ITP ~逆三角錐~

@JUAB

第一章 カウント開始

プロローグ

 いつもなら、森に囲まれたその石造りの城は、夜になると暗闇の中に静かにたたずんでいる。


 それがこの日は煌々と光を湛え、物々しい雰囲気に包まれていた。近頃世間を騒がせている怪盗からの予告状が届き、蟻の侵入も許すまいと警備を強めていたのだ。


 しかしその甲斐もなく、警報は火花を散らすように鳴り響き、第2ラウンドの開始を告げた。


「出入口の封鎖を確認」


城内にアナウンスが流れ、大勢の警備員の足音がこだました。


 鉄格子ではめ殺しにされた窓の前を、警備員たちが走り抜けた。彼らが向かう先には、大柄な男の姿があった。見た目は二十歳前後、黒いジャージの上下にボディバッグを備えて、軽快に警備員から逃げていた。


 男は、人間離れした素早さで、捕まることなく出口のない城内をしばらく逃げ回った。けれども数にたのみ、連携のとれた警備員たちの動きに徐々に逃げ場を失い、ついには追い込まれてしまった。


「ここまでか~」


残念そうに男が言った。


「わかってるじゃないか。怪我をしたくないなら大人しく捕まれ」


警備員の1人が、真っ暗な空に背を向けた男に言い放った。


 建物は城、場所は城壁の上。城壁の下には、水を張った幅の広い堀があった。飛び込むこともできるが、堀の岸にもたくさんの警備員がいて、逃走経路としては適していなかった。


 しかし、そんな状況に置かれてなお男は楽しそうに笑った。


「ふふふっ。記録は何分?……10分もたなかったか」


男は、誰かと話すようにそう言った。


 (通信機器を持っているのか。そのようには見えないが…)いぶかりながら、一番前にいた警備員が目をこらした。すると、その目がちょうど男の目と合った。


「おじさんたち、やっぱプロだね。圧倒されたよ。いい経験になった。ありがとう。それじゃあ、また機会があれば」


 そう言った途端、男の全身から霧が吹き出した。霧は男と警備員たちとの間に広がって、男の姿を見えなくした。


「小細工を!」


霧の中へ、勇敢な警備員の一人が突撃した。けれど男がいたはずのところは通り過ぎ、城壁の端に着いて、その警備員はキョロキョロと辺りを見回す羽目になった。


 直後、ドボンっと大きなものが水に落ちる音がした。確認すると、堀の水面には大きな波紋が広がっていた。


「飛び込んだぞ」


堀の周りにいた警備員たちは、大声で呼びかけ合いながら集まり、逃がすまいと、水面をライトで照らして浮かんでくるであろう男を捜し始めた。


 そんな、誰もが堀に注目している中で、城壁側にいた警備員の一人が「あれっ?」と声を上げた。


「どうしたんだ?」

「いや、今何か黒い線が森の方へ伸びていたような…」

「……何もないぞ」

「……気のせいか?」

「おいおい。しっかりしてくれよ」


 その警備員は軽く首をかしげると、促されて、捜索中の仲間と合流するためにその場をあとにした。


 その後、堀の周囲は、数を増す警備員たちによって騒がしくなっていった。


 そんな騒々しさから、離れること数十メートル。森の木が生い茂るところに、黒い線は確かにあった。確かにあったが、城に近い方からみるみる消えていっていた。そして、その先にあった端へとすぐに到達すると、見る影もなく消えてしまった。


 そこに残ったのは、深夜の森に相応しくない、少年の姿だけだった。小柄な少年が、その小さな体をさらに縮めて息をひそめていた。


「うまく騙せたみたい」


少年は、振り返って確認するとそう言った。そしてニヤリと笑いながら立ち上がって、目の前にあった低木を跳び越えた。

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