贄座の経 2
独身のまま亡くなった遺族のために死後の結婚をさせてあげたい。それだけなら辛うじて村は崩壊しなかったかもしれない。死者を想う遺族たちの優しい心よりも、自身を憐れんでくれる慰めの伴侶を伴って死ぬ人たちの方が多くなったことも崩壊の理由だと思う。今の時代でも後者の儀式があったら年間に何人が来るだろう……。
伴侶として生者と共に流されることを望む人形たちの哀歌が、この久流の屋敷で繰り広げられている。その光景を見た私は、一斉に動いた人形たちの視線に一瞬とはいえ怖じ気づいてしまった。
贄座と称される広大な部屋に集う花嫁・花婿人形たちは私を一心に睨み、その視線には明確な敵意すらも感じ取れた。ただの人形がここまで自我のようなものを持てるなんて……久流の血筋に混じった人形師というのは何者なんだろう……。
マネカレザルモノ……ココハセイジャノクルバショデハ……ナイ……タチサレ……。
威嚇するように、というか威嚇しているんだろう。白拍子の人形は腰の太刀に手をかけている。だけど私が相手にするのは人形なんかじゃない。
その威嚇を無視して私は渦巻きみたいに段々と並ぶ行灯の中を見渡し――その白拍子の隣に座り込んでいる空を見つけた。
「っ……!!」
危害が加えられるか人質にされるか、それを警戒して私は空を呼ばなかった。何しろ、空の向かい側には私に襲いかかって来た白無垢の藁人形がいたからだ。あの一体だけが流暢に動く藁人形で、私に組み付いた時に絹さんの記憶を見た……ということは……おそらく……。
「絹さん、その藁人形の中に……いるんですか……?」
会話が出来るかどうかわからないまま声をかけた。あの囁きのような返事が出来ることを期待したけど、私の問いかけに藁人形は何ら反応を示してくれない。かといって私は霊能力者じゃないから絹さんのチャンネルに意識を合わせることなんてこと……。
「絹さん、その中にいるのなら聞いて……! 私はあなたと辰さんを助けたいの……!」
そう叫んでも白無垢の藁人形は反応を示してくれない。聞こえていないのか、それとも聞こえているのに聞く耳を持っていないほどに怨霊と化しているんだろうか。
「ここにいたら……絹さんも辰さんも救われないの……!」
私はそう言いながら少しずつ空へ近付きつつ、白無垢の藁人形の中にいるであろう絹さんへ波長を合わせる。私に組み付いて過去を見せてきた時のことを思い返し、その時に感じた意識を合わせ――。
邪魔を……しないで……!
反射的に閉じていた目を開けた瞬間、目の前に絹さんがいた。鏡のような顔はヘドロを吐き出しながら腐蝕し、鼻を腐らせてもおかしくない腐臭が私を突き飛ばした。
「っ……!!」
尻餅をついても私の口は言葉を吐き出せず、あのヘドロの湖に沈められた絹さんは文字通りの怨霊として目の前に存在している。長い黒髪はヌメりと顔にもまとわりつき、その隙間から覗くのは深淵の眼孔と深紅に燃える右の瞳だ。
私は……兄様と永久になる……帰って来てくれた……。
「っ……絹さん! あなたが見ているのは辰さんじゃないの! 辰さんは殺されて……その魂は彷徨ってる……! 見つけてあげないと……解放してあげないと永遠に苦しみを繰り返すことになるの……!」
兄様……兄様……。
沈黙している白無垢の藁人形とは裏腹に、私へ背中を向けた絹さんは湿った水音を吐き出しながら空へ近付き始めた。私はそれを止めるため立ち上がろうとしたけど、
タチサレ……シレモノ……。
白拍子の人形が立ち塞がった。抜刀された刀は真剣で、渦巻く行灯の煽りを受けて刀身が深紅に燃え上がっている。絹さんが操っているのか、それとも絹さんが人形たちに煽られているのか、それすらもわからないまま切っ先に追い詰められ――。
「馬鹿野郎が!!」
その叫びと一緒に真横の引き戸から篠原さんが飛び込んで来た。その右手にはどこかで見つけたのか刀が握られていて、突き付けてられていた切っ先と私の間に入った篠原さんは白拍子の人形が繰り出す斬撃を捌くと、渾身の蹴りをその胴体にぶち込んだ。
「篠原さん……!」
「悪霊に説得なんて無駄だ! 人の話を聞かねぇから成仏出来ねぇんだろうが!!」
「でも……私が救ってあげないと……!」
「だったらまずは空をどうにかしろ! 手紙を持って行ったのはシズ――あの婆のばあさんだ! 辰にも絹にも渡ってねぇぞ……!!」
「っ……本当ですか?!」
「古い手紙がどうこうって言ってたのを思い出してな……!!」
篠原さんは肩越しにがなりながらも白拍子の人形が繰り出す斬撃をギリギリで捌き、私のことを守ってくれている。その援護を受けて立ち上がった私は、黙ったまま見下ろし続ける人形たちの視線を振り払いながら空のもとへ走った。
兄様……絹と逝きましょう……永久の世界へ……。
絹さんは虚ろなまま動かない空の頰へ恋人みたいに両手を添えると――空へ抱きつき水面に引きずり込んだ。
「やめて!!」
私は反射的に空の背中を掴み――視界と身体がズレると同時に私は水面へ引きずり込まれた。
顔面を殴られたうえに、頭にある穴という穴にヘドロが雪崩れ込んで来た。その苦しさで意識は悲鳴をあげ、覆い潰されそうになった両目を思わず開けてしまい――私は見た。
海の底のよりも冷たい深淵の中を海月みたいにたゆたう人影と広がるカーテンの隙間に犇めき合う数多の人面が私を見た――瞬間、泡を吐き出した私の意識と視界はテレビを消したように落ちた。
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