第1話

 怪盗騒ぎの数週間前、小柄な少年は、太陽の光が照りつける草原で低木を跳び越えていた。


 身につけているボディバッグでは、ピンで留めたカメオがキラリと光った。


 着地をし、激しく足を回転させる。少年は、走っていた。いや、走っていたというより、逃げていた。


 後ろからは、八百屋(48歳・♂)が真新しい自転車を猛烈にこぎながら追いかけていた。


「このガキ、今日こそ許さねえぞ」


 両者譲らぬデッドヒートは、スタート地点の町を遠くにのぞみ、なおも拮抗していた。低木を跳び越え、あいだを縫い、差をつけたり縮めたり…。少年は底なしの体力で、八百屋は気合いと根性で、遅れをとることなくここまできた。


 だが、もうすぐ草原を抜け、森に入ってしまう。そうなれば自転車は不利だ。八百屋はそれまでに捕まえようと「うおおお」と声を上げ、さらなる加速をした。


 と、ときを同じくして、森の手前の高い木が数本ある辺りで、二人を待っている少年たちがいた。


 細身で眼鏡をかけた少年と、斧を持ってボーッと立っていた、太った少年だ。


 彼らは草原から見えないように、木の陰に隠れて様子をうかがっていた。


「来たね~」


太った少年が持ち前のテンポでゆっくり言うと、細身の少年は突き放すように言った。


「見ればわかるよ」


 細身の少年は多機能眼鏡をかけていて、それで、近づいてくる二人との距離を測った。


「結構早いね。もう近いし、構えようか。ゼロで振り抜いてよ」


「うん、わかった~」


ゆっくり答えてから、太った少年が斧を振り上げた。


「ゴー、ヨン、サン、ニー、イチ、ゼロ」

「……よいしょ」


2テンポほど遅れて、斧は力強く振り下ろされた。


 ザンッ。


 斧が切ったのは、これでもかというぐらいピンッと張られた綱だった。


 罠を発動させたのだ。


 結果、地面に隠してあった網が持ち上がり、その上にきた八百屋を見事、「うおおお」という驚きの声と共に自転車ごと捕まえた。


「やった~。上手くいったね~」


 太った少年の喜びの声に、細身の少年が答えた。


「ああ、完璧だった(僕がね)」


 それから2人で木陰を出て、小柄な少年と、合わせて3人で八百屋を囲んだ。


「くそっ!またこんなの作りやがって!」


網の中で八百屋が野犬のように叫んだが、少年たちには悪びれる様子も、ひるむ様子もなかった。

 それどころか、細身の少年に至っては相手を煽る始末だった。


「自転車を新調しても、フィトには追いつけなかったね」


 フィトと呼ばれた少年は、今し方まで走っていたにもかかわらず、全く息が切れていなかった。そして堂々とした態度で、細身の少年をたしなめた。


「カルパ。人の努力をバカにするのは良くないぞ」


 たしなめられた細身の少年・カルパは、悪びれこそしなかったが、意見を汲む様子は見せ、それ以上何も言わなかった。


「クエタ、斧は?」


フィトが今度は、太った少年・クエタに話しかけた。そのクエタの手に斧はなく、代わりにスナック菓子の袋があった。


「あっち~」


クエタが、お菓子を食べる合間で木陰をさして、ゆっくり言った。


 フィトは、のぞき込むようにして斧を確認すると、八百屋の方に向き直った。


「今日も残念だったね。


 それじゃあオレたちは行くとこがあるから、あっちの斧、クエタんちのだから返しといて。


 罠は、10分したら出られるから」


 フィトは、一方的にそう言うと、八百屋の返事を待たずに背を向けて歩き始めた。


「おいっ。待て。勝手なこと言うな」


八百屋が制止するも、フィトは気にも留めなかった。カルパは、「ご愁傷様」とだけ言うとフィトに続き、クエタは何も言わないまま、スナック菓子の咀嚼音だけを響かせながら2人についていった。


 一人取り残された八百屋は憐れなものだった。足掻いても網から出られず、「待て!帰ってこい!」と何度呼び止めても無視されて。そして、最後にはその積もったものを吐き出すように、大声で叫んだ。


「この報いは絶対に受けさせてやるからな!」


 しかし、八百屋から放たれたその咆哮は、少年たちに関心を持たれることもなく、その頭の上を飛び越えて、森の幽閑へと消えていった。

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