第拾幕 狂気の夜

 儀式が行われる……お前たちは明日の朝まで絶対に家から出るな。

 藁将様が降臨なされる……! 直視したものは目が潰れて気が触れる。久流様の言いつけを守るように……!

 村が騒がしくなってきた。

 最初に辿り着いた時にはただの廃村だったのに、気付けば景色が変わり、いつの間にか村人の姿が見えるようになった。今は松明を持った野良着の男たちが民家を回って家から出ないように告げている。

 進退窮まった俺の脳みそが見せている幻覚……というわけじゃないことは確かだが、あれを見せられたところでどうしようもない。人柱なんて悲劇的だが、この時代のことであって現代を生きる俺が今の価値観でそれをどうこう言うのは間違ってる。

 だけど、民家から出て来た瞬間に目隠しをして縄で縛り上げて連れて行くというのはあまりにも惨たらしいし、待ち受けることを思うと胸が痛い。俺が見せられているのはこの村で最も忌むべき瞬間なのだろう。

 いやっ……何するの?! 

 久流様……! こんなことしなくても私は……!

 女性の声がまだ脳裏に残っている。村のこと、自分が置かれている状況、これらを把握していなければ俺はあの女性を救う為に飛び込んでいただろう。

 その悲痛な叫びすら縄で塞がれた女性は仕留められた獲物のように引きずられ、力士のような藁の人形ひとがたに挟まれた坂道を上がり、そのまま久流の屋敷へ連れて行かれた。この時にはまだいくつもの建物が存在せず、花嫁・花婿人形も死形婚もなく、大きな湖の上にあるのはまだ久流の屋敷だ。これからその屋敷で儀式という名の狂った光景が繰り広げられるんだろう。

 これを見せられてもどうすることも出来ないというのに、あの大鎧の中にいた誰かは俺にどうしろと言うんだろう。

 気付いたら瑞樹さんの姿は無く、暗い森の中を動き回っていた時に藁の人形ひとがたを見つけ、二股の鳥居を抜けて村に入った。その時はどこもかしこも廃墟になっていて、人の気配は微塵もなかった。

 その中でどうにか寝床を確保し、しばらく生活していたが、夜がいつまで経っても明けず、俺の身体が渇きと空腹を訴えることもなかった。時間が止まっているのかもしれない、そう思い始めてから、本格的に村の中を調べ回った。

 最初に村の全体を把握した。この時代にしては珍しくシンメトリーになっていて、村の入り口の先にある上流からの川と溜め池を起点に左右へ分かれている。左右に広がる民家の違いはあるが、坂を挟む力士のような藁の人形ひとがたと、その坂の先にある拝殿的な建物は同じだ。

 屋敷兼死形婚を司る社として改装された久流邸で湖の水面を見たが、ヘドロの所為で水底なんて見えず、辛うじて見えたのが沈められた人形の残骸だ。人骨はさすがに……見当たらなかった。

 問題はその後だ。空の闇はともかく村の景色が変わり始めて、農具で武装している村人とかの影がうろつき始めた。それから逃げるようにして村の中を動き回り、川を跨いでいる拝殿的な建物に入った。

 その中で俺は祭壇に鎮座する大鎧と出会した。加えてその反対側には向かい合うようにして白無垢の藁人形がいて、何か意味のあることをしているのかと思って大鎧に近付いた瞬間――面具の下から覗く闇の中と目が合った。気付いた時にはもう俺は過去にいて、その時の光景を見させられている。 

「海……ごめん。まだ帰れそうにないよ」 

 普通なら夜が明けない時点で発狂しそうなもんだが、俺はどうにかこうにか耐えている。帰りたいと思える場所があれば人は壊れないことが実証された。でも現実では五十年とかだったらどうしよう。

 考えてもどうしようもないこと、動いてもどうしようもないこと、それらに囲まれたまま俺は進展がないまま無為な時間を過ごしている。さて……どうしたらいいのか。

 海はともかく俺に霊感はない。愛染さん……だったかな? ここに来る前に瑞樹さんが連絡した霊能力者曰く、俺には〝変化〟を齎す何かがあるそうだ。暗号じゃないんだから、もっとわかりやすく教えてくれればいいのに、あのテの人たちは推理小説家みたいに何でもややこしくする悪癖があると思う。でも……。

「変化……か。あの女の人……助ければ解放してくれるとか……あるのかな」

 誰の仕業かなんてわからないが、わざわざ過去を見せているということは何らかの意図があるんだろう。もういい加減動くべきだろうか。

 俺はガサガサと草を激しく動かさないよう慎重に動き、木の陰から這い出た。幸いにも村の連中は久流からの命令に従って続々と家に戻っているし、松明を持っている野良着の男たちは家ばかりに集中していて侵入者のことは微塵も考えていないようだ。

 ただの過去映像であっても追いかけ回される可能性は捨てきれないから、堂々と姿を見せることなんて出来ない。だから篝火とか棒立ちしている男の松明の光を頼りに後ろを抜けて久流邸に近付いた。

 陸続きじゃ困ることでもあるのか久流邸には桟橋にある小舟を使わないと辿り着けない。幸いにもパチパチと音を立てる篝火はあるけど人の姿は無い。見張られていないことを信じて小舟の一つに飛び乗り、静かに急いで屋敷の桟橋に小船を寄せた。

 結末を知っていても、どこで物事が起きたのかは知らない。

 慎重な動きで右の船着き場に飛び乗った俺は、二つある引き戸の中から左側を選んだ。忍び足でそこへ寄り添い、そっと耳を立てたが中から物音は聞こえない。木造の引き戸に物音の不安を感じつつも微かな隙間を開け、暗闇の室内を覗き込んでみた。

 浮かび上がったのはただの通路だ。開けた引き戸の左右と奥には木造のドアが一つずつある。俺から見て左手には障子が並び、その向こうには藁将村を見渡せる湖見廊下がある。俺はその廊下と奥の引き戸を無視し、調べていない右手のドアに手をかけた。

 ギギィ……、と嫌な音を発してドアは動き、二階へ通じる階段が姿を見せた。何故かここだけはきちんと蝋燭が立ち、上から微かな物音か人の声が漏れてくる。さらにその隙間には女性の声が混じっている。

 階段を上がりドアを明けると、また通路とドアと引き戸が浮かび上がった。俺から見て左手には半開きになった引き戸があり、照らしてみるとそこは箪笥や長持などが雑多に詰め込まれた物置だった。

「あっ……刀が……」

 価値のないものなのか、打刀が壷のようなものに何振りも入っている。傘みたいな扱いだが、抜刀してみるとそれは全部真剣だったから、俺は一振りを拝借して物置を出た。

 窓から懐中電灯の光が漏れないように気を遣いつつ、件の水面部屋の真上にある部屋を覗き込んだ。そこには部屋の中心に大きな祭壇があるだけで、他には何も無い。

 ひな壇のような祭壇には貴重なはずの蝋燭が大量に並び、最上段の五段目に大きな藁人形が座らされている。その下の段々には小さな藁人形たちが並び、何をしていたのか神饌の器には全て血が入っている。

「この血って……まさか……」

 嫌な想像に応えるようにして、祭壇の左斜め後ろにあるドアから物音と声が聞こえて来た。蛇が出るか鬼が出るか、その全てをわかっているし想像も出来ているが、その全てを見て心地良いなんて気持ちは微塵もない。それでも、変化が鍵ならば……。

 俺は意を決してドアの手掛けに触れ――。

「こんな美人……近隣にもいないからよぉ……一度ヤりたかったんだよ」

たつの奴がいつも守ってたからな……気持ちの悪い兄貴だぜ。畜生腹のくせによ」

「いいじゃねぇか……こうして贄になる前にヤらせてもらえたんだからよぉ」

「誰とヤりてぇか……そんなんで贄が選ばれるならいくらでも選ぶってもんだ」

 ダハハハハ、と下卑た嗤い声に俺は殴られたような勢いでドアを開けた。

「何だっ!」と、汚い半裸の男たちは一斉に俺へ振り返った。その隙間にあの女性がいた。着ていた小袖は剥ぎ取られ、綺麗だった肌は痣だらけにされ、目隠しをされたまま死体のように床へ倒れていた。その光景は床に並べた宴を貪り喰う蛮族そのもので、男の一人は女性を隠そうと物のように腕を掴み、その衝撃で目隠しが解け――。

「海……?」

 露になったのは海の顔――そう理解した瞬間、瞬く間に全身の毛が逆立ち、持っていた打刀を持って室内に飛び込んだ。

 その後のことはほとんどおぼえていない。気付いたら部屋中に男たちの残骸が散らばっていて、俺はその中に立っていた。血だらけの打刀を捨て、裸にされた海に自分の上着を与えてその身体を抱き起こした。

「海……! 海……!!」

 息はしてるが、いくら呼びかけても海は応えないし焦点も合わない。

「海……どうして……」

 額にある青い痣に触れながら海を抱き起こした俺は、部屋から出ようと踵を返してドアに駆け寄った。すると、抱きしめていた海の身体に反応があった。

「にぃ……さ……ま……」

「海……? 俺がわかるか……?」

 俺は慌ててその場に屈み込み、片手で支えたまま海を仰向けにさせた。はだけそうになる上着を直してその顔を覗き込んだ。

「きて……くれた……」

 壊れてしまいそうな瞬きの後に海の目は俺を見た。 

「どうしてここにいるんだ……よりにもよって――」

 ガシッ、と海は俺の首に両腕を回し――囁いた。

 ようやく見つけた……兄様――。

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