第陸幕 救われるモノ

「何だかずいぶんと盛り上がってるみたいだけど……何を持ち込んだのかな?」

 穏やかだけど、怒っている感が滲み出ているその声に私は縋るように振り返り――そこに立つのは、美穂も私も軽々と見下ろせるほどの長身を持った幽霊――ではなく、

「っ……由乃さん!!」

 この状況下で誰よりも縋りたい人が来てくれた。私は事情なんて説明せずに、

「幽霊が家中に……!」

 たったそれだけで由乃さんには通じる。何も言わずに私と美穂を横へ退かすと幽霊たちと対峙した。

「雑魚がワラワラと……人の家で何してんの?」

 真夏なのに黒い女羽織と黒い手袋とつばの大きな帽子を纏っている由乃さんは何もしない。ただ、一言そう告げた瞬間――幽霊たちは叫びのような驚愕を浮かべて我先にと姿を掻き消し、真正面にいた鎧は積み木みたいに音を立てて頽れた。

「これはどういうことかな? 海?」

 透き通った神曲の空気が一瞬で押し寄せ、由乃さんからの肩越しの一瞥と共に幽霊の臭いが消し飛んだ。それと同時に頽れたはずの鎧も姿を消していて、元の柊邸に戻った。一睨みで幽霊を吹き飛ばせる由乃さんには本当に驚かされる。弟子でこれなら、柊蓮華さんやその娘さんはどうなってるんだろう。

「実は……」

 元に戻ったリビングへ集まり、私は今日までの出来事を全て説明した。

「そう……空君のために色々と動いていたのね」

「はい……色々と情報は集まってるんですが……」

 それでも由乃さんが帰って来てくれたのならきっと解決するはずだ。空はきっと生きているはず、という希望を抱いているのも由乃さんが何も言わないからだ。

「由乃さん、霊能力で空がどこにいるのか、生きているのか霊視してもらえませんか?」

「そうね、そうしてあげたいけど……出来ないの」

「えっ? どうして……」

「私は荷物を取りに来ただけだし、これは私が受け持つ案件でもない。海が自分の力で解決しないといけない……そういう答えが出てる」

「私が解決させなきゃいけない……? それはどういう……」

「う〜ん……どう説明するかなぁ……」

 由乃さんはさっきみたいなことや、外からよくない霊を連れ込んだ時とかに行う除霊的なことを説明してくれないことがほとんどだ。気にしないでいいよ〜、と言って終わらせてしまう。普段ならそれでいいかもしれないけど今回は違う。説明してほしいことばかりだし、霊視だってしてほしい。それだのに、由乃さんは目を閉じて坐禅か瞑想みたいなことを始めてしまった。

「…………」

「うん……空君はまだ生きてる。そこは希望を持っていい。だけど……それもいつまで保つかわからないな」

「空が死ぬかもしれないのに……由乃さん……」

「他者に頼るのも限度がある。それに……その写真が海のことを呼んでいる気配がある。あなたがこの事件に関わることで……〝救われるもの〟がいるみたい。私がやってもそれは救えたことにならない」

「救われる……?」

「そう……写真が届いた人に求めているものがある……だから蓮華様もこの事件に関わらなかったのかな……それ以外の人たちが赴いても根本的な解決にはならないから……」

「求めているもの……別の霊能力者にもそう言われました」

「なら間違いないね。その写真が届いていない私にも蓮華様にも、その霊能力者にもこの事件は解決出来ない。空君を見つけて取り返すのも海が自分の力でやるしかないんだよ」

「でも……私……」

「助けてあげたいけど、私はもう蓮華様の所へ戻らないといけない。荷物を取りに来ただけだからね」

 そう言って由乃さんは自分の部屋に行ってしまった。除霊も出来ない、腕力もない、人を諭せるほどの人生経験もない。それだのに、どうやって空を救えるんだろう。

「でもさ……ウミ、ユノは出来ないことをやれとは言わないよ……」

「さっきの私を見てたでしょ? 幽霊を一睨みで追い出せる由乃さんならともかく、美穂と一緒に怯えてたんだよ?」

「だけど今日までソラのことを見つけるために色々してきたじゃん……? それが無駄になるか報われるかはウミの行動次第なんじゃないの……?」

「…………」 

 SDカードのことが脳裏をよぎる。件の花嫁写真に写る人形をTaoさんはどこかの廃村で見た。そして空は篠原さんと一緒に神隠し事件を調べるために出て行き行方不明になった。そのスマホには花嫁写真があった。空も篠原さんもその廃村にいるんだろうか。

「海……失敗したら死ぬかもしれない案件だけど、それでも私は介入出来ない。行方不明事件は終わらせられるかもしれないけど、空君を連れ戻せないかもしれない。彼を連れ戻せるのは海だけだから……ね」

 部屋から戻って来た由乃さんの右手には大きなトランクがあり、もう出発するみたいだ。

「私に何かあったら……」

「その時は私が全部の責任を取る。だけど……海なら出来る。呼びかけられているのなら、全てに意味がある。海が選ばれたことも、空君が行方不明になったことも……」

「…………」

「それと……全ての幽霊が怨霊に染まっているわけじゃない。知ろうとしてあげることもまた……救いになることもある。目の前のことだけに意識を囚われては駄目よ。それじゃあね」

 そう言って由乃さんは出て行った。振り返ってもくれないその背中を初めて怨めしく思ったけど、警察の捜査に進展はなく、篠原さんの会社も学校側も何も出来ない。由乃さんが言った通り、他者に頼るのはここまでが限界かもしれない。

「……SDカードが届いたら考えよう」

 それは独り言として呟いたんだけど、

「ソラは生きてるんでしょ? だったら……考えるも何もウミが捜しに行くしかないんじゃない?」

 美穂が応えた。それが少し意外で、私は彼女を睨むように見据えた。

「幽霊に対して何も抵抗出来ないのに……軽々しく言わないでよ……」

「そうだけど……ユノが動けないならソラを捜しに行けるのはウミだけだよ? せっかくここまで来たのに……怖いから諦める、なんてしたら全部が無駄になるし……どこかで生きてるソラの努力というか動きも無駄になるんだよ……?」

「……とにかく、全部は明日……SDカードが届いて中を見たら決める」

「マジで……?」

「悪いけど……今日の夕飯は好きに食べて……」

 最後にそれだけを告げて、私は自分の部屋に戻った。勉強机に突っ伏し、持って来た空のスマホに浮かぶ人形の花嫁を見た。

 自分の半身が危険な目にあっている。それは間違いないし、由乃さんが言うように助けられるのは私だけかもしれない。だけど、私はマッチョでもないし、霊能力者でもない、戦う術を持たないただの小娘だ。それだのに軽々と助けに行きます、なんて言えるわけがない。ただの泣き虫で、お父さんとお母さんが死んでからずっと空に甘えていたどうしようもない……子供なんだから……。

 どうして私なんだろう……私が行方不明になった方が良かったりしないだろうか。家事はともかく空は一人で何でも出来る。私がいなくても苦労はしないだろう。

「何で私なの……何で私なんかに呼びかけるの……? あんたの口惜しいなんて……私にも空にも関係ないじゃんか……」

 こっちを見ようともしない花嫁人形を睨みながら、私はこれから待ち受けているかもしれない嫌な光景に目を閉じた。



 気付いた時には朝になっていた。

 突っ伏していた勉強机に置かれた時計が示すのは九時十八分。いつもならありえない起床時間だ。夕飯も食べていないし、朝ご飯もまだなのにお腹は空いていない。

 昨日は不安に苛まれて美穂にもキツい態度を取ってしまった。いざという時に人間の本性と器が出る。美穂もずいぶん苛立ったと思う。まずはそれを謝ってから朝ご飯にしよう。SDカードがいつ届くのかはわからないけどご飯にしよう。

 廊下に出て美穂の部屋をノックしてみたけど、意外にも部屋にはいなかった。パソコンもスリープにはなっておらず、食べかけのカップラーメンとかも見当たらない。リビングで何か食べてるんだろうか。

 二階に下りてリビングを覗いてみたけど、そこにも美穂の姿は無い。家の中が妙に静かな気がして、二階の空き部屋も一階の部屋も全部を見回ってみたけど美穂の姿は無く、地下室にもその姿は無かった、ただ、玄関を見たら鍵が開いていて、美穂の靴が一足無くなっていた。

 コンビニへ何か買いに行ったのかな……。

 自分の部屋に戻り、携帯電話で美穂のスマホにかけてみた。すると、

『おかけになった電話は電波の届かない場所にいるか、電源が入っておりません』

 機械のアナウンスが流れた。スマホのゲームにも熱中しているから、いくつもの予備バッテリーとかも持っているからうっかり電源を落とすことはありえない……と思う。

 少ししたら帰って来るだろうと信じて、私はマコちゃんからのメールを返しつつ遅めの朝食を用意した。

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