理不尽にして不完全な感情

 秋の長雨を秋霖しゅうりんという。この日もそんな日だった。


「ボス、

「そうか、よくやった」


 痩せ型の男は死体を目の前に、淡々と電話をかけている。この男、絹傘きぬがさ秋水しゅうすいは、雨の日にだけ行う"仕事"である殺人に、全く罪悪感を持ったことがない。


 幼い頃、両親を殺し屋に殺された秋水は、一滴の涙も流さなかった。その異常さにボスが関心を寄せ、育てられて今に至る。


「加賀美から話がある。後片付けが終わったら、そちらに向かえ」

「……はい」


 秋水は慣れた手つきで被害者を片付け、組織で研究員をしている加賀美の元へと向かった。


 ※


 加賀美智彦から渡された書類には、見覚えのある顔が載っていた。組織で開発している『魔法少女』の一人だったはずだ。


「頑丈だし、お気に入り半歩手前ぐらいの被験体だったんだけど、金遣いが荒すぎてね。上が、サツに嗅ぎ回られてるから始末しろってさ。だから被験体には社会との繋がりを絶たせた方がいいって、何度も言ったのに。次は良さげなやつをさらってこよう。紅谷萌歌のアイドルグループのメンバーとか」


 眼鏡の縁を指で押し上げながら、笑みを浮かべる加賀美は、いかにも冷酷な研究者である。加賀美が話す間、秋水は無言で資料に視線を落とし続けていた。


「……また、次の雨の日になりますが」

「日取りはいつでもいいよ。首吊りなりリスカなりに見せかければ誰にも怪しまれないさ、ホス狂だから。偽の遺書もこっちで用意しといたよ」

「お気に入りだったのに、それでいいんですか」


 秋水の疑問は、彼が感情を動かされたからではない。倫理観と常識は持っているように振る舞え、とボスに言われているからである。


「うん。でも、あの耐久性は惜しいな。できれば肝臓を持ってきてくれない? この前の実験で致死量の毒を仕込んだんだけど、体内の魔素でどのくらい解毒できてるか知りたいんだ。あとちゃんと魔素が生成されてるか知りたいから心臓も……」

「派手に捌くことになりますね。呼び出して殺した方がいいのでは」

「上にかけ合いたいけど、難しいかなぁ。とりあえずは、君が動いて。許可が出たら僕も動くよ」


 殺し屋は黙って頷いた。


 ※


 天気予報によれば、次の雨までまだ時間がある。標的ターゲットは一般人ではない。少しは慎重になったほうがいいだろう。標的は普段、キャバクラで働いている。その情報を基に、秋水は店に足を運んだ。


「初めまして、真莉杏です。いきなり指名いただいてしまって緊張してます。どこかでお会いしましたか?」


 髪もドレスも真っ黒だが、凝った髪型と大量のアクセサリーが、写真より彼女を華やかに見せていた。長袖だが肩と胸元が大胆に開いたドレスが、彼女の白いデコルテを際立たせている。秋水は加賀美の言葉を思い出し、魔素を生成した心臓が脈打つイメージを脳裏に浮かべた。白い皮膚の下、流れる血液の赤さを思い描く。


「あらやだ、お兄さん。むっつりなのね」


 視線に気がついた真莉杏こと藤ヶ谷文香は微笑んだ。女にしては長身で、鍛えてはいないものの、組織の扱いが荒いせいで多少は筋肉がついている。暴れられたら面倒だな。殺し屋としての冷徹な思考を抑え、わずかに客としての役割を演じるため、秋水は視線を彼女の顔に移した。


「お兄さんのこと、なんて呼んだらいいですか?」

「絹……田さん」

「わかりました。あのね、絹田さん……」

 

 ペラペラとよく動く口だ。青みを帯びたピンク色の塗料で塗り固められた唇は、彼女の本来のそれより厚めに塗られている。瞳にはカラコン。つけまつ毛に、ラメで肥大して見える涙袋。よく見れば鼻筋のほくろも偽物である。先ほど、どこかで会ったと言われて、勘づかれたかと思ったが、ただの営業トークだったようだ。


 空虚な会話。無意味な言葉の羅列は、秋水の耳にはほとんど届かなかった。『真莉杏』は、客に興味があり、その気になれば手が届きそうな可愛くて純朴な女だが、その姿が偽りであることを、秋水は知っている。そろそろ会話を切り上げたい。そう思い、あえて倫理観と常識に照らし合わせて無粋な疑問をぶつけた。


「真莉杏さんはホストが好きなんですよね?」

「やだ〜。掲示板でも見たんですか、絹田さん。それはそうですけど、お客様のプレゼントを元手にするような、そんな悪い女じゃないですよ、私。ほら見て、このアクセもお客様にもらったんです。店内でもキラキラしてて素敵でしょ?」


 そう言って、後頭部に輝いているヘアアクセサリーを見せてきた。蝶々と真珠が、夜の闇の中を飛んでいるような。秋水はアクセサリーを触るふりをして、素早く小型盗聴器を仕掛けた。


「そんなに楽しいんですか? 金払って恋人ごっこした男と飲むの」


 一瞬、女の瞳が揺らいだのを、殺し屋は見逃さなかった。


「楽しいって思う時もあるけどなぁ、ほとんどは、寂しくないから」

「寂しい」


 秋水は恋などしたことがないし、それを寂しいと思ったことがない。


「ありがちな話や……ありがちな話ですけど、親の愛情ってものを感じにくい家庭で育ったので、好きな人ができようが、どうやったら受け入れてもらえるのか、よくわからないんですよ。もしかしたら迷惑かもしれない、嫌われてるかもしれない、でも、お金を嫌がられることはないから。お金で自分を守っているんですよ」

「そうまでして愛情が欲しいですか」

「いいえ。もう愛情は手に入らないことわかってるから、恋人ごっこだけ欲しいんです。酔えないけど、恋に酔ってたい。愛は絶対だけど、恋は理不尽でかまわないから」


 ちらりと見えた素顔を隠すように、真莉杏は歯を見せて笑った。


「だから、嘘だと思われても仕方ないけど、私はこの仕事が好きなんです。お店の中でだけはお客様に恋してるの。お店を出てまで恋人を求めてくるお客様はお断りですけどね。外では……もう誰も信じられないから」


 倫理観と常識において絶対視されている親の愛情というものを感じたことがなく、根底には人間に対する不信がある。両者には似通った点がある。しかし一方は殺し屋になり、一方は恋を求めて大金を使っている。この違いはなんだろう。いや、書類によれば、この女の親はただ厳しかっただけで、放置されたり死んだりしたわけじゃない。


 わずかに芽生えた興味を振り払って、秋水は店を後にした。にわか雨が降っている。決行は今夜にしよう。資料を再確認すると、誕生日の欄に目が止まった。日付が変われば二十四歳になるらしい。……どうでもいいことだが。



 先ほど盗聴器を仕掛けられたことには気がついていたが、アクセサリーを鞄に入れて、文香はキャバクラを後にした。ホストクラブの閉店まであと一時間弱。他に太客が来ていたら、ラス※註1ソンはもう確実かもしれない。 


 店に着くと、担当※註2ホストは案の定、被り※註3を気にしていた。被りは上手く競わせて、金を使わせるために利用するホストがほとんどだが、担当はもう一方の客の機嫌を損ねたくないらしい。


「いやぁ、あの子は文香みたいにスレてないっていうか……。ガチで俺にお金使ってくれてるからさぁ」

「いいよ、向こうの卓いってきな」

「サンキュ、恩に着ます姐さん!」

 

 あの子はガチ、かぁ。文香は先ほどキャバクラに現れた客のことを考えていた。あの不思議な雰囲気に飲まれて、喋らなくてもいいことまで喋ってしまった。口先の恋心も、お金も、何も求めていない瞳。あの人は何で喜ぶのだろう。せっかくなら、もっと楽しんでほしかった。小型盗聴器を指でなぞる。どう? 惨めな女のこと盗み聞きして満足?


 被りの隣で歌う担当を見ながら、他の男のことを考えている。我ながら浅はかな女だ、と文香は自嘲した。



 店を出たところで、文香は知った顔に呼び止められた。


「藤ヶ谷さん、ちょっと」

「加賀美さん、と絹田さん……?」


 ああ、組織の視察か何かだったのね。軽い失望を覚え、何に失望しているのか困惑しながら、文香は加賀美の説明を聞いた。今回は実験や依頼ではなく、心臓の近くに取り付けている魔素発生装置の点検らしい。なんの準備もさせずいきなり手術か、と身構えているのを察したのか、今回は問診だけでいいと言われた。仕方がないので、歌舞伎町にほど近い組織のアジトへと向かうことになった。



 致死量の毒を盛っても死なない人間に何をしたのか、秋水には皆目検討もつかないが、藤ヶ谷文香は手術台の上で昏睡状態にある。


「本当は手術っていって全部剥ぎたかったけど、警戒されてたからしょうがないね」


 ぶつぶつ文句を言いながら、加賀美は慣れた手つきで化粧を落としている。組織サンプルを採取するのに、妙な化学品が混じっていては困るのだとか。装飾を剥ぎ取られた素顔は、いかにも幸が薄そうな女だった。


「絹傘くんも手伝ってよ、今は雨が降ってるよ」


 せっつかれて、黒地にレースのついたボレロを脱がせると、手首に目が止まった。丸く火傷の古傷がある。


「それね、教育ママがテストの点数が悪いと煙草押し付けてきたんだってさ。太ももとかすっごいよ、見てみなよ」


 スカートを捲ろうとする加賀美の手を掴んだのは何故か。そのまま文香から引き離すように引きずったのは何故か。秋水にはわからなかった。どうせ殺す女だ。今はまだ息があるが、心臓を取られて死に至る。いつもと同じじゃないか。

 

 可哀想だから? 今までの標的にだって同情すべき点はあった。自分と似ているから? いや似てない。むしろ対極にある。求めたって得られないものを、追い続けるこの女は馬鹿だ。ああそうだ、馬鹿すぎてイライラする。諦めてしまえば楽なのに、組織は、客は、ホストさえも彼女を侮っているのに何故、愛なんてものにしがみつくんだ。


「あんまり長く妨害するようなら、反抗とみなすよ?」


 加賀美が低い声で脅してくる。それでも手を離せなかった。


「……残念だよ、君は仲間だと思っていた。親を殺されて、どう振る舞ったらいいかわからなくなっただけの、ただのガキだったわけだ。感情がなくなったわけじゃない。ただ抑え込んだだけ。要らないよ、そんな脆い奴は」


 空いている方の手を、加賀美は白衣の内側に入れる。銃を持っていたのか。不幸にも秋水の武器は取り上げられている。だが秋水が反応するより速く、加賀美は側頭を殴られて床に倒れた。


「親殺されたらそうなって当たり前やろ、クソダボ※註4がぁ!」


 変身用のステッキはスカートの中に隠していたようだ。


 魔法少女が、秋水と悪の研究者の間に立ち塞がっている。守られているのが殺し屋であることを除けば、子ども向けのアニメみたいだ、と秋水は思った。自分の前には一度も現れなかった、正義の味方という御伽話。


 壁に傷がつくことも厭わず、発砲する加賀美に対し、魔法で防御壁を作る。だが、昏睡状態から覚めたばかりの文香の方が分が悪い。わずかな隙を、加賀美は見逃さなかった。


 腹部を打たれ、魔法少女が倒れる。


「不用品は処分っと」


 トドメを刺そうとしたその時、加賀美の発信機が鳴った。ボスからの呼び出しだ。もう決着はついた。そう思ったのか、舌打ち一つ残し、研究者は呼び出しに応じた。


「久しぶり、秋水くん。君は覚えてないだろうけど」


 入れ替わるように入ってきたのは、黒いローブに鎌を持った死神だった。


「……死ぬんですか、この人」

「このままここに放っておけばね。今、組織の人間は大騒ぎになってるから、うまく逃げれば助かるよ。でも傷を治した後は、あんまり魔法に頼りすぎない方がいい。因果律をいじる魔素生成装置は、死神たちに忌み嫌われている」

「ありがとうございます」


 部屋を去ろうとする殺し屋に、死神は声をかけた。


「なんでその子は殺せなかったの?」

「……恋は理不尽でかまわないから」


 答えにならない答えを放り、背負う必要のなかった重みを感じながら、殺し屋は去った。



「恋ってなんだろうね」

「う〜ん。えっちすること?」

「君にきいた僕がバカだったよ……」


 死神と話しているのは、魔法少女に扮した怪異だった。


「この組織のボスは、昔、魔法少女の冴島野乃花さんって人にボッコボコにされて、それからずっと、研究にお金を使って、強い魔法少女を作ろうと頑張っているんだって! キモいな〜って思ったから、逃げてきちゃった!」

「う〜ん。君が逃げたってことは相当だね。しかも八時間後には大惨事が起きるわけか。まあ悪の組織には相応しい結末かもね」


 また対象者を救ってしまった死神は、アイドル似の女性に姿を変えた怪異とともに、夜の町へと消えていった。



          註1:ラスソン…その日に最も売上が高かったホストが、閉店前に歌うこと

         註2:担当…指名しているホストのこと

           註3:被り…一人のホストに対し、指名している客が複数来店している状態

         註4:ダボ…主に兵庫県の方言で罵倒語。アホより蔑んだ言葉

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