第8話
一般家庭サイズの冷蔵庫を開けると、消費期限が今日や明日に差し迫っている冷蔵品が入っていたり野菜が少し萎びていた。
この日に消費しようと思って買っていたということは、家政婦もしくは家の人全員が本人の意思とは関係なくここには居ないということになる。
他にも乾燥して少し硬くなってしまったパンや買ったばかりの小麦粉などが所在なさげに置かれていた。
欲しい情報は得られなかったが、冷蔵庫の中の食材や調味料の量からしてこの屋敷に住んでいるのは三人、多くて四人ということは推測できた。
食堂は粗方見終わり二階へと上がる。最初に入った部屋は誰かの寝室らしき部屋だった。立派な机にベッド、衣装箪笥にラックと明らかに他の部屋よりも豪華だから主人の部屋だと分かった。
「何にも無いねぇ」
「そうですね、食堂の椅子も一脚しかありませんでしたし、独身なのは間違いなさそうですね」
衣装箪笥にも机に取り付けられている引き出しにも何も入っておらず、ラックにはその人の趣味の物や時計さえ置かれていなかった。
部屋自体はあるのに主は居ない。以前はどうか知らないが、女は今は独身のようだ。
この部屋で得られそうなものが無い以上、長居は無用だ。早々に次の部屋へと移動した。
本命ともいえる女主人の部屋には、思った通りつい最近まで使われていた形跡があった。
ベッドは朝起きた状態のままベッドメイクされておらず、ソファもクッションが雑に置かれている。男主人の部屋には無かったエアコンが設置されていて快適に過ごせるようになっているし、何より部屋がグチャグチャだった。
恐らく一回袖を通しただろう服がソファや椅子などにかけられていて掃除されていないのが丸わかりだった。
待てよ?だとしたら先に掃除してくれる人が居なくなって、次に家主の女が屋敷を留守にしたのか?
それが何に繋がるのか今は置いておいて、早速情報が無いか調べることにした。女の単独犯なのか、それとも家政婦らも共犯なのかここを調べれば分かる筈だ。
俺は机を、赤石さんは本棚に目を向ける。机の引き出しを開けてみると二枚の履歴書が入っていた。一枚が男性、もう一枚に女性の顔写真が貼ってあって、順当に考えるなら執事と家政婦だろう。
履歴書には二枚とも名前などの個人情報が書かれている欄に、大きく赤ペンで「処分済み」と書かれていた。解雇済みなら分かるが処分済みとは人を物扱いしているみたいで気分が悪い。
更に引き出しを漁ってみると探偵からの調査結果の資料が見つかった。表題は「御園ありさに関する身辺調査」と書かれていて、封筒を開けると沢山の隠し撮り写真と一緒に彼女の名前や住所、仕事先、家族構成だけでなく普段の行動パターンなども事細かく記載された資料が入っていた。
あの謎の美女は探偵を使ってまで彼女の近辺を探っていたみたいだ。
だから彼女の行きつけのカフェが分かったのか。そしてマスターを何らかの方法を使って操り、誘拐の共犯者に仕立て上げたという訳らしい。
「そっちはどう?僕日記っぽいの見つけたんだけど」
「ミステリーやホラーには定番だよね」と赤石さんが少し興奮した様子で声をかけてきた。
振り返ると、彼が本棚から豪華な装丁の本を持って来ているのが見えた。どうやら本棚で見つけた物らしく、こんな高そうな日記帳を使うなんて持ち主はほぼ間違いなく謎の女だろう。
「こっちは雇い人らしき人の履歴書と探偵の調査資料を見つけました」
俺は見つけた物を見せながら雇い人は解雇済みであることと、探偵を使ってまで彼女の近辺を嗅ぎまわっていたことをかい摘んで説明する。説明を聞き終えた赤石さんが眉を顰めて「何だか彼女すっごいそのちゃんに粘着してるね」と、優しい赤石さんにしては珍しく嫌悪感を隠そうともしなかった。
それは自分も同じ気持ちだ。今の所あの女が何をそんなに御園さんのことを恨んでいるのか、何がしたいのかさっぱり分からない。どんな美人だろうが大切な仲間を害されて気分が言い訳が無い。
「日記には何か手掛かりありました?」
「見つけたばかりだからまだ見てないよ?一緒に読もうか?」
普段人の日記を覗く趣味はないが、一人の女性の安否がかかっているのだ。こっちだって遠慮なく読ませてもらおうと頷く。
日記は毎日書いているわけではなく、日付だけ見ると飛び飛びに書かれていた。そして肝心の内容はというと、やはりと言うべきか常人だとあり得ないような内容が広がっていた。
『クローンの調整はおおむね順調だ。やはり調整の成功具合は血液提供者の美醜よりもクローンとの相性が鍵を握っているように推察できる。今度からは容姿に優れない血縁も積極的に使っていこうと思う』
また「血縁」の単語が出て来た。普通であれば自分の血縁を指す言葉だが、「お前の血縁は過去に罪を犯した」という斎藤さんの話を思い出す。
斎藤さんは血縁の犯罪者に心当たりはないと言っていたが。もし、仮に女の言葉を信じるとするならば、未解決事件であったり表沙汰になっていないだけで、何らかの方法で知った女が償いをさせているのかもしれない。
結局考えても疑問は尽きない。一体何の罪なのか、どうして罪を犯した本人ではなく血縁に拘っているのか、やはり女の意図がさっぱり掴めない。
『昔と違って今の血縁は栄養状態も良く、その分血液が多く摂れる。これならポッドを増やしてみても良いかもしれない』
『あの女許さない。あいつらあの女のこと『みその』とか『ありさ』とか呼んでいた。みそのありさよくも私のからだを許さない許さないお前に何がわかるふざけるな許さない最初からうつくしい人間に何がわかる許さない許さない許さない私のかお私のかお私のかお私のかお私のかお私のかお私のかお私のかお私のからだ私のからだ私のからだ私のからだ私のからだ私のからだ私のからだ私のからだ私のからだ許さない許さない許さない許さない許さないふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな許さない許さない許さない許さない許さない許さない壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す
絶対に許さない』
「ヒッ……!」
「…………っ!」
思わず情けない悲鳴が口から漏れた。隣で読んでいた赤石さんもヒュッと息を呑んでいる。
何だコレは、殆ど狂気じゃないか。斎藤さんを助けに来た人は他にもいるのに、御園さん一人に執着する理由が分からない。彼女が何をしたというんだ。
もしや「私の身体」と「私の顔」が何度も書かれているから、爆発の原因が彼女の行動によるものなのだろうか。
天井の下敷きになった直接の原因が御園さんだとして、それにしてもこの文章は支離滅裂な部分がちらほらとある。元からネジが飛んでる人間に話の整合性どうのを問うても意味がないのは知っているけれども。
そこから先は日付が数週間後に飛んでいた。
『ようやく冷静に考えられるようになった。許せない気持ちは相変わらず、いや以前よりも強いが頭は冴えている。腕の良い探偵を探さねば』
『まったくこの身体は重くて不便だ。筋力は増したが自重で疲れやすくなった。だが動かねば重みは増す一方で腹立たしいことこの上ない。この身体も、こんな身体にしたみそのありさも全てが忌々しい』
俺はこの奇妙な書き方に違和感を覚える。これじゃあまるで身体がそっくり変わったような書き方だ。
それに防犯カメラの映像で見た限りでは彼女はモデルのような体形をしていた。腕は引き締まっていて腰も細く、重さとは無縁そうだった。虚弱体質で身体が重いという線も考えられるが、堂々と背筋を伸ばしていてひ弱な印象は全く見られなかった。
『みそのありさの所為で私の研究室が酷い有様だ。かろうじて生き残っている機材が見つかったので適当な人間を捕まえて相応しい場所に運ぶとしよう』
『次の研究室に相応しい場所が見つかった。あそこなら家から離れているが霊脈も安定しているし、更に研究が捗るだろう。やはり山岳信仰のある場所は強い』
『探偵からの調査報告を受け取る。あの女の名前は『御園ありさ』というらしい。その美貌で劇団で活躍していて友人にも恵まれていて、流石生まれた時から全てを持っている人間は良い身分だ。
今度は私がお前の全てを奪ってやる。機材も無事移動できたし、後は良い水晶玉を見つけるだけだ』
日記の内容を読み進めるにつれて背筋に冷たいものが走る。この女の狂気と御園さんに対する敵意は想像以上だ。全てを奪うだなんて彼女は無事でいるだろうか。
徐々にオカルトめいている記述もチラホラと見えてきて、こんなのは単なる妄想激しい頭のおかしな人間の日記だと断じたかった。
しかしどうしてもそう言い切れないのは、理性とは裏腹にこの雰囲気に呑まれてしまっているからだろうか。
赤石さんがまた次のページを捲る。俺は瞬きするのも忘れて書かれている文字を追った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます