけではない。そこは、

「常識的な数字として、多くても10回というのが、いいところであろう」

 ということである。

 さらに、タイムループというのは、

「過去に、自分自身が向かうという、タイムスリップ的な発想であったり、記憶を持って乗り移るというタイムリープのようなもの、それぞれに可能性がある」

 ということのようだ。

 それは、

「仮想空間」

 としての、発想によるものなので、いくらでも、考えられるというものだ。

「未来には可能性が無限に広がっているが、それは、本当の無限から見れば、有限なのかも知れない」

 ということになるであろう。

 つまり、

「無限という言葉には、相当の幅がある」

 ということではないだろうか。

 その時に、一つ頭をよぎったのが、

「ロボット開発問題」

 ということであった。

 ロボットというものに、人工知能を持たせて、それを使って、考えた行動をするロボットというものを開発しようとした時、

「無限に広がる可能性を、ロボットがいかに判断できるか?」

 ということが問題であった。

 今であれば、

「AI」

 というものが発達してきたので、昔ほど、ハードルが高くないのかも知れないが、

「その問題をいかに解決するか?」

 ということだったのだ。

 その問題というのは、

「フレーム問題」

 と言われるもので。これは、

「次の瞬間広がっている、無限の可能性というものを、いかに、ロボットが判断して行動ができるか?」

 ということであった。

 そこで、

「可能性を、それぞれのカテゴリーに分けることで、可能性を有限にさせよう」

 ということで、

「有限の可能性というものを、フレームに当てはめる」

 という考え方から、

「フレーム問題」

 と言われるようになったのであるが、果たして、そううまくいくであろうか?

 これは、実は、

「小学生でも分かる発想で、いわゆる、算数の問題なのである」

 つまり、

「いくつかのパターンに分けるということは、割り算である」

 どういうことかといえば、

「無限から何かを割る」

 ということであるが、そこで算数の考えたとして、

「無限というものは、何で割っても無限にしかならない」

 ということである。

 確かに、

「割る前の無限と、割った後の無限とは、次元が違う発想であるが、無限であることに変わりはない」

 ということである。

 結局、当てはめたフレームの中が、無限になってしまうのであれば、どうしようもないことだといっても過言ではないのだ。

 そもそも、

「使うフレーム」

 というのも、無限なのかも知れない。

「無限から、何をやっても、結果は無限でしかない」

 ということで。それこそが、

「無限というものの恐ろしさではないか」

 といってもいいかも知れない。

 ただ、一ついえることは、

「人間にはフレーム問題はあてはまらない」

 ということだ。

 人間は意識的無意識関係なく、無限に広がる可能性を判断し、行動をしているではないか。

 もちろん、未来に不安を感じる人はたくさんいるだろうが、

「次の瞬間、何が起こるか怖くて、行動できない」

 という人は、そんなにいないだろう。

 もちろん。有事のように、まわりを包囲されていて一歩も動けないという状態であれば、未来というものが、不安でしかない」

 と思うと、

「そんな極限状態で、冷静な判断ができるかというと。難しいものである。

 だから、

「人間というのは、打たれ弱い」

 ともいえるだろう。

「疑心暗鬼」

「猜疑心」

「嫉妬心」

 などというものが、人間にはあり、絶えず、

「自分が信じられない」

 と思って行動している人が多いことだろう。

 それを思うと、

「人間には、フレーム問題というものをもろともしないという、冷静さを兼ね備えているが、逆に、どうしようもないほどの弱さというものも、兼ね備えている」

 というわけで、

「果たして、人間というものになっている自分」

 というのは、

「幸せなのかどうなのか、分からない」

 ということである。

 「輪廻転生

 という言葉があるが、

「人間に生まれ変わることができる」

 という発想も、宗教によって違うようだ、

「人間に生まれれば、何度、転生しようとも、人間にしか生まれ変われない」

 というものもあれば、宗教によっては、

「天国に行けるような、紙や仏になれるような人であるか、あるいは、地獄に行くような人は人間に生まれ変わることはできないが、それ以外は、人間に生まれ変わる」

 というものである。

 ただ、その生まれ変わる場合も、何かの意図が働いているのかは分からないだろう。

「どんな親の元に生まれるかということで、人生が変わる」

 ということもあるというが、

「親に限らず、生まれる国によっても変わるであろう」

 戦争や、専制君主の国に生まれ、奴隷同然の扱いを受けないとも限輪内というものだ。

 それだけではない。

「生まれた時は、平和な国であっても、いつ戦争が起こったり、クーデターによって、軍事政権が起きないとも限らない。時代は、同じでも、地域が違ったり、逆に、地域が同じでも、時代が違えば、まったく違う光景が、目の前に広がっている」

 というものである。

 それこそ、運であり、運の良し悪しによって、人生が変わるというのは、

「仕方のないこと」

 といってあきらめるのか、それとも、

「何かの因果が、自分のせいにかかわらず、報いてしまう」

 ということになるのだとすれば、それこそ、

「理不尽だ」

 といってもいいかも知れない。

 それこそ、

「因果応報」

 というもので。この言葉は、

「自分が悪い」

 という場合に使われる言葉であって。前世であったり、祖先という、自分とは直接関係のないことが報いとして起こるのであれば、それこそ、

「ろくなものではない」

 といえるだろう。

 自分にも、ドッペルゲンガーが存在するとするならば、輪廻転生したもう一人の自分という、

「ドッペルゲンガー」

 も存在しているのかも知れない。

 ドッペルゲンガーというものが、実は、もう一人の自分ではあるが、

「双極性のあるもの」

 ということになるのだろうか?

 例えば、まるで、

「鏡に映ったその姿」

 が、その向こう側に映っていると考えて、実は、その鏡が、

「中途半端なものだ」

 といえるのではないだろうか?

「その中途半端なところがどこからくるのか?」

 というと、それは、

「左右は対称になるのに、上下は対称にならない」

 ということである、

 これは、科学的に証明されているわけではないが、いろいろな説がある。

 しかし、そのどれもが、

「これが正解だ」

 ということはなく、どちらかというと、

「一長一短」

 であり、

「帯に短したすきに長し」

 と言ったところであろう

 ただ、問題はそこではない。

「そんな疑問に感じるのが当たり前いることであった。のことを、ほとんどの人が、これを当たり前のことだ」

 ということで、片付けてしまっているということである。

 世の中において、そういう不可思議なことは多いもので、心理学的にも、科学的にも証明されていないようなことも結構ある。

 それが、

「現象」

 であったり、

「症候群」

 と呼ばれるものであったりするのであろう。

 その代表例としては、

「デジャブ」

 と呼ばれるものである。

「今までに行ったこともないはずなのに、まるで、以前に来たことがある」

 というような心境を、ほとんどの人は、最低でも一度は感じたことがあるだろう。

 それを、

「都市伝説的」

 に考えるとすれば、

「前世での記憶がよみがえったからではないか?」

 ということと言われることがある。

 また、もう一ついえば、

「非常に似たところの記憶が、錯綜するからなのか」

 それとも、

「似た記憶というものが、何かを引き寄せるという考え方」

 であった。

 これは、今はやりというべきか、

「引き寄せの法則」

 というものが、影響しているということであれば、一つの理屈として、

「引き寄せの法則」

 というものも、その定義に一役買っているということで、

理屈としては、成り立つものだ」

 といってもいいのかも知れない。

 似たものが引き寄せるということは、自分だけの問題ではなく、

「伝説や、言い伝えにも、影響を与える」

 ということになり、それが、現代で巻き起こった曖昧なという定義を持つ。

「都市伝説」

 ということにも結び付いてくるのだった。

 一つの症候群として、

「カプグラ症候群」

 というものがある。

 これは、誇大妄想の一つなのだが、

「自分の周りの近しいひとが、悪の秘密結社によって、替え玉と入れ替わっている」

 というものだ。

 これは、

「マンガ」

 であったり、

「子供向けの特撮」

 などでよく言われるものであろう、

 その特撮番組では、

「町全体が、一つの大きな集落として、自分以外の皆が入れ替わっているという発想であった。

 しかも、それは、

「自分だけに起こったことではなく、皆に起こりえる」

 ということであった。

 これは逆にいえば、

「実際の現象というよりも、頭の中を操作されたことで、あたかも幻影を見せられたり」

 あるいは、

「集団催眠」

 というようなものに罹っているのではないか?

 という発想であったりするのであった。


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