第29話 前日譚 ─晶子③─
「高そうな服着てるけどどうしたの?もしかして玉の輿にでもなった?」
「今は未亡人だけどね」
「あ、やっぱり。雰囲気も上流階級の人って感じだし」
晶子の元の苗字は「山口」である。そこから養子となって「速水」に改名し、更に結婚で「冴島」となり現在に至っている。
自分を虐めていた人間の一人など正直関わりたくないが、ここで余所余所しくしていて怪しまれるのも面倒だ。仕方なく話に付き合っていると唐突に洋子が声を潜めた。
「あのさぁ……実は私ちょっとお金が欲しくてね、援助してくれると嬉しいなぁなんて……」
コイツ、私が金持ちなのを良いことに金銭を要求してきた。図々しいにもほどがある。
何が悲しくて過去に虐めてきた人間を助けてやらなきゃならないのか。向こうが友達のよしみで交渉を持ちかけようがこっちには友情なんてカケラも抱いていない。
「ここで働いてるってことはそれなりのお給料を貰ってるんでしょ。生活に困ってるならともかく金銭的に自立してる人間を助ける必要無いでしょ」
田舎で貧乏農家をしているのならまだしもここは天下の銀座だ。相手をする客も富裕層ばかり。そういう店は接客態度も一定を要求されるが。その分払う給料も相応の額である。
第一友達なんだから助けてよなんて言い出す人間、尽くしたところで相手は受け取るだけ受け取って恩を返そうとはしない。早々に縁を切った方が得だ。
「へぇ、そんなこと言うんだぁ……」
断られて一瞬虚をつかれた様子の彼女だったが、ニタリと相手を陥れるような嫌な笑い方をする。
「確かにここお金持ちの人がよく来るし?もし晶子の向こうのご両親と偶然会ったら小学生の時ブサ子を虐めてたのうっかり話しちゃうかもしれないなー。そうしたら舅と姑との仲どうなっちゃうんだろうねっ」
「ブサ子」とは虐めに関わっていた人間が使っていた私のあだ名である。ブサイクな子だからブサ子。久子なんて贅沢な名前だとアイツらから離れられるまでずっとそう呼ばれていた。
「私を脅そうっての……?」
「そんなこと無いよ?ただお話が盛り上がってうっかり喋っちゃったら大変だなぁと思っただけだよ?」
怒りで声が低くなろうとも洋子の顔はどこ吹く風で心の中で舌打ちをする。昌子に成り変わった弊害がここで出て来るなんて。
美しい顔を手に入れて魔術研究の継続的な資金も手に入れて順風満帆だと思っていたのに、こんな女に邪魔されるなんて冗談じゃない!
「……良いわよ、ただし人の目もあるから直ぐって訳にはいかないわ。そうね……15日の夜なら渡せるわ」
「えぇー、二週間後?もっと早く欲しいんだけど」
「私のような人間が一人きりになるのって準備が必要なのよ」
立場の違いを暗に伝えてやれば忌々しげにフンッと鼻を鳴らす。15日は満月だ、その時に片をつける必要がある。
こういう人間は一度金を渡したら最後、色々と理由をつけて延々と金をたかりにくるに決まっている。だったら最初から金を払うと見せかけて始末してしまった方が手っ取り早い。
あらかじめその日に執事とメイドに暇を出しておき、指定の時間に家に来るようにと書いたメモを二回目の来店の際に渡しておく。メモを読んだ彼女はしてやったりみたいな顔していたけど馬鹿な奴。自分たち以外誰もいない場所に呼び込むってことは、いざと言う時助けを呼んでも誰も来てくれないってことなのにね。
そして約束の日時、従業員の通用門の前で今か今かと待っていた洋子に入るよう促す。
「お金は?」
「ちゃんと渡すわ。持ってくるから座って待ってて」
洋子をリビングにある一人掛けのソファに座らせるとキッチンで用意していたトレーを持って来て目の前に置く。
「それって何?」
「ウイスキーってお酒よ。水で割ると女性でも飲みやすくなるわ」
彼女の目の前でグラスにウイスキーを注ぎ、水と氷をいれる。実は水割り用の水には既に睡眠薬を溶かしておいてある。洋子を油断させる為にあえて見える所で酒を作ったのだ。
「あ、ほんとだ。良いお酒ねぇ」
そんなことなどつゆ知らず暢気にグラスを傾ける洋子を視線の端に捉えながらリビングを出た。
現金が入った封筒を持ってリビングに戻る。洋子は受け取った封筒の中身を確かめると「すごぉい!こんなに!」と興奮した様子でいそいそとバッグに入れた。
「やっぱり持つべきものは友達よね」と白々しいことを言う洋子に苦虫を噛み潰す。やはりクズはどこまで行ってもクズなのだ。コイツがいる限り私に安寧は訪れない。
途中まで上機嫌で飲んでいた洋子だが、急激に動きが鈍くなり瞼が落ちる。
「洋子?」
「………………」
呼びかけても返事は無い。やっと薬が効き出したみたいだ。近くの部屋に用意していた縄を使って身動き取れないように後ろ手に縛りあげると両脚も縛る。あとは暴れられないよう身体をガッチリと椅子に固定させ、猿轡も噛ませた。
このまま生気を吸い取るのも可能だがそれじゃあ腹の虫は治まらない。この女には誰に手を出そうとしていたのか自覚させてから殺さないと。
薬の効果が切れる頃合いを見計らって様子を見れば、目が覚めたのはゆっくりと頭を持ち上げた。
「……?……っ……!」
最初は不思議そうにしていた洋子だが、状況を理解したのか「うー!うー!」と唸りながら身じろぎする。そんなことしたって無駄なのに。
「あの頃は本当に人生に絶望していたわぁ。学校では毎日アンタに水をかけられて髪を引っ張られておまけに虫まで食べさせられた」
「……?」
あの頃の最悪の記憶をとつとつと語りだすと暴れていた彼女が動きを止める。フフ、そうよね。あなたにとっては久子にやっていたことで晶子に手を上げたことは一度もないもの。
「あの空襲でようやくアンタ達とおさらばできたっていうのに、どこまでも私の人生に影を差すつもりね」
あ、言われてる意味が分からなくて混乱してる。銀座のカフェで再会した時から貴女はずっと最大のミスを犯していたのよ。
「意味が分からないって顔してるわね?本物の山口晶子なんてとっくにこの世に居ないわよ?」
一歩一歩近づき目の前に迫ると、以前の私とは違う美しい笑みを作る。
「私は晶子に成り代わった『飯田久子』よ」
洋子の目がグワリと見開かれる。晶子の虐めをだしに金を引き出そうとするつもりが虐めの被害者本人を脅してしまうなんてね。偶然会うのは仕方ないにしても金を要求さえしなければ私の復讐心は眠ったままでいたのに。
「アンタは小学生の頃から晶子に金魚のフンのように付き従って寄ってたかっていたぶるような人間だったけど、大人になってもクズはクズのままなのね。アンタみたいなクズは居なくなった方が世の為人の為よね?」
命の危機を感じた彼女ががむしゃらに身を捩る。私は滑稽な彼女の様子を潮笑いながら呪文を唱えた。
さぞや自慢だっただろう肉感のある肢体が老婆のように萎びていく様は愉悦だった。彼女もあの二人同様にカスにすると彼女のバッグから現金の入った封筒を取り戻す。
カスは下水道に流してやりバッグは風呂敷で包むと、屋敷を飛び出してタクシーを呼ぶ。適当な所で止めてもらって風呂敷からバッグを取り出すと河へ投げ込んだ。
運が悪ければ早々に漁師の網に引っかかるかもしれないと思っていたが、間もなくやって来た高度経済成長期による水質汚染で彼女のバッグの発見はほぼ不可能となっていった。
洋子の失踪は新聞の小さな見出しに掲載されるに留まり、警察も来ないまま世間に認知すらされずに終わった。
洋子との再会は折角忘れかけていた傷を呼び覚ます最悪の出来事だった。しかしあの女のお陰で一つ気付けたことがある。今までずっと美の追求に邁進していた私だけどそれだけでは本当に心は満たされない。全ての復讐を終えて初めて私は過去の記憶から解放される。
まずは虐めに関わった全ての人間の居場所を突き止める必要がある。優先すべきは親戚一家、次に晶子と一緒に私を虐めていたクラスメイト。
勿論それだけでは終わらない、彼女たちの所業を見て見ぬふりしていたクラスメイトも担任も、全員必ず突き止めてあの頃受けた屈辱を倍にして返してやる。
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