第漆幕 嘘か真か

「思えば……遠くまで来たんだね」

 ガタン、ガタン、と人影の少ない電車に乗ってしばらく経ち、車窓から見える景色が田んぼと農家と背の高い木々ばかりになった。

 目的地の秋田県○○はご近所というわけじゃないから、私とマコちゃんは始発の電車に乗り込んだ。人々の生活の足であったはずの電車はもう財政を圧迫するお荷物でしかないようで、通勤時間になっても人の姿は私とマコちゃんを含めて片手しかおらず、止まった無人駅からも人が乗って来ることはなかった。

「大変なのはこれからだよ。やることは多いのに明確な対処方法も答え合わせも出来ていないんだから」

 向かい合う座席にドスン、と全身を預けているマコちゃんの横には神曲に来た時に持っていたバッグがあって、その中には私にはわからない電子機器が色々と詰め込まれているようだ。何でも神曲のリビングに点けっぱなしで置いて来たパソコンとスマホを常時繋げているようで、マコちゃんの身に何かあったらすぐにラヴちゃんが実家へ連絡してくれる手筈になっているらしい。

「相見えるのが常識を無視した相手だから二人だけじゃ心許ないけど……ラヴからの支援が命綱になるといいけどね」

「うん……でも、そんな事態が起きないことを願いたいよ」

 これから何が起きるのか、想像すら何一つ出来ていない。行方不明の人たちが件の廃村に集められているのなら何をしているのか、何十年も前に行方不明になった人は生きているのか、由乃さんはどうして空が生きていると確信しているのか、図書館の記事を読めば断片でも見えてくるのだろうか……。

『次は〜○○駅〜○○駅です』

 目的地だ。私は自分のバッグを連れ、マコちゃんと一緒に電車から出た。どんな駅なのか前情報はあるからそれなりに予想はしていたけど、ホームに下りてみて改めて枯れた無人駅の存在意義について考えさせられた。

「ローカル線の危機か……この国の衰退の象徴かねぇ」

 それでも衰退を危機として本気で捉えている政治家なんて一人もいないだろうけどね、とマコちゃんは肩をすくめた。

 その衰退の無人駅に下りる乗客は無く、私とマコちゃんだけが立つホームには掘建て小屋みたいな待機スペースしか見当たらず、一人きりの自動販売機に至っては壊れたまま放置されている。この駅が地元の人にとってもどういう場所なのかすぐにわかった。

「えっと……図書館はここから歩いて二十分の場所にあるね。行こう」

 無人駅から出ても、その周囲が無人であることに変化はない。住んでいるのかわからない民家、蜘蛛の巣だらけの公園、朽ちかけた掲示板、ゴミ捨て場に見えるバス停、車が通らないひび割れた道路に錆だらけの標識……限界集落という言葉があるけど、何だかここのために作られたような感じがする。

「こんなんでも図書館は機能してるんだ。維持費で財政が吹っ飛びそう」

 辛辣な評価をするマコちゃんの先導に従って、私は限界の町の中を歩いた。人影は無く、動いている車を一台も見かけない。町そのものが廃墟なんですよ、と言われても驚かない状況の中で蝉の声だけが住民の代わりに声を出してくれている。

 日陰の無い炎天下の中で流れてくる汗をハンカチで拭きながら電柱と看板と田んぼと民家を横目に進み、マコちゃんが目的地の図書館をようやく視界に捉えてくれた。

 田んぼという海の中にポツリン、と浮かぶ小島みたいな感じで件の図書館はある。誰が汗を流しているのかわからない田んぼの編み目を抜けて、私とマコちゃんは図書館に臨んだ。敷地は意外にも広くて、建物の正面には広場があるけど手入れはされていないようで、屋根付きの休憩所は蜘蛛の巣だらけで、何かの石碑なんて雑草に覆われている。

「死んだ田舎町に不釣り合いな規模の図書館……か。昔は大勢いたのかもね」

 人もいない、やる気もない、財源もない、観光名所もない、そんな地方が向かうのは廃墟化だけだ。この○○という町はそれをまざまざと私たちに見せている。私が住んでいる場所もいつかこうなるんだろうか。

 マコちゃんは正面玄関にある自動ドアに近付いた。だけど、そのドアはマコちゃんを迎えることはなく、見ると小さな張り紙に手動だと殴り書きされていた。するとマコちゃんは隠さない舌打ちを吐き出して手動ドアを開けた。

「何だ……クーラー弱かよ……」

 地球のためというよりも節約のため、という感じが滲み出ている暑さが館内を包んでいた。この図書館では本よりも人よりもエアコン代が重要みたいだ。とにかく暑い所為か、夏休みによく見る図書館に集まる学生という光景が広さに反して無い。

 暑いにも関わらず黒マスクを外さないままマコちゃんは受付に向かった。その受付には司書――というよりもボランティア風のおばあちゃんが座っていて、お客さんが珍しいのか、それとも余所者だと気付いているのか、さっきからこっちを見ていた。

「すいません、こっちのローカル新聞のバックナンバーって保管されてますか? 明治と大正から戦後直後くらいまでのものなんですけど」

「ああ……それなら……」

 おばあちゃんは内線電話を手に取り、

「前島さん、過去の地方紙を見たいと言うお客さんが……はい、保管庫? わかりました」

 頷いて電話を切ったおばあちゃんはマコちゃんを見上げた。

「お客さん、こっちの地方紙は保管庫のファイルにまとめられているので、これから持って来ますから少々お待ちくださいね」

「ファイル……電子化にはしてないんですか?」

「予算が無くてねぇ……エアコンすら満足に動かせないんだよ」

 案の定の答えにマコちゃんは露骨な溜め息を吐き出した。

「これは悪い時代遅れだよ。メルも気を付けてね」

 ITに詳しくない人はみんな時代遅れです。そんな風潮がある世の中だけど、その進歩するITが人間を幸せにしてくれるかどうかは神様と仏様だけが知っている。きっと私はこれからも時代の進歩に翻弄されて生きていくんだろう。

「とりあえず……歴史書とか絵本を探そうか」

「絵本? 何かあるの?」

「地方の言い伝えとかは口以外に絵本とかに記されていることがあるの」

 そう言ってマコちゃんは天井からぶら下がる案内板に従って奥の児童書エリアに入った。それに続いて私も児童書が並ぶ本棚を見上げた。

「流通してない自作本とかないかな……この地域の民話集とかさ……」

「民話集……民話集……」

 シンデレラとか白雪姫とか、メジャーな児童書は山ほどある。だけど、マコちゃんが言うような地域の民話集らしい本は見当たらない。そもそも、

「マコちゃん、秋田県の民話って何があるの?」

「座敷童とか三枚の御札とかかな」

「座敷童の話は岩手だと思ってたよ」

「岩手にもあるし秋田にもあるってだけだよ。座敷童……茜崎家にも欲しいな」

「座敷童の手助けなんて必要ない家に住んでるじゃん」

 欲深いぞ〜、と私はマコちゃんの強欲を咎めた。その瞬間、

「痛い……!」

 強欲はお前だ、と言わんばかりに私の頭に本が三冊も落ちて来た。角という武器を持つ本の一撃はなかったけど、背表紙とか表紙の直撃は受けた。バタバタと床に本が散らばり、私はそれを拾い上げて元の場所へ戻そうと見上げ――。

「っ……!!」

 見上げた本棚の一番上に女の子が座っていた。和服を纏い無邪気な感じで笑っていたけど、その姿は一瞬で消え去った。

「どした?」

「住処にしてるのか通りすがりかわからない幽霊がいたよ……」

 悪戯で本をぶつけられたのなら苛立たしいけど、周りには私がただの変人にしか見えない。痛む頭を慰めながら本を戻し――その背表紙を見て私はマコちゃんを見た。

「秋田県民話集……あったよ?」

「マジで?! どれ?」

 女の子の霊に落とされた本の一つがまさかの民話集だった。もしかして教えてくれたんだろうか。

「その中に人形とか花嫁・花婿系の話があれば……」

 マコちゃんに急かされて目次を開こうとした時、

「ああ、ここにいたんだねぇ。お嬢さんたち、地方紙のファイルを持って来ましたよ」

「良かった……きちんと保管はされているんですね」

「それがねぇ……予算の都合で保存状態が良いとは言えないんだぁ……」

 おばあちゃんは申し訳無さそうに眉を下げると、私たちを奥の学習スペースに案内した。並ぶいくつかの丸テーブルの一つに分厚いファイルが三つも置かれていた。

「また別の年代が必要になったらお声かけくださいねぇ」

 そう頭を下げておばあちゃんは受付に戻って行った。

「メル、開いてみて」

 私は頷き、とにかく分厚いファイルの一つ、明治時代のものを開いた。それは意外にもただのクリアファイルで、さすがに口は閉じられているけど市販されているものとの違いは無い。その中に地方紙は収められており、おばあちゃんが言ったように古いものは虫食いとか、千切られたりクシャクシャにされたりしたような痕跡がある。読めないものまであって、この図書館が如何に本とか新聞紙を大事にしていないのかがわかる。

「地方紙に関しては別の図書館に行くべきか……」

「まぁまぁ、とりあえず見てみようよ」

 マコちゃんは隣に座り、大正時代のファイルを開いた。私はそのまま明治時代のファイルを捲り続ける。秋田のとある地方紙の始まりは一八七三年みたいで、途中には犬養毅の名前まで出て来た。すると、

「あっ……一八八一年の記事に『〝藁将村わらまさむら〟へ政府からの役人が来訪』って記事がある……!」

「藁将村……? あたしにも見せて」

 マコちゃんにも読めるようにファイルを広げた。マコちゃんはその記事を現代語に訳しながら、かいつまみながら声に出した。

「『昨年、西欧から来日した人形師が藁将村を来訪。藁で編まれた鹿島様や、かつて大和朝廷から逃げて来た土蜘蛛たちの守り神として藁将村でのみ崇拝される〝藁将様わらまささま〟に興味を抱いていたようで、一週間かけて東北を回った。

 藁将村では過去の出来事から、村の中心に位置する湖に藁将様とその伴侶として女を生贄として沈める風習があり、明治になった今もその風習が続いていることを件の人形師は日本に滞在する外国人に向けた新聞に紹介してしまう。

 時代遅れの東洋人らしい陳腐な発想と野蛮な愚行だと嘲笑の的にされるのを嫌った政府は藁将村へ人を派遣し、直ちに生贄や藁将様への崇拝を止めるように指示。だが、村の代表であった久流家の女当主は生贄を否定する。

 久流家は生贄の風習が事実であることを認めたが、現代では生贄の儀式などなく、人形師でもある彼女は夫と共にかつて生贄にされた娘たちを供養するために作った花嫁人形とその伴侶としての花婿人形を湖に沈めているのだと説明した。

 さらに今では伴侶を持たずに亡くなった人たちへの慰めとして花婿人形と花嫁人形を製作し、死後の婚姻としての儀式〝死形婚しぎょうこん〟を行い、人形を沈めているとも説明した。

 今の儀式は死者への手向けと慰めであると知った政府はそれ以上の追及はせず、外国人たちの新聞に記載された生贄は事実ではないとして修正が行われ、村には死形婚を求める遺族たちの姿が見られるようになった』ってわけか……」

「死形婚……本当にそんな儀式が……」

「これだけじゃ真偽はわからないな。でも代田って奴の推測は当たってたってわけだ」

「この儀式がまだ続いてる……とか?」

「誰がやってるの? 幽霊がまだ儀式をしてるって? 早合点する前に、この儀式のことと村のことを調べないと。内容もこの久流って奴が政府に説明したことも事実かわからないんだから。今も昔も新聞の情報を鵜呑みにするのはよくないよ。悪意ある奴や誰かから賄賂をもらってるマスゴミが真実を伝えるわけないんだからさ」

 そういえばマコちゃんはマスコミを嫌ってる。とはいえ、私も彼らを好きというわけじゃない。あの人たちは他者の不幸を面白可笑しく伝えるのを仕事にしているんだから、配慮とか誠意とかの気持ちなんてないんだろう。

「良い情報が入ったけど……検索しても村の情報は出て来ないな……さながら地図から消された村だね。とりあえず、以降の記載はないか探してみよう」

 その後はとにかく記事に目を通した。次から次へとページを捲り、村に関する記述はないかと探していたら、マコちゃんが声をあげた。

「あった……一九四五年の記事に藁将村が空襲を受けて壊滅したってある。久流家も全滅し、生き残った三人の村人は村を棄てて疎開したみたい」

「あの映像だと建物はそれなりに残ってるみたいだね」

「連中が乗り込んだ廃村……藁将村で確定かな。後は……どうしてあんな儀式をしていたのか、どうして花嫁・花婿写真と呼び聲が届くのか……それを探そう」

 そう口にした瞬間、マコちゃんのお腹が鳴った。

「……もうお昼なんだ。何か食べよう」

 時計が示すのは十二時半だ。始発前に詰め込んだ朝食だけじゃもう保たないだろう。私は奥にある食堂へマコちゃんを誘った。そこには私たち以外に数人のお年寄りと若い人がいて、食券を買うみたいだ。

 私が選んだのはベタにカレーで、マコちゃんはラーメンを頼んだ。

「まぁ、普通の醤油ラーメンかな。おやつみたいな感じ」

「おやつみたいなラーメン?」

「軽い感じってことかな」

 その感想通り、マコちゃんは醤油ラーメンをぺろりと平らげてしまった。

「それにしても、本を持ち込んでもいいとは恐れ入ったね」

 マコちゃんはさっきの秋田県民話集を取り出した。汚さないことを前提にしているルールだとは思うけど、私もそれは思った。ある意味で商売上手かもしれないけど、本からしたら戦々恐々のルールかもね。

「そこに何かヒントがあるかな」

 よくわからない幽霊に頭をぶつけられたんだ。何も収穫がありませんでした、なんて冗談じゃない。

「古事記だって史実をモデルにして作ってるはずなんだから、民話なんて完全にモデルありだよ。あんな儀式をしていた村なんだから、民話の一つや二つはあるはず……」

 バサバサとページを捲り、マコちゃんは眉間に皺を寄せたまま目次を睨む。

「天女女房……三枚の御札……豆と狐……藁将軍……藁将軍と清き娘?」

 マコちゃんは本をテーブルに広げた。指し示されたページのタイトルは藁将軍と清き娘。挿絵は侍でも武者でもない姿――古事記とかに出て来るような髪型と衣装と武器を持った人たちと対峙する藁の巨大な人形が描かれている。

「……その昔、大和朝廷との戦いに破れたとある豪族は住んでいた場所を棄て、この東北地方へ逃げ込んだ。しかし、大和の追撃は激しく、反撃もままならぬ彼らは藁で編んだ人形ひとがたと一際巨大な人形ひとがたを見通しの悪い山の中へ大量に並べた。

 あたかも大軍勢が待ち構えているような演出は絶大で、大和の軍勢はパニックになり、さらに悪天候と朝廷内のトラブルが重なり、もはや豪族の追撃をしているような余裕はなくなってしまった大和の軍勢は撤退した。

 追撃を逃れた豪族はさらに山奥へ移動し、湖を中心としたささやかな村を作り平和に暮らしました。彼らは大和の追撃を止めてくれた藁人形の兵士たちに感謝し、一際巨大な藁人形を藁将様と呼び讃えた。

 村人たちは藁を神聖なものとして扱い、大和の軍勢が撤退した日には必ず藁を藁将様へ捧げていた。

 ある時、村を訪れた旅女郎が神懸かり、藁将様への伴侶をお求めになられた。一柱ではなく二柱になることで藁将様はより完全な守り神として村を繁栄に導く、と宣言した旅女郎は村の代表であった一族と交わり、藁将様を祀る社の巫女となった。

 熱心な村人たちは藁将様への伴侶として新たな藁の人形ひとがたを作り、藁将様を社の右へ、伴侶の人形ひとがたを左へ奉る。

 時は流れ、天明の大飢饉と疫病の煽りが村を襲う。飢饉は辛うじて持ちこたえたものの、疫病になす術が無い村人たちは困り果て、藁将様へ縋ることしか出来なかった。さらに藁将様の伴侶として奉納された人形ひとがたが一夜にして朽ちてしまった。

 その光景に戦く村人たちへ、旅女郎の末裔である巫女が藁将様への伴侶は人間の女でなくてはならないと神懸かり、村の中で誰よりも清く穢れのない娘が藁将様への伴侶に相応しいと選ばれた。

 村のために死ねることを喜んだ娘であったが畜生腹であること、その娘へ歪んだ愛情を向けている兄がいることが気掛かりであった。そして、その気掛かりは最悪の形を迎えてしまう。娘の兄が彼女を伴侶として差し出すことを拒み、次々と村人を殺してしまう。

 村を滅ぼすことまかりならぬ、と村人たちは決死の覚悟で兄を討ち、娘は村のために湖へ藁将様と共に沈んでいった。その後、疫病は治まり、飢饉の翳りも消え去り、村人たちは藁将様への感謝と生贄を誓い、その生贄となる娘たちの尊い犠牲を永遠に讃えることを誓った……これがあの村の民話か」

 もちろんこれは全文じゃないし、原文のままじゃない。マコちゃんがかいつまんで朗読したものだ。

「大和朝廷との戦いって……遥か昔の話だよね?」

「古事記にまで遡るか……あの村って相当前から人が住んでた歴史があるみたいね」

 そんな時代の光景なんて、私の脳みそじゃ想像出来ない。

「ところで……旅女郎って何かわかる?」

「歩き巫女のこと。簡単に言うと神社にいないで全国を歩き回って祈祷とか口寄せとかで生計を立てていた巫女なんだよ。遊女とか旅芸人としても活動していたから旅をしてる女郎で旅女郎ってわけ」

「畜生腹……」

「双子のこと。畜生って子供をたくさん産むでしょ?」

「私……畜生腹なんだ……」

「そんなこと気にしなさんな。メルが直接誰かに言われたわけじゃないでしょ? あんたに足りないのは負けん気と抜かせ精神だよ」

「抜かせ精神……か」

「世間にゃ他者を屈服させたいだけの小物が山ほどいるよ。言葉の一つ一つに御丁寧な反応をするメルみたいなのは格好の獲物だよ。他人の……しかも自分を見下そうとする奴の言葉なんか相手にする必要すらないんだよ。勝手に抜かしてろ馬鹿、でいいんだからね?」

「うっ……うん」

「よろしい。さて、話を戻すけど、それなりに村のことは見えてきたね。藁人形が神棚に祀られていた理由、花嫁・花婿人形が放置されていた理由、明治政府に目をつけられた理由、藁将様の正体とかも全部わかった」

「生贄と人形を沈めていた湖……Taoさんがスマホを落とした湖だよね?」

「そうだと思う。生贄にされた人たちの心が人形たちに宿って無念の呼び聲を発し、メルみたいに呼び聲が聞こえた人たちを沈めているのかもしれない。あの三馬鹿の一人がスマホを落とした所為で呼び聲からスマホに写真を送りつけるやり方にした……なんて推測が出来るかな。完全にオカルトだし常識外だけどね」

「口惜しい……その意味は生贄になんてなりたくなかったっていう本心が出ていたってことかな。どうして見つけてくださらないの……っていうのはスマホに入った写真をどうして見つけてくれないのかっていう意味で……ここで待っているというのはあの湖の底で待っているってこと……」

「行方不明者はあの湖の中に沈められるのかもしれないな……生贄にされた人たちの無念を宿した花嫁・花婿人形に誘われて……。それに空襲で村が全滅したなら巫女だって死んでるから供養する人なんていないよ。藁将様とやらにも変な約束をしてるしさ……」

「じゃあ……供養してあげればいい?」

「それで行方不明になった人たちが帰って来てくれればいいけど……最悪の場合も想定しておいてよ? 特に……ミホの方を、ね?」

「空が生きているなら……美穂も生きてるって信じたい……」

「わかってるよ。だからこうして飛び出して来たんじゃん。覚悟はしておいて……って言ってるの」

「……うん。わかってる」

 その後は本棚に戻り、藁将村についてさらなる資料を求めて動き回ったけど満足な結果は得られなかった。まるであの村のことを忌避しているかのように記述が見つからない。情報を提供してくれた人のおじいさんが住んでいた村のことは出て来るのに……。

「お嬢さんたち、まだ調べものをしていたのかい?」

 うんうんと唸っていると、受付のおばあちゃんが私たちのテーブルに来た。もう帰るのか、右腕には小さなバッグがぶら下がっている。

「ええ……ちょっと寒村のことを調べていて……」

「寒村? その言い方だとずいぶん昔のことかい?」

 そうなんです、と答えると、背もたれに全身を預けていたマコちゃんが起き上がった。

「そうだ。おばあさん、地元の人ですよね? 藁将村って知ってます?」

「っ! あんた……その村のことをどこで……」

 優しそうな笑みを浮かべていたおばあちゃんの表情が凍った。叱りつけるような表情をわなわなと震わせ、私たちを交互に睨みつけた。

「日本中を騒がせてる行方不明事件がありますよね? あの元兇がその村じゃないかと探ってるんですよ。身内が行方不明になりましてね」

 マコちゃんはその睨みに動じない。私もそれに続いておばあちゃんを見据えた。

「何か……知っているんですか?」

「……二年前にも廃村を尋ねて来た若い三人組がいたよ。どこで知ったのかは知らないけど……あんな村に行くのはよくない。あたしの……シノってばあちゃんが言っていたよ……あの村は人の死を喰い物にしている……人喰いの村だってね。空襲で滅びて良かったんだよ。アメリカさんがやった市民虐殺の中で唯一の善行さ」

 そう吐き捨てるように言ったおばあちゃんは、私たちから逃げるようにして早足で図書館から出て行ってしまった。村を知っている人たちからは忌避されているんだろうか。だとしたら民話とはずいぶんと違う印象がある。

「人の死を喰い物……か。あの人はずいぶんと藁将村が嫌いみたいだね」

「民話と違う感じ。人の死を喰い物にしていたって……どういう意味なんだろう」

「そういえば……情報提供者のじいさんも変な光景を見たって言ってたっけ?」

 そう言うとマコちゃんはスマホを取り出し、件のやり取りを表示した。

「二股の鳥居の右に花婿姿の男……左は花嫁姿の人形か。おまけに久流が口にした死形婚は独身のまま死んだ人のために人形を沈めてるなんて発言してるけど、六歳だったじいさんの発言と記憶が正しければ……生きた人間と人形も沈めてるってことになるね」

「どの発言が正しいのかな……」

「それを見極めるには……乗り込むしかない」

「場所はわかるの?」

「目印の道祖神を特定しておいた。道祖神が大好きな人がやってるブログがあって、接触したら村の目印の道祖神を写真に撮ってたんだ。おかげで場所は判明してる。ここから一時間もかからないよ。……乗り込む覚悟は出来てる?」

「……行こう」

 あの廃村に空も美穂もいるなら乗り込むしか選択肢はない。私はマコちゃんの背中に従って図書館を後にした。

 スマホを片手に藁将村への目印である道祖神を目指す。そんな中、おばあちゃんの警告の所為か、通り過ぎた家の中から視線のようなものを感じて妙に落ち着かなかった。閉め切った窓の隙間から町の人が私たちを見ているんじゃないか、そんな被害妄想が背中を押したからか、次第に不気味な感じになる周囲の光景を見ても逃げ帰ろうとは思わなかった。

 やがて私たちは利用者が誰もいない駐車場と出会した。

「この駐車場を抜けた山の中に道祖神はあるみたい。衛星写真じゃ廃墟も見つからないけど……あることは確実みたいね」

 ただの目印に過ぎない駐車場なんかに目もくれないマコちゃんだけど、私はそこにポツン、と置かれた看板に気付いて近付いた。

 この付近で男性が二人行方不明になりました。情報をお持ちの方は○○警察署までご連絡ください。

 看板にはそう書かれている。有益な情報なんて届いていないことが汚れ具合でわかるけど、こうして看板を立てる前にどうして私にこの場所を教えてくれなかったんだろう。地元警察もここが危険な場所だということを知っているんだろうか。

「その看板は片付けることになるかもね。それか……行方不明が二人追加されるか」

 そういえば篠原さんはどうしているだろう。由乃さんが篠原さんのことを口にしなかったということは、そういうことなんだろうか……。

「行くよ。道祖神を探すから足下に注意して」

 行くよ、と指し示された方向にあるのは深い山だ。入山を拒むように反り立つ山々が連なる中に藁将村はあるんだろうか。大和から逃げて来た豪族……あの時代にここがどんな状態だったのかはわからないけど、その苦労は相当だったんだろう。

「位置は……あっちか」

「マコちゃん、道祖神の場所がどうしてわかるの?」

「スマホで撮られた写真に位置情報があるでしょ? それを教えてもらってこっちのスマホに位置登録しておいたの」

「ああ、そういうこと……」

 地図があるから大丈夫、のはずなんだけど、近付く山の手前は夏の昼過ぎにも関わらず薄暗く、見下ろすように枝垂れる木々は私たちを呑み込もうとしているように見えて気味が悪い。おまけに朽ちた枝が弧を描いて垂れ下がっているから首つりを彷彿させる。

「道祖神……このクソみたいな草の所為で見つけ難いかな」

 足下の草は夏という後ろ盾を得てとんでもないことになっている。私に届きそうな草まであって、先導するマコちゃんを見失えば確実に迷ってしまうだろう。

「こんな場所……この状況じゃなかったら絶対に入らなかったって……」

 ナタでも持ってくれば良かったー、と怒るマコちゃん。それでも進んでくれているし、虫除けの事前準備も出来ている。だけど、そもそもこの山に入ってから蟲の姿がどこにも見当たらない。蝉の声も聞こえないし、蜘蛛もいないし、蠅も虻も蚊も見当たらない。

 蟲のいない森、不気味に腰を曲げる木々、背丈に迫る雑草、漫画やゲームに出て来る迷いの森みたいな感じで奥に行けば行くほど気味の悪さが増している。確かに追撃者たちから逃げる場所としては最高かもしれない。藁で編んだ人形ひとがたも使い方によっては本当に追い返せるかもしれない。

「あっ……これか? 目印の道祖神」

 ガサッ、ガササッ、と草を払い、その場に屈み込んだマコちゃんは汚い石を露にした。見ただけで朽ちていることがわかるそれは映像の頃よりも二年分の汚さが足された感じだ。表面には藁人形みたいなものが彫られており、件の道祖神で間違いないみたいだ。

「道祖神にまで藁の人形ひとがたか……すげぇ崇拝だな」

「殺されるかもしれなかったんだから……崇拝するよ」

「藁人形で逃げ出す相手で良かったね。この目印が見つかったってことは……次の目印はでかい藁人形か」

 化け物みたいな木々の隙間を抜けて、大きな石の横を抜けて、流れる湧き水の小さな川を飛び越え、いくつかの段差を上がっても見えて来ない目印にマコちゃんも次第に苛々し始めて、暗くなり始めた頭上に私も不安が強くなってきた。いつの間にか懐中電灯が必要なくらい暗くなってしまった。

「もうっ……二年前の映像じゃ今と違うか……」

「一応……遭難しても三日くらいなら耐えられるよ……?」

 私のバッグにもマコちゃんのバッグにも缶詰とか水とか衛生用品も入っている。遭難してもその三日で脱出出来るならどうにかなるけど、それを過ぎたらどうなるかわからない。何しろここは蟲どころか幽霊の影すらも見当たらない場所だ。

「こんな場所に骨を埋めるなんて冗談じゃないっつーの。メル、何か視えないの?」

「私の霊能力って……そんな便利な感じじゃないよ。視えるのは――」

 便利にもならない自分の霊能力に苛立って視線を投げた時――木の隙間に人影が動いた。視界の隅で一瞬だけ動いたそれは男の人の背中だった気がする。

「誰かが……そこに」

 いたよ、そう言おうとして指差した先に――大きな藁の人形ひとがたが見えた。映像よりも遥かに朽ちた外見で、五メートル近い体躯は今にも頽れそうで、兜も恐ろしい顔も陣羽織も無くなっている。

「見つけたじゃん! 映像に従うなら……近くに二股の鳥居が見えるはず……!」

 そう言って藁の人形ひとがたへ駆け寄ったマコちゃんは周囲を照らし――。

「あった! 二股の鳥居!」

 照らされた方向へ私も駆け、マコちゃんの背中へ続いた。

 藁の人形ひとがたと同じで二年前よりも朽ちている。右の鳥居は上の部分が無くなっていて、辛うじて残る朱色がなければ鳥居には見えないだろう。

「メル、たぶん……あたしたちが通る鳥居は右だからね」

「えっ?」

「推測だけど……生きた人間が通るのは右の鳥居なんだと思うよ。着物だって左は死者でしょ?」

「あっ……左を通ったシンって人……自殺してるんだよね」

「それもそうだけど、人形の花嫁が通ったのは左だからさ……」

「わかった。それじゃあ……潜ろう」

 この鳥居の先にどんな廃村が広がっているのか、何が待ち受けているのか、私はポケットの中に入れている空のスマホを握り締めたまま右の鳥居へ臨んだ。

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