第15話
ノートの表紙に「魔術一覧まとめ」と書かれたそれを捲ってみると、巷に溢れているオカルト雑誌とは一線を画した不可思議な呪文の数々がまとめられていた。
しかもその中の数種類の呪文にひどく心当たりがある。
聞かせた人間に己を自分の求める全てだと信じ込ませる呪文の歌と、特定の出来事を覚えていることができなくなる呪文の説明を穴が開くほど読む。
なぜマスターは歌を聞いただけで女に意のままに操られたのか、なぜその間の記憶を失っていたのか、これで全て分かった。
魔力の籠った歌で彼を魅了して操り、後に「自分が御園さんにしていたことを忘れろ」などの命令をして記憶を消したんだろう。
普通なら魔術なんて非科学的なものは鼻で笑って終わりだが、これまでこの目で見たものの数々があり得ないことなど無いと否定する。
何て恐ろしいのだろう。操られていた間の記憶さえも無くしてしまえば、当たり障りのないことしか言えないではないか。だって自分は何もしていない記憶しかないのだから。
今回は斎藤さんが御園さんと会う予定があったから、あの供述はおかしいと気付けたが、もしそうでなかったらと考えるとゾッとする。
女の敗因は防犯カメラの存在を意識していなかったことだろう。
警察が来る前で本当に良かった。もし街中の防犯カメラの映像とマスターの証言が合わないということで共犯者の容疑がかけられていたら、下手したら逮捕されていたかもしれない。
マスターから見たら自分は潔白なのにカメラの映像は共犯者だと突き付けて来る。それを見た直後に女に協力していた記憶が甦る。こんな怖いことは無い筈だ。
ドラッグの類いを盛られなかったのは不幸中の幸いだが、女が扱うものは遊びの延長のようなまじないじゃなくて本物の魔術だ。いくら病院の検査で正常だと診断されても魔術の影響が完全に抜けたのかまでは判断できない。
また何かの拍子に操られるのかもしれないと思うとゾッとする。
不安に駆られつつも読み進めると、そんなのは序の口だとばかりに胸糞悪い記述が目に飛び込んで来た。それは「吸魂」と呼ばれる満月の夜に犠牲者の生命力を吸い取る呪文の説明であった。
効果のほどは犠牲者によって異なり、仮に筋力が強く豊富なスタミナを持ち、頭二つ分飛び抜けた身長と誰もが見惚れるような美貌、そして生まれながらの職人のように器用な人物から吸い取ったのであれば効果は高く、反対に自力で立ち上がれず、貧弱で子供のような背丈しかなく、誰もが目を背けるような醜い容姿、人より数倍不器用な人物から吸い取ったのであれば効果は低くなるらしい。
そしてこの魔術の最大の特徴は、犠牲者は全ての生命力を吸い取るられると、最後は灰色の薄汚いカスに成り果ててしまうということだった。
俺はそれを呼んだ瞬間、突然水を浴びたように背筋が震えた。体中鳥肌が立って呼吸がハッハッと浅くなる。
屋敷の食堂で見た灰色のカスが頭を過ぎる。埃と違って不自然に降り積もっていたあのカスを。
そして女の日記にあった「あの二人に不審がられている。丁度あと数日で満月だ」の記述と、履歴書の「処分済み」の赤文字。
あのニ人は単に殺されただけでなく、この魔術の犠牲になったとするならば……。
そこまで考えて、胃から急に何かがこみ上げて来て耐え切れずに吐き出してしまう。痕跡を残せば敵に侵入したと悟られると、頭の冷静な部分が注意するがそれに構ってはいられなかった。
自分はアレに何と言っていた?「気持ち悪い」と言ってしまったんじゃないか?知らなかったとはいえ何の罪も無いのに悲惨な末路を迎えてしまった人に対してなんてことを。
遺体の尊厳まで傷付けてしまった事実に体中かき毟りたい気分だった。全てが悍ましくて気持ち悪かった。もう何に対して嫌悪を抱いているのか頭も心もグチャグチャで訳も分からず叫んでしまいたかった。
でもそれだけはしてはならないと本能がブレーキをかける。そうしてしまったらきっと何もかも全部投げ出して逃げ出して、もっと後悔する羽目になるから。それだけは何としても防がなければならなかった。
口に残る酸っぱい臭いが不快だが、グッと歯を食いしばって心の中で「負けるな」と繰り返す。腕をギリギリと抓って折れそうな気力を痛みでどうにかしようとした。
どのくらいそうしていただろう。ほんの数分かもしれなかった出来事が、今の自分達には数時間にも感じられた。沸騰しそうだった頭も、何もかも放って走り出してしまいたい衝動もようやく治って、伏せていた顔を上げる。
赤石さんも落ち着いてきたようで自然と目が合った。
「ひどい顔っすよ……」
「そっちこそ、王子様みたいなキラキライケメンフェイスが台無しよ」
不意打ちの軽口にフフッと笑い声が自然と溢れる。自分がこんな酷い状態でも人を笑わせようとするあたり赤石さんらしい。お陰でちょっとだけ元気が出た。
「まずは汚しちゃった所、掃除しなきゃね」
「そうっすね」
復活してまずは自分達が汚した所の掃除に取り掛かることにした。
万が一女が戻って来た場合、自分達の痕跡が見つかるのは非常にまずい。屋敷の倉庫を漁れば掃除用具の一つやニつは出てくるだろう。
俺達は外で待ってる二人に心配かけないよう、さっき斎藤さんから聞いた庭からとは違う方の階段から研究室を出る。
一般的な物より幅が狭いドアを開けると、屋敷の玄関ホールに出た。ドアがやけに分厚いなと思っていたらドアの正体は玄関ホールに飾られていた柱時計だった。
あれは単なる時計の役割だけでなく、秘密の地下への入り口を守る扉の役割も負っていたのだ。
こんな仕掛けを作ってまで速水京子、いや速水舞は己の美と若さに拘っていたということか。
人身売買の明細書では買われた人間は比較的年齢が若く健康状態も良好だった。警察に目をつけられない方法で定期的に人を買っては魔術で生気を吸い取って若返っていたのだろう。こんなのまるで現代の血の伯爵夫人、エリザベート・バートリーみたいだ。
あれは若い処女の血を浴びれば永遠の若さを保てると妄想した故の暴走だけど、女が使っているのは多分本物だ。それだけに余計質が悪かった。
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