贄座の経 4
「死ぬぞ莫迦!! 何やってんだ!!」
その怒号が耳に届いた時にはもう私の顔はヘドロ塗れになっていた。乱暴に首根っこを掴まれたままエビぞりにされた私は、顔中の穴という穴からヘドロを吐き出した。耳も鼻も喉も焼かれた所為で顔中が痛み、その痛みから逃れたくて私は水面に突っ込まれていた右腕もがむしゃらに振り回し――何かが触れた。何かが深淵を漂っている、ということが痛みを全て吹き飛ばしてくれた。
私は悲鳴をあげる顔を無視して右腕を振り回し、掌にぶつかったそれを握り締めると渾身の力で引きずり上げ――頭蓋骨が水面を割いた。
これは空じゃない。それを疑わなかった私は邪魔な誰かの骸骨を引き揚げた。すると、それを見ていた篠原さんが叫んだ。
「っ……おい! この骸骨が握ってるの……馬鹿連中のスマホじゃねぇのかよ!?」
いつの間にか白拍子の人形を蹴散らしていた篠原さんは、私の肩を乱暴に掴むと骸骨に引き合わせた。そのヘドロ塗れの骸骨が右手に握り締めているのは、辛うじて原型を保っているスマホと真新しく見えるスマホ――。
「これ……空のスマホ……!!」
どこでどう無くなったのかわからなかった空のスマホ……それをどうしてこの骸骨が握り締めていたんだろう。それにこの骸骨の正体は……。
「トモ……さん?」
会ったこともない、話したこともない、それだけど私はこのトモさんかもしれない骸骨の額へキスすることを躊躇わなかった。感謝のキスを贈り、私は空のスマホを起動させた。ヘドロの中にいたのにスマホは淀んだ音を出しつつも画面を立ち上げた。
「このスマホ……ゲホッ、絹さんともあの人形たちとも繋がるかも……」
「何でそんなことがわかる?」
「ここに沈んでいる人形たちはTaoさんのスマホを通じて念の写真を送っていたと想定するのなら……絹さんだってここに沈んでる。同じ方法で何らかの念を送っていたのなら、送った相手のスマホとは直通になっているのかもしれません。そのうえで私に霊感があったから絹さん個人の『口惜しい』という囁きが聞こえたなら……空のスマホを使えば絹さんの意識に直接説得出来るかもしれない……!」
「そうか……それなら手短に頼むわ。お客さんが増えそうだ」
その言葉に私は水面を見た。すると、繭を喰い破る蟲みたいに次から次へと片腕とか片足とかを欠損した人形たちが浮かび出て来た。人形の失敗作とかが一つも見当たらない、という篠原さんが口にした疑問は全てこの光景が証明している。
イッショニ……ナガレテ……。
ヒトリデ……マツノハイヤ……。
クライ……ナニモミエナイノハ……イヤァ……。
口々に怨嗟か羨望かを吐き出しながら失敗作の人形たちは私と篠原さんへゾンビみたいに手を伸ばした。その手すら満足に作られていない人形までいて、私はその光景に哀れみのような感覚が突き刺さった。
彼女たちに最初から自我があったのかはわからない。だけど、一方的に作られて、一方的に失敗作だとしてこの湖の底へ投げ捨てられていたのだとしたら、それはあまりにも残酷で、人形たちも被害者だ。味わう必要のない痛みを背負わされて今も存在し続けている。
「俺も今更モテ期が来たってか?! 全員相手にしてやっから――」
「篠原さん! 人形たちに乱暴はしないで! 彼らも被害者なんです……!」
「だから好き勝手にされろってか?!」
「反撃はしてもこっちから攻め込まないで……! 絹さんを説得出来れば何か進展があるはず……ゲホッ、それまで逃げましょう……!」
向こうは殺る気かもしれないけど、望むところだ、と滅多刺しにしたらそれはあまりにも救いがない。
これだけ騒いだのに動いていない花嫁・花婿人形たちに見下ろされたまま、私は二つのスマホを回収し、入って来た引き戸の向かい側にある引き戸へ走った。
「邪魔だ、オラァ!!」
横の水面から這い上がった来た人形が私の前を走る篠原さんの足へ手を伸ばしたけど、それをあっさりと躱した篠原さんは立ち塞がろうとした別の人形へ体当たりした。カシャン、と脆い悲鳴をあげながら吹き飛んだ人形は引き戸の横へ叩き付けられると力無く頽れた。
「一体ごとに同情してたらキリがねぇぞ!」
「……わかってます!」
さっさと入れ、と叫ぶ篠原さんの横を抜けて引き戸を開けた。その先は障子が並ぶ廊下が続き、私から見て右奥に引き戸とドアが見えた。絹さんが目隠しされていたから、この久流邸がどんな間取りなのか何一つわからない。
「どうする! 舟であっちに戻るか?!」
船着き場へ通じている奥の引き戸へ走った篠原さんだけど、退かそうとした引き戸が勢いよく揺れた。その瞬間に全てを把握したんだろう。慌てて刀を戸袋へ差し込んだ――その直後、たくさんのうめき声と一緒に引き戸が揺れた。
「こいつらゾンビかよ……!」
選択肢の一つを放棄し、篠原さんは横のドアを開けて二階へ駆け上がる。私はその背中に続きながらスマホの画面を叩いた。面倒じゃないのか、空は何故か画面が落ちるのを三十秒くらいに設定していた。それを変更し、絹さんと接触するために電話のアプリを起動させたけど、誰に電話すればいいのかわからなかった。すると、
『ご用件は何でしょうか』
人工知能が起動した。どこも押してないし、横のスイッチも押していない。
『ご用件は何でしょうか? ご用件は何でしょうか? ご用件は何でしょうか?』
「何だ?! うっせぇぞ!!」
「人工知能が……」
ご用件を求める機械音声が何度も唸り、
『絹はずっと……お待ちしておりました……』
「あぁ?!」
『この時が来ることを……ずっと……』
これは人工知能が勝手にしゃべり始めたわけじゃない。スマホのスピーカーから絹さんの聲が聞こえて来るのだ。
「これが空に逆上せてる絹って女の声か……!」
「やっぱり……このスマホは絹さんと繋がってるんだ。絹さん……私の声が聞こえてますよね?! 目の前にいるのは辰さんじゃないの!!」
『ずっと……私は……』
私の声なんて届かないのはわかってる。それでも私は漏れる心の聲に叫び返し――今度はTaoさんのスマホが勝手に起動した。
『ヒトリハ……イヤナノ……』
『トケテェ……イッショ……ニ……』
スピーカーから垂れ流されるのは人形たちの聲だ。
『兄様……どうして私を置いて……江戸に……』
みんなの聲はスマホの画面を落としても垂れ流され、止まらないそれに篠原さんは苛立ちを隠さない。
「ったく……どいつもこいつも……特に絹って女はメンヘラかよ!」
そう叫んだ篠原さんは私から空のスマホを取り上げると、
「絹!! 一応は供養されたんだろうが! いつまでも兄貴に執着してんじゃねぇよ!!」
供養……そうだ、絹さんと辰さんは供養されている。どんな人がどれだけ意味のある供養をしたのかはわからないけど、二人の様子を見ると適切な供養なんてされていないだろう。確か二人を表した人形を流していたらしいけど……どんな人形を――。
「もしかして……絹さんも辰さんもあの人形の中にいる……?」
あの拝殿で絹さんは本体ではなく白無垢の藁人形で私に組み付いて来た。それに加えて贄座にもあの白無垢の藁人形がいた。それ以外の場所で絹さんの幽霊を視ていない……ということは……。
「篠原さん! 絹さん……もしかしたら供養の影響で白無垢の藁人形の中にいるのかもしれません!」
「何でそんなところに……野良みたいにその辺でうろうろしてるんじゃねぇのか?!」
「うろうろしてるならとっくに追いかけて来てます! 自分の欲望を叶えるのに一番邪魔な私がいるのに襲って来ないのは……襲えないんですよ。あの人形と一緒に側へ来ないと!」
これは全部保証のない私の楽観論だし陳腐な妄想に過ぎないけど、下手に供養されたなら可能性も零じゃない。当時の人形が何で綺麗に残っているのとかわからないことはあるけど、そもそもこの状況そのものが非常識だし化学なんかじゃ説明出来ないことばかりだ。
「じゃあその人形を燃やせばいいか? それとも流すか?」
「説得が無理なら……流して供養するしかないです。抜け出せるのはその人形の側と過去の映像で動いた場所だけとか……」
「大丈夫なのかよ?! 想定がフワフワしてんぞ!」
「素人だし村のことなんて詳しくないし……絹さんのことも辰さんのことも一部を覗き見て好き勝手に考察してるだけです。仕方ないじゃないですか! とにかく絹さんの供養は辰さんと一緒じゃないと駄目! 辰さんがいないと絹さんは絶対に成仏なんて受け入れない……!」
「ちっ……仲良過ぎるのも問題だな」
「ただ……辰さんがどこにいるのかがわからない。遺骨はないけど同じように供養されたなら……人形の中にいるのかもしれない」
全ては由乃さんがいてくれれば解決する問題なのに、霊感があるだけで悪霊とも怨霊とも対峙したことがないド素人がいい加減な推測で駆け回っているなんてどうかしてる。
「あのゾンビ人形の中には?」
未だに引き戸をガタガタと言わせている人形たち。それに呼応するかのようにスマホからは怨みと嘆きの聲が読み上げられる。
『イッショニ……イッショガ……』
『ワタシト……イッショニ……ナガレテェ……』
辰さんは空みたいに堂々とした感じだから、こんな風にメソメソと怨み節なんてしない。もし絹さんみたいに供養されて人形の中に封じ込められてると仮定するなら……二人を表した人形を供養するなら……絹さんは白無垢で辰さんは……辰さんは……。
『口惜しいとか言ってる鎧武者とか……ものを落としたり、大きな音を立てたりする奴ら……』
不意に、突然、Taoさんのスマホから声がした。その声は……、
「美穂?! 美穂!!」
スマホのスピーカーに向けて呼びかけたけど、美穂の声はもう聞こえることはなく、また別の人形が吐き出す聲になった。
「口惜しい……鎧武者……」
そうして脳裏をよぎったのは、神曲での美穂の体験と頽れた大鎧――その大鎧は川を跨ぐ拝殿にいた。絹さんの白無垢人形の向かい側にいた……。
「篠原さん……川を跨いでる拝殿に行きます!」
「拝殿……湖は泳げねぇぞ?!」
「小舟で戻ります! どのみち……ここじゃ絹さんの供養も説得も無理です!」
大鎧を纏った藁人形の中に辰さんがいるとして、それを絹さんはわかっていないのかもしれない。絹さんは空ばかりに夢中で……辰さんは村の人を殺すことに夢中でお互いに気付いていない。あんなに想い合っていたくせに、今は自分のことばかり考えてる。
私はガタガタ唸る引き戸を背中にして奥のドアに駆け寄った。だけど、そのドアは何故かビクともしない。篠原さんが体当たりしてもそれは同じで、私は隣の引き戸を退かして――奇怪な部屋を露にした。
「何だぁ……? この気持ち悪い部屋は」
篠原さんの舌打ちが全てを物語っている。
常人には到底理解出来ない呪物めいた
「久流夜朱の部屋だ……絶対……」
口寄せみたいなことを平然とやれる人の部屋だと考えれば納得出来る。持たざる人からすれば異常にしか見えないけどね……。
「あの窓から船着き場に下りれるかな……」
触ったら障りそうなものばかりの光景に辟易しながらも、私は先頭で部屋に入る。まだ人がいるような気配は全体からヒシヒシと伝わって来る。久流夜朱が生きていた時の時間になっているんだろうか……。
「……躊躇わずによく入れるもんだ、見直したぜ」
「この部屋のもの……触らないようにしてくださいね」
丸鏡にぶつからないようにしながら文机に乗った私は障子を開けた。ヒョイ、と下を覗き込んでみると、船着き場を覆っている屋根が見えた。そこへ飛び乗り、篠原さんの手を借りれば船着き場か小舟の上に飛び降りれるかもしれない。障子の敷居を跨ぎながら、そのことを篠原さんに告げようと顔をあげた――瞬間、向かい合う鏡の中、私の横に白拍子の久流夜朱がいた。
烏帽子の下で紋様みたいな刺青だらけの頰と紅の唇を光らせた久流夜朱は私の頭を掴み――私は真後ろに引き倒された。それはただの悪戯レベルじゃなくて、私の身体は屋根を突き破って船着き場に叩き落とされた。
「がっ……!!」と、吐き出すほどの衝撃が後頭部と背中に突き刺さり、頭に至っては一瞬でも全身へ指示を送るのを止めたほどだ。
「おい! 大丈夫か!」
そう叫ばれてもすぐに返事なんか出来ない。予期しなかった痛みに悶えながらも上半身を起こす。それだけでも涙が出て来るほど痛く、焼かれた喉を威圧する胃の中身を無理矢理戻し、吹き抜けから篠原さんを見上げた。
「……飛び降りれますか?」
「無理そうだな……。こっちは何とかするから拝殿に急げ! モタモタしてるとまた次の化け物が来るぞ!!」
そのがなりに頷いた私は、小舟の一つに飛び乗って久流邸を後にした。
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