第27話 前日譚 ─晶子─
終戦から四年後、新制中学校を卒業した私はとある旅館で住み込みで働き始めた。田舎で畑を耕す暮らしは安寧を与えてくれたけれど、折角この顔手に入れたのだからもっと上を目指したいと思った。
この顔はやはり良い。年頃になって益々綺麗になったお陰か少し微笑むだけで男達はデレッと鼻の下を伸ばすし、中には内緒で小遣いもくれる人も居るのだ。
晶子の親戚には一応恩もあるので定期的に仕送りをしていたが、それでも時々ちょっとした贅沢くらいはできるようになっていた。いつまでも田舎に引きこもっていたらこんな満足感は得られなかっただろう。
私と話しをした男の中には結婚を申し込む者もいたけれど、大抵は後妻だったり二号さんになるのを望む男ばかりで、それを除けば金銭面に不自由してそうな男がばかりな結果だった。
生憎とこの顔と身体は安くはない。適当に理由を言い繕って躱しているとまたとない良物件を見つけた。戦争で子どもを亡くした金持ちの夫婦である。娘が生きていたら丁度私と同じくらいの歳らしく、それを聞いた自分は彼等に狙いを定めた。
それからは彼等が泊まるたびに媚を売り続けた。あからさまに態度には出さずに、あくまで客と従業員として距離を保つ。それでいて気配りを欠かさないように心がけた。
更に自分も戦争で親を亡くしていることをさりげなく伝え同情を誘う。勿論他の客や従業員にも適度に愛想を振りまいた。
人によって露骨に態度を変えるなんてそんな愚かなことはしない。そういうのは直ぐにバレるに決まっているのだ。
中には私を八方美人だのちょっと顔が良いからって調子に乗ってるだのやっかむ人も居たけれど、そんな人間は鼻で笑ってやった。暴力振るってくる訳でもないし、あぁやって陰口を叩くような人間は直接文句を言うような度胸すらも無い小心者だと知っているから。
そうして徐々に夫婦との仲を深めていき三つ目の季節が終わる頃、ついに「もし良かったら自分達の子どもにならないか」という言葉を彼らの口から引き出した。
「本当に私で良いんですか……?」
ここで勢いあまって「嬉しい!」とか「喜んで!」とか返事をしてはいけない。彼等の子どもになれるのは勿論嬉しいけれど……という態度を見せつつ、私なんかが本当に良いんだろうかという台詞を言う。
「何言ってるの、私達は晶子ちゃんが良いのよ」
「そうだぞ。君だからこそ家族に迎えたいと思ったんだ」
思った通り彼等は私の背中を押してくれる。後はもう心からの「嬉しい」を言えば良い。
それからは旅館で借りていた部屋の整理や諸々の処理を済ませると、殆どの従業員に祝福されつつ、一部の人間には苦々しい顔を向けられつつ、働いていた旅館を去って行った。
「ここが貴女の部屋よ」
「わぁ……素敵…………」
彼等の家に着いた時から別世界が広がっていた。畑の無い大きな庭に運転手付きの車。これから住むことになる洋風の屋敷はお洒落で大きくてバルコニー付きの二階もあって、こんな家に住めるなんてお姫様になったかのような気分だった。しかも自分だけの部屋も与えられたのだ。こんなの実の両親が生きていた頃でもなかったことだった。
部屋の中も素敵だった。まず目に飛び込んできたのは知識としてしか知らなかったベッドである。これがベッド……。小さな家では畳んで仕舞える布団が基本だから、ベッドがあるだけで広い家に住んでいるステータスになる。
天井に付けられている明かりだけでなくベッドの側にもお洒落なランプがあって、金持ちは一つの部屋に二つのランプを設置することをそこで初めて知った。
複数ある窓にはどれもレースのカーテンがかけられていて、一番大きな窓を開けるとバルコニーに続いていてそこからは庭と街を眺められた。
タンスや縦型の押し入れは服が何着も入りそうで、私の荷物は旅館で働くうちに柳行李からボストンバッグに変わっていたけれど、全部入れてもまだまだ余りそうだった。
更に窓に近い場所には新品の机と椅子があった。生家や親戚の家にあったような傷だらけで背の低い物とは訳が違う、艶があって手紙を書くだけでもワクワクするような高そうな机だった。
「編入する形になるから授業に追いつけるように家庭教師に来てもらいましょうね」
「え?」
一瞬「編入」の単語を理解しきれず頭の中が疑問でいっぱいになる。家庭教師ということはもしかして勉強をするのだろうか。
「高校に行かなきゃならないでしょ?制服の採寸も必要だけどまずは困らないようしっかりお勉強しなくちゃね」
まさか高校に進学できるとは夢にも思わなかった。金持ちの養子になって贅沢な暮らしがしたいと思っていたけれど、これは嬉しい誤算だった。
もしもあの時私を扱き使っていた親戚とはぐれていなければ今頃は適当な家に嫁に行かされていただろうし、戦後過ごした親戚の家でも高校に通わせる余裕は無いから、いずれはどこかの農家の嫁にでもなっていただろう。
それから私は頑張って勉強した。今まで働いていた時間を勉強に費やせるなんてこの時代の女にとっては最高の贅沢である。それに勉強していけばより魔術について深く理解することができる。
精神転移は時間を作って読み解いていったけれど、祖父の文章はやはり難解な部分が多く、もっと学があれば早く理解できるのにと歯噛みすることもあった。これでもうそんな悩みは無くなるのだ。
私はまだまだ高みを目指したい。魔術はその助けになってくれる。そう直感していた自分は他の子に追いついて高校に編入できた後も、上位の成績を目指して勉強を続けた。
魔術を深く理解している「魔術師」と呼ばれる存在は、その知識と技術を持って自分だけの魔術を構築させる研究もしているそうだ。私は魔術の勉強も沢山して魔術師となったあかつきにはより己の美を高める研究をしたかった。
この顔も充分美しいけれどまだ足りない。それにどんなに美しい顔も老いと共に衰えてゆく。そんなのは嫌だ、折角美しくなったっていうのにたった10年かそこらで損なわれるなんて。だからそうなる前に何としてでも美しさを維持させさせたかった。
「晶子ってよく勉強するわねぇ。もっと遊ばないの?」
ある日クラスメイトにそう聞かれたことがあった。彼女は裕福な家の出で、私のように高校に進学できるかも分からない人間の気持ちが理解できないのだろう。富裕層の子が多いこの学校では高校への進学は当たり前という空気が漂っていて、私のようにがむしゃらに勉強する生徒の方が珍しかった。
「読みたい本が難解な本ばかりでね、勉強しないと中々読み解けないのよ」
「えー?それって外国語の本とか?」
嘘は言っていない。魔術書はどれも希少で高価なばかりでなく、内容が理解できる程度の知識と知力が求められる。入手自体は養親の伝手と貯めた小遣いでどうにかなるだろうが、読んだ時に自分自身で理解できなければ全く意味が無いのだ。
「学歴なんて縁談に有利になるくらいのものしかないのにぃ。どうせ結婚したら勉強したことなんて使わないし」
感心している彼女に私は何と返しただろうか。
ぼんやり生きているから駄目なのだ。ぬるま湯みたいなこの場所ではそんな生徒が多過ぎる。そんな人間は何も成さず、ただ流されるままに時間を消費して気付けば白髪交じりになってゆくのだ。私はそんな人間になりはしない。
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