俯瞰 2

 また雪が降り始めた。

 少し前なら、幻想的だと軽い話題にもなったけど、今となっては誰も反応を見せない。

 ちらりと見上げた空に雪を散らすクレバスは見えず、招かれた夜の帳は機巧山を余すことなく呑み込み、道路に立つ頼りない街灯がささやかに抵抗しているような有様だ。

 そんな街灯を案内人にしつつ、私を含めた七人を乗せた漆黒のセダンはヘッドライトを夜行性の昆虫みたいに伸ばしながら文明の証を突き進む。その車内には、小劇団だけど、全国区に存在を知られる〝機巧人形劇団からくりにんぎょうげきだん〟の男三人、女四人の機巧人形がギュウギュウに詰め込まれている。

 そんなギチギチのセダンはヘッドライトで闇を払い、私たちを呑み込もうとしているかのような木々が纏う白銀を露にする。眩しいなと思うけど、道路は何か対策をしてくれているのか眩しくない。それに加え、内も外も雪が齎す遮音効果が出ているのか、とにかく静かで私としては心地良い環境でもあった。

 つい数時間前には、古巣の瑠璃島で催されていた雛曵祭の熱気に当てられてみんな高揚していたけど、今の車内には吐息さえも聞こえる静けさに包まれている。

 私にとってはそっちの方が良くて、緩やかな運転も相まって眠気の誘惑が届いた。助手席にいるのはある種の酔い止めみたいなものだから、寝ても構わないと言われている。ちらりと運転席を見てから、私はそっと目を閉じ――。

「う〜ん、やっぱり夜の山ってのは雰囲気があるっスね〜……」

 寝かせないぞ、そう告げられたようなタイミングで後部座席から声があがった。

 人懐っこそうな声の主は、月島大学つきしまだいがくの一回生である鈴谷愛里すずやあいりだ。彼女はギチギチ座席の左端に座り、呟いた感想通りに外を眺めている。

「小さい頃、親と登山したことがあるんスよ。十歳の頃だったと思うんスけど……」

 ただの独り言だと思ったけど、違うみたいだ。みんな何も言わずに沈黙を守っている。 

「十歳のか弱い美少女に登山なんて鬼畜っスね〜、皆さんもそう思ったと思いますけど、その危惧通りにちょっとしたハプニングがあったんス。夜の山で……親とはぐれたんスよ」

「えっ? 夜の山で……ですか?」

 愛里の過去を心配したのは、彼女の隣に座る天龍拓真てんりゅうたくまさんだ。

 天龍さんは三年前にこの劇団へ来た人だ。別の劇団にいたけど、大学卒業後も続けていたアウトドア店で口説かれたと聞いた。キャンプ以外に山登りもする人だからこその反応なんだろう。繊細な銀のフレームを持つ眼鏡の位置を直しながら愛里に視線を向けた。

「夜の山の遭難は大人でも死の危険が高まりますよ。よく無事でしたね……」

 そんな心配に対し、愛里はいたずらっ子みたいにニヤニヤしたまま天龍さんを見返した。

「そうなんスよ……下っていたら動物の気配がしたもんで道を外れたら、わたしだけ足を踏み外して真っ逆さまっス。そのままじっとしていれば良かったのに、わたしはとにかく走り回ったんスよ。左に右にと山の中を走り回って……いつの間にか夜っス」

 もったいぶるように話を途切り、愛里は車内を見渡す。ちらりと見えたその目には、先を促されたい、という文字が浮かんでいるけど、私は別に促さない。すると、

「愛ちゃん、それで?」

 後部座席組の大淀車おおよどくるまさんが、馴れ馴れしい感じの口調で先を促した。

 大淀さんは、この機巧人形劇団の旗揚げに関わった一人だ。骸骨みたいな体躯と狐みたいに鋭い目付きの所為なのか、第一印象としては貧相な感じ。話してみると飄々として気さくだけど、皮肉みたいな言動が目立つやや面倒な人だ。

 そんな大淀さんからの促しに応えた愛里は、ニヤニヤしながら続けた。

「疲れてうずくまっていると、闇の中から足音が聞こえてきたんスよ。親だと思ったんスけど、夜の山を明かり無しに動き回る異質さに気付いて草むらに隠れたんスよ。そしたら……松明の明かりが見えて……顔に包帯をぐるぐる巻きにした変質者が――」

「やぁやぁ、そこまでくると盛っているようにしか思えなくなるな〜愛ちゃん」

「ちょっ……! ここで茶化すっスか?」

「だってさ〜いかにも映画にありそうなシチュエーションじゃん? 今時山賊なんてさぁ」

「信じていないっスね〜?」

 大淀さんはかぶりをふると、痩せこけた頰を撫で回しながら飄々を浮かべた。

「ダメだよ〜愛ちゃんや。そういった非現実的なことを疑いもせずに信じちゃ〜。十歳のか弱い美少女が恐怖で見た幻覚でした、それで片付けられちゃったでしょう?」

「むむ……その通りっスよ。誰にも信じてもらえなかったっスからね。でも、わたしだって何でも信じる方じゃなっスからね? 心霊とか未確認動物も全部信じてはいないし……だけど妄想じゃないっスよ。朧市おぼろし氷海山ひうみやまで見た――」

「へぇ? それは氷海山の話だったのか」

 私はその声と反応に思わず後部座席を肩越しに見た。

 愛里の声を遮ったのは、後部座席の中心に座る京堂明夫きょうどうあきおさんだ。

 京堂さんは機巧人形劇団の主宰にして役者であり演出家であり脚本家を担っている男性だ。草案とか芝居のモチーフからして、幽霊とかに興味がある感じはしなかったし、神話とか叙事詩とかの幻想主義的なことに傾倒している人、というイメージだったから意外だ。

 ぼさぼさの髪の毛を弄りながら、「ふむ」と俯いた京堂さんは、二十八歳には見えない老成した顔に翳りを浮かべた。考え事をしているみたいだ。

「愛里、氷海山というのは間違いないな?」

「はい、間違いないっス。今でもおぼえていますから」

「あそこは奇妙な事件が多い場所だってことを何かの新聞で見たことがある」

「堂さん、そんなまさか……本気じゃないでしょう?」

「ほら! 信じてくれる人がいるじゃないっスか!」

「いやいや、愛ちゃんの不安な心理状況が生み出した幻覚は……」

 後部座席は瞬く間に騒がしくなったから、私はちらりとバックミラーを見た。すると、

「ふふ、雛曵の山車に乗れなかった人形が何体かいたみたいね」

 ずっと黙って運転していた綾波綾香あやなみあやかさんが息を吐き出した。

 綾香さんは大淀さんと同じで劇団の旗揚げに関わっていた人だ。同性から見ても色っぽい人で、綺麗な茶色のセミロングとモデルみたいなスタイルと物静かで余裕のある態度はまさに大人の女性だ。一挙一動が絵になるから、歩けば男も女も振り返る。

「あっ……ごめんなさい。うるさいですか?」

 私と同じ神宮大学じんぐうだいがくに通う島風瑠偉しまかぜるいが、慌てた感じで後部座席から顔を覗かせた。

「綾さん、うるさいなら黙らせますけど……」

 瑠偉が動くたびに派手な金髪が踊り、愛用している香水が辺りを漂う。

「ううん、大丈夫よ。今のは溜め息じゃないから」

 綾香さんにそう言われ、瑠偉はホッとした感じで席に戻った。金髪に劣らない顔立ちには分かりやすい安堵の表情が浮かんでいる。

 その外見は如何にもギャルだけど、馬鹿(成績も人間としても)じゃないし非常識でもない。礼儀正しく、他者への気遣いも素直な感情表現も出来る魅力的な女性だ。私と同じ高校出身で、演劇部に入部したきっかけも、私がこの劇団に入ることのきっかけも瑠偉だ。

 高校に入学してから一度も話したことなんてないのに、誰もが私を遠巻きにしてヒソヒソしていたのに、瑠偉は私の机に飛び込んで来てこう言ったんだ。『ねぇ、一緒に演劇しない?』そのあまりにもド直球な勧誘に面食らい、キラキラした目にも圧倒されて、私は男子から告白された女子みたいな反応を連れて頷いてしまった。今思えば、あの勧誘がなかったら私は何をしていただろう。施錠という概念がなかった屋上からもしかしたら――。

「桜、車酔いは平気?」

「ふぇっ?!」

 平行世界を探して飛びかけた意識を掴まれたから、ずいぶんと間抜けな反応が出た。

「大丈夫です……綾香さんの運転は綺麗ですから」

 綾香さんがこのセダンを動かしてから約一時間。代わり映えしない景色と車酔いを天秤にかけたら、酔わない方が良いと相場は決まっている。

「良かった。動かなかったから……本当に人形を乗せてるんじゃないかと思ってたもの」

 クスクス、と上品な綾香さん。その態度に違わず、舞台ではいつも包容力ある大人か悪い意味での大人を演じている。足下にまで迫るトレンチコートで固めていても隠せない柳腰と艶姿あですがたは、男性から絶大な支持を受けていて、それこそテレビとか雑誌とかからスカウトが来るんだけど、その全てを袖にしている。

「ただ……完全に酔っていない、とは言い切れません」

「あら、最悪の出来事は受け入れられるけど……この先にサービスエリアも道の駅も無いから、その時が来たらちゃんと、ね?」

「はい、大丈夫です。人の車をゲロ塗れにはしません」

「気は進まないかもだけど、後ろに混ざっていた方が気は紛れるんじゃない?」

 その後ろは、氷海山とやらで愛里が大淀さんに噛み付き、京堂さんは笑ってるし、天龍さんはどっちの味方も出来ずに苦笑いだし、瑠偉は疲れたのか外を眺めたまま動かない。

「会話にはなっていないみたいです」

「ふふ、それにしてもこんな賑やかな車内なんて何年ぶりかしらね……」

「そうですね……一台の車に七人も乗り込むことはそうそうないことですよね……」

 私はもう一度後部座席を一瞥し、小さく息を吐いた。

 機巧人形劇団、主要劇団員七名。欠席は二名。

 その七人が何故に一台の車にパンパンに詰め込まれているのか。それを説明するには、瑠璃島市に行くことになった経緯から振り返る必要がある。

 始まりは二週間前――。



「あっ桜さ〜ん!」

 名前を呼ばれて、私は一瞬ビクリとした。

「サクラせんぱ〜い? 霧島桜きりしまさくらせんぱ〜い、聞こえてますか〜?」

 そこは神宮大学の辺境にある芝生の上。他者と関わりたくない私にとって疲弊した精神を癒す大事な場所だ。そんな聖地で昼食中だった私のもとに、綾香さんたちが尋ねて来た。

「桜さん、こんにちは」

 さっきから私を呼んでいるのは、同じ劇団の間宮満まみやみちる君と愛里だ。満君は都内の黒鉄くろがね大学に通う一回生で、入団は去年だから私と瑠偉の後輩になる。

「あまり……人前で名前を呼ばないで……」

「あっ……すいません。見つけられたのが嬉しくて……つい」

 満君は女の子みたいな笑みを浮かべつつ頭を掻いた。女装したら性別不明になる顔立ちを彩る長髪は結ばれて胸元に垂らされているから、ほぼ全ての人が判別を服装に求めるだろう。幸いにも彼は華奢な体躯に纏う服を袴でほぼ統一している。そんな外見は年上の心を刺激するみたいで、歩けば綾香さんみたいに人の目を盗んでいくタイプだ。案の定、

「見て、あの袴の人……格好良い」

「誰だろう? あの人の弟さんとか?」

 かぶりをふった私はお弁当を片付け、三人をキャンパス内の講義室に誘った。そこは学生に解放されているから、事務所に使用申請書を出せば使わせてもらえる。

「次の講義まで平気かしら?」

「はい……次の時間に講義は入れてないので大丈夫です」

「明夫が急に企画したからまだ簡易なんだけど、目を通してくれる?」

 取り出された紙を受け取り、『十二月の慰安旅行について』と書かれた内容を見た。

「慰安旅行……ですか?」

 時期は十二月。目的地は瑠璃島市。目的は雛曵祭と団員同士の交流。一日目の祭りを眺めた後は市外に出てホテルに宿泊し、二日目の祭りを眺めたら帰宅。旅費は京堂さん持ち。

「名目は慰安旅行だけど、明夫がスランプを脱却するための刺激がほしいみたい」

 そういえばそんなことを本人が言っていた。

 みんなの演技力もあるだろうけど、女性のお客さんが多い理由の一つが京堂さんの脚本だ。永遠の命とか美しいモノを永久に守る騎士とか、女心を刺激する幻想的な話が多い。次はどんな美しい物語を、何て言われたらプレッシャーを感じるのも無理ないだろう。

「行き先は瑠璃島……ですか」

 私がそう言うと、綾香さんは声を落として言った。

「本家があるって言ってたわね?」

「ええ……でも、もう関わりはありませんから」

 もう父の名字は違うし、顔を出すのは正月の一日だけだったし、そもそも私は父の実家が嫌いだった。集まっても誰々が憎たらしいとか、お金の無心とか、分家同士のいざこざだったり憎み合いだったり財産の取り合いだったりと、凄く不潔な臭いを感じていた。だから、あの火事は良かったんだと思う。

 私は右頬にある火傷の名残に触れてから、改めて綾香さんを見た。

「その火傷……辛いなら無理にとは言わない。桜自身が決めてほしいの」

 私は熱心に見つめてくる満君と愛里の視線に背中を向けて……小さく頷いた。

 その結果、欠席は二名。私を含む参加者の七人は瑠璃島旅行へ出発した。



 そうして二日目の雛曵祭を眺め終えた私たちは、京堂さんと綾香さんが運転する車で帰路についた。だけど、機巧山に入った途端に京堂さんの車が動かなくなってしまった。しかも山中は圏外だったから業者も呼べず、綾香さんの車で山を抜けることになった。

 わいわいと騒ぐ後ろをバックミラーで一瞥し、私は少しのうんざりを連れて肩をすくめた。すると、その動きを見逃さなかったのか、綾香さんが小さな声で言った。

「うるさい?」

「あっ……いえ……」

 反射的にかぶりをふったけど、それは半分が嘘。ガヤガヤする光景も音も嫌いだけど、通夜みたいな静謐が好きってわけじゃない。騒ぐなら節度を持ってくれというわけ、そう思いながらもう一度後ろを一瞥した時、綾香さんもバックミラーを見ていたことに気付いた。その目に遠くを見るような翳りが浮かんでいた気がしたから、そっと声をかけてみた。

「綾香……さん?」

「ん? ああ、懐かしいな……って思ってね。そこに座っていたのは明夫で、後ろには車君と同級生達がいて……馬鹿な会話で楽しんでいて……」

 前を向いたまま綾香さんはそう呟いた。 

 今年で綾香さんも京堂さんも二十八歳だから、大学生の頃なんだろう。二人が恋人同士だったことも、京堂さんが助手席に座らなくなって三年目だということも知っている。そんな京堂さんをバックミラーで見てみる。大淀さんと愛里を楽しげに構っているけど、綾香さんの方はどこか哀しげな気がする。別れた理由も二人の関係の深さも言葉でしか知らないから何とも言えないけど、綾香さんはきっと……。

「綾香さん……?」

 次第に遠くなっていく視線を見、思わず呼びかけた。

「……何?」

「遠くなられてしまうと……その……運転が……」

「そうね、ありがとう」

 綾香さんは小さくかぶりをふり、きちんと正面を見据えてくれた。

 幸いにも対向車の姿は無く、落石注意の警告板を通り過ぎた時、綾香さんは積もり始めた雪を払うためにワイパーを作動させた。

「少し……激しくなってきたわね」

 宵雪を見ながら、綾香さんは目を細めた。

 その先の暗闇から浮かぶ雪たちはヘッドライトを浴びて光り輝く。儚いからこそ真心を込めて刹那の輝きを放つのかもしれないけど、その背後は満足に照らせない闇のベールに覆われている。もしも対向車がヘッドライト無しで来たら避けられないだろう。すると、少しだけ車の速度が落ちた。何かトラブルでも起きたのかと思って綾香さんを見ると、チラチラと視線を動かしながら片手を胸ポケットに忍び込ませた。もしかして……。

「坊やたち……ちょっといい?」

 綾香さんはそう言って、セダンを道の端に停車させた。

「ごめんね、少しの間……吸わせて?」

 窓を少しだけ開けた綾香さんは胸ポケットから取り出した煙草の箱から一本を取り出した。この一服タイムのためにセダンが止まったから、愛里と大淀さんの戯れ合いも自然と沈静化したんだけど、綾香さんにとってそれは凶兆かもしれない。案の定――。

「あー! アヤ姉さん、また煙草吸ってるっスね?!」

 童顔を際立たせる大きな瞳を見開いて、愛里は綾香さんへ一気に顔を近付けた。

「一日一本って宣言してなかったっスか? つぶらな耳が聞いたと言ってるんスけど」

 栗みたいなショートヘアーに包まれた童顔で百面相する愛里は、人懐っこい性格と社交性も相まってムードメーカーなんだけど、煙草を吸う人たちとは相性が悪い。

「絶対に吸うな、とは言いませんけど……煙草の所為でイメージダウンっスよ? 世の風潮的に煙草は悪っスから。それに……発声にも弊害が出ますって」

 実際、煙草が演技へ弊害を齎すのは事実だ。綾香さんも京堂さんも大淀さんも気にするべきことなんだろうけど、愛里以外にそれを指摘した人はいない。

「おキョウさんも気を付けないといけないっスからね? 自分は一番の下っ端ですし、付き合いも長くないっスけど……冗談抜きでこの劇団のことは好きっス。だからこそ肺を悪くして苦しむ姿――自傷してる光景なんて見たくないっスよ」

 急な真面目さで、愛里はキチキチの車内にいる喫煙組に向かって顔を向けた。

 綾香さんは大事そうにくゆらせていた煙草を潰した。

 京堂さんは男らしい屈強な体躯を持っているけど、年下から説法を受ける今だけは小さく見えるけど、大淀さんの方は説法を受けても飄々としたまま笑っていた。

「サクラ先輩からも注意してくださいよ? ライターぐらいの火でも苦手なんでしょう?」

「苦手だけど……見ないようにすればいいから」

「サクラ先輩は冷め過ぎっすよ。演技の時とか歌っている時とは大違いっス!」

「そう言われても……」

「ふふ、でも普段との大違いはその通りね。特に歌っている時は別人よね。演技もそうだけど、初めて見た時は驚かされたもの」

「はは、そうだな。スカウトした俺の目は間違っていなかったと思えたよ」

 ちなみに、歌っている時の私というのはサブカルチャー店での私だ。十七歳の時に瑠偉からの誘いでアルバイトすることになったお店で、男女問わず従業員はコスプレして働いていた。その中で私はステージで歌わせて(暴れさせて)もらっていた。瑠偉からは憂さ晴らしだね、って言われたこともあったかな。その姿を二人に見られたというわけだ。

「あの時のサクラ先輩を見てみたかったっスよ〜。どんなコスプレしてたんスか?」

「いや……私は好きでコスプレしてたわけじゃないよ……?」

「えっとね、バリバリのヴィジュアル系のコスだよ。歌唱力もさることながら、エロいし揺れるしで客が喜んじゃってまぁ……ねぇ?」

「瑠偉……それはいいから」

「その衣装……わたし、気になるっス!」

 助手席に迫る兇悪な双眸に私はバックミラーからも逃げた。逃げたといえば、その時の私を見ていた京堂さんの目がずいぶんと――憎々しげな感じだった。今みたいに反射的に視線を逸らしたほどだったから、勘違いじゃないと思う。何だったんだろう、そう思っても未だに訊けないでいる。だって……時々だけど綾香さんにも向けているから……。

「スカウトは少し前の文化祭なんだよ。京さんと綾さんが見に来ていてさ」

「ああ、高校生くらいでも有望な若芽はあるからな。スカウトも大事だからな」

「終わった後に栗山くりやま先生に呼び出されたから何事かと思いましたよ」

「その顧問さんも驚いてたぞ。高校生が劇団にスカウトされるなんて……ってな」

「ふふ〜あのスカウトは高校生活で一番の自慢話ですよ〜♪ 桜もそうでしょ?」

「うん。文化祭……懐かしいね」

 それは本心。曖昧な薔薇色学園とは縁遠かったけど、瑠偉に勧誘された演劇部での活動はそれなりに楽しかった。それまで演技なんてしたことなかったのにね。

 ちなみに二人が観ていたのはミュージカル仕立ての殺人事件だ。私という自我を持った球体関節人形が人間になりたくて人々を殺していく内容で、年齢制限をしたうえで上演した。そういえば脚本を担当した人は在学中に小説家としてデビューしていた気がする。

「さて、待たせたわね」

 綾香さんは、セダンをやおら動かして運転を再開した。その時、私の膝に乗せていたバッグの中で携帯電話が鳴った。

「あっ……電波が戻ったみたいです」

 取り出した携帯電話の画面を動かし、満君からのメールを確認した。

「えっと……『取材旅行はいかがでしたか?』です」

「というよりただの慰安旅行ね。いかがだったかしら」

 私は綾香さんと一緒に後部座席を見て笑った。

「『充実した取材が出来ました』と返信しておきます――あっ……また圏外に」

「仕方ないわね、山の中だし……」

 いつの間にか外の雪の勢いは増し、うっすらだけど挟霧まで出て来た。

 携帯電話が示す時刻は十九時。

 満君はどうしているだろう。そう思いながら私は視線を前に向け――その直後、ヘッドライトが照らした木々の中で何かが動いた。

「どうしたの?」

「今……森の中に誰かがいたような気がして……」

 だけど、今は十二月だ。ヘラヘラと歩いている人間はいないだろうけど、その何かは一瞬だけでも私の心に不安を齎すには充分だった。だって……その〝人影〟は四つん這いで木を登っていたんだから……。

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