第拾弐幕 比翼の呼び聲

「あれ……篝火が……」

 さっきまで焚かれていた篝火の目印が見当たらず、私は懐中電灯を頼りに桟橋を見つけ、痛む後頭部を押さえながら陸に飛び乗った。

 何故か村の方でも篝火が消されていて、さっきまでの気配がなくなり廃村に戻ったような感じがする。現に私が抜けた拝殿は左右の柵を巻き込んで倒壊している。その所為で通り抜けることは出来ず、私はそのことに毒づきながら反対側へ走った。

 もう一つの拝殿の外見はシンメトリーで違いは無く、中の間取りも家具とかも綺麗に左右反転にされていた。そんな病的なシンメトリーの中で一つだけ大きな違いがあった。それは絵馬で埋め尽くされていた部屋だ。こっちだと肖像画か写真が貼られている絵馬に埋め尽くされており、マコちゃんが鳥居の右を通れと言ったのは正しかったみたいだ。こっちは生きた人間が通る拝殿なのかもしれない。

 そんな拝殿を抜け、力士みたいな藁の人形ひとがたに守られた坂を駆け下りようとした時、見当たらなかった戦争の傷痕が広がっていた。

 力士みたいな藁の人形ひとがたの片割れは全身が焼け落ち、犇めいている民家はほとんどが残骸で、地面にはいくつもの大穴が蟻地獄みたいに口を開けている。そこに彼らはいた。身を焼かれ、家族を焼かれ、家を焼かれ、苦しみのまま亡くなった人たちがまだ彷徨っている。

 その惨たらしい光景に私は胸を押さえ、その場を駆け抜けた。

 そうして川を跨ぐ拝殿に近付いた時、そこが最初に見た倒壊状態ではないけど、階段先の入り口が踏み込んだみたいに壊されていた。

『ドウシテ……ドウシテ……』

『二人で……生きていこうって……言ってくれた……』

 うるさいスマホを袂に放り投げて私は僅かな階段を駆け上がって中に飛び込んだ――と同時に一文字廊下の奥から大人数が暴れているような物音と騒ぎ声が聞こえて来た。こっちへ来る、そう思った私は横の木造ドアを開けて中に飛び込んだ。

 そこは箪笥とか長持とかが積まれている物置みたいな部屋で、箪笥と壷の隙間に隠れた私はスマホの電源を落としてから廊下側の壁に耳を寄せた。すると、

「……の……末は完了しました」

 奥の両引き戸が開かれ、ドカドカと男たちの足音と声が聞こえて来た。

「穢れた床は作り直すから……そのままでいいそうだ」

「まさか辰の気が触れるとは……」

「自分がいない間に……絹が藁将様へ嫁いだんだ。それを聞かされてからしばらく家から出て来なかったし……その兆しはあったな……」

「でも良い奴だったし……殺すのは……」

「久流様にも斬りかかったんだぞ? 村のために犠牲になった絹の行為を無にする愚行だよ……」

「骸は後で村の外へ棄てろとのお達しだ」

 男たちはそんなことを話し合いながらドカドカと廊下を歩き、拝殿から出て行った。乱暴に入り口が閉められた音が物置まで届き、私はそっと廊下に出た。

「辰さん……ここで殺されたんだ……」

 奥の両引き戸に臨む。村人たちがドヤドヤと通っただけなのに、一文字の廊下には血のような臭いが漂っていて、私はその臭いから鼻と口を守りつつ震える手で片方の引き戸を開け――そこに辰さんはいた。

 人形も祭壇も見当たらない広い部屋の中心で、辰さんの遺体がたった一つの行灯で照らされている。全身は血だらけで、開かれた胸元は直視出来ないほどの惨たらしい惨状が広がり、四肢に至っては肘と膝の先が切り落とされている。

「辰さん……!」

 過去映像とはいえ、辰さんが現世に囚われている最大の原因かもしれない光景はあまりに惨たらしく、胃どころか全身が竦み上がったけど、空とマコちゃんと美穂のことが浮かんでくれたおかけで立ち止まることはなかった。

 覚悟したんだから……怖じ気づくな、海……!

「辰さん……私が認識出来ますか……?」

 空の死体が目の前にある。そうにしか見えない光景に心臓は早鐘になって騒ぐけど、口調と態度だけは変えずに辰さんと向かい合った。

「辰さん……あなたはもう亡くなっているんです……わかりますか……?」

 そう呼びかけるけど、辰さんは何も言わないし、何も反応を示さない。加えて求めていた大鎧の藁人形はこの時間帯にはまだ無い。贄座でもないここに四角い穴が開けられていた理由はわかったけど、反応がないんじゃどうしようもない。

 仕方ない……だったら……。

 私はようやく痛みが取れてきた喉を鳴らし、辰さんの耳元へそっと唇を寄せた。

「兄さま……兄さま、聞こえますか……?」

 絹さんのような声としゃべり方で呼びかけてみた。すると、もう何も見ていなかったはずの目が動いた。

『……ぬ……?』

「はい……絹です、兄さま……」

 ヌメりと光る頬に掌を置き、辰さんの顔を私へ向けさせた。

「兄さま……もういいんです。私は兄さまの幸せを願って贄になると覚悟したのですから……兄さまが苦しむことはないんです……」

 やったことも試したこともない幽霊を成仏へ導くための説得……自分の本心になってしまいそうな危うい感覚に揺さぶられながら、私は辰さんへ身体を寄せた。

『すま……た……まも……れなかっ……た……おれ……せいで……』

「もういいのです……慰めものとして……藁将様の伴侶としても贄になりましたが……この心だけは兄さまだけのものです……私は兄さまの側にずっと……ずっと……」

『すま……かった……きぬ……たいせ……なかぞく……を……まも……なかった……』

「兄さま……気持ちを落ち着かせて……? 全てなくしましょう……痛みも苦しみも……」

『あ……ぁ……あっ……たかい……な……』

 血塗れの頰を拭うように頰を慰め、顔を近付けた私はそっと自分の額を辰さんの額に当てた。辰さんの苦しみが癒えるように、身体の血塗れも傷も綺麗になり、切り落とされた四肢は元通りになって痛みも苦しみも消える……そんなイメージをしながら辰さんの成仏を願う。

「大丈夫です……兄さま……もう痛みも苦しみもないはずです……逝きましょう……」

『き……ぬも……いっしょ……か……』

 一緒に逝くのは絹さんだ。私じゃないからそれには応えず、

「兄さま……どこにいらっしゃるの……? お姿が見えないの……兄さま――」

 そう尋ねた瞬間、目の前の辰さんも部屋の光景も消えた。私は水面を覗かせる穴の手前で横になっていて、そこに辰さんの気配も空気もなかった。また時間が変わったんだ。そう思って私は寝返りを打ち、鎮座する大鎧の藁人形を見上げた。

「辰さん……やっぱりそこにいたんですね」

 中途半端な供養の所為で辰さんはこの大鎧の中に入れられ、しかも殺された時の記憶が強過ぎたから他のことは何もわかってなかったみたいだし、絹さんへの想いも枷みたいになって余計に辰さんの魂を苦しめているみたいだ。こうして大鎧を私の前に見せたということは、辰さんも解放を望んでいる証拠だろう。良い兆候だ。

 慣れない……というか縁のない濡れ場の手前みたいなことをした所為で顔も身体もオーバーヒートしそうな状態だけど、どうにかこうにか平静を連れ戻して大鎧の藁人形へ臨んだ。

「もう解放されましょう……絹さんと一緒に……」

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