第16話

 だって犠牲者の姿があんなんじゃ誰も遺体だとは気付いてくれない。遺体が出なければ事件にもならない。そうやってずっと女は巧妙に罪を逃れていたのだ。

 

 しかも自分に対して心を砕いてくれた執事や家政婦に対しても都合が悪くなれば若さの糧にして殺したのだ。

 それでいて罪悪感を全く抱かず、生活が不便なだけだとしか感じない神経が理解できない。家電が壊れたのとは訳が違うのに。いや、女にとっては自分以外平等にそうなんだろう。


(そうか、だから屋敷に鍵がかかっていなかったのか……)


 考えている途中でふと気付いた。さっき屋敷の鍵が開いていた理由が分からず、もしかして罠なんじゃと戦々恐々としていたけど、真相は至極簡単な理由だった。

 執事も家政婦も殺害したことで女が外出した際に鍵を閉める人間が居なくなったからだ。こんな立派な屋敷を構える家主がわざわざ出かける時に鍵を閉めるなんてことはしない。それは執事や家政婦の役目だから。


 皮肉なものだ。本人にとっては邪魔な人間を始末した所為で、今はこうして俺達の侵入を許して情報を探られる隙を見せてしまったのだから。


「あ、結構時間が経ってる」

 

 赤石さんが腕時計を見ながらそう零す。自分もスマホで時間を確認すると、調べ物をしてるうちにあっという間に30分以上経過していた。

 

 向こうからは特に連絡がないので多分大丈夫だと思うが、念の為倉庫に向かう傍らみちるさんに電話をかけることにした。

 数コールの後に「何かあった?」と少し焦った声が聞こえる。俺は特にアクシデントが起きている訳ではないが、調べ物に思った以上に時間がかかってるので悪いけれどしばらく待ってほしい旨を伝えた。


「そっちは何かありました?」

『今のところは何も。友香も今はちょっと涙ぐんでるけど最初よりは大分落ち着いてる』

「ありがとうございます。なるべく早く済ませるんで待っててください」

『うん、無理しないで』


 電話を切ると周囲を警戒していた赤石さんに「斎藤さん落ち着いたそうです」と伝えると「そっか、あそこで離脱させといて良かったね」と溜息混じりに呟いた。


 あの灰色の遺体を見たのも魔術の記述を見たのも俺達で良かった。もし斎藤さん達が屋敷の探索の時に西側を選んで灰色の遺体を見たとしたら、うっかり知らずにあの魔術の情報を共有してしまったかもしれない。

 ただでさえ逃げ出した罪悪感でメンタルが弱ってるのに加えておぞましい事実を知ってしまったら……。それ以上は考えたくない。


 それに人身売買やら魔術の悍ましい面やら、ショッキングなことは女性陣には見せられない。いや決して彼女達が弱いという訳ではないが、吐き気を催すほどの事実を知っているのは、自分達だけで良い。

 

 倉庫は家政婦が几帳面だからか割と整頓されていた。そこから雑巾とゴミ袋、ついでにゴミ拾い用のトングを拝借して玄関ホールの柱時計から研究室へと戻る。勿論柱時計の位置は元に戻して。


 戻った瞬間に鉄臭さと、加えて自分達が出してしまった吐瀉物の酸っぱい臭いが気持ち悪さを更に増大させる。俺達はなるべく息をしないよう素早く掃除に取りかかった。

 

 食事をしていなかったのは幸いだった。吐き出したものは胃液と飲み物だけで掃除は割と直ぐに済んだ。使用済みの雑巾を全てゴミ袋に入れて収集場に持っていくとして、調査の続きを再開させた。

 本当は酸っぱい臭いを消臭したかったが、消臭スプレーの類は無香料タイプが無くて諦めた。今は残り香さえも不安要素だ。


 さっきは気持ち悪さが勝って途中で読むのを中断してしまったが、魔術のまとめはあの後も続きがある。またあれと匹敵する、もしくはそれ以上の悍ましいものがあるかもしれないが、敵がどんな手を使ってくるか知らなければ助けられる人も助けられない。


 俺達は覚悟を決めて一緒にノートを覗き込む。そこには今までの謎の根幹を成す記述があった。

 続きには「精神転移」と呼ばれる、魂を交換して永遠に相手の身体を乗っ取る魔術と、死んだ人間そっくりに姿を真似する「似姿の利用」という魔術の記載があった。

 それを見てどこかで読んだ漫画の記憶が過ぎる。


「漫画なんですけどこういうの読んだことあります。自分のクローンを作って老いた時に若い肉体に精神を移し替えて疑似的に不老不死を得ているっていう女の話」

「知ってる。女は人間の青年と宇宙を飛べる鳥の間にできた子なんでしょ?だからその知識を最初から持っていたって」


 あぁ、あの漫画だったか。思い出した。だとしたら確かめなきゃならないことがある。


「そうだ、天井の下敷きになってる身体。頭がどうなってるか見ました?」

「そういえば見るの忘れたね」


 グロい光景で頭を揺さぶられてすっかり肝心なことが抜けていた。もし逃げられなかったらしい中年の男が本当にグルだとして、女の脳をクローンに移し替える手術を施したなら、天井の下敷きになってる方の身体は頭を切断して脳を取り出した痕跡が残ってる筈だ。

 

 気は進まないが確かめないとどうにもならない。俺達は血の臭いを吸い込まないようハンカチで口と鼻を覆うと凄惨な場所へと近寄る。

 季節もあって腐敗が進んでいるが輪郭はなんとなく判別できる。思わず背けそうになるのを我慢して女の頭部を観察してみると、切断された形跡は無かった。髪がすっかり抜け落ちて露出した頭皮の輪郭は丸を描いている。


 念には念を入れて本当はやりたくないが、ゴミ用のトングを使って死体の頭部をそっと触ってみる。頭部がズレる様子はなく、切断して脳を取り出した後で頭蓋骨を元の位置に戻したという線もこれで消えた。


 すぐさま離れて息を整える。正直吐いてしまえればどんなにか楽だろうが今はやり過ごすしかない。

 

「頭、切れて無かったね」

「はい……きっと脳みそもあのままですね」


 中年の男はグルではなかった。ならなぜ彼は逃げられなかったのか。答えは既に女の日記にあった。

 「私の身体」だの「私の顔」だの、この身体はどうのこうのだの。


「……これって死ぬ間際にあの男性の身体を乗っ取ったってことですよね」

「なりふり構ってられなかったんだろうね。でも自分の顔にすっごい自信を持っていた彼女にとってはやむを得なかったとはいえ、相当な屈辱だったってことだ」


 クローンは爆発の衝撃でどれも無残な状態の中、使うとしたら御園さん達や自分が攫って来た人から選ぶしかない。その男性はたまたま女が生き残る為だけに選ばれてしまったのだ。

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