第4話
到着したのは背の高くピカピカと磨かれている建物だった。
雨風にさらされているはずなのに、汚れはまったくない。
普段理斗が清掃に行くようなビルとは大きさも雰囲気もまるで違う。
車から降りて「ふわ」と思わず驚いた声が小さく口の中で出た。
「あ、あの、ここ」
「私の会社のひとつ。普段はここを拠点に仕事をしている」
遠伊の会社。
それも複数形。
意識が飛びそうだ。
ビジネス街に車が入った時点で何となく予想はしていたけれど、実際に説明されると衝撃がある。
車を降りて、遠伊に手を引かれて建物のなかに入っていく。
離してほしかったけれど、手を引き抜こうとしても離してくれなかったので繋いだままだ。
受付をスルーして通り過ぎるときに、場違いな理斗をジロジロと受付嬢たちが目線で追いかけてくるのがいたたまれなかった。
完全に不審者を見る目だ。
遠伊がいなかったら門前払い案件だろう。
エレベーターに乗り、人の目が無くなってようやくほっとしたのも束の間。
通されたのは社長室だった。
どこか空き部屋にでも通されると思っていた理斗は気おくれするどころじゃない。
部屋の奥にあるデスクも椅子も重厚な作りをしているし、手前にあるソファーとテーブルも同様だ。
絨毯も足音を吸い込む深く落ち着いた色合いのものが敷かれている。
絶対にお金がかかっていると確信できた。
どう考えても貧相な出で立ちの理斗はこの部屋で浮いている。
エスコートされるようにソファーに座らせられると、ふかふかだった。
再び「ひえ」と小さな悲鳴が口の中に上がる。
汚したりしないだろうかと、座りが悪くもぞもぞと落ち着かない。
「午前中だけここにいて、午後は空けたから」
「空けたって……」
「空けた」
ハッキリ言われて、まさかと思う。
自分のために時間を空けたのだろうか。
もしそうなら申し訳ない。
強引に連れてきたのは遠伊だけれど。
やっぱり断ろうと口を開きかけたとき、ノックが室内に響いた。
遠伊が答えると、扉が開く。
「おはようございます」
中に入って一礼したのは隙なくスーツを着こなした男だった。
整った顔に短い金髪。
遠伊同様に二十代後半に見える。
独特の雰囲気に、あやかしだとわかった。
「どうも、花嫁様。遠伊様の付き人と秘書をしています忍と申します」
花嫁と言われて否定しようとしたけれど、丁寧に頭を下げられてしまい出鼻をくじかれた。
「糸峰理斗です」
同じように頭を下げると、忍は遠伊に向き直った。
「スケジュールの調整は整いました。午前中に仕上げていただきたいものはデスクに」
忍の言葉に遠伊が頷くとデスクへとついた。
広いデスクの上は整頓されていて、書類以外のものが載っていない。
ソファーに所在なさげに座っている理斗はどうしたらいいのだろうと思っていると、忍に好きに見ていいとタブレットを渡された。
そのまま二人は仕事を始める。
スマホも持っていない理斗にはどう使えばいいのかさっぱりわからない。
タブレットはハードルが高すぎて、手に持ったままチラチラと遠伊を見ていた。
(俺ここにいていいのかな)
仕事の邪魔ではないだろうか。
というか絶対に邪魔だろう。
どこか別室にでも行けば落ち着いて待てるのにと遠伊をまたチラリと見れば、書類を見るために伏せた目元に睫毛の影が落ちている。
神様が気合を入れまくって作ったような、本当に綺麗な男だと思う。
いつのまにか盗み見でなくじっと見つめてしまっていると、遠伊の視線が動き理斗に気づいた。
邪魔だったかとドキリとすると、遠伊は笑みを小さく浮かべた。
弓なりに唇が美しい曲線を描く。
大きく表情は変わらないけれど整った顔が動くと拝みたくなる美しさだ。
思わず見とれてしまうと、バサリと忍が書類を落とした。
見惚れてぼーっとしていた理斗は我に返りそちらを見やると。
「失礼しました、見慣れないもので」
忍が早口で告げ書類を拾って仕事に戻る。
なんだったんだと思いながら、結局理斗は遠伊の方を気にしながら午前を過ごした。
十二時を過ぎたころ。
結局タブレットを膝に載せているだけで過ごしていたら、遠伊が立ち上がった。
仕事が終わったらしい。
「食事に行こう」
「あの!」
エスコートするように手を取られたので、慌てて声を上げた。
遠伊の金色の目がぱちとまばたく。
「昼奢らせて。泊めてくれたお礼になるかわからないけど」
昨夜からお世話になりっぱなしだ。
遠伊の強引な行動にとまどうばかりだったけれど、理斗は一切不快なことをされていない。
むしろこれ以上ないくらい丁寧に扱われている。
こんな態度をとられるのは、両親が死んでからははじめてだ。
なんとかお礼をしたかった。
たとえそれがすべて遠伊の頑固な誘導の結果であっても。
「君はそんなこと気にしなくていい」
「でも……」
じっと見つめられて口ごもる。
この男の眼差しを見ると、強く出れなくなる。
もともと人に対しては引け目を感じて強気になんてなれないけれど。
「うう……あの、来るときにあった公園に、ホットドックの店があって、その……」
しどろもどろに告げれば、きょとりとした顔を返された。
黙ったままじっと見つめられるといたたまれない。
「……やっぱり、やめ」
「行く」
答えを返されて、今度は理斗がきょとんとする番だった。
けれど理斗の提案を受け入れてくれるらしい。
これでささやかでもお返しが出来ると少し気持ちが軽くなった。
「遠伊様」
忍が名前を呼んだので、そちらを遠伊が向く。
彼は何も言っていないのに、何故か忍は何か言いたそうな顔をしたあと観念したような複雑な表情でわかりましたと言った。
そのあとは二人だけで公園まで行き、出店に向かった。
公園の奥には赤いキッチンカーが止まっている。
遠伊にベンチで待っててもらい、理斗はホットドックを二つ買った。
ここのホットドックは安いのに結構美味しい。
なけなしのお金は、買い物の小さなおつりなんかをコツコツ貯めたものだ。
バイトでここに来るたびに気になっていて、一度だけ思い切って買ったことがある。
自分の分は買うつもりはなかったけれど、それだと遠慮するかなと思い、大打撃にはなるけれど二つ買った。
おかげで理斗の侘しい貯金はすっからかんだ。
「おまたせ、どうぞ」
ホットドックを手にベンチへ戻り、ひとつを差し出す。
受け取った遠伊の隣に座ると、彼はじっとホットドックを見つめていた。
「あ、もしかして嫌いだった?」
「いや、初めて食べる」
「え!」
遠伊の言葉に驚いて理斗は声を上げていた。
マジマシと見やる遠伊は、興味深そうにホットドッグを見ているので嘘ではないのだろう。
でもそうかと思う。
あんな会社のトップで、理斗でも知っている家の人間だ。
狐塚屋といえばあやかしのトップだと聞いたことがある。
強い狐の一族だと。
そんな人間が公園の安いホットドックを食べるか。
答えは否だ。
今頃それに気づいた。
もしかしたら忍が一度呼び止めたのは、それが原因かもしれない。
理斗は考えが至らなかった自分が恥ずかしくなった。
いたたまれない気分になり、喉がひくつく。
「ご、ごめん、無理して食べなくていいから」
慌ててホットドックを受け取ろうとすると、遠伊は涼しい顔でホットドックを口にした。
ホットドックってこんな上品に食べられるんだと、先ほどの羞恥も忘れて感心してしまう。
粗雑に口を開けているのに顔つきが崩れることなく、優美だ。
唇についたケチャップを親指でぐいと拭う仕草は存外男らしくて、ドキリとしてしまい一瞬目をそらした。
「嫌いじゃない?大丈夫?」
「君と一緒なら何を食べても満足できる」
そんなことは言わないでほしい。
思わず頬が熱くなるのを感じて、慌てて理斗もホットドックに口をつけた。
二人で黙々と食べて、遠伊が先に完食する。
理斗は半分食べたところで満腹になり、ふうと息を吐いて眉を下げた。
思った以上に入らなかった。
お腹がだいぶ張って苦しい。
以前のときは貴重な食糧だと持って帰って少しずつ食べたのだ。
今日も持って帰るか思案していると、遠伊が理斗の顔を覗き込んだ。
「満腹?」
「あー、うん……あんまり入らないんだ」
まともに食事を貰えないので、理斗の胃はだいぶ縮んでいる。
一度に多くは、食べられない。
へらりとごまかすように口元で笑みを作ると、キュッと遠伊の眉が寄せられた。
口角も下がっている。
「昨日も今朝も思ったけれど、君はもう少し食べて太った方がいい。痩せすぎだ」
「そうかな」
「そうだ」
痩せてはいるけれど、そんなに真剣な顔をされるほどだろうかと首を傾げながら、ホットドックひとつでは足りてないかもしれないと残りの半分は遠伊に食べてもらった。
「次は私に付き合ってほしい」
言われて向かったのは美容院だった。
白いガラス張りの建物に気後れして足を止めそうになっても、手を引かれたまま連れ込まれてしまった。
え、え、ととまどっているあいだに、あれよあれよと髪の手入れをされ長い前髪を切られ二時間後。
鏡に映ったのはこざっぱりとした理斗で、なんだか不思議だった。
髪なんて切りに行く時間もお金もないから、伸びすぎたら文具用の鋏で適当に切っていたので、毛先はガタガタで傷んでいた。
美容師が最初に髪を触った時に絶句していたので、だいぶ酷かったのだろう。
それが今は心なしかヘッドスパまでされて髪に艶まであるし、視界も良好だ。
全体も綺麗に形を整えられていて、みずぼらしさは鳴りをひそめている。
終わって遠伊の待っている別室へ行けば、前髪をさらりと撫でられた。
「ようやく君の目がしっかり見えた」
目元をほころばせた遠伊に恥ずかしくなってうつむくと。
「うつむかないで」
両手で頬を包まれて顔を上げさせられてしまい、顔が真っ赤になりはくはくと呼吸がうまく出来なくなりそうだった。
心臓に悪いのであまり顔を近づけないでほしい。
そのあとはカフェに連れていかれたので、花嫁の説明をしてほしいと頼んだ。
理斗自身はあやかしと関わるなんてないと思っていたので、ほとんど知識がない。
何故突然花嫁と言われたのか、いい加減はっきりさせなければと思ったのだ。
「花嫁はあやかしの妖力と共鳴する霊力を持つ人間の呼称」
「俺男なんだけど」
「女のあやかしが男相手を選んでも花嫁と言われる」
人間はみんな花嫁らしい。
大雑把すぎないかと微妙な心持ちになる。
「花嫁は相手の妖力を高めるし、子供も強いあやかしが産まれる」
「いやだから俺男だし産めないよ」
慌てて声を上げても遠伊は涼し気な顔だった。
その冷静さがいっそ睨みつけたくなる。
「男のあやかしが人間の男を選んでも孕ませることができる。女同士も同じ」
絶句するしかない。
パクパクと口を開閉するけれど、驚きすぎて何も言えなかった。
ただ呼吸だけが喉を通り過ぎていく。
「あやかしは寿命も長い。花嫁はあやかしの伴侶を得れば老化することはなくなり、共に生きられる」
「何それ」
もはや言葉もない。
それは人間ではなくなると同義だ。
男なのに子供が産めて、老化せずに死なない。
理斗の常識に収まらない内容に、ぐるぐると頭のなかで混乱するように今言われた言葉が回る。
いっそ怖いとさえ思えてくる。
「君になにかを無理強いする気はない」
その言葉に、ほんの少しだけほっとしてしまう。
動揺で目線をテーブルにおとしていたのを上げると、そっと頬を撫でられた。
「それでも、君は大事な花嫁だ」
大事。
妖力が強くなって力のある子供を産めるからだろうか。
やけに胸がモヤついた。
(霊力目当てってことなのかな)
そう考えたら腑に落ちる。
利用価値があるから優しくするんだと納得できた。
無理強いする気はないと言ったけれど、懐柔して理斗が望むように仕向けることだってきっとできる。
まだ会って二日。
傷つくほど遠伊のことは知らない。
だからショックを受けるのはお門違いだと自分をたしなめた。
自分なんかを理由もなく大事にしないよなと、納得することもできた。
口数の減った理斗が帰ると言うと、送っていくと車に乗せられた。
車内でじっと見つめられて。
「今日も連れて帰りたい」
そう言われたのを、なんとか目をそらして断った。
車を降りるときに手の甲にキスをされて心臓が飛び跳ねたけれど、必死でなんでもない顔をしてそそくさと車から離れる。
玄関へと向かうたびに足が重くなるのを自覚しながらも、他に行くところがないこともわかっているので深く息を吐いて気持ちを落ち着けた。
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