第2話

「で、それは、この森の中にあるのか?」

「そうみたいだよ」


フィトの問いかけにカルパが答えた。それから彼は、手に持っていたノートを開いて、書いてあることを確認した。


「町から真っ直ぐ行った、ちょっとした山になっているところだって」

「山か~。山ならこのすぐ先にあったなぁ」


フィトが生い茂る草を踏みつけ、簡易的な道を作りながら答えた。


「行ったことある?」

「いや、まだない」

「いつか行こうとは思ってたんだ…」


 二人が話していると、後ろからドローンの音が近づいてきた。それはクエタを自動追尾するドローンで、それが、八百屋を罠から解放する役目を終えて、3人に追いついてきたのだ。


 そのドローンには大量のスナック菓子を詰めた網がつるされていて、クエタは、ドローンがクエタの手前でピタリと止まるやいなや、早速中身がなくなった袋と取り替えて、新しいスナック菓子を食べ始めた。


「八百屋も追いかけてきてたりしないか?」


フィトが、少し期待感を持って言った。


「来ないよ。あの人、変に真面目だから、今頃どうせ斧を持って自転車こいでるよ」


カルパが吐き捨てるように言ってから、目を細めた。


「―ところで今日は、何をとったの?」


「ん?りんご。食うか?」


フィトが、ボディバッグの中のりんごを見せた。


「いらないよ!いわく付きの物なんて」


カルパは強く拒否した。


「―それにしてもあの八百屋、りんご1つでよくあれだけ追いかける気になるね」


「しかも、ちゃんとお金払うんだぞ。クエタのとこのおばさんが」


「まあ、それが気に入らないから八百屋も怒ってるんだけどね」


「何が気に入らないんだろうなぁ」


 フィトはそう言って考える素振りを見せたが、それも一瞬だけのことで、結論も出ないまますぐに切り替えた。


「まあいいか、そんなことより、そろそろ山だな」


 森へ入ってからこっち、地面はずっと波打っていた。


 だが、この先は明らかな上りになっていた。しかもけっこうな急斜面だった。


 フィトからすればなんてことない角度ではあったが、はてさて、あとの二人はどうか。


 フィトは、振り返ってカルパを見た。カルパは疲れが見える顔で、恨めしそうに斜面を見上げていた。


(うん、無理そうだ。)


それがフィトの忌憚のない感想だった。


「やめとくか?」


 フィトに聞かれて、カルパは一瞬諦めかけた。だが、あることに気づいて、考えを改めた。


「いや、迂回路を探そう。あの父親もそうしたに違いない」


 実は、カルパが持っている、行き先を示したノートは、カルパの父親が書いたものだった。


 つまりその父親もこの先には行ったはずで、その身体能力を考えれば、迂回路を探す提案は当然の帰結だった。


「なるほど。そりゃそうか」


フィトも納得し、迂回してみることになった。


「しかし、オヤジさんの秘密基地かぁ。楽しみだな」


フィトが、目的地へ胸を膨らませて言った。


「あるのは祭壇だよ。勝手に秘密基地にしないの」


のんきなフィトに対し、カルパは少し気が張っていた。


「―何度も言うけど、本当にあるかわからないよ。『ただの妄想でした』ってオチもあるんだから」


「でもそのノート、引き出しの奥に隠してあったんだろ?嘘だったら隠したりしないって」


「いや、嘘というか、創作だから隠すってこともあるよ。小説の設定とか」


「そんな内容なのか?」


 フィトに聞かれて、カルパがさらっと概要を並べた。


「……洞窟の奥の石室、公園の休憩所みたいな祭壇、奇天烈な文章―」


「奇天烈な文章?」


「うん。何でも、文字の一つひとつが様々な言語で書かれてて、単語もバラバラ、ルールもバラバラだから、解読が困難なんだって」


「…?そんなの読めるのか?」


「さあ?ノートには、少しは読めてるみたいに書いてあるけど…」


「オヤジさんも、奇天烈だな」


「その奇天烈な父親の勘では、どうやらその文章は、祭壇で行う儀式の説明書きっぽいとのことだよ。何のため儀式だか」


「面白そうじゃないか。悪魔とか召喚できるかも」


「いや、それがね。文章には現代の言葉も使われてるんだって。


つまり、書かれたのは最近ってことでしょ?それで儀式って言われても、まるで神秘性を感じないよ。


そのお粗末さが僕には、小説の一節のように思えるんだ」


「ふ~ん。……オヤジさんって小説書いたっけ?」


「う~ん。歴史学者として本は書くけど、これまで全くのフィクションは書いたことないかな」


「なら、小説じゃない可能性も十分あるじゃないか。何をそんなに心配しているんだ?」


「えっ、だって、もしなかったら…」


「そんなの、なくて普通だろ?あるかもしれない分、オレたちは得してるじゃないか」


 フィトの独特な計算方法に、カルパは目を丸くした。


「…まあ、フィトがそう言うならいいけど…」


 カルパは、そう言いながら、肩の力が抜けて、体が少し軽くなった気がしていた。このときばかりは、道なき道を進むこの時間も、あまり苦痛に感じなくなっていた。


 しかし、そんな気持ちも、すぐに覆された。


「あれ?あそこ道になってないか?…ほら、整備されてる」


 フィトが発見したのは、草を除いて砂利を敷いた、見るからに人工的な道だった。


 では、だれがこの道を作ったのか。カルパの脳裏に1人の顔が浮かび、怪訝な顔をした。


「そういえばちょっと前に、父親がそういった機械を借りてきていたような気がする」


「マジか、当たりだな。…でもこんな道があると、秘密基地としてはどうなんだろうな」


 問題はそこじゃないし、目的地も秘密基地ではない。カルパは思ったが口には出さなかった。


「おい、カルパ。見ろよ、あっち」


 今度は何だ。カルパがフィトの指した方を見た。するとそちらでは、見えるところに森の終わりがあった。そこまでモビリティで来られそうなので、道なき道を進む必要はなかったわけだ。


「帰りは早そうだな」


 そう言ってフィトは笑っていたが、カルパには、怒りが込み上げていた。父親はどうしてその道のことをノートに書いていなかったのか。記録者としての良識を今すぐ問いただしてやりたくなった。


 カルパは、急に体が重たくなったように感じていた。クエタを見ると、彼もずっと後ろから着いてきていたはずなのに、疲れた様子はなく、ずっとスナック菓子を食べていた。


 いや、スナック菓子を食べているのはいつものことだった。だが、人の気も知らないで涼しい顔で食べ続けられては、気が滅入る。


「どうしてそんなに食べ続けられるんだ…」


思わず漏れたひと言に、クエタが反応した。


「ん~?おいしいよ~?」


 味の話ではない。味で解決するのは、世界でクエタだけだ。カルパは自分の置かれた状況を嘆かわしくに思い、その思いが疲れた体をさらに重たく感じさせた。


 心境は最悪だが、まだ先はある。


 カルパは、踏みしめる砂利の音と、スナックを食べる咀嚼音を聞きながら、どうにかフィトの背中を追って、なだらかな砂利道を登っていった。

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