第15話
「そんなことあったの?」
いつもの学園の中庭で昼食中。
春が眉を上げて驚いた声を出した。
「勝手だな!子供産め、でも結婚は認めないって」
顔を顰めてからあげに豪快に齧りつく。
その様子に圭介がうーんと苦笑した。
「昔から花嫁を迎えた家の一部では必ず上がってる声なんだよね」
「そうなの?」
理斗が食事の手を止めると、圭介は肩をすくめてみせた。
「弱みになるからね。花嫁を盾にされて滅んだ一族もいるし」
「そんなに……」
思いがけない内容だった。
花嫁は随分と影響力が大きいらしい。
それなら慎重になるのも、頷ける。
「あやかしみたいに寿命がのびれば体も強くなるけど、それでも純粋なあやかしから見れば弱い存在だからね」
「寿命……かあ」
ぽつりと理斗が零すと、春がふんと鼻を鳴らした。
「そんなこと言われて、はいそうですかって受け入れられないよな。そもそも想像もつかないし」
理斗が同意して頷くと、圭介がそっかーと若干眉を下げた。
「でも早めにおススメするよ。人間はあっという間に死んでしまうから」
思わず春と顔を見合わせる。
何ともいえない表情を浮かべていることに、自分も似たような表情なんだろうなと思う。
結局そのあとはこの話題に触れなかった。
昼休みの終わり、春は先に教室に戻ったので圭介と二人で廊下を歩いていると、階段下で教師に呼び止められた。
プリントを教室で配ってほしいと言われ、圭介が受け取ってくると職員室に行ったので理斗はその場で待っていた。
ぼんやり佇んでいると、階段上がやけに賑やかだ。
目線を上げると、三人ほどの男子学生がふざけあっていた。
元気だなあと妙に枯れたことを考えていると、ふいに一人の体がぐらりと傾いた。
「え……」
どうやら足を踏み外したらしい。
自分に向かって落ちてくる。
驚いて固まってしまった理斗はそのまま立ち尽くしてしまった。
そして衝撃。
次の瞬間には視界は暗転していた。
ゆらゆらと起床する寸前の意識がたゆたう感覚。
ふ、と意識が浮上する感覚のまま理斗は瞼を上げた。
しぱしぱとまばたきを繰り返すと、ぼやけていた視界が鮮明になる。
最初に瞳に映ったのは心配そうな顔の遠伊だった。
「とお、い?」
「理斗、よかった」
ほっと息をついた遠伊の顔色はどこか青白い。
「あんたの方が、死にそうな顔してる」
遠伊は何も答えずに、理斗の頬に手を伸ばした。
そっと包んでくる低い体温に、無意識に小さくすりよる。
「落ちてきた人は無事?」
「気にしなくていい」
あっさり断言されてしまい、理斗はゆっくりと起き上がった。
遠伊が心配そうに背中に手をまわす。
「いや気になるよ」
知らない他人だけれど、怪我をしたのかどうかくらいは知りたい。
曖昧なままは少しもやつく。
「……あやかしの一族の者だ。怪我などない。叱責はしておいた。謝罪をさせたいなら」
「いらないから!」
慌てて遠伊の言葉をさえぎった。
叱責って何を言ったんだ。
理斗的には生徒同士の軽い接触事故だ。
謝罪は別にあってもなくてもいいくらい気にしていない。
むしろあやかしのトップにいる弧塚屋の人間から叱責なんて、ぶつかってきた生徒は大丈夫だろうかと心配になってしまう。
「𠮟責って、ちょっと注意しただけだよね?」
「当主に一言伝えただけ」
「それって大事になるんじゃ……」
当主なんて偉い人に直接注意したのなら、ぶつかってきた生徒は罰でも受けさせられるのではと思ってしまう。
大丈夫だろうか。
ぶつかられていい気分ではないけれど、あまり過剰に叱らないでほしいと口にすれば、遠伊はむうと不満げな雰囲気を醸し出した。
普段から表情は動かないけれど、なんとなくわかってしまった。
一緒にいる時間が長くなってきたからだろうかと思えば、少し面映ゆい。
「花嫁を害したのだから、当然」
当然なのか。
けれど圭介の言葉を思い出す。
花嫁は弱味になる。
今回は不可抗力だけれど、迂闊な行動をとると影響が広いのかもしれないと思うと少し怖さがあり、一瞬唇を引き結んだ。
「あのさ、俺のことで他の人怒ったりしないでよ」
「何故?」
「俺なら大丈夫、平気だから。頑丈だし、打たれ強い方だし」
へらりとわざと軽い雰囲気で笑ってみせる。
けれど、遠伊の貫くような真っ直ぐな目で見つめられてうまくいかなかった。
「君の『大丈夫、平気』は信用できない」
「なっ」
思いがけない言葉に、一瞬声が詰まった。
と同時に信用されないほど何度も言っているだろうかと疑問に思う。
自分ではあまり口にしている意識はない。
「私では頼りない?」
「そう、いうんじゃないよ」
口がぎこちなく動いて、うまく返事が出来なかった。
「じゃあ何故?」
自分でもなんと言っていいのかわからない。
ただ、知らないところで自分に関わりあることが進んで終わってしまっていることに、酷く灰色の気持ちが渦巻く。
口を開こうとして閉じるのを繰り返したあと、諦めてもう少し寝るとベッドに潜り込んだ。
少しだけシーツから出ている頭を優しく撫でられても、灰色は晴れなかった。
結局その日は安静にと早退させられてしまった。
大丈夫と言い張ったけれど聞いてもらえなかったし、自分が離れたからと謝罪してきた圭介にも押し切られてしまった。
次の日も休ませようとしたので振り切って登校した。
けれど一度心に溜まったモヤつきは晴れない。
遠伊の会社の廊下を歩きながら、はあと息を吐いた。
もはや会社の入り口はセキュリティーカードを渡されて顔パスだ。
そのまま部屋まで上がってきていいと言われているので、忍に先に挨拶をしたら遠伊の部屋へ行くというのがお決まりだった。
今頃挨拶をした忍はお茶の準備をしているだろう。
エレベーターの扉が開いたので降りるとそこに人影があり、理斗は伏せていた目線を上げた。
「あ……」
「お前か」
そこにいたのは逸平だった。
動揺して漏らした声に、逸平が忌々しそうに顔を顰める。
その眼差しの強さは俯きたくなるほどだった。
「私の言った言葉が理解できていないのか。子供を作る以外で遠伊に近づくなと言ったのだ」
「お、俺は」
「さっさと子供を産んで消えろ。遠伊のためにならない」
ピシャリと切り捨てられる。
ぎゅっと手を握って、理斗はおずおずと逸平と目線をあわせた。
顔はあまり遠伊と似ていない。
遠伊はおそらく母親似だ。
「それは、お母さんと約束したからですか?」
以前言われた言葉を思い出して口にすると、逸平がムッとした顔で口角を下げた。
機嫌はこれ以上ないほど悪い。
「そうだ。あれは幼い頃から一族を束ねると、自分の立場をわかっている。それを導くのが私の役目だ」
遠伊のことをとても想っているのがよくわかる、真っ直ぐな声だった。
「だから遠伊に不利益になる可能性がある者を傍に置くことはない。子供さえ産めばあとは勝手にしろ」
酷い言葉だと思う。
圭介も言っていたなと思い出す。
花嫁は危うい存在だということを。
(この人にとって俺は遠伊の不利益……)
確かに自分には何もないと思う。
けれど、ただ子供を産むだけの存在として扱われるのはあんまりだと思った。
「……俺の意志は無視ですか?」
「放っておけばすぐに尽きる命だ。私達にとって一瞬程度のことを気にするつもりはない」
「花嫁は、寿命が伸びるって……」
「私はあれのためなら手段は厭わん。いっそ子供は別の者に産ませてもいいと思っている。その方がお前が消えたあと、遠伊も諦めてすぐに忘れる」
言うだけ言うと、逸平は鼻を鳴らしてエレベーターのボタンを押した。
すぐに扉が開いて、理斗の横を通り過ぎていく。
背後でエレベーターの閉まる音を聞きながらゆっくり振り返ると、すでに扉は閉まっていた。
「すぐに忘れられる」
ぽつりと呟いたら、拳を無意識に握っていた。
爪が食い込むけれど、痛みは気にならない。
横暴な言葉を言われたと思うのに、反論できる言葉もなくて結局飲み込んだ。
そのあとに遠伊の部屋に行っても、帰って夕食をともにしても、理斗はぼんやりとして口数は少なかった。
寝る時間になっても胸に鉛を沈めたような感覚が息苦しくて、縁側に座ってぼんやりしていた。
(すぐに忘れられる)
遠伊の理斗に対する気持ちは疑っていない。
でも、やっぱりすべてを受け入れる覚悟なんて持てない。
そう考えると、逸平の言葉が胸に引っかき傷を残したようだった。
「理斗」
いつのまに隣にいたのか、遠伊が膝をついて顔を覗き込んできていた。
驚いて一瞬身を引くと、遠伊が隣へと腰を下ろす。
「今日は元気がないように見える。朝はそんな様子はなかった」
「気のせいだよ。今日は体育もあったから、疲れてるだけ」
「ならいいけれど」
ひたりと体温の低めの手の平が額にあてられた。
自分の体温より低いその手つきが優しくて、少し目を細める。
「疲れているのなら休んだ方がいい」
「大丈夫だよ」
「ならいいけれど」
完全に納得はしていなさそうな表情だけれど、遠伊は手をひいた。
薄暗いなか映える銀髪をぼんやりと見上げる。
会社でのことを思い出して、理斗は何度か小さ口を開閉させてからポツリと漏らした。
「お父さんってどんな人?」
突然の質問に、遠伊が不思議そうにパチリとまばたいた。
じっと見られて、深堀りされたら逸平のことを言わなければいけなくなると、慌ててまくしたてる。
「いや、俺は父さんのことあんまり覚えてないから、どんなかなって」
「……尊敬できる人だ」
少し考えて言った遠伊の言葉は、信頼とか親愛の色が込められていた。
口調も柔らかい。
家族を大事に想っているのがよくわかる声音だ。
「母が私の妖力に耐えられず、産んですぐに亡くなっても責めることなく、私に心を砕いて育ててくれた。一族のことも当主として率いている、立派な人だと思う」
「お父さんのこと好きなんだね」
身内のことを褒めるのは恥ずかしいのか、わずかに目線をそらしている。
そんな遠伊が何だか微笑ましかった。
「きつい物言いをするけれど、優しい人だと思っている。理斗にも厳しくあたっているけれど、父のことは私が説得するから、理斗は気にしなくていい」
それはまるで突き放されたような感覚だった。
遠伊にそんなつもりがないのはわかっている。
けれど理斗だって当事者なのに、関係ないと言われたようだった。
「そっか」
おもむろに理斗は立ち上がった。
「理斗?」
さりげなく顔をそらして、さっさと部屋に戻るそぶりで背中を向ける。
「俺寝るね、おやすみ」
遠伊の呼びかけに背中を向けたままひらりと手を振って、理斗は自室になっている部屋へと戻った。
襖を閉めて、少し考えた後に棚の上にある漆塗りの飾り箱を手に取る。
蓋を開けると、そこには母親の形見のブローチが入っている。
それをそっと手に取って見下ろした。
ボロボロだけれど、遠伊が守りを施してくれたから、これ以上汚れも壊れもしない。
表面を指先で撫でると、けば立った布の感触がした。
「おじさんは遠伊が大事で、遠伊もおじさんが大事なんだな」
表面を撫でながら、小さな声がおちる。
理斗は両親からの愛情はぼんやりだけれど、覚えている。
そして、自分のなかの両親への愛情はずっと心のなかにある。
親から子へ。
子から親へ。
どっちの気持ちも尊いもので大事だと理斗は思っている。
「俺のせいで波風たてたくないな」
今の自分は何もない。
庇護されてばかりで、遠伊に甘やかされているだけだ。
「そりゃあ、おじさんから見たら不利益だよなあ」
遠伊の全部を受け入れたいと思っている気持ちは少なからず理斗の中にはある。
けれど決断できるほどのものではない。
そして、傲慢な考えでも逸平の言い分もわかる。
逸平に言われるままだったのを思い出し、理斗はそっと目を伏せた。
「俺このまま叔父さんの家にいたときみたいに、何も言えないままなのかな」
ハッキリと遠伊を選ぶとも言えないし、身をひくとも言えない。
どっちつかずの自分は最低だと唇を噛んで俯くしかできなかった。
結局変わらないままに日々を過ごして、理斗は罪悪感にも似た感情を持て余していた。
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