記録 2

『何を考えているのかわからないから気味が悪い』

 これはワタシが六歳ぐらいの時に母親から言われた一言だ。六歳の子供に対してなかなかのキツい言葉だが、そういう配慮なんて出来ない母親だというのは六歳の子供にもわかってはいた。

 物心ついた時から父親はいなかったし、母親は父親の愚痴を毎日毎秒のように吐き出す人だった。そんな家庭状況において、ワタシが元気にノビノビに健やかに育つわけはなく、母親からの愚痴がいつ自分へ向けられるかわからないから毎日をビクビクと過ごしていた。

 それから二年後、母親はワタシを汚いアパートに捨てて蒸発した。その後は叔父さんの家に渡り、中学卒業まで面倒を見てもらった。叔父さんは優しくて可愛がってくれたけど、ワタシがいることで付き合っている彼女さんとトラブルになりかけていたことを知って、高校には通わず叔父さんを通じてここへ転がり込んだ。

 今は叔父さんが教えてくれたプログラミングとかゲームのおかげで、まったくの無一文というわけじゃない。生活費も少しは出すからと言ったけど、ユノは将来のために貯金しておきな、と言ってくれている。

 ここにいていいんだと言ってくれる人がいることに、ようやくまともな幸せが来たんだと思って毎日を過ごしていた。静かなお風呂、ユノが作ってくれる美味しいご飯、いつでも眠れるベッド……本当に幸せだった。

「ちょっとマコちゃんの家に行って来るから」

 そう言ってウミは出て行った。そうなるとこの神曲はワタシが来た時の面影が蘇る。その頃からユノはほとんど神曲にいなかったし、昔から一人でいることに慣れていたからワタシだけの世界に引きこもることは苦じゃなかった。

『ほら、朝ご飯出来てるよ!』

 そんな起こされ方は実家にいる時もなかったし、みんなでテーブルを囲んでご飯というのもなかった。今はもう慣れたから平気だけど、ユノとも最初の頃は同じテーブルが気まずかった。優しさはともかくあの外見が親密じゃない相手を畏縮させるのは充分だろう。

 そんなこんなでワタシだけの世界は崩壊した。でも、同じ釜の飯を食べることでお互いの距離感を肌で感じられるようになったし、いつの間にかソラとウミがいることを当たり前として考えるようになった。疲れはするけど、所詮は他人だけど、それでも誰かと一緒に生活することを楽しいと思える自分がいることにも気付いた。

「ワタシも変わったねぇ……人恋しいと思うんだから」

 誰もいない沈黙のリビングを見渡しながらの独り言だ。ウミがいるならいつもここで朝昼晩を食べる。テレビを見ながら、おしゃべりしながら、特に何も話さないまま、擬似家族の時間は続く。

 棚の中から紅茶セットを取り出し、沸かしたポットからお湯をもらう。これもウミが来てからの文化だ。湯気香る紅茶の匂いを嗅ぎながら、リビングを後にする。

 ギシギシと階段を上がり、三階の自分の部屋へ向かう――その途中で、ゴトン! と、大きな音が聞こえて来た。何か重たいものが落ちたような音だ。

 身体をそっと階段の横に寄り添わせ、耳をすませてみる。骨董品を狙う泥棒だった場合、出会したら歯が立たない。だけど、このまま下へ逃げても音で気付かれる。ワタシは足音を忍ばせながら、三階の廊下に顔を出した。

 誰がいるのか、心臓を吐き出しそうになったけど、予想に反してそこに誰もいない。あるのは床に落ちたワタシの般若だけだ。どんな風に落ちたらああなるのか、ワタシの方へ顔を向けている。空っぽのはずの目がこっちを睨んでいるような気がして気味が悪い。

 ワタシは廊下を歩いて般若の面を拾い上げた――瞬間、向かい合った般若の目がギョロリとワタシを見た。「うわ!!」と、床へ落としたけど、般若の面は壊れない。

 売り物だった骨董品をもらって飾っていたけど、気味が悪いと感じたのは今日が初めてだ。飾るのは今日で終わりにしよう。奥にある倉庫にでも放り込んでおけばいい。一人そう頷いたワタシは倉庫に入って般若の面を空棚に置いた。

「それじゃあな」

 後ろ髪なんか引かれずに廊下へ出た。すると今度は下の階から物音――というか、玄関が開いた音がした。ウミが戸締まりを忘れることはほぼ皆無だから何か忘れ物でもしたんだろう。

「ウミ〜何か忘れもんでもしたか〜?」

 階段から顔を出して下に呼びかけてみたけど、返事も足音もない。だけど、バタバタと階段を踏み締める足音だけは聞こえて来る。何をしてるんだろう。

「ウミ〜?」

 二階まで下り、階段の途中で一階の玄関を覗き込んでみた。だけど、そこにウミの靴は無く、誰かが入って来た痕跡も無い。それだのに地下へ下る足音が聞こえる。

 神曲の地下には悪魔が眠っている――というわけじゃないけど、ユノからも関わるなとキツく言われている場所だ。当然それはウミにもソラにも同様だから、忍び込むようなことはしないはずだ。だけど、ソラの行方不明に関してのことならウミは入るかもしれない。

 忍び足で階段を下り、地下へ通じる鉄製のドアを見た。すると、微かにドアが開いていた。施錠はしてないから誰でも入れることは入れる。

「ウミ……? いるの?」

 ドアをそっと押し開けると同時に横の照明を点けた。カチッ、カチン……と頼りない音を発して照明は地下室を照らし上げた。

 地下室の規模はリビングほどで、ユノが曰く付きだと注意していた通りの骨董品が山積みにされている。棚には日本人形に西洋人形、よくわからない昔の玩具、生首を舐めている女霊の掛け軸、黒く変色した薙刀、時代劇でよく見る時計、蛇腹式のカメラ、他にも名称不明の骨董品が雑多に並び、壁には掛け軸以外に黄ばんだ新聞とかポスターが貼られ、汚いガラスケースの中には仏像とか鎧兜まである。

「これは日本刀……いや、軍刀もあるのか」

 血みたいな染みを纏う壷の中にはゴルフクラブみたいに刀が入れられていて、その中で一際目立つのは刀緒が結ばれた軍刀だ。おそらく……モノホンだろうし、一つだけ鞘すら無いものまである。

 さらに奥にはガラスケースに入れられていない古ぼけた鎧兜(大鎧だと後で知った)が鎮座していて、面具を付けている所為か不気味さが増している。あの闇の中に誰かがいて、ワタシのことを見つめている、なんて妄想が嫌でも這い出て来る。

 長居するような場所じゃないし、ウミは帰って来ていない。それが確信になったワタシは早々に地下室を後にする。逃げるように電気を消し、背中で鉄のドアを叩き閉め――。

 ドォン!!

 般若の面よりも遥かに重たい何かが起こした地響きに足裏を突かれた。ホラー映画じゃ絶対に逃げた方がいい状況だというのに、ワタシの身体は振り返ろうとしている。嫌だけど、もしも棚が倒れたとかならユノに言い訳出来ない証拠が渡ることになる。

 ワタシは静かにドアを開け、地下の手前を照らす照明だけで室内を覗き込み――倒れていた大鎧と目が合った。あれが鎮座していたのは着物とか壷が入った木箱を積んでいたテーブルを回らないと辿り着けない場所のはずだ。前に倒れた程度じゃ入り口を覗ける位置には絶対に届かない――ワタシは逃げるようにドアを閉めようとしたけど、


 ……い……。


「えっ……?」


 ……しい……。


 それは耳元――じゃなくて、頭に直接囁かれているような奇怪な感覚。


 ああ……しぃ……。


 大鎧――の中にいる誰かは何かを伝えようとしてる。必死に呼び止められているような気がして、ワタシはその大鎧に近付いた。

「……何が言いたいの?」


 あぁ……くちおしや……。


「どこのどなたか存じ上げませんが……鎮まりたまえ……」


 あぁ……にぇ……など……どうし……て……。


「はい……?」


 すくわな……れば……ちのそこ……みお……ながれて……。


 何が言いたいのかわからない。そもそも会話になっているんだろうか。


 くち……おしぃ……はんしん……かけて……ながされて……。


「あなたはもう死んでるんですけど……」

 幽霊になっても未練があるほどに、この某さんは現実が楽しかったんだろうか。そう思うと何だか羨ましくて、苛立たしくて、ワタシは大鎧を見下ろしたまま言った。

「もう死んでるんですから……さっさと上がりましょうよ……」

 リア充だったんだろう。恵まれた人生かそうじゃないかは産まれた時から決まっている。覆せない現実と抗えない現実はあるんだ。執着出来るほど幸せな現実を生きた幽霊を見限ったワタシは地下室から出ようと振り返り――。

 カタ……カタタ……。

 また何かが音を立てて動き始めた。ポルターガイストみたいなことが出来るのかもしれない。そう思ったワタシは走り出し――。

「うわっ!!」

 ガタン、と倒れた壷の中から鞘の無い刀が飛び出して来た。錆びれた鈍い一閃が目の前を切り裂き、その刃は生首を舐める女霊の掛け軸に突き刺さった。

 冗談……!

 ワタシはバネみたいに踵を返し、地下室から飛び出した。ユノの言いつけを破ったわけじゃないし、自分から望んで入ったわけじゃない。そもそも本当に入ってほしくないなら鍵をかけておけよ……!

 階段を駆け上がり玄関を飛び出した。もう一人で家にいたくないし、十字架とかニンニクとかで撃退出来るならともかく、視えるウミが帰って来るまでは対処も対抗も出来ないのが現実だ。

 そうしてワタシは玄関前でしばらく過ごした。スマホは持っていたから、ゲームでとにかく時間を稼ぎ、ウミが帰って来るのをひたすら待つ。そして、

「美穂? 玄関で何してんの?」

 意外にもさっさと帰って来てくれた。

「……家に幽霊がいるから帰れない」

「幽霊? どんな……」

「口惜しいとか言ってる鎧武者とか……ものを落としたり、大きな音を立てたりする奴ら……」

 加えて刀まで投げつけられて殺されかけた。ここに至るまでの経緯を捲し立てて次を促した。

「家に幽霊……あの写真の所為? とにかく入ろう」

 実に堂々とした態度でウミは玄関に手をかけた。ワタシは肩越しに室内を覗き込み――その光景にウミの袖を掴んだ。

「あの鎧が……刀を動かした奴……!」

 神曲の店舗に通じるドアの手前にそいつは立っていた。正確には鎮座しているのだが、そこはどうでもいい……! 確かなのは、あいつが勝手に動き回れるということだ。

「地下から出て来た……?」

「どう対処すんの……?」

「霊能力者じゃないよ……ポルターガイストを起こせる幽霊なんてどうすることも……」

 ワタシに向かって後退りしたウミに呼応するかのように、地下からも二階からもゾンビみたいなうめき声と足音が聞こえ、頭から血を流した奴、胸に包丁が突き刺さった奴、顔中に殴られた証がある奴――穏やかじゃない奴らがざわざわと蠢きながら姿を見せた。

「ちょっ……家に帰れないじゃん……!」

 フラフラと迫り来る幽霊、真正面に鎮座する大鎧、どうしたらいいのかわからず、ワタシは後退りするウミの背中に従って玄関を出――ボスン、と誰かにぶつかった。もう終わりだ、その恐怖を連れたまま振り返ったワタシを見下ろすのは、二メートルに届く巨大な人影――。

「ユノ……?」

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