第22話
目蓋越しでも感じる光が収まったと同時に顔を上げると、ナイフ片手に悶えている女に体当たりで壁際へと吹き飛ばす。女の背中がポッドのガラスに当たるのが視界の端に見えた。
急いで御園さんが寝かされている台に近づき、少しだけ彼女には我慢してもらって彼女を台の端に寄せると持っていた移乗シートを広げる。台を挟んだ反対側に来た赤石さんが彼女の腕に付けられている管を慎重に抜き取った。
「せーのっ!」
お互いの口の動きと身振りだけで息を合わせると二人で御園さんを持ち上げて移乗シートの上に乗せる。
その動きで御園さんの閉じられていた目蓋がピクリと動いてゆっくり開かれる。良かった起きたんだと安心したのもつかの間、彼女は手足を振り乱して滅茶苦茶に暴れようとする。
貧血で弱っているからか力はそんなに強くないけれど、これじゃあ運ぶのが厳しくなる。
彼女の口の動きは「止めて」と「助けて」を繰り返している。多分悪夢と現実がごっちゃになっているんだ。
「御園さん!御園さん!俺達です!米田です!助けに来ました!御園さん!」
赤石さんも彼女の身体に負担がかからないよう抑えながら必死で呼びかける。途中で彼女の手が自分の頭の横に当たって片方の耳栓が取れてしまい、その途端に御園さんの叫び声と赤石さんの呼びかける声が入って来た。
女が起き上がって再びナイフを振りかざしてこっちに駆け寄ってくるのが赤石さん越しに見える。スプレー缶を使い切ったのか、投げ捨てたみちるさんがネットランチャーを取り出して女に向かって発射させる。広がった網が女を捕らえて包み込む。
俺達の声かけに暴れていた御園さんが止まってようやく目が合った。彼女の正気に戻った瞳がしっかりとこちらを認識して唇がモゾリと動く。
「赤石さん……?米田……くん……?」
呼んでくれた。彼女が俺達の名前を呼んでくれた。俺達だと分かってくれた。それが嬉しくて何度も頷いた。
「そうです!米田です!あともう少しですよ!」
「頑張ったね!そのちゃん!もう大丈夫だからね!」
そう言うと御園さんは安心したように笑って目を閉じた。恐らく安心して気が抜けたんだろう。彼女の身体がズレないようシートにしっかりと乗せて肩かけベルトに身体を通す。御園さんを運び出す準備は整った。
網から逃げようとする女に斎藤さんがフラッシュライトを当てる。しかし敵も同じ手は何度も食らわないのか女は目を閉じてやり過ごした。
女は網を取るのを諦めたのか、奇声を挙げてそのままこちらに向かって来る。危ない!女はナイフを持っている。もし刺さったとしたら大怪我は免れない。
斎藤さんが俺達の前に出て女の両腕を掴む。女は彼女の拘束を振りほどこうと力を籠める。
このままじゃ斎藤さんが危ない。首に当たる紐の感触を思い出した俺は咄嗟に首から下げていたホイッスルを手に取って口に咥え、耳栓が取れた方の耳に指を入れて抑えると揉み合う2人に向かって思いっきり吹いた。
大音量の中、耳栓を付けていない女が怯んだのか、斎藤さんが押している。俺は赤石さんの顔を見ながら2人の方を指差して、彼女の加勢に入ってもらうよう伝えようとした。
女の口が動いて。明らかに日本語じゃない言葉を呟く。あれはきっと呪文を唱えているんだろう。阻止しようとしたみちるさんが女の口を塞ごうとし、ナイフを持っていない方の腕を掴んだ。
それで力の拮抗が崩れたのか斎藤さんが少しよろけてしまい、その隙を目敏く見つけた女が目の前の邪魔を排除しようと、ナイフの刃先を斎藤さん目掛けて振り下ろそうとする。
それに気付いたみちるさんが咄嗟に女の口を塞いでいた方の腕を伸ばしてナイフを持つ腕を止めようとする。それでも振り下ろす勢いは止まらない。
体勢を立て直した斎藤さんが顔を上げるが、刃先は僅か彼女の数センチまで迫っていた。
女がニヤリと嫌な笑みを浮かべる。鳥肌が立った俺はもう一度ホイッスルを思いっきり吹いた。
女が怯んだ隙を突いた斎藤さんがナイフごと女の手を掴む。しかし勢いが余ってしまったのか全員倒れ込んでしまった。
「みちるさん!斎藤さん!」
俺は叫んだ。どうしよう、もし何かの拍子に2人が刺されてしまったらと嫌な汗が流れる。
二人はすぐに起き上がった。しっかりとした足取りでホッとしたのだが、その直後の光景に自分でも息を呑んだのが分かった。
「あ!」とみちるさんが自分達が倒れた方を見て叫ぶ。二人に怪我は無かったが女の腹にはナイフが深く刺さっていた。
両手を血で真っ赤に染めた斎藤さんが呆然と「あ……ちが、違うの……」と繰り返す。恐らく倒れた時に刺さったんだろう。
その瞬間、女の美しい顔はたちまち薄毛が目立つ頭とほうれい線が深く刻まれた全体的に肉が付いた中年の男の顔になり、身体も女性なら殆どの人間が羨むであろう細さとグラマラスのバランスが取れたラインが一気に崩れて腹が目立つ身体になった。
一瞬で縦にも横にも大きくなったことで、着ていた服がビリビリと破れてボロの布切れを引っかけているだけの状態を化してしまう。
「あ…………ぁ…………」
漏れ出た声もすっかり聞いただけで麗しさを感じさせる美声から極普通の男の声に変わってしまい、美女の面影はどこにも無い。
自分の身体を見下ろして肉体が変化していく様子を見ている女の瞳は傍目から見ても絶望しているのがよく分かってしまった。 全身をガクガクと震わせて目はこれでもかと見開かれ、それでいて瞳から光が失われていく。
そうだ。あの魔術は少しでも身体が傷付けば元の身体に戻ってしまうんだった。
突然美女の姿から急激に中年の男に変わった瞬間を見てしまったみちるさんが「きゃあ!何これ!?」と叫び、斎藤さんが「いやぁああああっ!!」と絶叫する。
「違うの!私、あの人を二回も殺すつもりは……!」
「大丈夫!斎藤さんは殺してなんかない!」
彼女が耳栓をしていることも忘れて精一杯声を張り上げる。いつの間にか耳栓を取っていた赤石さんが彼女の傍に駆け寄って耳栓を外してあげると、肩を寄せてこの場から離れさせながら呼びかけた。
「今のは事故だ!それにあの人を殺したのは美人さんだ!美人さんが乗っ取っていなかったら今頃あの人もこんな風になってなかった!」
赤石さんの呼びかけのお陰で自暴自棄は避けられたが、彼女の混乱は治まりそうにない。
自分達は御園さんを助け出すのが目的で女を倒すのは目的じゃなかった。体を乗っ取る魔術さえ封印してしまえば女の企みは破綻する。あとは拘束して警察に誘拐犯として突き出そうとしていただけで、こんなことは望んでいなかった。
警察、いやそれよりも救急車。そう思い震える手でポケットのスマホを取ろうとしたが、それよりも先に中年の男の姿に戻った女が起き上がり出した。
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