混沌にして純粋なる感情
「
会社の同僚兼女友達の見舞いに訪れた先で、名簿に名前を書く。ありふれた行動をとって、何を驚かれることがあるのだろう。清潔感のある短髪を明るい茶色に染めた看護師は続けて言った。
「ボスの拗らせ童貞出産の原因ノノンちゃんがこんなところに……!」
さすがに聞き捨てならない。野乃花が問いただす前に、茶髪眼鏡の看護師は、グイグイと手を引っ張って、病棟の隅に連行する。
「お前への恋心のせいで、ボスは大変……素晴らしいことになったんだぞ!」
加賀美と書かれたストラップを下げた看護師によれば、彼の組織のボスはかつて魔法少女だった野乃花に倒されたことで覚醒し、魔法少女に執着するようになったのだとか。歌舞伎町に本拠地を構え、お金に困っていそうな女性に片っ端から声をかけて人員を確保。加賀美の数々の実験により生まれた、魔素発生装置を取り付けることで、人為的に魔法少女を作り上げることに成功した。心臓の近くで魔素を生成し、血液循環に乗せることで、普通の人間を魔法が使える状態にするのだ。これでボスの魔法少女計画は成功したかに見えた。
しかし、魔法少女への思いを拗らせすぎたのか、ボスは突然『ノノンを見かけた!』と興奮し、加賀美にすぐさま捕獲を命じた。しかし結局のところノノンは捕まらず、ボスはこの世の女性という女性への嫌悪感が最大限にまで達し、組織にありとあらゆる女性の殺害を命じた。だが、その一時間後には自分がむしろ女性だと主張するようになり、イマジナリー彼氏ができて、妊娠をして出産したのだという。
確かに野乃花は元魔法少女だが、そんなおぞましい効果の魔法は使ったことがない。野乃花は思わず引き攣った顔になる。意味の分からない話に戸惑いを隠せないが、どう反応すればいいかも分からない。彼女はただ無言で聞き流すしかなかった。
「生命の神秘……! いやむしろ神秘への冒涜……! 素晴らしい……!」
眼鏡の奥の瞳はらんらんと輝き、涎をたらしかねない勢いで、加賀美は……壁ドンをした。
「実験させてくれ! いや、違う……いっそ結婚してくれ!」
「お断りです!」
野乃花はためらわず、加賀美の眼鏡の中央に拳を打ち込んだ。そして魔法少女として鍛えた足で、サイコパス看護師から逃げたのだった。
※
「……ていうことがあってね」
お見舞いに来たのに、病室を訪れないのもいかがなものかと思い、野乃花は同僚である
野乃花が元魔法少女であることは、一部の人間を除き、秘密にしている。それゆえ、結衣には魔法のことは触れず、話をかいつまんで、サイコパス看護師に会ったことだけを伝えた。そのせいか、結衣の反応はあっけらかんとしたもので、
「要は初対面の人間に、カラダ目当てで求婚されたってことですか? クソすぎて逆にあり」
「あり⁈ 絶対にナシだよ!」
「いや、中身がそれだけクソだってわかってると、期待値がゼロじゃないですか。もう何しても好感度が上がりますよ。玄関で靴揃えただけでキュンとできてお得ですよ、お得。しかも総合病院の看護師! 路頭に迷う心配がないから、ATMとしては優秀ですよ。いっそ試しに付き合ってみたらどうですか?」
「もぉ〜。結衣ちゃん、またそんな勝手なこと言って!」
「あはは。野乃花先輩には冗談が言いやすくて」
プロポーズはクソすぎて絶対ナシだけど……。加賀美の話には引っかかる点もある。魔法少女時代に戦った相手といえば……。野乃花は心当たりのある人物に調査を依頼することにした。
※
「ノノンちゃん、久しぶり。頼ってくれて嬉しいよ」
それから一ヶ月後のこと。喫茶店で野乃花を待っていたのは、【幽霊探偵】の異名を持つ、依頼達成率100%を誇る男だった。
「もう、その呼び方やめてよ」
「じゃあ野乃花ちゃん。もう四年も前になるね。君がウチの幹部を警察に突き出してから」
「恨んでるの?」
「……いや。そんな単純なことじゃないよ」
仄暗く染まった濡羽色の瞳と長髪。端正な顔立ちに着物姿で、年齢をあまり感じさせない幽霊探偵こと
「愁くん、ここは全席喫煙可だよ」
「へぇ、今どき珍しいね。吸ってもいいかい?」
「どうぞ」
「嬉しいね、細かいことまで覚えててくれて」
かなりの愛煙家である愁は、手袋をはめた手で煙草に火をつける。黒い手袋は、人前では決して外さない。手首に彫られた蛇の入れ墨を覆い隠しているからだ。
細く、長く、煙を吐き出してから、探偵はずばり本題に入った。
「君に依頼されて加賀美智彦を調べたが……ありゃ真っ黒だね。最も看護師としては非常に優秀だ。甲斐甲斐しく患者を世話するので、病院内では『天使』と呼ばれているらしい。実家も洗ったが、特に怪しい家ではない。収穫があったのは、彼の日記だ。幼少期の出来事が一部だが書いてある」
なんの変哲もない、小学生が使いそうな日記帳を、愁は机においた。
「中身を見るかどうかは君次第だけど、あまりオススメはしないね。他人への共感に欠けるサイコパス。君が感じた直感は当たりだよ。組織が関わった犯罪の全てに証拠があるわけではないけど、野乃花ちゃんが望むならできる限り集めよう」
「ありがとう、愁くん。それで、もう一つの情報は?」
「ああ。魔法少女についての情報ね」
幽霊探偵は、もう一度煙草を吸った。
「加賀美が人為的に作成した魔法少女は、あまり長くは生きられなかったらしい。ただ例外が一人だけいて、今も生きてる」
「本当⁈」
野乃花は眼鏡の奥の瞳を輝かせた。
「組織のボスの出産騒動に紛れて逃亡している。歌舞伎町の『Eden apple』というキャバクラで『真梨杏』という名前で嬢をしていたが、その日を境に辞めたそうだ。かなりのホス狂いだったが、そちらにも行ってない。組織は今ボスの騒動でそれどころじゃないけど、追っ手を警戒しているのか、重体で動けないかのどちらかだな。実家とは折り合いが悪いみたいだから、そちらにはいないだろう」
「そのマリアンちゃんと連絡とれる⁈」
愁は形の良い眉を寄せた。
「まあ……。ヤクザとしてケツモチをしていた経験から言わせてもらうと、こういうタイプの嬢は、君みたいな朝アニメの住民とは合わないと思うけどね。夜職は金銭感覚が麻痺しやすいし、自己肯定感も削られやすい。彼女を馬鹿にしてるわけじゃなくて、同病相憐れむ、というやつだけど」
「朝アニメの住民って何よ。そんなの話してみないとわからないでしょ。そりゃ大人になれば金銭感覚とか職業とかも大事だけど、人間の本質はそこじゃないよ。元ヤクザの愁くんとは、こうして仲良くやれてるじゃない」
「……追加調査が必要だから、依頼料はその分いただくよ?」
「う……。払うよ、ちゃんと」
野乃花の視線を避けるかのように、探偵は涼しげな瞼を伏せる。
「なんで魔法少女を探すんだい? 君はもう、辞めたはずだろう」
魔法少女ノノンが幹部を警察に突き出した時、愁は確かに彼女を恨んだ。目的を邪魔されたからだ。だが、それ以上に――何か別の感情が芽生えてしまった。憎しみとは違う。感謝とも言い難い、もっと混沌とした感情が。そしてノノンは魔法少女を辞め、感情は行き場をなくしてしまった。
「なんだかんだ、世界には魔法少女が必要みたいだからね。かといって私がずっと前線にいるわけにもいかないし」
「野乃花ちゃん自身の幸せを掴みたいから?」
野乃花は首を傾げ、しばらく考えてからこう言った。
「それは否定しないよ。私だって幸せになりたいもん。みんなそうでしょ? だけどね」
ノノンちゃんと呼ばれていた時から変わらない、野に咲く花のような無邪気な笑顔だった。
「それを抜いたって、私もずっと生きてるわけじゃないし、誰かが受け継いでくれたらいいなって思ってたの、ノノン・スマイル! ……あ、マリアン・スマイルになるのかな。マリアンちゃん以外にも魔法が使える人がいたら、学校とか設立しちゃうのもアリかもね」
笑顔が眩しい。復讐を諦めることができたのはきっと、幹部を捕らえたのが野乃花だったからだ。
「……前から思ってたんだけど、ノノンちゃんって少女の年齢じゃなくても魔法少女だったよね。マリアンも少女って年齢じゃないよ」
「愁くん普通に失礼だね! いいの! 魔女になると別の存在になっちゃうでしょ?」
「まあ、確かに。君は魔法戦士って柄でもないしね」
うんうん、と返事はするものの、重大な話が終わった野乃花の瞳は、ショーケースのケーキに吸い寄せられている。
「……一緒にケーキでも食べるかい? 喫煙者の前でも良ければだけど」
「いいの? 食べる!」
愁の目に、加賀美の日記が目に入った。あの内容は、野乃花には見せたくない。こっそりと回収してしまおう。
※
十月八日。雨。
昨日つかまえたネコで実験をしようとしたら、ぼくの基地は不審者が出たから、という理由で警察がいた。面白い実験ができそうだったのに、残念だ。
変なネコだった。尾が二つあって、言葉をしゃべる。いばっていて、生意気だったけど、水につけるとおどしたら、面白いぐらいこわがっていた。
「ワガハイはセイロセンソウの頃から生きているのだぞ、たたってやる」
そう言われたけど、アライグマ用のワナにひっかかるバカなネコの言うことなので、ちっともこわくなかった。
「お前は人殺しの目をしている。この太平の世で、そんな目をしている奴はろくでもない」
ネコはオリごと水にしずめると話さなくなった。でも死んでいなかったから、頑丈で、ぼくがやりたかった電極の実験をしても死ななそうだった。だから今日、その実験をやりたかったのに、本当にざんねんだ。
不審者は、ハダカで頭を動物用のオリに突っ込んでいたらしい。ぼくの実験基地にあったものに違いない。勝手に使ってゆるせない。でも、ぼくの基地は、警察の人にも、学校の友だちにも、お母さんにもヒミツだから、あきらめるしかなかった。
ぼくは人殺しの目なんかしていない。だって、町の人も、先生も、お父さんも、智彦くんはいい子だっていう。ぼくは成績もいいし、学級委員長だし、みんなのことを助けるいい子だと自分でも思う。どんな行動をするかでみんなの評価は決まる。みんながぼくのことを好きだ。人殺しの目をしていたら、みんなに好かれるはずがない。
でもお母さんはちょっと違う。きっと弟が生まれる前に、わざと転ばせようとしたこと、気がついているんだ。弟が生まれるのがイヤなだけだったのに、ぼくがお母さんを独り占めしたいのは、お母さんのことが大好きだからなのに、どうしてわからないのかな。弟が生まれてからは、ちゃんとお兄ちゃんがんばっているのに。
いつか、お母さんもぼくのことをわかってくれるといいな。
※
お前に野乃花ちゃんを渡すわけにはいかない、加賀美智彦。愁は日記を睨みつけた。
加賀美が憎いからではない。野乃花が大切だから。血と復讐の日々を断ち切ってくれた光だから。
ケーキを頬張る平和を体現したかのような丸い頬。この笑顔を守るためなら、なんだってしよう。
その瞬間、愁の髪がふわっと浮き上がる。ちょうど魔法少女の変身シーンのように、キラキラとした光が、愁の髪を一本に編み込み、着物の色に合わせた赤い花を飾った。
「ご、ごめん。ラプンツェルみたいにしたら似合いそうだな、と思ったらつい! って、あはは、みなさん、これは手品です〜。あはは」
いや、それはちょっと無理があるだろう。周りの客に下手な言い訳をする野乃花。
「……本当に君は面白いね。オチが予想外で」
四年前、角刈りのヤクザに、魔法少女が言った。
『色が白くてお人形さんみたい。髪もまっすぐで綺麗だし、もうちょっと伸ばしてみたら?』
それから髪を切れずにいる。お人形さんという言葉に褒められた気はしなかったし、野乃花のために伸ばしたわけではないが、こうして喜ぶ顔を見ると、そのために伸ばしたような気がしてくる。
そんな愁の気持ちも知らず、野乃花は
「オチが予想外ってどういうこと⁈ コントしてるつもりなんてないよ⁈」
と頬を膨らませるのだった。
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