2:2018/04/28 19:14

 一日に二件以上約束をすることを、嫌がる人がいると聞く。俺が後ろに約束があることを告げても、コウイチは何とも思っていないような顔だったが、実際にどうだったのかは分からない。しかし、仕事という人間の義務の時間を除いてしまえば、俺に与えられた時間は余りに少なかった。読書、映画鑑賞、アニメ鑑賞、各種SNSに恋人探し――。

 一日に二件約束を入れるくらい、許してくれてもいいじゃないか?

 そして約束していた男――ダイキは、約束の時間、七時に少し遅れてやってきた。俺は約束を何か間違えてしまったのではないかと、何度もマッチングアプリのメッセージ欄を確認した。

「よう」

 ダイキはスマホをまた確認していた俺に、声をかけてきた。遅れたことは、少しも詫びなかった。

「じゃ、行こうか」

 お待たせ、すらなく当然のように歩き出すその広い背中を見る。今日はもう失敗かもしれない。そう思いながら連れていかれた夕食の場所は、ファミレスのジョナサンだった。

「こういうとこの方がさ、結局気楽で良いんだよね。最初に気取ったレストランに行ったって、どうせ三ヶ月も会ってりゃファミレス行くようになるんだし」

 扉を開けながらあっけらかんと笑う彼を見ていると、胸の内に湧いてきたいろんな感情が急速に萎んでしまって、まあいいか、素直にそんな気持ちになれる。俺たちは料理を注文した。ダイキはステーキで、俺はオムライス。料理が届くと、ダイキはそれを頬張りながら話し出した。肉汁がぽつぽつと滴るステーキをむさぼるダイキは、妙に野性的だった。

「俺、趣味がないんだよね」

 初対面の会話のきっかけとして聞いた、「趣味は何?」という問いかけに、ダイキは一切の恥じらいも、申し訳なさも感じていなそうな口調で言う。

「本も読まないし、映画も観ない。バイクとか自転車とかも乗らないし、旅行も行かない。じゃあ家で何してるんだってよく言われるけど、まあ、だいたいはスマホでなんかしてる。ゲーム……もするけど、別にそんなガチってる訳じゃないし。趣味、ねぇ……。まあ、強いていえば筋トレくらい? でもゲイにとって筋トレって、趣味っていうかもはや義務じゃん? 女が化粧するみたいなもんだろ? まあ、あとは――セックスくらいかな」

 ダイキは、あまりにもコウイチと対照的だった。本や映画の知識がたくさんあり、ウィットに富んだ、高度に抽象的な会話に終始するコウイチに対し、ダイキはどこまでも直截的だった。

「で? このあとどうする? まさか帰るなんて言わないよな?」

 口元を紙ナプキンで拭いながら、ダイキはそう宣告する。ダイキの声が大きくて、隣の女子二人組が、明らかにこちらを気にしているのが分かった。だけど結局俺は、そのダイキの誘いに乗ってしまった。どうせ次に会うこともない人間だ、と思う。ダイキと俺は、見ている景色が違いすぎる。俺にふさわしいのは、そう、例えばコウイチみたいな……。

「こっち」

 俺たちは早々にファミレスを抜け出して、新宿にある同性同士でも入館可能なホテルを目指して歩いていた。周囲に人通りが少なくなってくると、

「手ぐらい繋ぐ?」

 そうダイキが俺に問いかける。その黒い目がまっすぐ俺を見つめる。思いの外綺麗な目だと俺は思った。俺は「うん」、と返事して、ダイキのゴツゴツした手を握った。ダイキは力強く、その手を握り返してくる。

 ダイキの手は、温かかった。

 ダイキはどう思っているのだろう。

 また俺と会いたいと思っているのだろうか。

 そんな馬鹿馬鹿しい感傷に浸ってしまい、俺はすぐにそれを打ち消す。

 実際のところ、多分こいつはこれからするセックスのことしか考えていないだろう。最近あまりそういう機会がなかった、とあっさり言っていたし、久しぶりにスッキリできるなーくらいにしか思っていないだろう。

 すれ違った中年男性と若い女性のカップルが、物珍しそうな目で手を繋いだ俺たちを見た。別に、新宿だったらよくある光景だろうに、なにかをこそこそと、ほくそ笑みながら囁いている。

 ダイキも俺も、その視線には気づいていたが、今更何も言わない。ただ、俺たちは静かに手を離して、ホテルへの道を再び歩き出した。

 俺たちはホテルに入り無人の自販機で鍵を受け取ると、部屋へと向かった。

 部屋に入るといきなりダイキは俺を抱きしめ、俺の唇を奪った。そのまま、服の上から激しく俺を愛撫する。そして俺を抱きしめたまま二人でベッドに転がり込む。

「もう……我慢できね」

 そう呟いてダイキは俺の服を乱暴に脱がせにかかった。俺もなるべくダイキに密着した姿勢を保ったまま、服を脱ぎ捨てる。俺はベッドにうつ伏せになって、枕に顔を埋めながら、尻だけを突き出す格好になった。

 ダイキが、尻に舌を這わせる。そこには、『穴』がある。俺の『穴』。本来の目的とは違う用途で使用されようとしている俺の『穴』。排泄のための『穴』なのに、挿入されようとしている『穴』。ダイキの目に、俺の『穴』はどう映っているのだろう。

 俺は、先ほどコウイチと見たあの大きな大きな穴のことを思い出した。

 ぽっかりと、黒々と空いたあの『穴』――。

 あれを、『水のない海みたいだ』とコウイチは表現したのだと思い出す。水のない海。海に水がなくなったら、どうなるのだろう。海は果てしなく水を求め、その深々とした空間の飢えを満たすべく暴れだすのだろうか。

 ダイキの舌が俺の肛門を刺激するのをやめた。

「どうかした?」問いかけられ、

「ごめん、……なんでもない」そう答え、俺は枕を抱き寄せ顔を深く埋めた。


 ダイキと別れ、朝帰りの電車の中、結局、俺はダイキにメッセージを送った。『今日はありがとう。またよろしく』。なぜって、結局のところ、体の具合が良かったからだろうと思う。彼のセックスのがっつき具合が、自分にはとてもちょうど良かったのだ。ほどほどに乱暴的で、ほどほどに俺を気遣わない感じが、俺には心地よかった。だけど、気が合わないのはお互いにわかっていた。絶対、俺たちは交際関係にはならないだろう。でも、体の関係だけで良いから続けられたら――もちろんそうは言わなかったものの、ダイキにもそう言っているのは理解できるだろうと思っていた。理解できるだろうし、多分、受け入れてくれるだろうと。

 だから電車を乗り継ぎ家に着いても、翌日の昼過ぎになっても、返事が来ないどころか既読すらつかなかったのには、俺は驚いた。

 まあ、仕方ない。

 俺にとってはちょうど良くても、相手にとってそうだとは限らない。たぶん何か、気に障ることも言ってしまったのだろう。俺はあっさりと気持ちを切り替えて、次の相手を探すために出会い系のアプリを開いた。

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