第伍幕 水脈
「確かに……十脚分の跡が絨毯にあるな」
ビリヤードに興じていると、愛里を連れた京堂さんがテーブルの下を覗き込んだ。
「あらあら、堂さんは何をしてるんすか? 客観的に見ると実に変態的っすよ?」
大淀さんが嫌味みたいに言ったけど、京堂さんは無視してテーブルの下を凝視している
「先輩方……! また奇妙なことがあったんスよ……!」
何があったのか、愛里は眉を下げたまま捲し立てた。不安げな表情といい捲し立て方からしても愛里の冗談には見えなかったけど、案の定、茶化すのは大淀さんだ。
「……ここに来るまでそれなりに時間があったんだし、家の人が急いで掃除してくれたんじゃないかい? あの怪しげな人たちなら簡単じゃないかなぁ?」
「入る前から新品同様だったんスよ! それと……市松人形はどこにやったんスか?!」
殴るんじゃないかと思うほどの勢いで、愛里は大淀さんに詰め寄った。
「おいおい……人形のことなんて知らないよ。俺は一度もサロンから出てないんだから」
「愛里さん、それは俺も証人です。俺まで冗談に加担している、なんて言いませんよね?」
「それに奇妙なことならここにもあるって」
大淀さんは親指でビリヤード台を示し、京堂さんと愛里はビリヤード台を覗き込んだ。
「おまけにあの時計……俺らがこの屋敷に来た時間に止まってますよ」
その言葉に全員の視線が大きな古時計に集い、秒針が二十一時二十八分を示していることに気付いた。京堂さんがこの屋敷のドアを叩こうとした時に確認した時間と同じだ。
「マジっスか……いよいよ変な場所確定じゃないっスかぁ……!」
愛里はフランス窓に駆け寄ったけど、大淀さんが意図を察してカーテンを捲り上げた。
「今更外には出れないよ〜? 外はこの有様、出たら確実に遭難してお陀仏ってわけだ」
その言葉通り、窓の外は白い闇と吹雪の領域になっており、体力のない愛里が踏破出来るようには見えない。あの人形師の小屋までも行けないだろう。
「だからこうして七つしかない珠でビリヤードに興じているわけです。桜ちゃんに圧倒されていますけどね〜。まっ……こっちは七人もいるんだし、何かあっても大丈夫でしょう」
大淀さんはホラー映画のようなことを言っているんだろうけど、こんな豪邸に住んでいる人が彷徨い人から略奪するようなものは無いと思う。
「それにしても、ずいぶん楽しそうだったな? 夕食もさることながら、ビリヤードがそんなに盛り上がったのか?」
「えっ……?」
「飯の時も今も俺ら騒いでないっすよ? 奇怪な屋敷で騒げるほどお気楽じゃないんでね」
「じゃあ……医務室とか廊下で聞こえていたのは誰の声だったんだ……?」
「家の連中じゃないっすか? ほら、愛ちゃんを驚かせた人形を回収しに来たんじゃないっすかね。どっちにしろ、変な屋敷に変な住人なんて……推理小説の世界っすよねぇ」
「それでも命の恩人だ。お前も少しは感謝を示せよ――」
そこまで言って口を閉じた京堂さんは、訝しがる愛里を無視してドア横に置かれたガラスケースに向かって歩き出した。
その中に保管されているのは、天龍さんの視線をチラチラと落ち着かなくさせていた元兇と思われる球体関節人形だ。踊り場とは別のもので、等身大の女性は紫色の長髪を精巧な裸体に絡ませながら祈るように天を仰ぎ跪いている。その目は今にも涙を流しそうで、京堂さんが見蕩れるのも無理はないと思う。だけど、ここの人形たちはウロボロスと同様に感銘を与えるような感じはない。私は精巧過ぎて落ち着かない――というより、私たちが出会したあの動く人形はここから来たんじゃないかと思っている。
そんな球体関節人形に対して「ふん」と、小さく息を吐いた京堂さんは、少しだけ気味の悪い笑みを浮かべながら私を見た。
「桜……さっきも訊いたかもしれないが、これも美しい人形だとは思わないか?」
「外見はともかく、感銘を与えるような人形とは思えません……」
「そうか。じゃあ……瑠偉、お前はどうだ?」
「その人形ですか? まぁ……綺麗だとは思いますよ。お手入れしなくてもいい躰だし、永遠に老けませんからね」
「そうだよな。この人形たちは永遠の美しいまま……存在出来るんだもんな」
峠でも似たようなことを言っていたと思う。永遠に存在するなんて私にとっては罰以外の何でもないけど、京堂さんはずいぶんと永遠にこだわっている気がする。そんな京堂さんは恍惚みたいな表情でケースを覗き込んでいる。
「やれやれ……当主様は堂さんと趣味が合うんじゃないっすかねぇ?」
「この人形は誰の作品なんだろうな。雰囲気は外の人形に近い気もするが……ここで作っていたのかな。それとも全くの無関係なんだろうか……」
サインとかを求めて京堂さんはケースを調べるけど、何も書かれていないみたいだ。
「京堂さん……この屋敷は十年前に建てたって十文字さんが言ってました。もしも制作者がこの家にいたとしたら、十年分の失敗作を投棄しているってことになりますよね」
「不法投棄だが、俺としてはあの人形が回収されて転売されていないことが不思議だよ。壊れかけていても泉屋人兵衛製の人形が幾らになるかはみんなも知ってるだろう?」
「そうっすけど、この辺にある人形だったら桐生楓製の方がいいっすね」
「その桐生を凌ぐ人形制作者がいるとはな……十文字さんか眼帯執事さんに訊いてみるか」
結局、へばりついたガラスケースにも人形の足下にも制作者を示すものが見つからなかったようで、京堂さんは名残惜しそうに人形から離れた。
「好きっすねぇ……人形と結婚するとしても、まんざらでもないでしょう?」
人形に夢中な京堂さんへ大淀さんは肩をすくめた。当の京堂さんはわからないけど、この屋敷に来てから大淀さんは辛辣な口調が多くなった気がする。ここに避難することを一番警戒していたからなのか、それとも人形に逆上せてる京堂さんへの苛立ちなのかな……。
そうだ……京堂さんあの顔と目……いつだったかの舞台で人形を演じていた綾香さんのことを見ていた時と同じだ。人形……永遠の美しさ……京堂さんは何を考えてるんだろう。
美しいものは未来永劫、美しいままに存在する必要がある。
脳裏をよぎるのは京堂さんの持論。私としては身体や精神が朽ちていくのは嫌だけど、永遠に生きるよりはずっとマシだ。私はかぶりをふって、ビリヤード台に戻った。
そうして、私たちは、不安はあれどもそれぞれ好きなように過ごした。しばらくして京堂さんは医務室に戻り、入浴を譲られた大淀さんは浴室に消え、天龍さんはしばらくビリヤードに興じていたけど、やがて椅子に座って本を読み始めた。
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