第25話 前日譚 ─飯田久子─
昔から自分の顔が嫌いだった。こんな顔に産んでおいてあっけなく死んだ両親も嫌いだった。
「ブスなんかが学校に来るんじゃないよ!」
「ホント!アンタの顔を見てるだけで気分が下がるんだけど!」
来る日も来る日も学校で同級生から罵倒され虐められる毎日。これじゃあ勉強しにじゃなくて虐められる為に学校に来ているようなものだった。
「アハハ!あんたみたいなどブス、私達が構ってあげてるだけ幸せだとでも思いなさいよ!」
その中で一番綺麗な顔の晶子がキャハキャハと見下し切った目で嗤う。自分の顔を鼻にかけるような性悪のくせして、そいつのことが好きな男子が居るという事実に反吐が出そうだった。世間は所詮顔しか見ていないのだ。
私だってわざわざ虐められに学校なんて行きたくない。でも親戚に言ったところで「そんなことは関係ない、お国の為に学校に通え」と一蹴されるのがオチだった。
家に帰っても心が休まる時間は無い。家事に親戚の子どもの世話とあくせく働かなければならないし、帰ったら帰ったで今度は同い年の従兄に虐められる。
「うわっ!今日こそブスの顔見なくて済んだと思ったのに見ちまった。最悪」
「ブスがこっちに来るんじゃねぇよ!折角の飯がマズくなるわ!」
親は注意すらしない。それどころかこちらがちょっとでも口答えしようとすれば直ぐに「世話になってる身のくせに生意気言うな」と注意してくるし、事あるごとに「こんな顔じゃあ農家に行っても食べ物融通してもらえそうにない」と下卑た顔で嗤ってくるのだ。
お父さんが戦地で撃たれていなければ、お母さんが空襲の火事に巻き込まれて焼け死んでなければ私は家に居る時だけは安心できていたのに。何が「綺麗に産んでやれなくてごめん」だ。抱きしめたところで私の顔は変わらないし、責任も取らずに逝ってしまったくせに。
大人になった後もこんな地獄がずっと続くのかと思っていたが、意外なところで人生は変わった。祖父が死んでからずっと一人で住んでいた祖母が死んだ際、遺品整理の手伝いをしていたら黒い革の手帳を見つけた。
捲ってみると祖母の字とは違う字で書かれていて、これは祖父の手帳なんだなと思った。そこで見つけたのだ、人生を逆転させる不思議な魔術を。
それは他人の身体を乗っ取る「精神転移」という魔術で、相手の精神力と戦う必要があるが、一度相手の精神に勝てば決して解けない魔術だった。
科学とは全くの対照的な、今の時代に相応しくない技術だけど読んだ瞬間にこれは本物だと確信した。その時の興奮といったら言葉を尽くしても表現しきれない。病気以外に身体が熱くなるなんてことあるんだと子どもの頭で感じていたのを覚えている。
「久子!何してるんだい!」
おばさんの声が廊下から聞こえて私は急いで手帳を懐に隠す。部屋を覗いたおばさんはまだあちこちに物が散乱している状態を見て「まだそんな状態なのかい!グズなんだから!もうそこは良いからこっち手伝ってよ!」とお決まりの貶しを交えながら偉そうに命令してきた。
でもあの時の私にはおばさんの罵倒は全く気にならなかった。こんなのは初めてで、私の中で重い枷となっていた大人の言葉が案外取るに足らないものなのだと新しい見解を得た瞬間でもあった。
祖父の黒い手帳を一番最初に見つけたのが私で良かった。もし親戚だったらこの価値が理解できずにきっと捨ててしまっていただろうから。
それから私はこの魔術を習得しようと没頭して読み込んだ。手帳には他にもいくつか魔術が載っていたけど真っ先に習得したいと思ったのは「精神転移」だった。だって理想の自分になれるってとっても素敵だから。
あの日までどんなに行きたくなくても行かざると得なかった学校を、あっさりサボって登校するフリをしてちょっと離れた空き地で手帳を開く。それが続いて学校から連絡が来て、怒ったおばさんからご飯を抜きにされたけど、空腹を忘れて魔術を自分のものにする練習を続けた。
大人の言葉に従うかどうかは自分で決める。これも新しく身に付けた価値観だった。大人なんてのは単に自分を偉く大きく見せるのが上手いだけで、実際は大したことなんかないのだ。
現におじさんは自分は一家の大黒柱だなんて豪語しているけど、よく観察してみれば身体が弱くて兵隊になれないから周りの人に「能無し」と陰口を囁かれているし、おばさんだって自分に偉そうに命令するけど近所の気の強いおばさん相手には肩を縮こまらせている。
前の自分はこんな取るに足らない人達の言うことをいちいち気にしていたのかと馬鹿らしく思えてくる。流石に何度もご飯を抜きにされたら身体が弱ってしまうから仕方なく授業は受けたけど。
学校に通えばもちろんアイツらからの虐めは受ける。でも前と違って報復する手段を持っている私はそれほど辛いとは感じなくなった。寧ろされたことを日記に書き込んで、どうやってこれより辛い目に合わせてやろうか考えるのが楽しみになっていた。
そうしていよいよ精神転移の魔術を完璧に覚えると昌子が一人になる機会を待ち続けた。
性格は最悪だけどどうせみんな外面しか見ていないのだ。だったら私が昌子に成り変わったって何の問題も無い筈だ。それにあんな性悪居なくなった方が世の中の為になるだろうし。
だけど昌子の傍にはいつも金魚のフンのようにくっ付いている取り巻きが居て、中々一人でいるチャンスが巡って来なかった。
精神転移を行うと前の身体は抜け殻のようになる。つまり死んだようにしか見えなくなってしまう。
もしアイツらが私を虐めている最中に精神転移をすれば暴行が原因の突然死として騒動になってしまう。そうなれば折角晴れて晶子に成り代わったってのに、イジメの首謀者として槍玉に挙げられて新しい親に怒られる羽目になってしまう。被害者は私だってのにそんな馬鹿馬鹿しい事態になるのは避けたかった。
悪運の強い奴め、なんて苦々しく思いながらそれでもチャンスはきっと来るとジッとしていると、あの大空襲が起きた。
夜中に突然爆音が響いて慌てて飛び起きると、空襲の際にいつでも持ち出せるよう用意しておいた柳行李に手帳を入れて家から飛び出した。あちこちに上がる火の手の所為で辺りは昼間のように明るくて、荷物を抱えた沢山の人達がこの辺りにこんなに人が居ただろうかと思うほど道を埋め尽くしていた。
「ボサっとするんじゃないよ!早く車を押しな!」
大八車に荷物を乗せていたおばさんが唾を飛ばして命令してくる。私は柳行李を車の空いていた場所に乗せて後ろから大八車を押していった。
おじさんが持ち手を掴んで車を引き、大きな荷物を背負って赤ん坊を抱えたおばさんが横を歩く。まだ小さかった親戚の男の子と女の子を荷台の後ろに乗せて、私と従兄が後ろで車を押しているような状態で火で明るい道を進む。方向からして橋を目指しているようだった。
しかし途中で風に乗ってやって来た火の粉が大八車の荷物に燃え移った。急いで手で払おうとしたが、次から次へと火の粉が付いてあっという間に車全体を覆い尽くした。
親戚の子が叫びながら車から飛び降りて、私は慌てて自分の柳行李を車から降ろす。荷物を抑えていた紐が解けて親戚達の衣類が風に舞って飛んで行くのを目で追っていた。
その時におばさんの尋常じゃない叫び声と、おじさんが「フミ!」とおばさんの名前を呼ぶ声がした。火はおばさんが背負っていた荷物にも付いていて大きく燃え上がっていた。
おばさんは「あつい!」「助けて!」と叫びながら腕に抱えていた赤ん坊を火から遠ざけようとする。おじさんがひったくるように赤ん坊を受け取ると、おばさんはようやく燃えていた荷物を払い落とせた。
おばさんは背中に大きな火傷を負った。痛さに呻くおばさんに従兄は、辛うじて残っていた手ぬぐいを近くにあった井戸で濡らして背中に当てていた。
荷物の大半を失った私達は歩いて避難することになった。小さい子達が歩き疲れて足が止まりそうになるのをなんとか宥めながら、橋のたもとにさしかかろうとした時だった。
橋は自分達と同じように向こう岸へ渡ろうと考えた人達でごった返していて、気が付いたらどれが親戚なのか分からなくなってしまった。
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