第5話
昨日の朝で一体どんな反応が待っているのか。
叔父家族がうるさいだろうと覚悟を決めて息を吸い、玄関を開けた。
廊下にはテレビの音らしいものが漏れ聞こえてくる。
揃っているかはわからないけれど、誰かはいるらしい。
廊下を進み、そっとリビングに顔を出すと、叔父以外の三人が揃っていた。
「理斗!朝のは何なの!」
叔母が理斗に気づいてソファーから立ち上がった。
輝子と光の目もこちらに向く。
「あの、昨日は帰らなくて」
すみませんと言いかけたけれど、目の前に来た叔母に肩を掴まれてすべては言えなかった。
「狐塚屋様とどこで知り合ったの、いえ、それはどうでもいいわ!すぐに連絡を取りなさい」
「え、でも」
叔母の剣幕に戸惑うと、輝子がスマートフォンをいじりながらチラリと理斗を見た。
「私を結婚相手に選んでもらうから、狐塚屋様を呼びなさいって言ってるのよ。どんくさいわね」
「いいから早く!」
そんなのは無理だった。
連絡先など聞いていない。
「あの、たまたま通りすがりに親切にしたら家に送ってくれただけで、連絡先なんて知りません。朝も、お礼をしたいからって」
多少の嘘を混ぜつつ首を振ると、いきなり前髪を掴まれた。
頭皮が強くひきつれて痛みに眉が寄る。
「嘘つけ」
光だった。
力まかせに切ったばかりの髪を掴まれて、加減がされずにギリギリと引っ張られる。
ブチと何本か髪が抜けるのが感じられた。
「本当、です」
ごまかされてほしいと目をそらせば。
「つかえなあーい」
輝子が興味を無くしたようにまたスマートフォンをいじりだす。
叔母もぬか喜びだわと鼻を鳴らした。
ごまかされてくれたらしい。
理斗にはたいして使い道はないというのが根底にあるからだろう。
「もういいわ、夕飯の支度をしなさい」
叔母の言葉に光が理斗を睨んだけれど、突き飛ばすように手を離されてほっとした。
そそくさと台所の方へ行き、一人になると体から力が抜ける。
まさか自分が花嫁だと言われているなんて知られたら、叔母達が怒り狂うに決まっている。
はあと調理台に手をついてため息を吐きだすと、右手の甲に目がいった。
さきほど形のいい少し薄めの唇がそっと触れた場所。
カアッと目尻に朱が走ったけれど、いやいやと首を振る。
遠伊は霊力が共鳴する人間を花嫁と言った。
「俺を選んだんじゃなくて、共鳴する相手を選んだんだ」
ぽつりと零す。
共鳴した相手であれば、理斗じゃなくてもよかったはずだ。
そう思うと、ほんの少し胸に一滴の染みが出来たような気持ちになった。
それをパンと両手で小さく頬を叩いて、気持ちを切り替えると理斗は夕飯作りに取り掛かっていった。
翌朝いつものように朝食を作り学校に行くと、校門で見覚えのない生徒に声をかけられた。
友達なんてこの学校にはいないし、委員会なども入ってないから理斗に用事のある生徒なんていないはずだ。
しかもなかなかに派手な外見だ。
染めているようで、少し長めの髪はピンク色だったけれど根本は金髪だ。
手足が長く顔が小さいモデル体型に、愛嬌さを滲ませる綺麗な顔。
制服がおそろしく浮いていた。
そして独特な雰囲気と琥珀色の瞳から、すぐにあやかしだと気づいた。
この学校にあやかしはいただろうかと記憶をさぐるけれど、周りと関わっていない理斗にはわからない。
もしかしてとひとつの疑問が脳裏をよぎった。
「どうも花嫁様。俺は狐花圭介(こかけいすけ)。遠伊様から警護を任されてる」
「警護!」
予想外の単語に素っ頓狂な声が出た。
あやかしだったから遠伊関係かとは思ったけれど、すらりとした体はしなやかで理斗よりは背が高いけれど、男らしい体つきとはいえない。
顔立ちと相まって、むしろ守られる側じゃないかと思ってしまう。
周りの生徒も何だ何だと視線を向け、圭介を見て男も女も頬を染めている。
「警護なんてそんなのいらないよ。それに花嫁様っていうのも、やめてくれ」
「じゃあ理斗で。俺のことはケイって呼んで、名前やぼったくて気に入ってないから」
はいお近づき、とポケットから飴を差し出される。
どうしたものかと見下ろすと、そのまま飴を握らされて困惑しかない。
「同級生、だよな?まさか転校してきたのか?」
「まあね、高校生なんて懐かしい」
「懐かしい?」
どういう事だと首を傾げると、圭介はニッと口角を上げた。
不敵な笑みは同い年にしてはこなれすぎている。
「俺今年で八十三歳だから学校なんて随分前に経験してるよ」
「はちじゅうさん……」
「俺見た目が若いから抜擢されたんだ。まあ、あやかしに年齢なんて概念ないんだけどな。俺は誕生日にケーキ食べたいから数えてる」
思いがけない情報に、驚いて復唱しか出来ない。
あやかしが長生きなのは知っていたけれど。
まさかこんなに年と外見に剥離があるとは思わなかった。
遠伊は一体いくつなんだと疑問に思ったけれど、衝撃的な答えが返ってきそうで考えないことにした。
目を丸くして圭介を見たあとで、ハッと彼の最初の言葉がようやく脳に届き理斗はバツの悪い顔をした。
「俺のせいでここに来たんだよな、なんかごめん」
「気にするなよ」
ケロリと笑って言った圭介に気になるよとは思ったけれど、いつまでもここにいても仕方ない。
校舎に入ると圭介は理斗のクラスだったし、警護と言ったのでもしやと思ったらずっと側にいた。
昼休みに食事をとらない理斗に眉を寄せたので、念のためと遠伊に報告しないように熱心にお願いしたらしぶしぶ頷いてくれた。
今日は仕方ないからと購買で買ってきたものを差し出されて固辞したら、遠伊に報告すると脅されてありがたくいただいた。
昼食をとるなんて久方ぶりだ。
いい奴だなと思ったし、友人とは違うけれど何だか中学生の頃を思い出して嬉しかった。
そして放課後。
理斗の前には黒い高級車が停止していた。
「送るよ」
「いや、俺バイトが」
今日はいつもより早い時間からだから、夕食は朝のうちに準備していた。
「ああ、そうだった聞いてたのに忘れてた。じゃあバイト先ね」
まさかついてくる気か。
けれどさあさあと強引に車に乗せられてしまえば、もう仕方がない。
狐の一族は遠伊といい、強引ではないだろうか。
車を見たときに、まさか遠伊が乗っているのではと思っていたので空っぽの車内に拍子抜けしたのは内緒だ。
バイト先について一人仕事だからついてきては駄目だと言うと、手は出さないからと言われてしまった。
そんな問題じゃない。
「何かあったら困るから」
何かって何だ。
そう思ったけれど、仕事をしないと兄貴に叱られると言われてしまえば強く拒否も出来ない。
どうやら忍の弟らしく、理斗の側にいるのは最優先事項だと言われているらしい。
ますます拒否しにくい。
結局掃除をする理斗を見守る圭介という訳の分からない状況のバイトを終えて帰ろうとしたら、建物の入り口にいる人物に目を丸くした。
遠伊が忍を連れて立っていた。
まさかと思って振り返ると、圭介がニヤリと悪戯げに笑っている。
終わる時間を連絡したらしい。
いつのまに。
「なんでわざわざ」
「会いたかったから」
目の前まで歩いてきた遠伊は相変わらず白皙の美貌に表情は乏しい。
なのに眼差しは熱を孕んでいるように見えて、理斗を落ち着かなくさせた。
この目は苦手だ。
そっと両手を取られると、温かい手にどきりとする。
水仕事をした理斗の手が冷えているせいだろう。
長身の彼はそれに見合って手も大きいから、理斗の手はすっぽり包まれた。
それがなんだか恥ずかしい。
「冷たい」
「え、ごめん、離して」
慌てて手を引っこ抜こうとしたけれど、それは叶わなかった。
形のいい唇が指先に落とされる。
柔らかな感触に、ひゃっと小さく悲鳴を上げてしまった。
「本当なら辞めさせたい」
「それは困るよ」
「そう言うと思ったから、我慢してる」
再び指先にキスが落とされる。
頬が赤くなっているのが自分でもわかった。
(流されるな!ただの霊力目当てなんだから)
内心、必死に自分を叱咤する。
そっと手が離されたことでほっと肩の力を抜いた。
無意識に強張っていたらしい。
遠伊との触れ合いなんて心臓に悪い事この上ない。
いつの間にか冷たかった手は、遠伊の体温が移っていた。
「夕食を一緒に」
流されるなと思いながらもじっと見つめられる。
やっぱりこの目に弱いのだ。
苦手なのに嫌じゃないのがまた困る。
最初の頃から見つめられると強くあらがえない。
絶対にそれをわかってやっているに違いないと思うと、唇が無意識に尖った。
「それと連絡先を浮かれていて聞きそびれたから」
「浮かれて?」
幻聴だろうか。
およそこの男に似合わない言葉だ。
「うん、理斗に会えて」
思わぬ言葉に何も言えず息を飲むと、圭介が口を開いた。
「スマホは持ってないそうです」
圭介の言葉に遠伊がぱちりとまばたいて理斗を見下ろす。
スマホなんて与えてもらえるわけもなく、当然のように持っていない。
それも、友人が出来なかった理由のひとつだし、中学を卒業してから春に連絡をとらなかった理由でもある。
「準備する」
「いやいや待って!」
ぶんぶん首を振ったけれど遠伊は止まらなかった。
「忍」
「手配します」
あうあうと動揺しているうちに理斗は遠伊の邸に連れ帰られて、夕食をご馳走されるはめになってしまった。
今日は朝のうちに夕食を作っていてよかった。
流されすぎじゃないだろうかと自分で自分が心配になる。
夕食は以前より量がかなり少なくなっていた。
以前のとき理斗が無理して食べようとしたからだろう。
遠伊の食事の四分の一ほどの量を用意された。
遠伊は足りるかと聞いたけれど、残さなくてすんだからよかったし、その量でも若干食べ過ぎたと感じるほどだった。
食後のお茶を飲んでいると、忍が携帯を準備出来たと持ってきた。
手配が早すぎてまぬけに口をぽかんと開けているあいだに渡された。
ちなみに遠伊の連絡先の登録作業は当然の流れのようにすでに終わっていた。
あとは圭介と忍の連絡先も登録されているらしい。
そんな説明をされても使いこなせるのかと不安になるけれど、今さら断れる雰囲気ではない。
しぶしぶ理斗は携帯を鞄に入れるしかなかった。
泊ってほしいという遠伊をなんとか宥めて車で送ってもらうことになったけれど、当然のように遠伊も同乗してきた。
せっかく自宅に帰ったんだからと断ったけれど、送るとキッパリ言われてしまえば遠伊が引かないことはすでに短い期間で学習している。
「じゃあ」
叔父の家近くに着いて車のドアが開かれたので遠伊にぺこりと頭を下げると、手を取られた。
何だろうと思っていると、指先に口づけられる。
カッと頬が熱くなったけれど、はじめてじゃないんだから落ちつけと息を飲む。
なのにそんな努力を吹き飛ばすように、それだけでは終わらなかった。
人差し指の先を、カリと甘噛みされた。
並びのいい白い歯が覗いたあとに赤い舌が噛んだ場所をチロリと舐める。
ひゅっと喉を鳴らした理斗は慌てて手を引っ込めようとしたら、簡単に遠伊の手は離れた。
「おやすみ」
返事は出来なかった。
車を降りてみっともなく走りバタバタと玄関に入ると、ズルズルと扉に背を当てたまましゃがみ込む。
両手で顔を覆うと火がついたように熱かった。
「あーもう……」
うめくように声が出る。
その夜は何度もそのことを思い出して眠れなかった。
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