第32話 前日譚 ─晶子⑥─
「答え合わせは満足したと?」
「えぇ、たっぷり優越感に浸らせていただきました」
話し終えると刑事は少し黙った後に「どうも」と出て行った。
その後大量失踪事件は遺体が発見されないこともあって捜査は暗礁に乗り上げ、未解決事件の一つとして加えられることになった。あの刑事は懸念材料だったけど本当に手詰まりになったのか、触らぬ神だと思ったのか、どちらにせよあの刑事は良い嗅覚と運を持っているものだと感心した。
この時の私は義理の両親も手にかける気はさらさら無かった。善性につけ込んで利用はしていたが、娘として愛情深く育ててもらった恩はある。
若さは保ちたいが両親に不審感を持たれるのは避けたいと自由に動けない歯痒さは抱いていたものの、なるべく穏便に処理できるようにとはしていたのだ。
だが父が病に倒れ、母が痴呆症になってからは事情が変わってきた。父が仕事にしている不動産や土地の管理や取引などの諸々に関しては、プロを相談役として雇うことで何とかできるのだが、問題は二人の病気の方だった。
父は末期の癌で痛みが強いらしく、現在の医療では回復の見込みは絶望的でモルヒネで痛みを緩和するだけしかできなかった。
母は記憶が徐々に抜けていき、ある日を境に私と会っても誰だと叫んで追い返そうとする。以前の母とはすっかり人が変わってしまったようだった。
最初は二人の病気に付き合っていたが徐々に疲弊が積み重なっていく。残念ながら私の持つ魔術の知識では二人を回復させてやることはできない。
このまま衰弱して死ぬまで続く痛みに耐え続けるか、あるいは死ぬまで記憶が抜け落ちて自分が誰かも分からないような状態になっていくか、私の中では答えは一つしかなかった。
深夜、密かに父の病室を訪れると私はとある呪文を唱えた。苦労して見つけてきた苦痛も無く眠るように息を引き取る魔術である。
それをかけて父の死を確認した私は、今度は母の元へ行くと同じ呪文をかけてやる。死に際の母の顔は私の知っている穏やかな顔であった。
程なくして病院により死を確認されると葬式が行われた。同日に死んだとあって葬式に参列して来た人達は「仲の良いご夫婦だから亡くなる時も一緒だったんですね」と口を揃えて言っていた。
私はこれで良かったんだと自分に言い聞かせていた。病気による苦痛や恐怖にずっと晒されるより、早々に死んでそれらから解放された方がずっと良い。
葬式を終えた私はその足で役所へと向かうと戸籍を結婚前の速水に戻した。両親が持つ全ての遺産を引き継いだ私はしばらく両親との思い出を浸りに旅に出た。
やはり歳を取ると碌なことがないのだ。私はもっと若さを維持しなければならない。病気になって痛みに苛まれるのも、記憶が抜ける恐怖に怯え続ける人生も絶対に嫌だった。
あれから年月が経ち、気付けば34歳。時折身寄りのない人間を買っては吸魂をかけて若さを維持していたが、そろそろこの肉体を捨てたくなってきた。
昌子の顔は美しいが同時に私を虐めていた女の顔でもある。捨てられるものなら捨ててしまいたい。
しかしそれをするには晶子以上に美しくて若い女の身体が必要だ。若いだけの女ならいくらでも居るが美しくなければ意味がない。
ジリジリとした気持ちを抑えながら相応しい人間を探していたのだが、幸運なことに向こうの方から来てくれた。
一目見た瞬間から欲しいと思った。目の前の京子という名の少女は孤児院を出たばかりだそうで、住み込みで働ける仕事を探しにこの屋敷へとやってきたそうだ。
面接をしてみたが一般的な常識を弁えているのも採用しやすい理由となり、益々私にとって都合が良かった。
私は直ぐに気に入り部屋を与えて新米メイドとして働かせた。控え目でよく働いて気が利き、しばらく見張っていたが手癖の悪さもないようだった。
メイドとしての能力は惜しいが私はあの瑞々しい美しさが欲しい。それに優秀なメイドが欲しいなら引き抜きをするなり紹介してもらうなり方法はいくらでもある。
私は何くれとなく気を遣ってやり、仕事に慣れてきた頃を見計らって息抜きにパーラーへと連れ出した。
初めて見るパフェに施設の兄弟に食べさせてやりたいと目を輝かせながら頬張る彼女にこう提案してあげた。
「ねぇ、貴女さえ良かったら私の養子にならない?」
「え?」
いきなりの話に呆気に取られる京子に「夫と子どもは望めなかったけど最近思うの。子どもが居たらどんなに楽しいんだろうって」と女の幸せとして子どもを欲しがる様子を演じる。
「私では年齢が……、もう少し年下の子を養子にすればよろしいんじゃないでしょうか?」
「あら?私34よ?貴女くらいの歳の子がいても不思議じゃないのよ?」
「それでも私のような人間を養子にするのは……」
京子の性格を考えれば頑として頷こうとしないのは分かっている。いつも控えめで調子に乗ることのない貴女だからこそ、この計画に必要なのだ。
「私が母親は嫌?」
悲しげに首を傾げれば慌てて否定しようとする。その瞬間を待っていた。
「なら娘になって?貴女が娘なら私とっても毎日が楽しいわ」
その瞬間に人を操る魔術を発動させる。意思に関わらず頷く京子に私は「本当?嬉しいわ!」と微笑んでみせた。
なぜ頷いてしまったのか分からず慌てているけどもう遅い。貴女みたいな人は嬉しそうにしている私に対して「やっぱりできない」なんて言える訳ないものね。
私達はその足で役所へと向かうと養子縁組の手続きをした。これで京子は私の養女となり計画は着々と進んでいった。
それから数日は警戒されないようぎこちなくも親として接する。向こうも歩み寄って来た時に私は自分だけの秘密の場所を教えてあげた。
「お母……様?ここはどこに続くんですか?」
「フフフ、きっとビックリするわ」
それは驚くでしょうね。だって玄関の柱時計に秘密の通路が隠されているなんて。しかし気負うことなく歩く私に戸惑いを見せるものの、警戒はしていないようだ。ここまでスキンシップを取っていて良かった。
地下室のドアを開けると入るよう促す。
「この部屋はね、ある学問の研究部屋なの」
「学問?」
装置に入っている複製を見られないよう、本棚の所にだけ明かりを付ける。今まで集めてきた蔵書の数々に圧倒されながら京子は背表紙を眺める。
「どれも読めない文字で書かれていて……おくさ、お母様は読めるんですか?」
「勿論、その為に勉強してきたから」
凄いと呆然と呟く彼女に実践してみせた。「例えばこんな言葉があるんだけどね」と学問を教えるフリをして精神転移の魔術をかける。
床に倒れ伏す昌子の身体には目もくれずに鏡を確認してほぅ……と溜息を吐く。これが私の新しい顔……。なんて美しいの……。
しばし美貌を堪能すると残った昌子の身体に防腐処理を施してから研究室を出る。神の生贄にはできずとも色々と使い道はあるのだ。人間の身体という物は。
「お嬢様、奥様はいかがされましたか?」
地下室に続く秘密の抜け道を閉めると私に用があったのか執事が話しかけてきた。私はすかさず記憶を書き換える魔術をかける。
「いやだわ瀬川ったら。お母様はとうに亡くなってらっしゃるじゃない」
「………左様でございましたな。申し訳ございません。奥様がいらっしゃるような気がしていたもので」
涙ぐむ執事に「私も今もそう思っているわ」と返し、用件を聞く。
その後、メイドの記憶も書き換えると事実上この屋敷の新しい主人である「速水京子」が誕生した。
私はまた新たに生まれ変わったのだ。
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