第14話

 あったかい。

 ふわふわとした心地がして、理斗は自分の意識が浮上するのを感じた。


「ん……」


 ゆっくり目を開くと、薄闇の中。

 遠伊が隣に横たわっているのに、パチパチとまばたきを繰り返した。

 布団の中にいて、遠伊に抱きしめられているのだと気づくと理斗は不思議そうに目の前の男をぼんやり見つめた。


「遠伊?」


 何でここにと思っていると、そっと目尻を指先で拭われる。

 そのまま頬に指先が滑っていったことで、理斗ははじめて自分が泣いていることに気づいた。


「ああ……ごめん、またか」


 自分でも頬に手をやると肌がしっとりと濡れている。

 それに理斗は小さくため息をついた。

 悪夢でも見たのだろう。

 今日はほとんど覚えていなかった。

 遠伊の邸に来た初日だけでなく、両親が死んでから悪夢は定期的に見ている。

 そのたびに泣いているので、理斗はいい加減どうにかしたいと思っているけれど、多分この先も見続けるんだろうなと憂鬱になった。


「ごめん、来てくれたんだな。寝てただろ」

「かまわない。理知が泣いているのなら、傍にいたい」


 そっと目尻に唇が押し当てられて、くすぐったい。

 理斗が夢を見て泣いて目覚めると、いつも遠伊が抱きしめてくれている。

 睡眠の邪魔をしていると思うと申し訳ないけれど、その体温のおかげで悪夢を引きずらないのは確かだった。


「いつもよくわかるな。花嫁だから?」


 どうやって泣いている理斗に気づいているのだろうと問いかけると、遠伊は違うと頬にもキスをしてきた。


「理斗のことだから」


 花嫁だからと言わないことが嬉しかった。

 花嫁でなくても気づいてくれるのだろうと思わせてくれる。


「目、覚めちゃった」


 窓からは日の光がないので、まだ夜中だろう。

 理斗はごそごそと遠伊の腕から抜けて上体を起こした。

 それにつられて遠伊も起き上がる。


「縁側で風にあたってくるよ。遠伊は寝て。明日も仕事だろ」


 立ち上がろうとしたら、それより一瞬早く遠伊が立ち上がった。

 そのまま横抱きに抱き上げられる。


「え!下ろして」


 突然のことに理斗は身じろいだけれど、しっかりと抱かれているのでびくともしなかった。

 遠伊はさっさと襖を開けて廊下を進んでいく。


「理斗、深夜だから静かに」


 ひそりと耳に唇をつけて囁かれる。


(誰のせいで!)


 言い返したかったけれど、確かにうるさくはしない方がいいと口をつぐんだら、耳元でくすりと笑われた。

 むっとして胸を叩くけれど、びくともしなくて拗ねたくなる。

 縁側につくと理斗を横抱きにしたまま遠伊は腰を下ろした。

 ぴったり密着した状態で膝の上に乗せられていると、身の置き場に困ってしまう。


「あの、この体勢恥ずかしいんだけど」


 返ってきた返事はこめかみへのキスだった。

 そのまま瞼にも口づけられる。


「聞いてる?」

「うん」

「下ろして」

「駄目。抱いていたい」


直球の言葉に理斗は顔を赤らめた。

小さく呻きながら俯くと、顎に指先を添えられて上向かされる。


「あんたってそういうことハッキリ言うから、恥ずかしい」

「本当のことだ」

「……いたたまれない」

「何故?」


 口ごもると唇に唇を重ねられた。

 何度か触れるだけのキスを繰り返されて離れていくと、少し寂しく感じてしまう。


「慣れてないんだよ。俺両親にしか大事にされたことないから」


 友人は春しかいなかった。

 仲良くはしてくれたけれど、愛情をかけるのとは違う。

 それ以外は無関心が基本だ。


「これからは私が君を大切にする。ご両親の分も」

「甘やかしすぎるなよ。溺れそう」


 唇を尖らせると、また遠伊の唇が重ねられた。


「溺れて」


 吐息で囁かれ、唇を舌で割られる。

 おずおずと口を開けば、すぐに咥内に熱い舌が滑り込んだ。

 余すことなく舐めるように、歯列や口蓋をねっとりと舐められる。

 舌をすり合わせられるとお互いの唾液が絡み合った。


「ん、んぅ」


 くちりと水音が静かな縁側におちる。

 遠伊の唾液が流し込まれるのを、はふはふととまどいながらも素直に喉を鳴らして飲んだ。


「くるし……」

「鼻で息をして」


 唇が一度離されると、理斗は涙の膜が張った瞳でぼんやりと遠伊を見上げた。

 濡れた形のいい唇を赤い舌が舐めて、煽情的だ。

 その色気に目を離せずにいると、また遠伊の顔が寄せられる。


「じゃあ、練習を」

「そんなの、ふ、ん」


 唇にまたキスをされ舌を弄ばれる。

 苦しくなると絶妙なタイミングで唇が離されて、何度か息をすると。


「もう一度」


 強引にまた唇が重ねられる。

理斗がくたくたになって眠れるようになるまで、何度もそれは続いた。

その日以降、濃厚なキスをすることが日常になった。

 なんというか、遠伊が甘い。

 いや、前から甘かったけれど砂糖菓子を際限なくなるまで煮詰めたような愛情をこれでもかと注がれている。

 今日も今日とて放課後に理斗は遠伊の仕事部屋に来ていた。

 まっすぐ帰ってもいいのだけれど、どうしても遠伊の帰りが遅くなる。

一緒の時間を増やしたいという彼の要望を聞き入れて、想いが通じ合ってからはこの部屋で宿題をしながら遠伊の仕事終わりを待つのが当たり前になった。

 宿題はもう終わってしまったので図書室で借りた本を読みながら、理斗は最近を振り返っていた。

 ちらりとデスクの方を見れば、白皙の美貌が伏し目がちに書類を見ている。


(あんな顔して何かあるたびにキスしてくるんだもんなあ)


 欲なんて欠片もなさそうな雰囲気なのに。

 澄ました顔をして、隙あらば唇も唇以外にもキスをしてくる。

 触れることも増えてきた。

 以前は慰めるために抱きしめたりされたけれど、それとは明らかに違う。

 髪を撫でるときに耳を掠める指先だとかが、酷く優しく触れてくる。


(あんな潔癖そうな外見なのに)


 人に触ることなんて嫌いそうなのに、何の躊躇もなく触れてくるよなあとぼんやり遠伊を見やる。

 ふいに遠伊が手を止めた。

 なんとなくそのまま見ていると、立ち上がり理斗のいるソファーへと近づいてくる。


「終わったのか?」

「明日にまわす」


 端的にこたえた遠伊に、理斗はおやと小首を傾げて目の前の人物を見上げた。


「何で?まだ時間あるよ」


 いつもの帰宅時間まではまだ余裕がある。

 仕事が残っているなら片づけられるのに。

 するりと低めの体温の手に頬を撫でられた。

 大きな手のひらに頬をすっぽりと包まれる。


「そんなに熱心に見つめられたら集中できない」

「え!ご、ごめん、邪魔を」

「してない。君が私だけを見つめてくれることが嬉しい」


 甘ったるい言葉に、理斗はごくんと唾を飲み込んだ。

 あまり口数が多くないくせに、ときおり飛び出す言葉が致命傷になりかねない甘さだ。


「また……そんなことを」


 思わず目線を逸らすと。


「? 本当のことだ」


 不思議そうにしたあと上体を倒してそっと唇を重ねられた。

 柔らかい感触に胸のなかがほわりと温かくなるけれど、下唇を食まれて思わず口を開けたら遠慮なく舌が差し込まれた。

 何だかもう当たり前のように重ねるキスの合間に舌を入れられるようになった。

 そんなに影響はないと言うけれど、じゃあ今までのは何だったんだと言えば遠伊の言ったとおり「止まれなくなるから我慢してた」なんだろう。

 唇を重ねるだけでもいっぱいいっぱいなのに、咥内を熱い舌で蹂躙されればとろけた思考になり無防備になる。

 ひどくだらしない顔を晒しているんだろうと思えば、羞恥心が沸いてきた。

 ちゅくと濡れた音を立てて唇が離れると、はふはふと息を整える。

 目尻を指先でするりと撫でられた。


「うう……俺ばっかり色々さらけ出させられてる気がする」

「そう?」


 ことりと首を傾げて遠伊が隣に座ってくる。

 理斗はキスで火照った頬のまま、ジトリと遠伊を睨めつけた。


「俺は遠伊のこと知ってることの方が少ないのに」

「君の知りたいことなら、何だって教える。知りたいと思ってくれることが嬉しい。私の何が知りたい?」


 まっすぐに目を見つめられて、理斗はあらためて言われると困るなと思った。

 知らないことばかりだけれど、当たり障りない事を聞くのは違う気がする。

 何だろうとうんうん唸ってから、あっと思いついた。


「遠伊は狐のあやかしなんだよな?」

「うん」

「耳とか尻尾とかあるの?」

「ある」


 あるんだ。

 感心するように頷いて、みんなも?と尋ねれば勿論と言われた。


「へえ」


 普段あやかしと人間の外見の違いはない。

 髪や瞳の色くらいだ。

 あやかしは人間に溶け込んでいる。


「見てみたいかも」

「かまわない」


 ひとつ頷いた遠伊に、おやと理斗がまばたいた一瞬後には頭に三角の耳があり、九本の尻尾がある彼の姿があった。


「わあ!」


 思った以上に神々しい。

 耳も尻尾も髪と同じ白銀色だった。

 尻尾はふさふさしていて毛並みがいい。


「凄い、思った以上に迫力ある」


 九本も白銀の豪華な尻尾があるせいか、いつもの美貌に拍車がかかっている気がする。

 ふわふわとした尻尾はとても触り心地がよさそうで、思わずじっと目で追ってしまっていた。


「触ってみる?」

「いいの?」

「理斗ならいい」


 嬉しい承諾の物言いにはにかみながら、理斗はそっと尻尾のひとつに手を伸ばした。

 艶々の毛並みは肌触りがよく、何よりふかふかだった。

 思わず顔がほころび、撫でまわしてしまう。


「わあ、もっふもふ」


 ふふ、と笑いながら尻尾を撫でていると遠伊の目元も優しく綻んでいた。


「耳も触っていい?」


 尻尾だけでなく気になったそちらにも触れてみたくて尋ねたら、こくりと頷かれた。

 おそるおそる両手でそれぞれの耳に触れると、ぴるると動いて可愛らしい。

 柔らかい耳の感触を楽しんでいると、遠伊の顔が近づいて唇を啄まれた。

 驚いて顎を引こうとすれば、後ろ頭に手がまわされて逃げられない。

 遠伊の狐耳に手を伸ばしたまぬけな体勢のままちゅっちゅっとキスを受けていると、突然部屋の扉が開いた。


「遠伊、入るぞ」


 扉を開け放ちずかずかと入ってきたのは逸平だった。

 その背後に小柄な女性を従えている。

 突然のことに体を硬直させたあと、理斗は慌てて手を遠伊の胸について体を離そうとした。

 顔は離れたが腰をぐっと抱き寄せられ、それは叶わなかったけれど。


「何をしている!」


 あわあわと動揺していると、逸平が顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。

 それを遠伊の冷静な眼差しが見返す。


「何を、とは」

「他人に神聖な耳や尻尾を触らせるなど言語道断だ!」


 逸平の怒鳴り声に、理斗はぱちぱちとまばたきを繰り返したあと、言っている意味を理解して真っ青になり遠伊を見上げた。


「そ、そうなのか?」

「問題ない」


 さらりと答えられる。

 けれどそれに安心はできなかった。

 どう見ても逸平の様子は問題がないようには見えない。

 怒りをあらわにしている逸平に、遠伊はサラリと口を開いた。


「花嫁ですから」

「そいつは花嫁かもしれないが、弧塚屋のためにはならん。深入りするな」


 バチリと両者のあいだで花火が散ったような睨み合いが生まれた。


「あ、あの、俺が触らせてくれって言ったからで、遠伊は悪くないんです」


慌てて弁解をしたけれど、遠伊に腰を抱かれていては立つ瀬がない。

ぐいぐいと手を離そうとしたけれど、逆に手の力は強くなった。


「理斗ならかまわない。弧塚屋にとってどうでも、理斗は私にとって何よりも大切なものです」

「そんな者は認めない!お前には容姿、家柄、妖力すべて申し分ない者を選んでいる。久奈(ひさな)!」


 名前を呼ばれたことで、逸平の背後に控えていた女が一歩進み出た。

まっすぐな腰までの金髪の、綺麗というより可愛らしい女だった。

 それは、以前この部屋で見かけた女だった。

 遠伊を食事に誘っていたのを覚えている。


(あれって、もしかして遠伊を守れる人……?)


 逸平は理斗に言った。

 遠伊の相手は、遠伊を守れる者を選ぶと。

 黒いモヤが肺にからみついたように、息が詰まった。


「遠伊様、こんにちは」


 にっこりとする久奈は、とても女性らしい。

 遠伊は金の瞳を細めて一瞥したあと、興味がないように理斗の黒髪に鼻先を埋めた。


「あ、あの」


 どんな態度をとったらいいのかがわからない。

 どうしたらいいのかと固まったままうろうろと視線をさまよわせていると、逸平が我慢ができないというように深々と眉間に皺を寄せた。


「いいか!子供を作るのは許すが嫁には入れんぞ」


 傲慢な物言いだった。

 遠伊の眼差しが先ほどよりも怜悧になる。

 逸平の言葉にどう反応していいかわからず、理斗は固まるばかりだ。


「理斗に無理に産ませる気はない」

「何!」


 遠伊の言葉に逸平の眉が跳ねあがった。

 理斗も思わず遠伊を見上げるも、遠伊は逸平をまっすぐに見ている。


「だったらなおのこと、ただの役立たずではないか!」

「撤回してください」

「お前は花嫁の霊力にあてられてのぼせているだけだ」


 じっと視線をあわせた両者のあいだで、バチバチと火花が散っているような幻覚が見えそうだった。

 先に目をそらしたのは逸平だった。


「話にならん。さっさと頭を冷やせ」


 突き放すように言い切って、背中を向ける。


「行くぞ久奈」


 呼ばれた久奈はにこりとこちらに笑みを浮かべて、逸平の後について部屋を出て行った。

 あとには部屋に静寂が残っている。


「遠伊のお父さん、凄く怒らせちゃったよ」


 理斗はへにょと眉を下げてしまっていた。

 それにと思う。

 久奈は以前、逸平が口にしていた結婚相手なのだろう。


(綺麗だし、可愛い人だったな)


 あれが、遠伊の結婚するかもしれない人。

 理斗とは全然違う、遠伊を助けられる人。

 以前も会ったことがあるということは、顔見知りなのだろう。

そっと遠伊を伺い見ればいつのまにか耳も尻尾もなくなっていた。


「さっきの、久奈さんって」

「仕事相手だ。同じ弧塚屋の一族の者で、それ以上でも以下でもない」

「そっか」


 自分は嫌な奴だなと理斗は思った。

 遠伊の言葉で安心している。

 久奈の名前を出すことで遠伊が何か言うだろうと打算を働かせた。

 苦い気持ちでそっと拳を握りしめた。


「嫌な思いをさせてしまった」

「ううん……おじさんの言ったことは当然のことばかりだよ」

「理斗、そんなことは」


 そっと右頬に手が添えられた。

 少し低い体温が心地いい。

 理斗は精一杯笑って、おどけてみせた。


「実は、おじさんのおかげで自分の気持ちに気づいたんだ。遠伊が好きだって」


 すると、遠伊が複雑そうにむうと眉間に皺を寄せた。

 白皙の美貌にそんなものがあると、勿体なく思ってしまって指を伸ばしてその場所を撫でた。


「ほら、眉間の皺!落ち着けって、な?」

「……わかった」


 一応納得してくれるらしい。

 それに理斗はそっと安堵した。

 自分のせいで遠伊と逸平のあいだに亀裂は作りたくない。

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