第28話 前日譚 ─晶子②─




 上位の成績を維持し続けたまま卒業した私は見合いを経てある男性と結婚した。男は貿易業を経営していて養親が安心できるほどの資産を持っていた。


 結婚生活は良くもなければ悪くもなかった。私が結婚相手に求めた条件は思う存分魔術の研究ができる環境と経済力、彼は家を切り盛りできる能力と仕事に一切口出ししない従順さ。

 それなりに上手くいっているかと思いきや、歯車は早いうちに狂い始めた。彼が将来の跡取り、つまり子どもを欲しがったのである。


 彼は社長で跡取りを望むのは自然なことであろう。しかし私は子どもが欲しくはなかった。子を産めば体型が崩れるし、家政婦が居たとしてもどうしても子どもに割かねばならない時間は発生する。ただでさえ残された時間は少ないのに子どもにかまける暇など無かった。

 養子を取れば良いと提案したが彼はどうしても実子を欲しがった。話は平行線のまま時が過ぎ、ある日遅く帰ってきた夫のジャケットを預かると私と違う女物の香水の香りがした。


 怪しいと思い秘密裏に探偵を雇うと数日後、封筒を携えた探偵が複数の写真を広げる。そこには恋人のように腕を組んで歩く夫と女性の姿、ホテルに入って行く二人の姿があった。

 更に探偵は二人の会話を聞くことに成功したらしく、詳しい内容が書かれた報告書を見せてくれた。


『子どもはどう?順調?』

『うん、もう少しで安定期に入るって。でも良いの?奥さんいるのに子ども作っちゃって』

『問題無いさ。あいつは産みたくないって言い張るからこうするしかないし。でも戸籍上はどうしても俺と晶子の子になっちゃうけど』

『赤ちゃんと一緒に暮らせるならそれでも良いよ』

 

 夫は跡取りを得る為にわざわざ愛人を作って彼女に子どもを産ませようと画策していたのだ。

 冗談ではない。この家の財産は私のものだ。愛人やその子どもに渡すような金など一切無い。写真の中の愛人は良い服やバッグを持っていて、随分と良い暮らしをさせているみたいだ。このまま女が子どもを産めば家から出る金は増える一方である。


(愛はないけれど夫と認めていたのに……残念ね……)

 

 この時点で私の心は決まった。ただ殺すだけでは足が付く。どうせなら私の肥やしにしてしまおう。

 

 満月の深夜、車中で夢中になりながら深いキスをする二人を双眼鏡越しに見詰める。あれから探偵に追加料金を出してデートの傾向を割り出してもらい、この日を決行日に定めた。

 ドライブデートの最後は人気のない泉の畔で睦み合うのがお決まりのパターン。私にとっても都合が良い。

 出し抜こうとせず私の言う通りに素直に養子を取っていればこんなことにはならずに済んだのにね。女も安易に夫の誘いに乗って妊娠してなんかするのが悪いのよ。

 

 足音を殺して近づき、顔が分からないようストールを被って俯き車の窓ガラスをトントンと叩く。

 窓を開けた夫は顔を上げた私を見るなり「お前っ、何で此処に!?」と目を白黒させる。私は窓を締められないようレバーを抑えると呪文を唱え出した。この魔術は声が聞こえる距離に居ればかけられるのだが、念には念を入れて窓を開けさせた。


 日本語でも仕事で使う言語でもない呪文に眉を顰める二人だが効果は直ぐに現れる。


「いたっ!痛い!」

「何をする!やめろ!」


 二人は急速に老化して張りのあった肌が弛んで皺が刻まれていき、黒髪に白髪が増えていく。夫が威圧を与えて止めさせようとするが、そんなしゃがれたか細い声で言われても何も怖くない。

 そうして一切の若さが失われると今度は縮んで肌が灰色になり、少しずつ薄片が剥がれ出す。その頃には声すらも出なくなっていた。やがて全ての肉が剥がれ落ちるとシートには干からびた薄汚いカスだけが残っていた。


 ドアロックを解除して運転席側のドアを開けるとサイドブレーキのロックを外してまた閉める。窓以外を元通りにするとすぐに車から離れた。畔は泉に向かって下り坂になっているので、程なくして車輪はゆっくりと動き出す。


 車はドンドン泉へと近づき水面に投げ出されるとドボンと音を立てて水の中へと落ちる。後部座席の部分が出ているけど、かえって夫の死が世間に早く知れ渡る方が丁度良いかもしれない。その方が早く遺産を相続できるし。

 

「さようなら……」


 別れを述べてみるも特に何の感慨も浮かばなかった。一年と半年の月日を一緒に過ごした夫が死んだというのにこれっぽちも。所詮夫と言っても赤の他人、私の邪魔をする以上要らないのだ。

 家に帰った私はストールを取り払って鏡を覗き込む。

 

「ざっと二年ってとこかしら」


 鏡の中の私は高校を卒業したばかりの顔をしていた。

 

 私が二人に使った魔術は「吸魂」と呼ばれる相手の生気を吸い取ってその分自分の肉体を若返らせるものだった。

 永遠の美しさを求める私にぴったりの魔術だが、これが案外使い勝手が悪い。かける相手が力強くて体力があり、器用でいて強い精神力を持ち、美しい顔出ちの人間であれば効率が良いのだがそんな人間はほぼ居ない。場合によっては人一人の命を消費したとしても一年も若返れないのだ。


 祖父が残してくれた知識なので一応習得はしていたが使う機会は訪れないだろうと思っていた。ところが中々どうして邪魔者を消すのにピッタリではないか。骨などの遺体が残る普通の殺人と違ってこの魔術では残るのは灰色のカスだけだ。他人に見られてもまさか人間の遺体だなんて思われやしない。

 

 良い使い方を覚えた私はその日ご機嫌に眠りに就いた。そうして朝を迎えると数時間はいつも通りに過ごし、午後に警察に「昼過ぎになっても夫が帰らない」と電話をした。

 警察の前では主人の安否を心配する妻の演技をし、会社の従業員の前では「社長はきっと無事だと」気丈に振る舞うフリをする。


 捜査が進むにつれて夫に愛人が居たという事実が警察に知れてしまったが、逆に利用して探偵を雇って知ったこと、そして事件ではなく駆け落ちの可能性も考えたが、そんなことはとても口に出せなかったと悲劇の妻を演出した。

 

 そうしてある日に泉に沈んだ夫の車が発見され引き上げられた。遺体は見つからなかったが、愛人との逢引き中にサイドブレーキを閉め忘れたが故の事故と処理をされた。

 葬式では養親に慰められながら遺体の無い棺桶を前に泣き崩れる姿を見せ、周囲の人からは「可哀そうに」と言葉をかけられた。中には私が夫と愛人を殺したのだという声も上がったがそんな証拠はどこにもありやしない。だって遺体が存在しないのだから。


 会社の経営経験の無い私は養親と税理士の助けを借りながら運営の権限は経営能力に長けた人物に渡し、私はオーナーとして会社の所有権を得た。

 若くして未亡人となった私に養親は再婚を勧めたが、また愛人を持たれて辛い思いをするのは避けたいと拒否すればそれ以上は何も言って来なかった。私は以前と変わらず魔術の研究に明け暮れる毎日を送った。


 これで邪魔する者は居なくなった。そう思っていたが過去の影というものは予想外の方向からやって来るものである。


「晶子?もしかして晶子じゃないの?久しぶりー!子どもの頃から綺麗だったけどすっごく綺麗になったね!」

「え?」


 あれから一年弱、気分転換にと銀座に買い物に行っていると途中で寄ったカフェにて一人のスタッフに声をかけられた。旧友との再会を喜ぶように声を弾ませるその女は、かつて晶子と一緒になって私を虐めていた元クラスメイトの秋村洋子だった。

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