第13話

 そのまま行くのは勇気が持てなくて、差し入れを持っていくという大義名分で圭介オススメの老舗和菓子屋で水羊羹を買った。

それを持って遠伊のいる会社に行くと圭介から連絡が行っていたらしい。

忍が受付で待ち構えていた。

理斗の顔を見るなりほっとした顔をしていたのは不思議だけれど、遠伊に会うことで緊張していた理斗は気にせず案内されるままに遠伊のいる部屋の扉前へと立った。

忍がノックをすると、入れと硬質な声が返ってくる。

忍が頷くと、理斗はドアノブを掴んでドキドキしながら扉を開いた。

忍はそのまま部屋には入らずに、一歩下がる。

するりと部屋に入ると、目があった金色が驚きに見開かれた。


「理斗……どうして」

「……迷惑だった?」

「そんなことない」


 おずおず尋ねれば、間髪入れずに否定された。

 それにほっとする。


「えっと、水羊羹買ってきたから休憩しない?忍さんがお茶用意してくれてるから」

「……いただこう」


 デスクから立ち上がった遠伊に促されて向かい合わせにソファーへと腰を下ろした。

 向かいにいる白皙の美貌はデフォルトの無表情だ。

 圭介に言われたことを思い出し、けれど何から話したらいいかと悩んでしまい理斗は口ごもった。


「あのさ……」

「すまない」


 理斗が何か言うより先に遠伊が口を開いた方が早かった。

 ぱちりとまばたくと、わずかに遠伊の眉が寄せられる。


「昨夜は乱暴にしてしまった。君は大事な花嫁なのに」

「……花嫁って言うな」

「何故?君は私の花嫁だ」


 小さく首を傾げる遠伊に、理斗はぐっと喉を詰まらせた。

 ずっと詰まっていた胸の内を吐き出したくて仕方がない。


「……何が花嫁だよ。力が強くなって子供が出来ればそれでいいんだろ?だって花嫁は価値があるんだから」

「それが?」

「ッ……俺が花嫁じゃなかったら、あんた優しくなんてしないだろ」


 ずっとくすぶっていた気持ちを吐き出せば、遠伊が驚いた顔をした。

 白皙の美貌に表情が表れると、途端に血のかよった生き物らしくなる。

 理斗の顔を見て、遠伊がゆっくりと唇を動かした。


「たしかに」


 肯定されて、小さく息を飲む。

 やっぱりと思う気持ちと裏切られたという自分勝手な気持ちがないまぜになって、泣きそうだった。

 泣きたくなんかないと、ぐっと奥歯に力をこめる。


「でも、食事を食べて泣く姿を慰めたいと思った」

「え?」


 思わぬ言葉に顔を上げると、遠伊がゆっくりと立ち上がった。


「寝ている時にうなされているのを守りたいとも」

「あの……」


 ゆっくりと歩いてくる眼差しは、熱っぽい。

 二人は余裕で座れるソファー。

 理斗の隣へと、遠伊は腰を下ろしてじっと見つめてきた。


「謙虚なのは好感が持てる。けれどもっと頼ってほしい。泣いてほしくない、胸が苦しくなる。笑った顔に胸が温かくなる」


 遠伊の常にない饒舌に理斗は言葉の意味を理解する端から顔がじわじわと熱を帯びていくのを感じた。

 目を丸くして、唇は恥ずかしさにかすかに震えている。


「霊力も影響はしているだろう。けれど、それよりも理斗の変わる表情や寝顔が愛しい。見逃したくない」


 そっと手が伸ばされ頬へと添えられた。

 理斗より低い体温は、少しだけひやりとする。

 見つめてくる金の瞳に何も言えず、こくりと喉を鳴らすことしか出来なかった。


「こんな感情になったのは初めてで、私も自分自身に驚いている。花嫁としての霊力がなくなっても、理斗を知ってしまった私は君を愛しいと思い続ける」

「あんた、そんな情熱的なこと考えてたわけ……?」


 何とかしぼり出せた言葉はそれだけだった。

 嬉しさだとか恥ずかしさだとかで、それ以上が出てこない。

 でも、と思う。

 手を伸ばしてもいいだろうかと。

 圭介の言葉が頭をよぎる。

 あやかしは人間には簡単にキスはしない。

 でも唇をあわせる程度なら問題ないとも言っていた。


(遠伊は俺にキスしたいと思ってくれるのかな)


 そっと頬に触れている遠伊の手に手を重ねると、ぴくりと指が動いた。

 言葉にして聞く勇気はなくて、ならばいっそと顔を近づければもう片方の手で理斗は唇を遮られた。

 拒否されたのだと思うと、泣きそうで唇が震える。

 やっぱりやめとけばよかったと後悔がよぎった。


「駄目だ。私達あやかしは人間の寿命に影響を与えてしまう」

「知ってる、それでもしたいと思ったんだ。口あわせるだけなら」


 大丈夫なんだろという言葉は最後まで言えなかった。

 噛みつくように遠伊の唇が理斗のそれに重ねられる。

 驚いて体を引くと、そのまま後ろ頭に手をまわされてソファーへと押し倒された。


「ひゃっ……ん、あ」


 驚いて口を開けた途端に、熱い舌がねじ込まれた。

 上蓋をくすぐられ舌を容赦なく絡められて、上手く息が吸えない。


「ん、んう」


 すがるように遠伊の肩を掴んでいた理斗の手が弱々しく落ちる頃には、息も絶え絶えだった。

 唇をようやく離されると、銀糸が二人の唇を繋いでいて生々しい。

 はふはふと息をする理斗の唇を拭った遠伊が、至近距離で瞳を見つめてきた。

 その金色は、まるで蜂蜜のようにとろりと甘い。


「君は私を好いてくれている?」


 直球で聞かれて、キスのせいだけでなく目尻が赤くなった。


「答えて」

「キ、キスしようとしたんだから察しろよ」


 しどろもどろに答えると、唇を指先で撫でられた。

 さきほどのキスの感触が引かずに、ぴくりと震えてしまう。


「駄目、聞きたい」


 じっと見つめる姿はいつもの頑固モードだ。

 きっと言うまで許してくれない。

 理斗は観念して覚悟を決めた。


「……好きだ。遠伊のこと、好きだ」


 途端、ふわりと花が開くように遠伊が笑みを浮かべた。

 笑っている顔は見たことがあるけれど、そのどれとも違う幸せそうな笑みに目を奪われる。


「嬉しい」


 もう一度、小さくキスをされた。

 ちゅっと音を立てて唇が離れていく。


「キス……駄目じゃなかったのか?」

「唾液を飲ませても継続的じゃないと意味はないし、影響も薄い」


 そういうものか。

 けれどそれなら、あれと思う。


「じゃあ何でしなかったわけ?他の所は遠慮なくしてきた癖に。それこそ今みたいに普通のキスだったら」


 言いかけたところでもう一度唇を啄まれた。

 そのまま顔を離した遠伊は至極真面目な顔をしていた。


「止まらなくなるから」


言われた言葉の意味を理解するなり、ボンと破裂しそうなくらい心臓が飛び跳ねた。

ドキドキと荒れ狂うままに心臓のポンプが忙しない。


「あ、そ、そう、なんだ」


 顔を見ていられなくて、どもりながら顔をそらせば耳をかぷりと噛まれて肩が跳ねた。


「ひゃっ耳噛むな!」

「何故?」


 声を上げると、とても真面目に返された。


「何故って……あんた開き直り早いな」


 先程まで唇をあわせることすら躊躇していたくせに。

 遠慮がないにも程がある。


「ずっと触れたかったから」

「へ?」

「君は日毎に花開いて、魅力的になっていく」


 突然の賛辞に動揺するしかない。

 瞳を揺らしても、遠伊の言葉は止まらなかった。


「よく笑うようになった。体も健康的な体型になってきた」

「そうかな」

「うん」


 そうなったのは、全部遠伊のおかげだった。

 大切にされている事実に、今さらながらに泣きたくなる。


「だからもっと触れたかった」


 そっと首筋に遠伊の顔が埋められる。

 ぺろりと舐められ、体がびくりと跳ねた。

 その場所は昨日遠伊が唇を寄せた場所だ。

 今日の朝、噛み跡とキスマークが残っていることに赤面したばかりだ。

 恥ずかしさで身もだえしながら、再び吸われる感触に理斗は悲鳴を上げていた。


「あああの!それ以上は!」

「わかってる。無理はしなくていい」


もう一度ちゅっとリップ音をさせてから、遠伊が顔を上げた。

さすがにまだこれ以上先に進む勇気は理斗にはなかった。


「無理っていうか……ごめん、好きって言ったのに」

「かまわない」


 さらりと慰めるように頭を撫でられた。

 その時、タイミングを計っていたようにノックの音が響いた。


「入れ」


 遠伊が何の躊躇もなく許可をしてしまったので、扉を開けた忍にソファーへと押し倒されている姿をみられ理斗はうわあと悲鳴を上げた。


「お邪魔でしたか?」

「いえ!ぜんっぜん!」


 慌てて遠伊の胸を押すと簡単に離れてくれたので、理斗も慌てて身を起こした。

 遠伊の仕事場でいかがわしいことをしていたと思われたくない。

 いや多少はしていたけれど。

 忍が冷たいお茶と皿に載った透明のカップに入った水羊羹をテーブルに置くと、そのまま部屋を出ていってしまった。

 素早い動きになんとなく目線で追ってしまうと、隣に座り直した遠伊が皿に手を伸ばした。

 忍の出て行った扉から遠伊へ向き直ると、水羊羹を掬ったスプーンを口元に差し出される。


「え、いや、自分で食べれるから」


 そんな恥ずかしい事はと首を振れば、じっと無言で見つめられた。


(これは、頑固モードだ)


 こうなるとよほどのことがない限り引いてくれないだろう。

 うう、と呻きながらも誰もいないからという言葉を免罪符におそるおそる口を開けた。

 つるりと入ってくる冷たい水羊羹は舌触りがなめらかで、甘さも上品だ。

 いそいそと二口目を掬う遠伊の顔は、とても柔らかで幸せそうだ。


(そんな顔、反則だ)


 嫌とは言えなくて、結局なくなるまで理斗は手ずから水羊羹を食べさせられた。

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