比翼の呼び聲 3
恋人みたいな仕草で空は絹さんを抱き寄せようとしていた。その意図を見た私は叫び、怨霊なんかに魅入られている空の意識を叩き起こした。
「……海?!」
殴られたみたいに私を見た空は、また水の中へ連れ去ろうと両腕と髪の毛を広げた絹さんから飛び退いた。その勢いでドスン、と尻餅をついた空はそのまま後退ると立ち上がった。
邪魔を……小娘が……!
絹さんは怨み節と一緒に髪のあちこちを逆立てた。その逆立つ髪の毛の隙間から覗くたくさんの人形たちが吐き出す負の念が怨霊へのエネルギーとして絹さんの力を増大させている。その増大された力は敵意と拒否感だけで私の肌をビシビシと切り付け、屈服させようと猛威を振るう。その強さはいつもの私ならとっくに屈して頽れていたと思うけど、今だけは絶対に屈するわけにはいかない。全員の命が懸かってる……!
「絹さん……聞いて! あなたが一緒に流れたいと願っている相手も……そこへ流れるのも違うの!」
贄座どころか村全体に言い聞かせるように私は大声を出した。
何……? 何を……言ってるの……?
「通じた……!?」
懐に入れたスマホに聞こえるよう叫んだ私の声は絹さんへ届いた。だけど、大声の所為で足下のバランスが崩れてしまい、動けなくなりそうになった。
「海!」
使えない両手をカバーするように空は私を抱き寄せてくれた。
えっ……兄……様?
私を抱きしめる空を見、絹さんはわなわなと表情を変えると明確な殺気が湧き立った。それでも立ち止まるわけにはいかない。彼女のためにも彼のためにも……!
「海……絹さんへ対峙するのか?!」
「解放してあげるの……! 導いてくれる人がいるから……このまま行って!!」
背負ったモノの重みに私は歯を食いしばりながら、怨霊と化している絹さんと対峙した。
兄様……兄様……どうして……どうして……!!
逆立つ髪の毛の隙間から覗く人形たちからの怒号も加わり、絹さんはその叫びと共に髪の毛を触手のように暴れさせ、弧を描きながら鉤爪のように広がった先端を私と空に向けて一斉に振り下ろした――。
「辰さん……絹さんを救ってあげて……!!」
私は背負っていた大鎧の藁人形から――辰さんの魂を解き放った。
それと同時に藁人形は私の背中から滑り落ち、ゴトン、と床へ横たわった。
「海……これでいいのか――」
私を抱きしめたまま空は不安を訴えたその瞬間、刹那の閃光が私たちの間を走り、空の身体をすり抜けた辰さんが――絹さんのもとへ歩き始めた。
その光景に絹さんは明らかな困惑を示し、深紅に燃え上がっていた瞳も、のたうち滾っていた触手の髪も、私たちを吹き飛ばしかねなかった負のエネルギーも、全ては過去のことだったかのように歩く辰さんに何も出来ず、ただただその姿を見ていることしか出来なかった。
絹……たくさんのものを背負わされているな……。
先端を蛇のようにしてうねる触手の髪の一つに視線を渡した辰さんは立ち止まり、労うかのようにその髪を撫でた――と同時に髪は音もなく頽れ、瞬く間に雲散霧消と化した。
兄……様……?
頽れたその髪に呼応するかのように、他の触手と化した髪も次々と頽れ、絹さんの躰から消えていった。ただ、その動きは苦痛には見えず、髪の触手そのものが喜んでいるかのようにさえ見えた。解放を……望んでいるみたい……。
絹……助けられなくて……すまなかった。
辰は絹さんが浮かぶ水面の手前で立ち止まった。その光景がまだ信じられないのか、絹さんの方は空と辰さんを何度も見ては困惑を浮かべている。
いいんだよ……あの人たちは違う……こうして我が身を解き放ってくれた恩人なんだ……。
そう言って辰さんは絹さんへ手を差し出した。
絹……逝こう……今度は……二人一緒だ……。
差し出された手と辰さんの優しい笑みが、絹さんが背負う全ての負を消し飛ばし、彼女の魂そのものを浄化してくれた、と思う。言葉にならない紅涙が流れ落ち、その涙は絹さんへ絡み付いていたヘドロという負も、彼女を依り代のような存在にしていた人形たちも全てを引き連れて水面へ流れ溶けていく。
他のどんなこともよりも優しいその光景に、私も自然と涙が溢れ、
「空も……祈ってあげて。二人が今度こそ……自分たちの幸せのために逝けるように……」
「ああ……ああ……!」
力強く頷いてくれた空も私と一緒に二人の幸せを願ってくれただろう。
両親を亡くし、二人だけで生きていこうと誓い、絹さんの幸せのために働く辰さん、辰さんの幸せのために贄となった絹さん、その中に怨霊と化すようなこともこの世に留まり終わらない殺戮を繰り返すようになることもない――はずだったのに、嘘が嘘を呼び、悪意を呼んで、善意が齎した安寧を全て瓦解させてしまった。
だけど、これでもう二人が苦しむことはない。
あぁ……温かい……もう……寒くない……痛くない……。
辰さんを救えた時よりも遥かに大きく優しい光に包まれて、絹さんの全てが浄化されていく。
その光は贄座を――いや、藁将村そのものに浄化を齎してくれたみたいだ。
私にはそれが視えた。逃げ惑う命乞いする村人たち。空襲で身を、家族を、家を焼かれて死んだ人たち。行方不明になった人たち。死形婚で人形とともに流された成仏出来ていない人たち――が背負うものを全て消し飛ばし、
ああ……熱くない……。
もう痛くない……。
やっと……眠れるんだ……。
ありがとう……ありがとう……。
自分で自分を現世に縛り付ける鎖を解いて、村に囚われた人たちは涙を流して昇る。それは取り残された人形たちも同じで、頽れた躰の中から飛び出した光の玉が湖と川と池の底から次々と姿を現しては昇って行った。
あまりにも幻想的な光景と優しい温もり……涙が止まらない……人が昇る時が……こんなに優しい光景になるなんて思いもしなかった。
その涙を拭い、気配を感じた背後を見ると、そこに久流夜琉と久流夜朱が座っていた。敵意もなければ負の念も纏っていない。ただ深々と……絹さんと辰さんへ頭を下げているだけだ。加えて上の席はいつの間にか人々と人形に埋め尽くされており、その全てが絹さんと辰さんへ頭を下げていた。
そして、最後のヘドロが絹さんから零れ落ちた時、その姿はようやく本当の絹さんへ戻ることが出来た。その顔立ちは驚くほど私にそっくりで、辰さんが間違えるのも、絹さんが空を追いかけるのも無理はないと納得してしまうほどに……。
絹さんへ寄り添った辰さんは互いの手を取り合い、お互いのことを確かめ合うように触れ合った二人は私と空へ向き直り、
ありがとう……。
その万感の言葉と共に、絹さんと辰さんは光の中へ溶けた。それを見届けた人々も人形も次々とその姿を変えて、昇る絹さんと辰さんたちの後を追って行った……。
私と空はその場にへたり込み、二人みたいに互いを確かめ合いながらその光景を見上げていた。
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