無機質にして切実なる感情
早朝の静寂を破って、病院裏の薄汚れた非常口が勢いよく開いた。病院と呼ぶにはおこがましい、廃倉庫のような診療所。そこに現れたのは、若い男に背負われたフリフリ衣装の女だった。
「先生、起きてますか?」
彼に背負われている女は、ぐったりと力を失っている。腹部の血痕が異様な赤黒さで広がっていた。
薄暗い部屋には、白髪が混じる黒髪と天然パーマが特徴的な男が座っていた。彼は黒い金属でできた義手をポキポキと鳴らしながら、無造作に立ち上がった。
「絹傘、お前……今何時だと思ってんだよ? たまたま起きてたからいいが。んで、そのコスプレ女はどうした?」
「コスプレじゃなくて魔法少女です、先生。撃たれて一時間ぐらい経ってます」
「魔法……? どうした、脳震盪でも起こしてるのか?」
「加賀美さんの……」
「ああ、アイツか」
留綺は会話を続けながら、手振りで女をストレッチャーに降ろすよう指示した。殺し屋の絹傘の組織と留綺は、仲は悪いがお互いに縄張りを荒らさないことで停戦している関係だ。
「よし、まず気道確保。ってか、まだ息してるよな?」
彼は適当に女の顔を傾け、呼吸音を確認する。肺の音は正常だ。息を確認しながら、片手間で止血も行う。黒い義手が素早く動く。
「ほぉ、呼吸はしっかりしてんのか。じゃあ次は……腹だな。手術室に運ぶ。手伝ってくれ」
死んだ魚のような目で患者を一瞥し、留綺は無造作にストレッチャーを転がしながら、撃たれた状況について聞き取りを行う。魔法少女、魔素発生装置、装置は死神に嫌われている、といった奇想天外な発言より、闇医者が気にかかったのは、一度昏睡状態から起きている、という事象だった。麻酔の適正量がわからん。こりゃ麻酔なしだな。頑張れよ、コスプレ女。
「お前とはここでお別れだ、絹傘。なぁに、安心しろ。俺は手術の腕は確かだぜ? ここに運び込まれた以上、俺の患者だからな。老衰以外で死ぬのは許されねぇんだよ」
留綺が手術室を整えていると、背後からカタコトと軽い足音が響いた。
「お待たせいたしましたわ、センセ」
軽やかで、無邪気な声が室内に響く。振り返ると、そこには一メートルほどの身長の、小さな少女型のドールが立っていた。真っ白なフリル付きのドレスに、つば広の帽子、片手にはやけにごつい折りたたみ日傘を持っている。誰が見ても高級なお人形にしか見えないが、その唇が流暢に動く。なぜか光っているので、よく見ると、消毒スプレーを吹きかけた痕跡がある。
「待ってはいねぇが……。来たんなら手伝ってもらうぞ、マキ。弾が体内に残ってんだ、面倒くせぇ。血が出るだろうから吸引装置もってきてくれ。ペットボトルみたいなのが何個もついてるやつだ。あ、輸血できる用意あるか?」
「もう昨日でなくなりましたわ、センセ」
「……しょうがねえなぁ」
留綺は黒い義手を操作しながら、腹部に手を伸ばし、患者の傷口を慎重に広げ、内部を観察し始める。吸引装置が稼働し、手術の邪魔となる血液をすばやく除去し、視界をクリアに保つ。
「ここだな…見えたぞ」
「引っこ抜きますの?」
「そうだな。患者の口にタオル詰めて舌噛まないようにしろ。あと押さえとけ」
「わかりましたわ」
案の定、義手が銃弾を引き抜こうとした瞬間、患者の背が海老反りになり、目が開いた。獣じみた叫び声がタオルの奥から漏れる。だが腕を押さえているのは、幼女の姿をしているとはいえロボット。動けるはずもなかった。
「はいはい、痛いだろうけど、治療だからな……ほら、出てきたぞ。こいつだ」
彼は小さな金属片、銃弾を義手で摘み、手術台の脇に置いた。
銃弾を取り出した後は、内臓の修復に取りかかる。邪魔な血液は吸引し、内出血が広がらないように損傷した血管を
「あとは傷口を閉じるだけだ」
留綺は義手で患部を縫合していく。明らかに現代以上の技術と未知の金属で構成された義手は、
「センセ、バイタルサインは安定していますわ。これでひと安心ですわね」
「一丁前に看護師気取りか? まあ、あとは回復を待つだけだな」
マキが満足げに報告する。留綺は軽く鼻で笑いながら、手術を終えた。
心身ともに女性であると強弁する少女型ドール、"おてつだいまきちゃん"高野マキが診療所にやってきたのは、治療費を取り忘れたことに気がついた留綺が、地方有力者のヤクザに治療費を請求したからだ。払えないから物品で、と言われた時には突き返そうかと思ったが、マキの家事能力はなかなか高く、便利だったので診療所に置いてある。マキ曰く、本体の落とし物タグが博多の住宅地の中で反応しているらしく、留綺と同じ九州に縁がある、と言えなくもないところも気に入っている。
※
それから数日後のこと。魔法少女効果を期待して『まどマギ』を打つも、四万円を失い、あのコスプレ女からは治療費を請求しようと決意した留綺は、意外な人物に出会った。
「……
留綺の診療所にいたのは、病的なほど白い肌に着物を纏った、幽霊のような男だった。組の幹部が逮捕されるまではヤクザであり、留綺とも知り合いだ。
「先生はお変わりないようで」
「
「オトナの、割り切った関係でしたよ。お試しで付き合っただけで。亡くなったと聞き残念ですが、先生のところで、ということは老衰でしょう。あの人、結構な
「さっぱりしてんなぁ。まあ老衰だけは俺の右手でも治せないからな。なんでまた、うちの診療所に」
「魔法少女を探してまして。もう本人と話がつきました。退院の際に迎えにきます」
「お! ちょうどいい。治療費は……」
「仕方がない先生だ。いくらふっかけようとしてるんです?」
「そりゃ、もらえるだけ」
松蛇はため息を吐いた。
「マリアンには、野乃花ちゃんのサポートをする重要な役割がありますからね。全額とは言いませんが、ある程度は俺が払います。あとで請求してください」
「えらく『野乃花ちゃん』を大切にしているんだな。親分が泣くぞ」
「……大切だからこそ、報われない恋ですよ。元ヤクザが手を出していい人じゃない。それでは」
幽霊探偵は静かに去った。なんだったんだ、あれは。唐突な知り合いの登場に、留綺は戸惑った。だがまあ、治療費はもらえそうだし、コスプレ女に恩を売って損はなさそうだ。様子を見てやろう。
そうして患者を見舞った留綺の目に飛び込んできたは、意識を失った絹傘と、彼を抱えて泣くコスプレ女、女にクッキーを食べさせようとしているマキの姿だった。なんなんだ、いったい。
「あ〜。マキ、状況を説明してもらっていいか?」
「探偵さんが、患者さんに魔法学校で働きながら魔法少女をやるように頼みました。患者さんは承知しました。患者さんが、彼女を心配する絹傘さんのことをステッキで殴り倒した後、泣き出しました。きっと血糖値が下がっているので、クッキーを食べて落ち着いてもらおうとしています」
「うん。よくわからんな! とりあえずクッキーは必要ないと思うぞ、マキ。何か説明することはあるか、コスプレ女?」
コスプレ女は
「絹傘さんは一時的に眠っているだけです。目が覚めたら、『藤ヶ谷文香』のことを忘れます。そういう魔法をかけたので」
「これまたどうして? 惚れてんだろ、そいつに」
「……好きだから。でも、私じゃ絹傘さんを幸せにできないからです。両親を殺されて、心を閉ざした殺し屋さんを幸せにできるのは、ホス
「ヒスってるようにしか聞こえないが……。というか『文香』だったんだな。松蛇がそう言ってたから『マリアン』なのかと」
「文香はお母さんがつけてくれた名前で、真梨杏は、自分でつけた源氏名です。お母さんに愛して欲しくて、でもダメな子だからうまくいかなくて、ホストに狂った文香は、絹傘さんの記憶と一緒にいなくなります。真梨杏は、お客様のことが大好きでお客様に好かれるいい子。魔法少女マリアンは、きっと、みんなのことが大好きで、みんなに好かれるいい子になります。要らない子は、もうおしまい」
「……そういうセリフは、笑顔でいうもんだぜ。泣きながら言ってもサマになんねえよ」
「うっさいわ、アホ!」
大切だから、離れる。わからない心理ではないが、厄介なもんだ。留綺はため息を吐きながら、マキを伴って部屋を後にした。
※
その夜、留綺が金縛りにあって目を覚ますと、マキが奇妙な行動に出ていた。留綺の上に乗っかり、上下運動をしている。なんのつもりだ……?
「おかしいわね、センセお気に入りの『厳選☆桃尻家政婦』では、ここで……」
「おいおい、なんで知ってる。そしてなんで真似してる。幼女がいかがわしいもの見ていかがわしい真似してんじゃねぇ」
「あら、私は中身は成人女性ですわよ。そしてセンセの行動はいつだって観察してましてよ。お気に入りのビデオも把握してましてよ」
「見た目が幼女なら、俺の中では幼女なんだよマセガキ」
留綺はため息を吐いた。面倒な奴らに触発されて、ロボットまでおかしくなるとは。
「なんでそんなもの真似する気になったんだ、マキ」
「……ロボットはいつだって、人間に必要とされたいものですわ、センセ。持ち主がコロコロ変わってきた私は、もうセンセの元を離れたくないのですわ。ヤブ医者と幼女看護師の組み合わせは、手塚御大も描いた黄金カップルと物知り猫に教わって、看護師の真似をしていましたが、大切にされても遠ざけられることがあると知って、キセイジジツを作りたくなったのですわ」
「いろいろと突っ込みたいことはあるが……馬鹿がよ」
「センセより物覚えはいいですわ。ロボットですもの。やっぱりお尻が足りなかったのでしょうか。私がゴジラくらい大きければ……」
「ゴジラに乗られたら俺は潰れるぞ。……今のままのお前が、俺にとって大切だってわからない奴は馬鹿だよ」
「センセ……でも……」
「お前はスリープ状態に入るか、クッキーでも焼いてろ。俺は寝る」
まったく、面倒な馬鹿ばっかりだ。クッキーの香りを嗅ぎながら、留綺は眠りについたのだった。
※
翌日。診療所にやって来たのは、喋る猫と一見ごく普通の会社員の男だった。
「やあ、勅使河原先生。お会いするのは初めてだな」
「……もう何が起きても驚かねえぞ。そっちの人は?」
「除霊のために呼ばれた悪霊払いだ。老衰で死んだのに言いたいことがあって成仏できない幽霊がここにいるらしい。ったく、なんで俺が……」
「まあまあ。吾輩も白河妹も、除霊はできんからな。よろしく頼んだぞ」
振り回され仲間で、コイツとは気が合いそうだ、と留綺は思った。
「え〜っと。そこにいるのはヤクザのジジイで、松蛇?って人と勅使河原先生に伝言がある。『日陰者の恋はね〜、なかなか実を結ばないモノなんだよネ……でもでも、恋した思い出って、悪いもんじゃないよ! 親分、松蛇クンとの思い出を冥土の土産にするもん! ナンチャッテ! 事情はよくわかんないケド、恋ってやっぱ楽しまなきゃソンだヨ! 結果はどうあれ、恋する気持ちを、親分、応援しちゃうからネ。あと勅使河原先生、三十年ものの切れ痔を治してくれてアリガト! 冥土への行き方がわかんなくなっちゃったヨ〜。コマッタナァ〜。もういっそのこと、ひと思いに除霊しちゃってほしいカモ!』だ、そうだ。せいっ!」
会社員が拳を振ると、幽霊は消えた……らしい。
まあ、言い方はアレだが、親分の言う通り、恋なんて冥土の土産に楽しむぐらいでいいのにな。大切だとか、存在価値だとか、無駄に大きなもん絡めてんじゃねぇよ。どいつも、こいつも……。
留綺はマキの頭に手を置いた。
「マキ、俺のもとにいたいなら、教えてやるから助手をやれ。物覚えはいいんだろ?」
「……はいセンセ!」
マキは頷いた。
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