第玖幕 飢饉の贄

 天明の大飢饉。

 飢饉が多かった江戸時代において三大飢饉と称されるのは、享保の飢饉、天明の飢饉、天保の飢饉だ。この中で最も悲惨だったのが天明の大飢饉だと言われている。深刻な被害は藁将村がある東北地方と北関東で、餓死者の遺体で道端は埋まっていたと言われるほどだったらしい。

 原因は天候不順、浅間山の大噴火という自然災害ではあったけど、幕府や藩の政策にも飢饉を後押しする問題があったという。

 私が知っているのはそこまでだ。教科書通りの知識でしかその光景を知らないけれど、私は今、その時の光景を視ているんだと思う。

 頭の中にまざまざと浮かぶのは、飢饉に苦しむ人たちの阿鼻叫喚の光景だ。教科書が告げているのは大げさでも何でもない。本当にその通りであり、それ以上でもあった。その地獄を見せてくれているのは、息を荒げながら走っているこの男の人なんだろう。

「久流様……大変です……!」

 その独り言と同時に場面が切り替わった。私がいるのは藁将村の入り口なんだろうけど、何故か二股鳥居が無い。その先の光景も違っていて、お墓も無ければ川も池もヘドロにはなっていない。それはいいんだけど、飢饉がここにも届いているのか、活気も無ければ人の姿も見当たらない。

 木を組ませただけの門を抜けた男の人の姿を認めたのか、あの格子窓がある家から一人のおばあさんが出て来た。あの格子窓は村に来る人を見張るためだったみたいだけど、今はどうでもいい。飢饉の影響なのか、痩せこけて骸骨みたいだ。

「小吉……どうだった……」

「吉兵衛さんの所はもう駄目だ……その辺に転がってる骸を食べてた……」

「こっちは辛うじて蓄えがある……それでも保って三日か……二日か……」

 どうやらこの小吉という人は隣村かどこかへ行っていたみたいだ。状況からして飢饉の状態を調べて来たのかもしれない。

「これで年貢なんて言われたら……」

「その時は村ごと滅するしかないよ……あたしらに逃げられる場所なんてねぇんだから。とにかく……久流様にもありのままを伝えるしかねぇ」

「わかった……」

 そんな二人のやり取りが繰り広げられている間に、民家から続々と村の人たちが姿を見せた。老若男女全員が見窄らしく、子供に至っては遊ぶ気力すら萎えているように見える。飢饉で村が滅びるのも時間の問題に見える。

 そんな村人たちからの視線に応えることなく、小吉さんは流れのある川に沿って走り、力士のような藁の人形ひとがたに挟まれた小さな坂道を上がる。すると、

「おぉ……小吉、帰ったか」

 坂の先にいたのは、村の人と何かを話していた長老的(時代的には庄屋かな?)な雰囲気を持つおばあさんだ。エビみたいに曲がった腰に両手を当てながら、杖無しで小吉さんの側へ近付いた。

「久流様、実は……」

 小吉さんはさっきのおばあさんにもした話を久流さんへ伝える。

「そうか……他所は頼れんな」

「こんな時にこそ藁将様が助けてくだされば……」

「これ……! 我らの藁将軍に無礼な口をきくでない」

「しかし……事態が好転しなければ我々も明日は我が身です……!」

「わかっておる……儂らも他所の村を助けている余裕はない。藁にも縋る思いで祈祷するしか……道は残されていないか」

 そこで視界が揺らぎ、次に視界が明瞭になった時には景色が変わっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る