混沌にして純粋なる告白

 思いに気づいたのは、彼女の結婚式だった。パティシエだという、俺と同じ年の男の隣で、幸せそうに花を飛ばす彼女を見て、やっと気持ちを自覚したが、結婚式をぶち壊すわけにもいかず、ヤケ酒をして眠りについた。目を覚ますと、俺は彼女が結婚する三年前に戻っていた。


 これが一度目のループだ。


 それから何度も何度も、俺はタイムリープを繰り返している。正確には並行世界に移動しているのだろう。俺こと松蛇愁は、元魔法少女、冴島野乃花の結婚を巡るいくつもの世界線を見ている。起こる出来事は少しずつ違うものの、彼女は最後には俺以外の人間と結婚し、その結婚式の翌日、俺は三年前にいる。


 一度目の世界では魔法少女を引退して平和に過ごしていた彼女だが、二度目では魔法少女の後輩ができ、三度目以降は魔法少年・少女の訓練校の設立に関わり、教官として活躍している。魔法少女を引退する時期も様々で、起点となる年の七年前だったり四年前だったりする。俺が最初にいた世界線では、四年前に単身、組の幹部とやり合って警察に引き渡しているが、この出来事も変わっていることがあった。俺の人生を変えた出来事なのに、皮肉なことだ。


 そして、多くの世界で加賀美智彦の組織、仮に『闇組織』とする、によって危機に陥り、その危機を脱した後、同僚で特殊な除霊体質を持つ都築つづき椿樹つばきと恋仲になり、結婚する。


 椿樹はいい男である。性格はぶっきらぼうで愛想がないが、面倒見がよく、たくさんのカップルの成立に関わり、幽霊たちに感謝されている。化け猫だの幽霊だの特殊な相手とも分け隔てなく接することができ、戦力としても優秀な彼に、野乃花が惹かれるのは、ある意味では当たり前のことだった。


 野乃花は復讐に燃え、人の道から外れかけていた俺を、光の当たる場所に戻してくれた。恋しい相手である以上に恩人で、そんな相手には、俺の恋愛の成就などより、自身の幸せを掴んでほしいのは当たり前のことで、椿樹に惹かれる彼女を止めることなど、微塵も考えたことがなかった。……いや、考えたことはあるが、彼女の幸せそうな顔を見ると、『彼ではなく俺を選んでくれ』なんて、そんな身勝手な気持ちは、伝えることができなかったのだ。


 幾つもの世界線の中で、最後、つまり今の俺がいるのは、野乃花と椿樹が同僚ではない世界線だった。野乃花は配送業の事務員として勤務しており、印刷会社で働いている椿樹とは接点がない。だが、野乃花から、サイコパス看護師が作り出した魔法少女について調べてほしいと依頼された俺は、タイムリープの知識を総動員して、考えうる限り最強の布陣で魔法訓練校を設立した。椿樹と野乃花を会わせたくない、という気持ちがないわけではなかったが、俺が一番に望むのは野乃花の幸せ。もちろん椿樹も勧誘した。


 司令に喫茶店経営者の土谷駿一。剣技教官に異世界の騎士、ブレード・グランドゥール。霊力術師として都築椿樹、鵼乃アルル。修理屋兼格闘術教官に闇組織から引き抜いた絹傘秋水。医務官に勅使河原留綺。さらに彼の助手として、別の世界線で加賀美が巨大化させたことのある "おてつだいまきちゃん"高野マキを回収し、きょうだい機である増田たかしモデル2改(犬)とともにロボットの戦力も強化。飛行ロボットのパイロットとして、天城未来の守護霊である天城昭一。魔法戦士見習いとして、三沢晴太、天倉芽芽音、ハーフエルフの玉森観取央。三沢晴太の恋人である天下ミヤネの提案で、現役アイドル紅谷萌歌をスカウトマンとして迎え入れ、さらに三嶋アリスと流山みなを候補生に加えた。また敵として魔法少女ノノンと退治したこともある、『ウツロブネ』店主の夜鳥繰流衛門とも良好な関係を築いている。非の打ち所がない完璧の布陣……の、はずだった。


 この世界線の加賀美は、この布陣を苦戦させる強さだったのである。


 彼の日記を見た時、嫌な予感はした。ただ純粋な興味により実験を繰り返し、母親を独占したいという無邪気な思いで弟を殺しかける狂気。この世界線の加賀美はただのサイコパスではなく、闇組織のボスさえ欺いてクローン人間を量産した。それだけでなく、ボスの生み出した仮称『対象女性の望むように』をにえに、邪神と取引をした。


 先ほどの最強の布陣に、あえて加えなかった人物がいる。加賀美の関わったサイボーグであり魔法少女マリアンこと、藤ヶ谷文香。せっかく流れで引き入れることができそうだった絹傘を、自分では幸せにできないと思ったから、なんて身勝手な理由で記憶喪失にしかけたり、肝心な時には敵に勝てなかったり、祠を壊したり、困った人物でもある彼女だが、そこは現役魔法少女。この世界線でも活躍してくれていた。


 だが、邪神と加賀美のクローン軍団で戦力が二分され、隙が生まれた。幸いにも加賀美は、自分が作り出した魔法少女を軽んじており、文香の闇魔法に対して有効な手段を講じていなかった。その油断が命取りになった。


 闇には闇を。命には命を。文香は自らの命と引き換えの『終・末・絶・唱ラスト・ソング』により、加賀美と相討ち。世界には平和が訪れた。


 仲間の命と引き換えの平和を、みな悲しんだ。もちろん野乃花も。


 野乃花の涙を見た時に決意した。野乃花が涙を流すこの世界は、やり直さなければならない。



 だが、他の世界線ではあっさり俺以外の男と結婚した野乃花が、なかなか結婚せず、タイムリープの機会が訪れなかった。肝心の椿樹はアルルといい雰囲気になっているし、別世界線では野乃花にプロポーズした土谷司令も、コンサルティングを通じて知り合った霧島春乃と交際をしている。かくなるうえは、最初の世界線で野乃花と結婚した二ノ宮しかない。頼んだぞ、パティシエ。


 俺は近場のケーキ屋でひたすらケーキを買い、二ノ宮宙を探している。俺は野乃花のような甘党ではないので、毎食ケーキはつらいものがあるが、職業柄顔を覚えるのは得意でも、似顔絵の得意でない俺は手配書を作るわけにもいかず、これしか二ノ宮に近づく手段がない。


「うげっ、松蛇さんがまた寂しそうな顔でケーキ食ってる……」


 うげっとはなんだ。振り返ると都築椿樹、鵼乃アルル、それから椿樹と仲のいい喋る猫がいた。椿樹と猫がいるということは、ラムダという幽霊少女もいるのかもしれない。


「椿樹、お前が野乃花ちゃんと結婚しないからだぞ」

「はぁ? なんで俺が……」

「野乃花ちゃんの魅力がわからないとはお前、目ん玉腐ってんだろゴルァ」

「急にヤクザに戻るなよ。俺にはアルルがいるから」


 アルルが目を輝かせる。


「つ、椿樹さん……!」

「……嫌いな女と二人で雪山に行くかよ」


 はいはい。勝手にしてくれ。


「というか、松蛇さんはなんでそんなに、俺と野乃花さんがくっつくと思ってんだ?」


 椿樹の一言にハッとした。そうだ、タイムリープのことを、話してはいけないなんて決まりはない。魔法少女だの、異世界の騎士だの、除霊師だの、喋る猫だのがいるのに、タイムリープを信じてもらえないわけがないのだ。


 俺は洗いざらい喋った。


「……なるほどね」


 納得してくれるものだとばかり思っていた椿樹は、渋い顔をしている。アルルは何かを見ながら目を白黒させているし、猫まで俺のことを冷たい目で見ている。アルルが口を開いた。


「松蛇さん、知ってるか? あんたの上には今、文香さんの幽霊がものすごい形相で浮かんでんだ。あんな顔は、タイガースがボロ負けした時でもしてないよ」


 どんな顔だ……? そういえば背筋が寒い気がするな。


「文香さんがさ、『お前の意気地なしを、うちのせいにするなアホ』だってさ。……正直アタシもそう思う」

「んなっ! 俺のどこが意気地なしなんだ」

「えぇ……」


 二人と一匹は、呆れた、という顔で俺を見る。おそらく幽霊たちもだろう。


「……吾輩が代表して言おう。松蛇まつだしゅう、貴様がどれほどの世界線を見てきたか知らないが、この世界線の野乃花を幸せにできるのは、お前だ。確かに文香のことは残念だった。幽霊となった文香の姿を見ることができる、我々でもそうなのだ。霊感のない野乃花たちには、もっと辛いだろう」


 猫の言葉をついで、椿樹が言う。


「だけどな。死んだやつは戻ってこないんだ。あんたはタイムリープで別の世界線に移動しておしまいかもしれないけどな、俺たちは、文香も、ラムダも、も……みんな死んじまった後の世界で生きていくしかないんだ。受け止めるしかないんだよ。野乃花さんの涙は、なかったことにはできない」

「そーだぜ、松蛇さん。あんた野乃花さんのこと好きなんだろ? ずっと友人だったんだ。野乃花さんだって、松蛇さんのこと嫌いじゃないはずだ」

「……俺は、タイムリープの知識があっても、彼女を幸せにできなかった。だから相応しく……って痛っ!」


 空になったケーキの箱がひとりでに宙を舞い、俺の頭に直撃した。たぶん文香のせいなんだろう。いや、お前に怒られる筋合いはないぞ。残念だったな、お前が記憶喪失にしかけた絹傘はいま、土谷司令の店にバイトにきた東欧美人といい雰囲気だ。あの東欧美人は不思議な力を持っているようだし、次の世界線では彼女を味方に引き入れて、絶対に野乃花を泣かせは……って今度は猛烈な頭痛が。これが霊障か。


「……認めろよ、松蛇さん。野乃花さんのこと、好きなんだろ?」

「うるせえな! 好きだよ! 命に替えてでも幸せにしたいくらい愛してるよ! 悪いか⁉︎」

「だ、そうだ」


 椿樹が俺の背後に声をかける。そこには、涙を流しながら、花を飛ばす野乃花がいた。俺と目が合うと、彼女は一目散に走り出す。


「おい早く追いかけろよ」

「いや、街角でパティシエにぶつかって恋に落ちてるかもしれないから……って痛ててて」


 そんな話をしている時に、空気を読まずに、緑色の作無衣を着た男がやって来た。


「ヤァ文香嬢、君の魔法少女カード、ノーマルのスキルはお望み通り、『例・の・ア・レタイガース優勝』にしたよ。敵がどこにいようとも、道頓堀に叩き込む魔法だ。厄介ごとは全て大阪に押し付ける素晴らしい魔法……ボクはお邪魔だったかな?」


 おもむろにアルルがスマホを取り出し、何やら話し出した。


「モシモシ。ブレードサン? エー、ナンダッテ! 仮称『対象女性の望むように』ガニゲダシテ、ソチラニムカッテル? ソレハ、タイヘンダー!」

「野乃花ちゃん!」


 追跡は得意だ。俺は野乃花を追って、走り出した。



 俺の追跡スキルを使わずとも、野乃花の居場所はすぐにわかった。花が道に落ちている。だが彼女は足が速い。俺だって遅いわけではないが……。


「危ない!」


 車道に飛び出しかけた野乃花の腕を引っ張り、背後から抱きしめた。女物のシャンプーと柔軟剤の匂い。柔らかくて温かい。


「……離してよ」

「いやだ。……どうして泣いてるの。俺のこと怖い?」


 俺の腕の中で、野乃花は首を横に振った。


「怖くないよ」

「どこから聞いてた?」

「愁くんがタイムリープしてるって話から」

「弱ったな。最初からじゃないか」


 黙っているつもりだった。困らせてしまうから。今だって、泣かせてしまった。


「野乃花ちゃん、聞いてくれる?」

「うん」

「俺はね……意気地なしなんだ。怖いんだよ。俺のせいで野乃花ちゃんが傷つくこと、野乃花ちゃんが悲しい思いをすること、ぜんぶ。野乃花ちゃんのため、とか綺麗事言わないよ。俺が、本当に嫌なんだ。君が泣いているとこも、傷ついているところも見たくない。一分一秒だって耐えられない。野乃花ちゃんには笑っていてほしい。君は僕の光だから」


 ポン、と青い花が一つ、道端に落ちた。


「私が泣いたのは、愁くんのせいじゃないよ。嬉しかった。愁くんが好きだって言ってくれて。でも……」

「やっぱり野乃花ちゃんには」

「最後まで聞いて。嬉しかったことが、ああ、私、幸せになれるって思ってしまったことが、本当に、これでいいのかなって……」

「それは……」


 うちのせいにするなアホ。俺には聞こえないはずの声が聞こえた気がした。


「これでいいって、思ってもらえるように頑張るよ。失ったものは戻らないけど、きっとこれから見つかるものもたくさんある。俺は君にとってのベストじゃないのかもしれない。だけど、俺のことを幸せにできるのは、野乃花ちゃんしかいないみたいだ。だから……俺と、結婚を前提に付き合ってください。一生かけて幸せにするって、約束するよ。俺が約束破ったこと、ないでしょ?」


 ポン、と今度は薄桃色の花が落ちた。野乃花は小さく頷いた。

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